欲しいというところまでで終わっていいように思う。欲しいものが手に入れば嬉しいだろうが、それは暫くで、また欲しくなるに決まっている。何処まで行こうが、飢餓なのである。新しく飢えを起こす。ずっと満足というわけにはいかぬ。ならば、いっそのこと、第一番目の「欲しい」で、止めてておいてもいいのである。2番目に進んでも3番目4番目に進んでも、やはりまた不満足に陥るのである。それを知って先回りをして、第一番目の欲しいに留めておく。
何かを待っているというところを大事にする。このハラハラドキドキを大事にする。欲しいという魚を釣り上げない。海に泳がせておく。これでいいようにも思える。慎ましくていいようにも思える。未実現の方が実現よりも楽しみとするところが深くて高くて豊かなのかもしれない。想像の膨らみというのも付加されているのだから。実現はあんがいのっぺらぼうで薄っぺらな場合が多い。
ふふふ、逃がした魚は大きいというじゃないか。だったら逃がしておくべきである。