<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

一週間ぶりで畑に出た。働いた。

2024年07月09日 20時55分58秒 | Weblog

一週間ぶりくらいで、思い切って、勇気を奮い起こして、畑に出た、夕方5時半から。2時間ほど。

夏胡瓜の苗を4株植えた。四月に植えていたのが、もう収穫を終えて枯れてしまったので。

それが終わって、今度は蔓を延ばしているメロン苗に。敷き藁を敷いてあげた。

その後は草取りをした。日が落ちていたのに、それでも蒸し暑くて、汗をびっしょり掻いてしまった。

風呂場に直行して、冷水シャワーを浴びて、石鹸で汗を洗い流して、すっきりした。

わずか2時間ほどであったが、ハタライタという感覚があって、自己満足した。

夕食に、久しぶりで缶ビールを飲んだ。ごくごくと喉を潤した。久しぶりに夕食がうまかった。

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「ここは笑い声があふれているところ」

2024年07月09日 15時06分02秒 | Weblog

今日の即興詩2 「ここは笑い声があふれているところ」

薬王華蔵

 

ふふふ、ふ、ふふ。ははは、は、はは、ほほほ、ほ、ほほ。

最初の笑い方、(ふふふ、ふ、ふふ)は、茄子の笑い方。畑に行ったらひょいと聞こえて来た。聞こえて来たから、聞いてしまった。ぶらりぶらりと風に揺れているばかりかと思っていたけど。

次の笑い方、(ははは、は、はは)は、空の笑い方。畑に行ったらひょいと聞こえて来た。聞こえて来たから、聞いてしまった。空全体が口だったなんて思いもしないことだったなあ。

最後の笑い方、(ほほほ、ほ、ほほ)の笑い方は、電信柱の。畑に行ったらひょいと聞こえて来た。聞こえて来たから聞いてしまった。こころを与えられたら、そりゃ笑い出したくもなるだろうね。

ふふふ、ふ、ふふ。ははは、は、はは。ほほほほ、ほ、ほほ。ふふふ、ふ、ふふ。ははは、は、はは。ほほほほ、ほ、ほほ。最後の最後におもいっきり畑が笑った。それで日が沈んでいった。

ここはいいところだ。いちにち無邪気な笑いがあふれている。

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即興詩「ちょっと考えてしまうなあ」

2024年07月09日 14時34分45秒 | Weblog

僕の今日の即興詩 「ちょっと考えてしまうなあ」

薬王華蔵

 

いい空をしているなあ。いい色をしているなあ。水のように澄んでいるなあ。澄んでいて深みがあるなあ。それで何事もなく平然としているなあ。あっさりしているなあ。雲を浮かばせているなあ。綿のようなふわりふわりした雲だなあ。夏らしい夏の大空だなあ。どこまで高いんだろうか。どこまで広いんだろうか。

いやいや、こんないい空の下に、蜻蛉のように重量がないまま、すういすういふわりふわりして、軽々として、目玉ばかりくりくりして、それで、のんびりゆったり生きていていいなんて、こりゃやっぱり凄いことなんだなあ。こんなに凄いことが、こうもあっさり成り立っていていいんだろうかなあ。ちょっとばかり、考えてしまうなあ。

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仏は、わたしを守っている。導いている。

2024年07月09日 10時17分57秒 | Weblog

仏加持故 我証菩提 以仏神力 利益衆生

ぶっかじこ がしょうぼだい いぶつじんりき りやくしゅじょう

「舎利礼文」より

仏 加持したまふが故に 我 菩提を証せり

仏 神力を以て 衆生を利益(りやく)したまふなり

(こう、わたしは読み取ってみました。間違っているかもしれません。わたしに言い聞かせて、安心を得ようとする読み方です。)

「神力」:優れた力。不可思議なパワー。

「加持(かじ)」の「加」は仏がわたしを助ける力。「持」はわたしがそれを引き受ける力。引き受けができるようにしてくださる仏の力。導きと守り、救いと恵み。

「菩提」は、サンスクリット語の「bodhi」の音訳語。中国語訳では「覚」「智」「道」。無上正当正覚。阿耨多羅三藐三菩提。この上もない正しい覚り。目覚め。英語では「enlightenment」。

世界を明るく見る智慧。明知。煩悩を打ち破ったところに出現する安心安定。安らぎ。安心立命。

小乗仏教の到達点である自己内面自己完成。自己制御の到達点。

無上正当正覚を活動させれば、そこに慈悲が出現して、利他救済に向かう。

菩提心を実行実践する修行者を菩薩と呼んだ。地蔵菩薩、観音菩薩、文殊菩薩、勢至菩薩などなどの慈悲実戦部隊が三千大山世界を支え、わたしの菩提を実証させている。

仏は、衆生を救済利益(りやく)するハタラキを、わたしに向けてくるので、そこでわたしが、この世界が菩提(無上正当正覚)の世界、ダンマが満ちている世界であることを理解して、安心を得て日常を暮らしている。

菩提心は仏道を歩む心か。

わたしが仏道を歩もうとするのは、みなみな仏がわたしを加持しているからであり、仏が、偉大なる神力を発揮して、日々刻々、悪業深いわたしを救済利益してくださっているからである。

こんなふうに読んでみて、今日は安心を得て、「そうかあ、そんなに仏様から大事にされているわたしだったのか」と思って、にこりとしています。

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