とぼけた話ですが、それにも意味があったのかも。
「忘れられた日本人」
先日、手に取った本を読み始めたのですが、数ページでひとまずまあいいか。
次に2冊の本を手に取り、一冊はちょっと読んで新庄の本棚へ、もう一冊を読み始めて、これは!!
読みたかったけど、なぜか手に取ってページをめくるタイミングがなかった宮本常一の「忘れられた日本人」。
確か、縁辺の思想家・渡辺京二が宮本常一のことを話していて、この人は凄い!ぜひ読みたいと思ってすぐに買ったものの、、、
開いて読み始めるやいきなり引きずり込むんですね、民俗学者の宮本常一の視点は凄い!
宮本常一は、学者然とした民俗学ではなく、赤子を慈しむように庶民の生きざまを活写し、そのかけがえなさを伝えようとしている?その目線に深い共感を感じるのです。
この本、50年以上前に出版されたものを25年前に再版した本ですが、今こそ私たちの生き方を見直すべき時代じゃないの?そんな宮本常一メッセージが痛いほど伝わってくるのです。
街場の文体論
一昨日、そんな本を新庄に忘れてしまい、手に取ったのは内田樹の「街場の文体論」、内田樹、生き方も含めて好きなんですよね。
読み始めて、やっぱりこれも手放せそうにないわ(^^;;
この本、彼の教師生活の最後に行った“クリエイティブ・ライティング”という授業が書籍化されているのかな(十数頁読んだばかりなので)。
先生は、最初の講義に集まった教室があふれるほどの学生たちにいきなり、「私がこれまで会ったなかでいちばん粗忽な人」というテーマのレポート1枚の提出を求め、それで受講できる学生を選ぶと言うんですね。
出題者の中にある模範解答を想定して書けばいいということが、受験勉強を通じて刷り込まれているので、書く力が深く、致命的に奪われている、模範解答意識をぶっ壊し、本当に伝えたいことをどう伝えるのか。
うまく表せてないけど、「説明する力」をどう磨くのかという授業。
「説明する力」のうまい作家として橋本治、三島由紀夫、村上春樹の三人を上げ、橋本治は物語る時の焦点距離の移動が恐ろしく速いと。
のようなことを読んで、さて、自分は?となり、レポートを書いてみたいと思案して出だしはこれだ!というところまで行っていますが、さてと。
脈絡のない2冊のようですが
何の脈絡もないような、2冊の本ですが、僕の中ではとても通じるところがあって、この2冊を手に取った必然性のようなものにとても驚いています。
通じるところ、今の社会の在り方や人の生き方をどう見直していけばいいのか?効率主義や経済性から少し距離を置いて、足元を見る視点を持つ大切さとでもいうのでしょうか。
この2冊、今後どんな示唆を与えてくれるのか、とても楽しみです。