なんのことたあない。さぶろうはただ野良仕事が好きなだけである。野良に出て、ただ<のろのらのろのろ>しているのが好きなのである。今日も日が暮れ仕舞うまでこれをやった。外に出ていさえすれば、何かそこにするべきことが見付かるのである。で、それ。をしている、ということになる。剪定した庭の木々の枝がそろそろ乾いたのでこれに火を付けて燃やしてしまった。もちろん危なくないところで、延焼が心配されないところで。花を着けたドクダミを抜いて藪としかいいようがないほど繁茂した草藪をきれいにした。さっぱりした。種から育てていたトマト苗の最後の4株を地植えした、たっぷり施肥をして。それから蕗畑の礼肥ができるように丁寧に草を抜いた。施肥は明日にしよう。日が落ちてしまうまでとにかくあれこれとするべき仕事が見付かる。これをしている。すると時間が過ぎている。夜になって、僕は満足を覚えて家に入る。充実した一日だったのである。家に入って裸になってタオルを水に濡らして汗を拭いた。これでさっぱりした。ほかに何にも要らないのである、この老人には。贅沢はしないでいいのである。人様がするような大袈裟な振る舞いはしなくてかように単純質素な暮らしでいていいのである。安上がりな男である、さぶろうという男。でも、実にむさい男である。飾りがしてない。面白くもない。
二の腕の筋肉がコリコリに凝っている。農作業のしすぎだ、明らかに。右手に小さな草取り兼耕耘用の鎌鍬を握っている。これを土に打ち付けて耕しながら草の根までを掘り上げる。今日は午前中一杯これをした。トマト畑を。日射しが強い。まともに日射しを受けているものだから、とうとう下着もろとも汗びっしょりになってしまった。切り上げてお風呂場でシャワーを浴びた。石鹸の代わりにビオレを使った。匂いがいい。家内殿はかっての職場の同僚たちとの食事会でお留守。一人でお昼するのも面倒臭い。久しぶりに行きつけのラーメン屋にでも行くとするか。もうこの半年は行っていない。孫が来たときに孫を連れて行って以来だ。此の処好みが代わって豚骨ラーメンが食べられなくなっていた。妊婦さんがよくこんなふうにいきなり食べられなくなるものがあるらしい。さあて、どうなることやら。蛙が柿の木の登ってゲコゲコ鳴いている。とすると、明日辺りは案外雨になるのではないかなあ。お昼からは夏菊苗を鉢に植え替える仕事が待っている。はやく戻って来よう。
僕の好きな女優さん石田ゆり子が男と女のドラマを演じている。いつ見ても僕の官能が風音を立てる。表情表情にはっとするほどの侵しがたい色っぽさが、フラッシュ仕立てで僕の目に飛び込んでくる。男優さんとの絡み合いになる。男優さんが愛を囁く。彼女がこれを受け入れる。嫌だ。彼女にその役はふさわしくない。だからドラマでだってそんなことをしてほしくない。清純な彼女は地上界の男と女のドラマに成りきっていない。からだの線がちぐはぐだ。それを目敏く見抜く。僕はこれで安心する。妬いているの? そうかもしれない。僕の嫉妬心を察知したかのように、やがて彼女はマフラーを首に巻いてそこを離れていく。夕日が彼女の美しい頬を照らしている。悲恋物語でよかったと僕は思う。
J・Sバッハのブランデンブルグ協奏曲第5番第3楽章を聴いている。いい気持ちだ。いいぞいいぞ。この調子だ。聴いているだけでいいのだ。愉快を覚えているのだ。この調子だ。朝の7時。椿の葉っぱが暁光に夜露をとかされてつやつや輝きだした。風が幹の腋をくすぐるのだろう、そきおり我慢が出来ずに葉末が揺れる。透かし百合は直立不動の姿勢を崩さない。天晴れだ。そんなに堅苦しくていなくていいよ、リラックスしていていいよと僕は声を掛ける。それだけの余裕もある。この調子だ。僕は珍しく夜中起きなかった。起きてトイレまで行くことがなかった。どうしたのだろう。急に膀胱が二つにでもなったのだろうか。グリーグの「ペール・ギュント 朝」の旋律がゆっくり流れ出した。これもいい。気持ちがこれでますますやわらかくなる。まもなく朝ご飯に呼ばれるだろう。今日は土曜日、家族が起き出すのが遅かった。
僕に名案は浮かばない。でもそれでいい。青い空が僕の頭上に広がっている。僕の目は花園に遊ぶ花たちのほほえみに焦点を合わせている。棲み着いた蚯蚓が楽しく労働をして畑を肥やす。
僕が自慢に出来ることはない。でもそれでいい。宇宙の方が僕のところまで来て熱い抱擁をして来る。谷水が山響きして僕の耳を掃除する。日の隈山には朝一番にコジュケイが鳴きだした。