<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

わたしも恋しいと思いあなたも恋しいと思い、思い思いしてやっと

2018年04月01日 23時25分31秒 | Weblog

恋ひ恋ひて逢へる時だに愛(うるわ)しき言(こと)尽くしてよ長くと思はば     大伴坂上郎女 万葉集巻きの四 

わたしも恋しいと思いあなたも恋しいと思い、思い思いしながらやっとこうして逢えたのですから、恋する歌を尽くして贈り合って、愛(いと)しみ愛しみ過ごしましょうよ、長くいっしょにいたい一心なのですから。(これはさぶろうの自己流解釈)

いいなあ。恋人というのは。いっしょにいたいと思う人、長く長くいっしょにいたいと思う人がいるというのは。それでこころが浮き立って、しみじみいい歌が書けるというのは。

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新学期始まりの4月1日は僕にとっても嬉しい一日だった

2018年04月01日 23時02分15秒 | Weblog

もうやすみます。おやすみなさい。11時を過ぎました。

祖母(おおはは)がわたしらに「あんたらは早う、おやすみんさい」と訛って言っていたのを思い出した。

4月1日は僕にとってはいい1日だった。3月6日に新聞に投稿していた原稿が、やっとやっと今日になって掲載された、没になったと思っていた。なんだか命拾いをしたようで、これが嬉しかった。エイプリルフールの大嘘つきはしなかった。

昨日見た大きい丸い夕月が美しかった。今日も見ようと思っていたのに、ついつい見そびれてしまった。

我が家の桜(山桜系)はもう散りだした。2階屋根を越える高さから花吹雪が散ってくる。

園芸店に行って窒素リン酸カリ888の化学肥料と有機石灰を買って来た。(我が財布の軽さに比して高価だった)これに牛臭くない糞有機肥料を加えて、畑に撒いてから、耕耘機を使ってもらった。畝も出来上がったから、夏野菜を少しずつ植えていけるようになった。しめしめ。

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平素の暮らしの中で信心安心が生きて働くのなら、わざわざ死を待たなくともいいことになる

2018年04月01日 22時01分51秒 | Weblog

阿弥陀如来の本願のお約束をたのみ、名号(みょうごう)をとなふれば、かならず往生決定(おうじょうけつじょう)とおもひさだむる一念の、信心獲得(しんじんぎゃくとく)する時節を往生とこころうるでさふらふ。この位を平生往生(へいぜいおうじょう)とも、即得往生(そくとくおうじょう)とも、ときたまひてさふらふ。      浄土真宗経典「御書(ごしょ)」より

ここでは平生往生を説き起こしてある。死んでから往生するのではない、という。生きているいまここで往生が決定しているのだ、という。だから、生きながらの往生ということになる。

阿弥陀仏の国、極樂に往(い)って生まれるのも、いま此処で即刻ということになる。決定してしまえば、そこで完了というのである。なるほど揺るがない安心が此処で出来上がるわけである。名号唱名の一刻一刻が往生成仏なのである。死を待たなくとも阿弥陀如来と遇っているというのである。

平素の暮らしの中でこそ信心が生きて働くのなら、わざわざ死を待たなくともよいということになる。生きているときの信心獲得(しんじんぎゃくとく)と即得往生。こんな安心はあるまい。

信心は己の力量でそうするのではない。阿弥陀如来からそっくり頂戴をするものである。理屈を列べなくてすむ。そこが信心の要でもある。

御書は真慧(しんね)が書いた書物であるが、この説は親鸞聖人の説である。

此処まで来ると浄土往生の考え方はそのまま禅宗の考え方、密教の考え方に重なってくる。生きている間で得られる安心、これは頼もしい。

さぶろう、お前はどうだ? と問われている。このさぶろうはしかし、相変わらず火宅の人、無明煩悩の燃え盛る火の海に暮らしている。情けないことにいまだ腹が決まっていない。この分では、往生成仏は死後にまで延期せざるを得ないかもしれない。

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旬の物の蕗が成長をしてきた 今週末には食べられそうだ

2018年04月01日 21時41分50秒 | Weblog

蕗の茎がすんすん伸びてきた。今週末には摘んでよさそうだ。摘んで来たら、まずは頭の葉っぱを取り除く。それからスジを剥く。これがなかなかの時間を要する。辛抱して剥き終わると、灰汁が滲みだして指が茶色になる。蕗は香りがいい。剥くだけでも香りが立ち上がって来る。それが終わると適当な長さに折る、指先で。ぽきんと折れる。炒り子の出汁で煮てもらうと、さっそくそれが酒の肴に成る。おいしい。もうすぐだ、食べられるまでにはもうすぐだ。明日は肥料をしておこう。裏の畑の一角が蕗の畑だ。今年はことさら勢いがいい。石蕗もおいしいと聞くが、蕗に比べていかにもごつごつとしていて、我が家ではこの料理はしたことがない。石蕗も庭にたくさん繁茂しているけれど。

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短い時間だったが充実していた 満月を背にして玄関を潜った

2018年04月01日 21時29分28秒 | Weblog

今日は午後3時から畑に出た。昨日までに草取りをしていたところを、家族の者に小型耕耘機で耕してもらった。できるだけ深く。有機石灰と牛糞有機肥料と化学肥料とを撒いた後で。この一連の作業は1時間ほどで終了して、そこに畝を5列に組んでもらった。これでいつでも茄子、胡瓜、トマトの苗が植えられる手筈が整った。僕は残り半分の西の畑の草取りを押し進めた。日暮れまでみっちり。最後に九条葱を掘り上げた。これの外葉掃除は明日に回すことにした。短い時間だったが、充実していた。月を背にして玄関を潜った。残りの畑はまたのちの日に耕してもらうことにする。だらしない話だが、僕の麻痺の足では耕耘機が使えないのである。

 

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我が古里神埼の荘の櫛田神宮春のみゆき例大祭お下り行事を見る

2018年04月01日 21時07分41秒 | Weblog

我が古里はもとは「神埼の荘」と呼ばれていた。ここに櫛田神社がある。福岡にも同名の神社があるが、我が神埼の荘の櫛田神社が歴史が古い。この神社のみゆき例大祭の「お下り」行列を初めて目にした。お下りは下の宮まで下る。翌4月1日が「お上り」である。お上りは昼間だから見に行ったことがあった。だがお下りは初めてだった。古里にいながら情けない話だが、夜の7時から行列が始まるので、わざわざ夜見に行くということがなかった。ところがこの日は親類一同の者たちとの花見会をした。終わって焼き鳥屋さんに流れ込んだ。酒が入って出来上がった頃合いに、窓の下の道路に笛の音、鉦の音、太鼓の音が聞こえて来た。みな外に繰り出した。長い長い行列の最後の辺りに3台の御輿がからからからと乾いた音を立ててゆっくり進んで来た。寄進箱もいっしょに歩いて来る。幾ばくかの寄進をしたら、その御輿の下を這いながら通ることを許された。これで吉事が加わるという。誘い込まれてしまった。足を折って這いながら往復した。本宮の櫛田神社、仁比山の白折角神社、千代田の高志神社の3台の御輿とも。それぞれ寄進をするはめになって。初めての経験だった。子供に返ってきゃあきゃあとはしゃいだ。道路の両脇には提灯が軒ごとに吊されていて、それがぼんやりと灯っていて、太鼓が鳴り笛が鳴り鉦が鳴り、それらしい古代の雰囲気を満喫できた。

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わたしに海が生まれた 海はしだいに深くなった

2018年04月01日 19時47分29秒 | Weblog

抱くといふ営為は海を創造す ふかぶかとなれひろびろとなれ      薬王華蔵

人を愛して、抱きとめるようになってから、わたしに海が生まれた。海はしだいに深くなった。広々となった。あなたを知らなかったときには海などはなかったのに。

あなたの中にもきっと海が生まれているだろう。あなたの海が深くなっていくことを願い、広々となっていくことを祈るようになった。

人と人とが抱き合うというたったこれしきのことが、ボールの弾みとなって、人間としての歴史を展開させるようになったのだ。

いや、我が事のように表現したが、事実は異なる。

わたしはもう老いている。醜悪である。恋すること愛することからはもうとっくに遠離っている。わたしのエネルギーは尽きている。

だからこれは単なる想像である。

理解の深い海、包容の広い海を己の胸の中に持ちたいという願望だけで、人間向上がストップしている。

 

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昨日、山へ入って蕨を摘んだ こどものように歓声を上げた

2018年04月01日 14時39分08秒 | Weblog

昨日、山へ入って蕨を摘んだ。勾配が緩やかな丘陵があった。そこに昨年繁茂した親の草が枯れたままになっていた。これが目印だ。ここには蕨が立つ。案の定だった。ここにもそこにも見つかった。こどものように歓声を上げた。たちまち袋がいっぱいになった。これ以上は止めにして皐を下って来た。山径が広くなっているところにシートを広げてそこに座を作り、お弁当を食べた。鶯が来て啼いたが、とてもまだ上手とは言えなかった。摘んで来た蕨は今朝の味噌汁の具になった。初物である。おいしかった。

蕨の他に蓬も摘んだ。これは少々時期尚早のようだった。ダラの芽も摘んだ。これは僅かしか見出せなかった。今夜の夕食に天麩羅にしてもらった。新玉葱、薩摩芋、子持ち菜とともに。缶ビール(小)の肴になった。

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わたしは蛾 美しい性の匂いのする方へ飛んで行く

2018年04月01日 13時17分20秒 | Weblog

  詩  「蛾」

わたしは盲目/目が見えていない蛾/蛾のに/にんげんの暮らしをしている

わたしは蛾/銀粉をまぶした巨大な蛾/盲(めし)いているのに/飛ぶことが出来る

わたしは蛾/性の匂いのする方へ飛ぶ/闇の夜だろうと/光の昼だろうと/いささかのためらいもなく

わたしは本能の蛾/理性を持たない/道徳に従わない/美しい性を/美しく匂わせるものに/ついていく

菩薩にたしらめられても/仏陀に押し止められても/行く/美しい性を/美しく匂わせる花唇に/憧れて行く

花吹雪を/風が巻き上げる/白い花唇が空を行く/千も万も億も/横ざまに/投げキッスしながら

風が流れて行く/行く/わたしも性の流れて行く方へ/憧れて行く

 

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わたしは為すべきことをなした すべてを為し尽くした

2018年04月01日 12時49分29秒 | Weblog

まるで吹雪だ/横殴りの吹雪だ/桜の花片が/散っている/咲いたさきから/もう散っている/真下に落ちずに/横へ横へ流れて行く/それが/窓枠の四角の/透明な画面を/蝶のように流れて/声を立てながら飛んで行く/わたしは為すべきことをなした/すべてを為し尽くした/そう語りながら/一斉に飛んで行く/ひらひらと/軽く軽くひらひらと/

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