<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

苦悩する衆生と、苦悩を救済する菩薩とがいる。

2021年01月20日 17時12分19秒 | Weblog

衆生無辺誓願度。しゅじょうむへんせいがんど。

 

衆生は無辺なり、誓って度せんことを誓う。

 

「度」は「済度」。救済すること。他者を仏陀の国に渡すこと。仏智に遭わせること。涅槃に至らしめること。

 

人間道に生まれてきながら、迷妄して三悪道に堕ちて苦悩する衆生が無辺際にいる。彼らは一斉に助けを求めている。

 

助けを求める声を聞いてどうするか。求めに応じて救済するか。

 

救済するには、まず第一に、己が苦悩を脱していなければならない。迷妄を離れていなければならない。三悪道から這い上がって来ておらねばならない。菩薩となっていなければならない。

 

苦悩する側にいるか。それとも苦悩する側の反対側にいるか。どちらの側にも苦悩がある。苦悩そのものは消えて行かない。

 

衆生無辺誓願度。衆生は今現に苦悩している。苦悩する衆生を救済しようと誓って、目覚めて、実践に回っている人たちがいる。

 

 

コロナ禍で苦悩する多くの人たちがいる。その人たちを救済しようとして活動している人たちもたくさんいる。

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老いが進むとどうなるか。不安材料が噴出した。

2021年01月20日 16時50分10秒 | Weblog

客人があった。上がって頂いてお喋りした。お茶とお菓子を出した。

看護付き老人ホームに入るにはどうしたらいいか。必要経費はどうか。入った後の生活はどうなのか。そういう種類のお喋りをした。

食事付き、お風呂付き、洗濯サービス付き、部屋の掃除サービス付きなら、好都合のようだ。有料だとしても。

しかし、予約しておかねばすぐには入居もできないらしい。順番待ちがたくさん列んでいるらしい。

此処へ入っておれば、孤独死は免れそうだねと笑い合った。

老いは否応なく進んで来るだろう。体力気力判断力などが弱って、あれこれの病も進んで来ると、一人では何もできなくなる。介護する人も看護する人も老いて来る。買い物にも行けない。生活が困窮する。などなどの不安材料が噴出した。

現実化するのも時間の問題だなあという溜息になった。溜息、溜息、溜息。そこでお喋りが終了した。彼はまた来ると言って帰って行った。彼とは年が同じだ。

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3時のおやつはチョコ二個

2021年01月20日 14時53分31秒 | Weblog

3時のおやつはチョコレート2個。カカオ72%の「チョコレート効果」という製品の。ポリフェノールがたくさんらしい。ぽりぽり、ぼりぼり、噛み砕いて、たちまち食べ尽くした。おいしかった。

チョコも酵母から作られるらしい。知らなかった。

いつもはコーヒーを煎れてもらうのだが、今日は緑茶を飲んだ。でっかい湯飲みで。

右目で大相撲テレビ観戦をしながら、左目で仏教の本を読んでいる。どちらも、ちらほらになる。相撲は今十両の取り組み。

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優等生野菜であろうと、デキソコナイ野菜であろうと、掛けた愛情の量は不変。

2021年01月20日 14時35分02秒 | Weblog

プランターを使って、種から蒔いて育てていた山東菜をすべて根っこから抜いて来た。大きく育った優等生も、そうでないデキソコナイも。剪定鋏で土と根の部分を切り落とした。洗い場で二度ほど洗った。横広の籠に列べた。そして日に干して水分を切った。新鮮野菜である。きらきら日の光に輝いた。

 

2時間経過したので、これを台所に運び込んで来た。砂を噛んでいるといけないから、茎の始まる部分を1cmほど切り落とした。もう一度しっかり水洗いをした。これでよし。我が家で栽培した野菜には、それが優等生であろうとデキソコナイであろうと等しく愛情が籠もっているので、あっさり捨てるわけには行かないのだ。

 

今晩この野菜を使った料理をしてもらうことにした。たんまりある。しかし、湯を通すと僅かになってしまうだろう。そのまま鍋料理にもすき焼きにも使えそうだ。

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ヤスリでゴシゴシ削っても同じ。

2021年01月20日 11時06分06秒 | Weblog

たとえ、上手い具合に、好きな人がそこに居たとしても寂しい。居なくなったらもっと寂しいけれど、いっしょにいても、なくなることがない。この孤独は何なんだろう。動かせない。動きようがない。

 

ヤスリでごしごし削っても同じ。削った分だけすぐに復元している。もしかしたら人は孤独という粘土で作られているのかも知れない。

 

ふっと寂しい。寂しい粘土は、そのくせ、やけにねばねばしている。離れようとしない。此処へしばらく立たされる。するとその後も長時間我が物顔で居座られてしまう。

 

誰かやさしい理解者に訴えたところで、解決の手段なんて容易には見つからない。起き出して泣き出す子を寝かしつけるには、おんぶに抱っこをしながらそこら中をしばらく歩いて来るしかない。

 

山里を歩くとすぐに麦畑へ出る。川土手の両側に広がっている。そこそこに青んだ麦が北風に吹かれている。畦道が縦横に延びている。

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風景はお膳に載せてあります。

2021年01月20日 10時20分50秒 | Weblog

わたしが味わえ得る範囲を逸脱しています。

ご馳走が次々に列びます。わたしの前に次々に列びます。

「どうぞどうぞ」になっています。

でも全部が無料です。

「運んで来て下さい」と要求もしていないのに、運ばれてきています。

そのどれもがご馳走です。

でもわたしの胃袋の量は高が知れています。

少ししか食べられません。

 

わたしの前に風景が広がっています。風景はお膳に載せてあります。

大寒の日。地上に降りていた霜が解け出して、天上に戻って行きます。庭の椿が蕾んでいます。朝日を受けて輝いています。大空と大地の中間あたりには僕がいます。ぼんやりほのぼのおめでたそうにしています。

 

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呼吸がそれで合う。シンクロナイズする。

2021年01月20日 10時11分31秒 | Weblog

青空が広がっている。雲がない。澄み切って青青としている。

ああ、いいなあと思って僕が見上げている。

 

僕をいい気持ちにするためにそうしているのかもしれない。

そうだとしたら、すんなり、その通りにいい気持ちになればいい。

 

呼吸がそれで合う。

空の呼吸と僕の呼吸が合う。シンクロナイズする。

 

空に心臓がある。空に肺がある。

その心臓と肺を両者がにっこりにっこりして共有するって、いいよね。痛快だよね。

 

2021年1月20日。午前10時20分。空と僕が合体した。

めでたくすんなりと合意結婚に至った。いやあ、めでたいめでたい。

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耐えられ得るのならば、耐えていいのです。

2021年01月20日 09時25分16秒 | Weblog

おはようございます。1月20日、水曜日。今日は大寒です。隣の家の北向きの屋根に霜がびっしり降りていました。日は高く昇ってきていますが、まだ解けないでいます。

でももう半年もすれば、立春になります。それまでは寒さに耐えることになります。寒さに耐えているのは、しかし、人ばかりではありません。野原の草も山々の木々も畑の野菜たちも同じです。

耐えないでいきなり春が来たとしても、春を味わえない。で、最高の春を味わうための極寒の冬を、生き物たちはみな、歯を食いしばってひたすらに耐えているのかもしれませんね。その懸命さが美しいのです。

耐えられ得るものならば、耐えていいのです。温かな春の日を思い描きながら耐える、ここにも幸せが潜んでいますから。

耐えられ得ないことには耐えられません。そういうときも巡ってくるでしょう。必ず巡ってくるでしょう。体力精神力は日ごとに弱ってきています。限界を超えたときには、いさぎよくギブアップをするしかありませんよね。

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