僕の眼が正しければですが、鍛錬を積んだはずの能のシテ方も微妙に揺れているんだ!(@@
写真はそのシーンではありませんが、この発見!?は驚きでした。
ゆらいで保つ
舞台を何気に見ていたのですが、シテ方の頭と後ろの板の木目を見ていてチラチラするんですね。
ここで、ヘッ!って今読んでいる本の一部を思い出したんですね。
その本は、三枝龍生という整体師・合気道家の書いた「体は何でも知っている」。エロ本ですって紹介されたのですが、トンデモハップン。
その部分。人間は直立しだして数百万年。直立することに関してはまだ駆け出しの生物。
ゆらぐことによって初めてバランスを保ち、水中でなく空中で漂うという至難の技を実現している。
だから、人間の本質は中途半端なもの。ゆらいでいるから保てている。これは達観かも。
病みつきになりそう
能・狂言、面白いですね。よくわからないことも含めてですが(^^;;
ゆらぐの他に感じたことは、足の運び。すり足でつま先を上げて下す。歩幅とつま先の上げ具合は女形と男形で違うんですね。よ~くできていますね。
あと、シテ方の手、張り詰めた緊張感を持ち続けている。やはり、鍛錬ですね。その手ですが、つやつやで光っていました。生き方が表れているように感じました。
囃子方、当たり前ですが、見事ですね。
特に、小鼓の空気をピーンと震わすような切れのある音、小太鼓の軽妙でリズミカルな叩き方と音。そして、やはり、空気を切り裂くような能笛の鋭い音色。最後は渾身の音色。
そして、囃子方のよぉ~!ほぉ~!ほっ!はっ!というような掛け声、いやあ、実に見事ですね。囃子が生き、シテ方の動きが相乗的にキレるとでもいうのでしょうか。
なんか、病みつきになりそうな能・狂言の舞台でした。
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