これは我が家の畑の収穫物です。
枝分かれブロッコリーです。
オーロラソースをつけて食べています。よく食べています。
新鮮で歯触りがよくて、おいしいです。
提供してくれる畑に感謝します。
これは我が家の畑の収穫物です。
枝分かれブロッコリーです。
オーロラソースをつけて食べています。よく食べています。
新鮮で歯触りがよくて、おいしいです。
提供してくれる畑に感謝します。
太陽へゆきたし芥子の坂を登り 和田悟朗
NHK俳句2月号の名句紹介ページより。
☆
太陽崇拝をするのは古代の人たちに限らない。現代人もする。太陽神殿を願望する。どうすれば願望成就するか。
芥子の花の咲く丘を登り詰めて行くと必然的に此処へ、ゴールへ至り着く。
薄い透明な芥子の花びらが光を吸っておいでおいでをして、苦悩する者を手招いている。
☆
俳句は八艘跳びをする。それほどに俳句の脚力が勝っている。ひらひらする罌粟の花びらを見ていたら、そのままステップ、ジャンプして太陽へ行き着けるのだ。
太陽が罌粟を引っ張り上げているのか。罌粟と罌粟の丘へ来ているにんげんを引っ張り上げているのか。そうかもしれない。そういう気持ちにさせられたのだろう、きっと。
これは我が家の畑の収穫物です。
枝分かれブロッコリーです。
オーロラソースをつけて食べています。よく食べています。
新鮮で歯触りがよくて、おいしいです。
提供してくれる畑に感謝します。
夫婦して稼ぎ餓鬼なり野良遅日 佐藤念腹
NHK俳句2月号から抜粋。名句が紹介してあった。
☆
俳句は旅行トランクだなあ、いろいろなものが詰められて、ぱんぱんにふくらんでいる。
☆
夫婦して里山の野良仕事をしている。毎日遅くまで、春の日の暮れるまで。稼ぎに稼いでいる。貧乏しているからしょうがないのだが、ひょいとその己の姿が強欲一点張りのさもしい餓鬼に見えてきた、というのだ。季語は「遅日(ちじつ)」。春の季語。春分から先は日が長くなる。
餓鬼になった夫婦は、夜になったらお互いの餓鬼の肌に触れ合って、とろりとろりと蝋燭の蝋のように睦み合っているかもしれない。そうでもしなければこの息苦しい地獄を生き通せまい。
☆
俳句は懺悔にもなるのか。懺悔からは歓喜が噴き出して来る。
☆
俳句はどこまで食み出していいのだろう? トランクを開けて漁ったらあれやこれやが飛び出して来る。
☆
俳句は凝縮拡大ツールか。点を拡大して大空にすることもできる。
牡蛎焼きをして食べた。
我が家の台所の電子レンジでチンとして。
材料は、海がそこから広がる鹿島の道の駅で、貝殻付きを買って来た。
ワンセット1100円だった。
酒を飲んで、うましうましで食べた。
焼いて食べて飲んで、これで、三日間を過ごせた。
僕は酔いたいのだ。文学俳句は麻薬ではなかったのか。これを服せば気持ちよくなるのではなかったか。天にも昇る気になるのではなかったか。
☆
ひばり揚がる声がひかりに変わるまで 南うみを NHK俳句2月号から。
☆
雲雀が長閑な春の、霞の空に揚がる。それを見上げているが、姿が見えない。まぶしくてまぶしくて。声だけが高く高く上がって行き、とうとう光だけになってしまう。光が声になって鳴いている。ぴぴろぴぴろ、ぴぴぴろぴぴろ、と。
雲雀の声が光になって鳴いている。光が声になって鳴いている。もうその境目がない。
☆
文学は麻薬か。じゃ、麻薬は文学か。そんなことはないはず。提示される文学者の文学に酔いたい。我を忘れて酔いしれたい。麻薬と文学は忘我の薬。苦悩する日々の我を忘れん。
面とりて追儺の鬼も豆を撒く 大橋宵火
☆
NHK俳句2月号の巻頭名句の一、これは。
☆
わたしは名句を名句として味わわねばならぬ。おおっぴらに名句として提示されているのだから、当然その義務があるはずだ、などと思う。「さあ、味わえ、どうだ、おいしいだろう」などと脅迫される。この名句の味が味わえたら、己は人間の向上進歩階段を100段くらい上り得たことになるかもしれない。だがその一段すらも難しい。
☆
「追儺(ついな)」は宮中行事の一。悪鬼を払い疫病を退散させるための儀式。鬼に扮装した者を追い回す。鬼は黄金四つ目の仮面をかぶり、玄衣朱裳を着込んでいる。殿上人が桃の弓、葦の矢で鬼を射る。これが民間に伝わって節分の行事「おにやらい」に変化した。季語は冬。
☆
追儺の鬼は面を被っている。「鬼は外」と叫ぶ人たちが追い回して豆を投げる。鬼は逃げ回り、「降参降参、もう悪いことは致しません」と白旗を上げる。そしてその黄金の鬼の面を捨てて、投げ手に回って、豆を撒き散らした、というドラマを追った句である。
ユーモアのある句だと俳人の大先生が解説してあった。
そうか、これはユーモアを理解せよということなのか。ぬ?
☆
俳句ってなんなんだろう? 俳句で何が詠まれているんだろう。俳句を鑑賞するってどういうことなんだろう。
取り上げられた季節の風景が見えて来たら、それで俳句なのか。たぶん風景の周辺に叙情性が数枚貼り付けてあるはずだろう、きっと。それが読み手のこころに届いてきて、ぐつぐつと煮えて来るのか。
☆
名句を鑑賞するのは難しい。鑑賞できる教養がないとなおさらなおさら難しい。
誰か、玄関に立たないか。誰も立たない。
☆
「あなたに会いに来ましたよ、あなたに会いたかったんです」
玄関に出て行ったら、この台詞を聞く。
わたしが聞きたい台詞を連れて来たのだ、その人は。
わたしは面食らう。待ちに待っていたのに、いざとなるとそれが素直に受け取れない。戸惑っている。
なんと返事を差し上げていいか分からないで、沈黙する。
☆
そういう想定をして待っているのに、誰も玄関に立たない。
「あなたに会いたかったんです」なんて誰も言わない。
言わないで、聞かないで、数十年がぶらりぶらり空虚に過ぎて行った。
☆
まもなく死ぬというのに、聞けない。
とうとう聞けないで死んで行くのか己は。
むめが香にのっと日の出る山路かな 芭蕉
☆
誰か指南して下さい。わたしはこの句の良さが分からないでいます。
☆
「むめ」は梅のことらしい。この呼び方をして、愛情を込めたのかしらん。
「のっと」は「ぬっと」でしょうか。「ぬっと」では深まらないと判断したのでしょうか。
日が出て来たところだから、夜明け前でしょう、出立が。
芭蕉は旅をしています。今日は薄明かりする早い出立でした。
山路にさしかかるところでやっと日の出になりました。
そこに梅が咲いていたのですね。
梅は人が植えたもののはずですから、山路の周辺には人家が見えています。
梅の花の香りがひょいと流れ込んで来て芭蕉の鼻先をくすぐりました。
☆
で、俳句ができました。芭蕉は急いでそれを句帳に書き留めました。
「むめ」「のっと」があざやかです。
うんいい句になったぞと芭蕉はほくそ笑みました。
☆
で、現代のわたしがその句を読んでいます。その句の良さが分からないでいます。
分からない方が間違っていますよね。
芭蕉の詠んだ句だったら、名句に違いありません。魅力満載のはずです。
その魅力がわたしには伝わって来ません。
☆
どうしたらいいのでしょう。どなた様かご指南をお願いします。
午後から外に出ました。光が溢れて来て、気温がやや高くなりましたので。
で、老爺は春の花の苗を植え付けました、厚めの広めのプランターに。
ルピナス苗2株。ラナンキュラス苗2株。アネモネ苗1株。ゴテチャ苗2株。
それまでそこにはカリフラワーとブロッコリーが育っていました。収穫しました。
で、そこを草取りして、耕して、整地して。
苗を植えたら最後にホースでたっぷり水を撒きました。
水を撒き終えたら、風が起こってきました。天気予報通りです。
ジャンパーも脱ぎ捨てていたので、さっと寒くなりました。
慌てて家の中に逃げ込みました。風邪を引いたらタイヘンですから。
でも、こころはふかふかしています。あたたまっています。
なにしろ土遊びができたのですから。土の手に触れ得たのですから。
ゴテチャ以外はみな蕾をつけています。まもなく咲き出すでしょう。