小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



小田原城址公園の本丸広場は史跡整備に伴い、動物園の飼育施設の撤去が段階的に行われている。残るのはニホンザルの檻だけとなったが、その本丸広場に取り残されるように古い日時計が置かれている。昨年春にゾウ舎も取り壊されて、がらんと広く感じられるようになった天守閣前の本丸広場。その本丸広場の中程のベンチの後ろに隠れるように古びた日時計が置かれている。高さ80センチほどの台座の上の直径1mのコンクリート盤には、金属製のプレートが3枚と日時計がはめ込まれている。日時計は直径36センチの青銅製。文字盤には5分刻みの目盛りが刻まれている。文字盤に影を落とす3角形の突起部分はノモンという名称。そのノモンの下の部分には東経や北緯のほか寄贈者が刻まれている。それによると寄贈は神奈川県時計貴金属眼鏡小売商連合会で昭和48年6月10日時の記念日とある。後日、図書館に出かけ関係する資料を探したところ、昭和48年6月16日付けの神奈川新聞にこの日時計の除幕式についての記事を見つけた。新聞記事によるとこの日時計は、神奈川県時計貴金属眼鏡小売商連合会が結成35周年を記念して寄贈したもの。序幕式は昭和48年6月15日に当時の中井一郎小田原市長ほか、連合会関係者など約50名が出席して行われたとのこと。この日時計を製作したのはシチズン時計で、国内の日時計作家の草分け的な存在の小原銀之助氏による設計。小原氏は生涯で400基以上の日時計を製作し、そのうちの一つがこの城址公園に設置されたもの。日時計の文字盤横のプレートには小原氏のコメントも刻まれている。設置からまもなく40年。文字盤は歪み、縁の部分は朽ちかけているが、今でも天気の良い日には色褪せたノモンが文字盤に影を落としている。史跡の整備に伴い、やがて撤去されてしまうであろう日時計。小学生の頃は友人達と城址公園内で遊ぶことが多く、何度もこの日時計を眺めた記憶がある。朽ちかけた日時計を見ているとずいぶんいろいろなことを思い出す。動物園があって雑然としていた頃の本丸広場が懐かしい。

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