<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

それでいいのだ

2016年05月17日 14時28分30秒 | Weblog

己めがいかに愚かであろうともそれでいいのだ 光が降っている      李 白黄

光が降っているのだ。さぶろうがどんなに愚か者であろうとそれでもいいようにしてあるのだ。

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生きて見るこの降りしきる光の大地

2016年05月17日 14時17分17秒 | Weblog

死してなほ見るべきものか生きて見るこの降りしきる光の大地    李 白黄

生きている今だけ光が降りしきっているのだろうか。いな、そんなことはあるまい。死んでもこれを見ることはできるはずである。これが法・ダンマである。宇宙の秩序である。しかし、今は今だ。いま此処でしっかりと見ていよう。明るい眩しい光を。

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小さき者の点のゆたけき

2016年05月17日 14時08分51秒 | Weblog

大空の澄みてひろごるそを見れば小さきものの点のゆたけき      李 白黄

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一番の近道をゆっくりのろのろ歩く

2016年05月17日 13時47分07秒 | Weblog

しかれば凡小修し易き真教、愚鈍(ぐどん)往き易き捷径(せっけい)なり。大聖(だいしょう)の一代の教、この徳海にしくなし       浄土真宗経典「教行信証総序」より

「大聖」はお釈迦様。仏陀である。お釈迦様が覚られた悟りははじめ人に説くことをすらためらわれたほどの難解難信の内容である。これでは凡小愚鈍の者は救われない。大乗の教えが現れ、凡小愚鈍が救われるための浄土教が広まった。「徳海」は浄土の教えを指している。

そういう次第を経て凡小愚鈍のわたしさぶろうが信じ実践できる教えがさぶろうにも届いて来た。これが一番の近道だった。お釈迦様は方便として多くの教えを説かれたが、さぶろうには阿弥陀仏に南無するという教えがもっとも功徳となる大海であった。

ああ、よかったと思う。さぶろうのために仏陀と成られ一生涯を尽くして教えを説いて下さっていた。浄土の教えを。凡小愚鈍のさぶろうであっても最後には静かになれる場所があるということを説いてくださっていた。

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懐かしむという感情をわかして暮らす一日

2016年05月17日 13時27分20秒 | Weblog

もう一首、良様のお歌を。お歌を口に銜えているだけでこころが和(なご)む。

ほととぎす鳴く声きけばなつかしみこの日暮らしつその山のへに

「その山」は国上山ではない。野積という漁村に出向かれたときの作。野積は国上山の西の方にある。そこらあたりの麓の丘のことかもしれない。ホトトギスが山の手から聞こえてきたのであろう。ここで一日を過ごしてしまったというのだ。ホトトギスの鳴いている声が無性になつかしくなって、というのである。懐かしくなるとはこころが温まってくることか。生きていることが嬉しくなってこられたのだ、きっと。そのままじっと夏鳥の声をなつかしんでこの山の辺にお留まりになっておられた禅師さま。仏教者は山鳥の声すらも仏陀の声として聞こえて来る。眼前の仏陀と仏陀の法(ダンマ)をそのまま懐かしんで生きるという生き方もあったのだ。

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永遠性こそは仏教の教える枢要だ

2016年05月17日 13時01分46秒 | Weblog

恋しくば尋ねて来ませあしひきの国上(くがみ)の山の森の下庵(したいほ)     良寛禅師

庵の名は五合庵。国上山の五合目あたりにこの庵がある。近辺には乙子神社がある。庵まで森が広がっている。禅師はお坊様だ。仏道の修行をして暮らしてある。妻帯はなさっていない。できるかぎり自己所有をなさらなかった。捨てるのが行である。己の重さを軽くするのが行である。身の贅沢もこころの名誉も捨ててある。ときおり人が尋ねて来る。お米や野菜や木の実や酒や酒の肴を携えて。禅師はお酒を嗜まれる。書をよくされる。和歌をよくされる。村のこどもたちとも仲良しだ。お釈迦様の教えを守って乞食者(こつじきしゃ)だ。できることではない。

わたしを恋しく懐かしく思ってくれるならどうか国上山の静かな庵を尋ねてきてほしい。禅師はこの歌を誰に寄こされたのだろう。女性ではあるまい。弟の由之かもしれない。「わたしが死んでこの世を去った後にも」が省略されているかもしれない。だとするとこれは村人に当てた歌だろうか。「そこにはわたしがいる」「いつまでもそこにいる」というのであれば、お釈迦様と同じ境地になっておられたということか。永遠性こそは仏教の教える枢要だ。

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これからしばらくはユリの季節

2016年05月17日 12時46分34秒 | Weblog

透かし百合の黄色が蕾んでいる。もうふっくらふくらんでいるから、明朝が出番になるだろう。さぶろうの屋敷にはユリがたくさん棲んでいる。種類もいろいろだ。(金高ものはないけれど)これから7月末、8月頭くらいまでは彼らの宝塚公演を楽しめる。今年は病虫害にも侵されていない。ひどく健康だ。彼はただ眺めてこれを楽しむ以外の楽しみ方を持たないが、画家は絵に描いて写真家は写真に撮って楽しめそうだ。何故こんなにユリを栽培しているか。花を見るためか。いやそうではない。ただただこれを育てるのが楽しいのだ。土を割って出て来る誕生の様が好きなのだ。茎、葉の生命力と色合いのつややかさ色っぽさが魅惑するのだ。赤い透かし百合はすでに玄関の内を華やかに飾っている。

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桑の実がなりだした 懐かしい

2016年05月17日 11時12分15秒 | Weblog

桑の実がなりだした。我が家には桑の木がある。ほっておいたものだから、ずんずん伸びて、梢は屋根を越すくらいに高くなっている。もちろん枝が垂れている。ここへ赤い実黒い実が実っている。実はちょっと臭みがある。小学生の頃にはよくこれを食べて口の中、周りを黒く赤く汚していた。その頃は食糧難であり甘いお菓子なんか滅多に口に入らなかった。それで勢い野山を渉猟して歩いた。槙の木に登り人形の実を摘んだ。野茱萸なんかも食べた。かなり酸っぱかったのにそれでもそれをおいしく食べた。不思議だ。現代はそうはいかない。そんなものは食べられない。おいしいものがあふれているからだ。桑の実はしかしひどく懐かしい。何処の家でも蚕が飼ってあった。毎朝葉を摘んできて蚕に食べさせた。雨に濡れたものを食べさせると蚕が死んだ。家の中のお座敷に何段も箱を積み重ねて飼ってあった。いよいよ蚕が繭を作るとこどもたちはこれに見入って興奮した。見る見るきれいなきれいな繭が出来上がった。残酷にもこれを熱湯に潜らせたあとに糸引き車を回して絹糸を紡いだ。もっぱらこれはお婆さまの仕事だった。もちろんこどもたちも手伝った。死んだ蚕は養魚場の鮒や鯉の餌になった。桑の木の下には毒毛虫が糸を垂らしていた。これに這われると痒くてならなかった。この毒毛虫は長い白い毛を角のように生やしていた。

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長く生きたいということは瞬間を濃く生きていることと同価値なんだ

2016年05月17日 06時42分34秒 | Weblog

色っぽいことを書かないと飽きられてしまう。色っぽいことはさぶろうには不似合いなんだけどなあ。

おんなは、映画で出て来るおんなは、わたしを愛してよ、と言う。足の指先から髪の毛の端々までよ、丹念にこまかく愛してよ、と。おとこはこれに尽くす。触れて撫でて息を吹きかけて。おんなはその間そこを動かない。差しのばしているだけ。ときどき声を洩らすだけ。ほかに目移りをしないでわたしだけを時間を掛けてたっぷり愛して、と。時間がそこで止まっている。

そうなんだ、時間もおんななのだ。目移りをしてはいけないのだ。止めていていいのだ。時間の足の爪先から流れる黒髪の端々までを愛すべきなのだ。触れて撫でて息を吹きかけて、大切にいとおしんで。長く生きたいということと瞬間を大切に愛おしんで生きるということは同価値なのだ。

朝の時間が来ている。僕は時間に化けている彼女をそこに横たえる。彼女の着ている服を脱がす。下着を脱がす。ついでにブラジャーまでを。僕は新鮮に驚いて見せる。興奮を覚えて見せる。「ああ、美しい」「きれいだ、とってもきれいだ」を言って聞かせる。満足した時間がうふふんの声を洩らす。彼女はこれでいよいよ悩ましく身をよじてポーズを取っている。僕はとうとう我慢が出来ないところへやって来る。

朝の空がうっとりしている。それっきりで僕の時間はたちまち蜜になっている。

どう? 色っぽいのが書けている? たくさんは要らない。たくさんの時間もほんとうはそうなんじゃないのか。要らないのじゃないのか。それをそこに横たえて慈しんでやれば愛してやれば、時間はそこに一日中気持ちよさそうに寝そべっているのじゃないのか。なまめかしい姿態を造って。小さい頃角砂糖の黒砂糖をちょびちょび嘗めていたのを思い出した。一度に囓ってしまうのがもったいなくて。生きているというのはこの角砂糖なのだ。

 

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生きているという事実をいとおしむ

2016年05月17日 06時28分40秒 | Weblog

昨日は雨にたたられた。でも僕はしばらくベランダに出て酸漿の種を蒔いた。椅子に腰掛けて。種は極々小さい。指の先では抓めないほどに。それを丹念に抓んで3粒ずつにして種蒔き用ポットに蒔いた。縦5列横7列の合計35個のポットに根気よく根気よく。それから黒豆の枝豆をこれもベランダに列べているプランター6個に種蒔きした。それからマリーゴールドの幼い苗を7株鉢に植え込んだ。これは畑の一角に自然に芽生えていたのを前日に見つけて抜いて来ていたものだ。これを移し替えてやるだけで指がにおった。僕は降る雨を横目で見て作業を楽しんだ。そうだ、これが僕の生きている日の所行だった。僕はこうして僕が生きているという事実をいとおしんだ。

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