恵みの雨、お野菜をはじめ花も木も雑草たちも、色彩も精気も蘇ったように見えます。
先日蒔いた黒大豆、2,3日前から芽を出していましたが、今日の雨で水を得た何とか、そんな言葉がぴったりです。
そんな今日は、納屋の片づけをしたり、収穫しなきゃと思っていたイチゴを収穫したりと百姓仕事。
午後は、恵みの雨でもあるので、さあやるぞと気合を入れるもののなかなか乗らない書道のお稽古。
それでも、やっとこさっとこ、10枚ほど練習して、、、明日は、もうちょっとやって添削に送ろうと思います。
今月のお手本は空海の忽披帖から「己銷陶尓」、空海の書を見る限りでは、僕には筆遣いや筆の運びは想像できません。
ところが、房仙先生は、空海はこんな思いでこう書いたのだろうと同一化しているようにしか思えない仔細にわたる指導方法、僕から見ると凄すぎです。
さて、その課題はどういうこと?と調べたら、「已(はなは)だ陶尓(うれひ)を銷(け)す」と読み、陶尓とは「心配事・憂鬱なこと」だとか。
意味はさておき、筆遣いなど自分も少しでも近づけたらなあ。
明日は、本格的な雨降りの予報ですが、前にした今日、雲が多かったけれど、青空の深みは半端なかったですね。
朝6時から畑作業、家の近くから東出雲、そして新庄に。
種まき、ニンニク収穫、草取り、ポット苗づくり、終わったエンドウの支柱やネットの片づけ、プラス主婦業、今日も百姓仕事をよくやったものです。
お陰で、お昼寝を挟んでしっかり2回、シャワーを浴び、ちゃんと洗濯も。
明日は雨、雨を心待ちにしているお野菜や雑草と一緒に、しとしとピッシャンを楽しむとしましょう。
暑かったですね~~💦💦
4時から覚悟の歯医者(^^;; 行くまでの時間、2回も着替えて洗濯(><)
何でも35℃で猛暑日だったらしい、どおりで!
8時前、網戸のない窓を全開していますが、まだ暑い!
それでも、今日もエアコンなしで、、、
電気代がもったいないから、というのもあるけど6月入ったばかりでエアコン!と思いつくこともなかった。
明日から?明後日から?待ちに待った恵みの雨が大地を潤してくれるようですから、明日は早起きしてヤブツルアズキの種を撒こうと思います。
夕方、畑の様子確認がてら、夕日を見て帰りましたが、夕日の景色も厚くるしく見えるんですが、、、
今日、新庄のカウンターに活けてもらっていたアジサイ、おっ!ブーケみたいだし色合いが絶妙で可愛いじゃないか!
このブーケの出どころは、勝手口を出たところにある一株のアジサイなんですが、昨日、遊びに来てくれた友人がたくさん摘んで活けてくれました。
ほとんど葉っぱのないアジサイ、ちょっぴり可哀そうと思っていたのですが、こうしてみるとなかなかのもの。
今更かもしれませんが、アジサイって、開くにしたがって花弁の色が変わるものなんですか?
このアジサイの株も、天からの恵みが途絶えて相当経つので、午後には花弁の元気がなくなりしょんぼりしています。
水やりは必要最小限と思っているので、お野菜たちも同様です。
でも、天気予報を見ると、本格的な梅雨もすぐそこ。
庭のアジサイも元気になることでしょう。
今日、いけずご王国に子どもたちが遊びに来てくれました。
タケノコを取ったり、山の手入れをしたり、取ってきたタケノコでご飯とみそ汁、手入れの時に切った竹でおつゆのお椀を作ったり、、、
新庄に子どもたちの元気な声が響きました。
そんな中で、最後の最後、一人の男の子がタケノコの皮むきのために出してあげた包丁で指を切って出血!
ちょっとした騒ぎでしたが、小学1年生くらい?涙は出さずに、、えらい!
いつだったかは、大泣きした男の子がいましたが、今日日、刃物で指などを切る経験ってほぼしてないんですよね。
ジャングル・ブック
昨夜、「ジャングル・ブック」という映画をやっていて、途中お風呂に入ったりしましたが、半分程度は見たかなあ?
そんな中で指切り事件とオーバーラップしたのが、主人公のモーグリがジャングルの獣たちから敬愛される存在に成長していく過程。
猿の王、キング・ルーイはモーグリに火の作り方を教えるよう迫ります。
ラスト、人間に復讐を誓う虎のシア・カーンに追い詰められながら、少年モーグリがシア・カーンの魔の手から逃れたのは、刃物と火のお陰。
もちろん、モーグリの人としての知恵があったからなのですが、、、
火と刃物
いけずご王国で子どもたちに伝えたいことの大きな一つは、火と刃物を自在に使えるようになること。
“草食系男子、肉食系女子”という言葉、聞き飽きるほど聞き、もはや死語かとも思えるほどになっていますが、その要因の一つは火と刃物かなあと思います。
女子は(そうでもない子も増えていますが)、それでも料理を作るために火と刃物を使うよう家庭の中で育っていますが、男の子は家庭でも学校でも危ないから?と、火と刃物から遠ざけられているような印象です。
そういう社会現象に、少しでも抗い、人としての本性を開いて強く生きて欲しい、そんな思いなんですね。
怪我をする、嬉しいことではありませんが、ある意味では、内心ほくそ笑んでいるのかも知れません。
一歩深く、人らしく成長してくれるかも、と。