4
短歌とは何だろう。韮の花が南信濃の野辺に咲いたというだけの描写で、それで、読者は詩を覚えて感激するのだろうか。こころを動かしてくるのだろうか。著名な歌人の作だと聞くと、そこに詩を設定して掛かるという向きもあるかも知れない。短歌とは何だろう。では、誰でもいいが、歌を作ってそこに「韮の花」を登場させてくれば、それで歌になるのだろうか。そんなことはあるまい。やはり全体の中の位置づけがそれを名歌にしているのかも知れない。
4
短歌とは何だろう。韮の花が南信濃の野辺に咲いたというだけの描写で、それで、読者は詩を覚えて感激するのだろうか。こころを動かしてくるのだろうか。著名な歌人の作だと聞くと、そこに詩を設定して掛かるという向きもあるかも知れない。短歌とは何だろう。では、誰でもいいが、歌を作ってそこに「韮の花」を登場させてくれば、それで歌になるのだろうか。そんなことはあるまい。やはり全体の中の位置づけがそれを名歌にしているのかも知れない。
3
作者伊藤左千夫は、しかし、そんなことには触れていない。多く地名しか書いていない。たなたま彼は南信濃を訪れたようである。湯の原の地名がどこにあるかも、読者の大抵は知らないだろう。知らないでもいいのである。そこに美しい風景を想像をすればいいのだから。そこを歩いている一人になりきって韮の白い花を眺めて、そしてこの歌を吟じていればいいのである。
2
韮(にら)は白い小さい花をつける。よくよく気をつけていないと見えない。見落としてしまう。見えてもそれが食べられる韮の花だとは思えない。雑草にしか見えない。よくよく目を凝らして見ると、それがまるで小径を照らす灯籠の列のようにも見える。そこは蚯蚓が通る小径、土竜が通る小径、野鼠が通る小径である。それを明るく照らしてくれる。
1
みすず刈る南信濃の湯の原は野辺(のべ)の小路(こみち)に韮(にら)の花咲く 伊藤左千夫
*
「みすず刈る」は「信濃」に掛かる枕詞。
夕食に蕗の初物料理を食べた。椎茸と揚げ豆腐と一緒に煮てあった。おいしかった。まだ幼い蕗である。やわらかいやわらかい。香りがくんとした。蕗は我が家の庭の土からまさに噴き出ている。地下茎で増えて庭の一角を席巻している。今年はこれだとずいぶん、何度でも、食べられそうだ。幸せ!
蕗は一つの茎に葉っぱを一つだけつける。それで足りている。なんだか謙虚だ。ざわざしていない。そういう生き方があったんだ。
もう、キランソウが花をつけていた。赤紫色の花を見つけた。キランソウは別名「医者いらず」あるいは「医者倒し」。薬草である。これを飲んでいれば百病が治癒する。医者がいらなくなる。医者が廃業になる。くらいだそうな。それが雑草として自然に野山に生えている。そこがまたいい。山の獣たち、空の鳥たち、蛙、蜥蜴、ナメクジ、蝸牛なども、案外これで病気を治しているかもしれない。
(そういうふうに聞いていたがほんとうかどうか。まことに疑わしい)
キランソウを電子辞書で調べてみた。紫蘇科の小形多年草。路傍に生えている。茎は地表に広がって這う。葉は対生。しばしば紫色を帯びる。春。別名、ジゴクノフタ。地獄の蓋が開くほどに効き目があるとでもいうのだろうか。
医者倒し:薬草で、医者を必要としないほど特効がある薬草。ミヤマトベラなどの異称。
これくらいの雨じゃ土は潤わないぞ。中途半端な雨降り。これくらいの雨じゃ、植物の喉の渇きはおさまるまい。お天気が長く続いていたから。
植物というのは、しかし、待つ以外に方法を持たない。喉がヒリヒリするくらいに渇いていても、じっと我慢をするしかない。耐えるしかない。
根を余程深く下ろしていないと、水分補給が補えないだろう。体の中に貯水池くらい造っているだろうか。植物は知恵者だから、ぬかりはあるまい。
農作業中止。雨がざざざざあ~と。降って来た。逃げた。大慌てで。でも、上下シャツが濡れてしまった。クシャミが続いた。くしゃ~~んくしゃ~~ん。急いで新しいのに着替えた。乾布摩擦をして。とそこまでで、外を見ると雨は上がっていた。なああんだ。俄雨だったのか。待っていればよかった。でも、畑の畝に生姜を植え込んだ。里芋も植え込んだ。牛糞と有機石灰と化学肥料を撒いて。作業が済んだ、これで。一安心した。二つとも延ばし延ばしにしていた。怠け者だから。そのケリがひとまずついた。仕事に追われている。追い掛けるくらいでなくちゃならないのに、追い掛けられている。まずい。
あ。眠くなって来た。頭の中の眠りの渦が渦巻始めたようで、全体が軽い感じだ。睡魔に襲われるときには快感がある。うっとりさせるために、快感ホルモンが分泌されているのかしらん。昨日も一昨日もお昼寝をした。癖になってしまいそうである。山鳩が近くに来てぽうぽうぽうと乾いた声で鳴き出した。居眠り時間は長くても30分ほどだ。
99円の八朔蜜柑を丸々一個、指先で大外の皮を剥いて、房の薄い皮を剥いて、一人で、誰にも分けずに、あっというまに食べてしまった。ちょうどいいくらいの酸っぱさだった。熊本県産。もう水分が抜けてしまっているのかと案じたが、そうではなかった。十分な潤いがあった。手の指が、剥いた後もべたつかないから、糖分は余り含まれていないのかもしれない。