<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

たとい身は苦毒の中に止まるとも

2016年05月08日 19時43分23秒 | Weblog

假令身止 諸苦毒中 我行精進    大無量寿経「讃仏偈」より

たとい身は苦毒の中に止まるとも、我は精進を行ず。

精進はこころを乱さないことです。

わたしはこころを乱すことがないであろう、という宣誓文です。

なぜそうできるか。仏に導かれて仏道を歩いているからです。

われわれはしょっち苦しんでいます。悲しんでいます。毒を飲んで毒づいています。みっともありません。

でも、でも、でも、わたしたちは仏に導かれています。仏に導かれて仏道を歩いています。

ここを歩いているだけで精進になっているのです。

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忍終不悔 にんじゅうふけ

2016年05月08日 19時27分59秒 | Weblog

忍終不悔 にんじゅうふけ      仏説無量寿経「讃仏偈」より

終わりを忍んで悔いず。あるいは、忍んで終わるとも悔いず。

堪え忍んでついに命の終わりに来たが、それをも悔いず。

悔いてはならない。何があろうと悔いてはならない。わたしは仏に導かれて仏道を歩いている者である。仏道を歩いていることを悔いてはならない。

命の旅は終わることがないのである。

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害虫駆除ができない

2016年05月08日 17時31分14秒 | Weblog

雨が降り出してきた。僕は、お昼もずっと寝て過ごした。布団をお縁側まで移動させてそこで庭先の花々を眺めながら。読書もしたが没頭できない。くうくうと空気が抜けていく風船のようだった。5時のサイレンが鳴るまで目が覚めなかった。喉がからからする。目を覚ましたが次の行動に出られない。どうも元気が沸いてこない。寝たら元気が戻りそうなのだが、そうはならないでいる。よほど風邪菌が獰猛なのだろうか。食い付いたら離れて行かない。

深めのプランターで育てている茄子に黒いカメムシ類が集まっている。茎の下の方から上の方までびっしり。お隣のプランターのジャガ芋にはもっと集(たか)っている。茎が見えないほどに。気持ちが悪い。ネットで調べたらウスミドリメクラカメムシ、テントウムシダマシ、アオクサカメムシなどの害虫が茄子科の植物には来るらしい。マラソン粉剤を散布すれば防げるらしい。いまはしかし、僕にはその元気がない。寝た姿勢のまま、害虫の一方的侵略を眺めているきりだった。

 

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褒められたときの少女のような恥じらい

2016年05月08日 11時44分16秒 | Weblog

ふっふっふ。思わず笑みがこぼれる。なぜ? 畑でズッキーニが初生りしたのである。花は毎朝開くが雄花ばかりで、雌花が少なかった。朝ごとに家族の者が蝶々になって媒介して回っていた。受粉が成功してそれがようやくすくすくと育った。緑がつやつや光っている。今夜辺りさっそくオニオンスープに加えてもらうとしよう。収獲は嬉しい。

さぶろう、お前それがそんなに嬉しいか。へ。有り難うございました。さぶろうはこれを今朝のわが喜びとして受け取りました。神さまが雲の隙間に顔を見せてもう一度仰せになられた。さぶろう、お前それがそんなに嬉しいのか。さぶろうももう一度、厳かに「へへー」と言った。ズッキーニが手元でその遣り取りを聞いてくるりと回転した。褒められた少女のような恥じらいだった。

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天の命令を奉じて善を行え

2016年05月08日 10時32分30秒 | Weblog

「諸悪莫作 衆善奉行」 

諸々の悪を作すこと莫(な)かれ。衆(おお)くの善を奉じてこれを行え。

仏教の教えるところの究極はここだと言う。悪いことをするな。よいことをせよ。

するなと言われるとしたがる。せよと言われるとしたくない。凡夫は天邪鬼だ。素直に従えない。

「奉行」は命令を奉じてこれを積極的に行いに移すことである。善は命令されている、そういう受け取りだ。命令を恭しく聞き取って実行する、実践する。誰からの命令か。宇宙の意思かもしれない。諸仏かもしれない。神々かもしれない。古代中国流に言い表せば天かもしれない。命令をされていないと、煩悩に酔い痴れている者が善を行うことは難しいということか。

「いつでもいいですよ、あなたの気の向いたときでいいですよ」となると、悪を断つことも難しくなる。善を敢行することも難しくなる。「これをしないと殺すぞ」とばかり迫って来られるとしぶしぶこれに従う。慈愛に満ちた仏の顔がやさしく諭すくらいでは、いつまで経っても諸悪莫作も衆善奉行もできない。

第一、善悪の見境がついていないのである。何が善で何が悪かも分かっていない。分かると悪がやれなくなり、善を行わないといけなくなるので、わざと分からないフリをしているかもしれないが、判断が付きにくい。やはりこころの耳を澄まして命令を聞くしかないのかもしれない。

殺してはいけない。殺さないのが善である。殺すのが悪である。相手を生かすのが善である。相手を生かさないのは悪である。己を生かすと善になり、己を生かさないでいると悪になる。これが命令の第一条であるかもしれない。殺すな、これは五戒の第一条である。

恵まれた人間としてのわたしの命を生かす。殺さないで生かす。そうしていたいものである。お命も恵まれたのであるから、命令もそのとき同時に恵まれているのかも知れない。そう思ったりもする。

「諸悪莫作」も命令形である。「衆善奉行」も命令形表現である。命令だから躊躇逡巡は許されていないのかもしれない。だとすると、差し迫って聞こえて来る。諸悪とあるから悪は沢山ある。衆善だからこれも沢山ある。仏教の命令を奉じて行うと毎日がひどく忙しくなりそうだ。

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快方に向かっている

2016年05月08日 10時07分41秒 | Weblog

おはようございます。空が晴れ渡っています。爽快です。風が庭の木々を揺すって通り抜けています。わたしの風邪はしだいに快方に向かっています。昨夜寝る前にもう一度薬を服用しました。夜中は鼻が詰まっていて寝苦しく感じました。少し咳がつきかけているようです。まだ外に出ていくだけの気合いは入っていません。家族の者が庭で蕗をどっさり摘んで来ましたので筋剥きをしました。両手の指先が灰汁で赤黒く染まってしまいました。久しぶりにパソコンに向かっています。YouTubeでいつも通りクラシック音楽を聞いています。朝ご飯に茹でたばかりのブロッコリーを食べました。これは友人から秋口に小さな苗をもらってきて育てていたものです。やっと実をつけるまでになりましたが、季節が季節、すぐに花になってしまいそうです。はやく元気を取り戻して、畑に移植した唐黍の根元にどっさり施肥をしてあげねばなりません。気が焦ります。今日は次女が京都に戻って行ってしまいます。なんだか淋しいです。一年に数度しか会うことがありませんから。

見上げるためには身を低くしなければなりません。身を高くしておくとどうしても見下げてしまいがちです。風邪を引いて寝込むのは見上げる姿勢を回復するためなのかもしれません。幸福の高い位置に付いていると、その場の幸福というのは実感できないものです。ときどきだからこうして見上げる姿勢、身を低くする姿勢をとらされることになりますが、これでまた立ち位置の幸福が自覚されてきます。

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