<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

ものみなが、穏やかな顔をしている。

2024年07月17日 17時43分04秒 | Weblog

カサブランカ百合が咲き出した、我が庭先に。純白の。2輪。

草丈は1mほどだから、成長が不十分かもしれない。やや、遅咲き。種を土に下ろしたのが遅かったから、当然だけど。

夕日を受けて、美しい。風はおさまって、ものみなおだやかな顔をしている。

まもなく一日が閉じる。日が落ちて行く。暗がりが忍び寄る。

怠け者は、とうとう一歩も家の外に出ることはなかった。消極に徹した。

これでいいのか? よくはない。

カサブランカが咲いたのだから、しかし、いい日はいい日。己のことを度外視したら、世は統べてこともなし、だった。

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ときには十両力士の取り組みから見ています。

2024年07月17日 14時40分01秒 | Weblog

大相撲名古屋場所が始まったので、一人でテレビ観戦をしています。夕方6時まで缶詰になります。その間は何処にも行けません。(行く当てもないけど)先場所優勝の大の里関が昨日やっと初白星でした。ときには十両力士の取り組みから見ています。寂しいお爺さんを子守してくれます。

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出掛ける前の、わたしの挨拶。

2024年07月17日 14時24分19秒 | Weblog

外出する前に、仏壇に向かって、玄関に通じる廊下に立ったまま、声を掛ける。

「お父さんお母さんお爺ちゃんお婆ちゃん弟君ご先祖の皆皆さま、これから僕は出掛けます」を言う。

(聞こえているのかなあ?)

帰って来たら、「ただいま帰って参りました」を言う。

(「お帰りなさい」は聞こえて来ないけど、たぶんその<声かけ>は発せられていると思う)

いつもいつもではない。このごろは回数が増えた。

家の中には誰も居ないので、この秘密の会話が聞かれることはない。

お爺さんのわたしは、ほとんど人と交流しない。人としゃべる機会もない。それが寂しい。で、ふっと、死者を相手に、<会話であたたまる練習>をしているのかもしれない。

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王維の詩の中に入り込む。

2024年07月17日 13時46分42秒 | Weblog

「鳥鳴礀」

王維

 

人閒桂花落 

夜静春山空 

月出驚山鳥 

時鳴春澗中

「鳥の鳴く谷川に来て」

人は閒(かん)にして、桂花落つ

夜は静かにして、春山は空(むな)し

月は出て、山鳥を驚かし

時に鳴く 春澗の中

村人はのんびりした暮らし。山中にぽとりと桂の花が落ちた音がした。

夜になれば山里は静かなもの。春が訪れたばかりで、四周の山はすっきりしている。

大きな月が山の端にぬっと出て来るものだから、塒(ねぐら)に就いた鳥がばたばたと騒いでいる。

しばらくすると、今度は春浅い谷川のところに移動して、大きな声を出して鳴き出した。

村里に桂の花が咲いている。のんびりとした暮らしの風景の中に人が行き交う。小鳥の声に混じって谷川の音までが聞こえる。こんな古代の人間の暮らしに、なんだかあたたかそうな村里の幸福を感じてしまった。

王維が書くと詩が絵になる。風景が浮かび上がる。7月17日、午後二時、おれは王維の詩の、春の風景の中に入り込む。

 

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抜け道がないと此処より先へは進めない。

2024年07月17日 12時04分36秒 | Weblog

第六不説過戒。第七不自賛毀他戒。

だいろくふせつかかい。だいしちふじさんきたかい。

曹洞宗経典「修証義」より。

第六番目の戒めは、不説過戒である。

第七番目の戒は、不自賛毀他戒である。

他者の過ちを説くことなかれ。自賛して毀他することなかれ。

人の犯した過ちを説くことなかれ。己を賛嘆することなかれ。他を誹謗することなかれ。

仏道を歩む者の戒律である。わたしごときが守れる戒めではない。

これじゃ、とてもとても、わたしごときは仏道は歩めない。

わたしは、此処へ来れば、にこりができない。

抜け道がないと、わたしは此処より先へ進めない。

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此処を聞いて、お爺さんは、にこりとする。

2024年07月17日 11時21分02秒 | Weblog

設(たと)い天上人間地獄鬼畜なりと雖(いえど)も、感応道交すれば必ず帰依し奉(たてまつ)るなり。已に帰依し奉るが如きは生生世世在在処処(しょうしょうせせざいざいしょしょ)に増長し、必ず積功累徳(しゃっくるいとく)し、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成就するなり。

曹洞宗経典「修証義」より。

此処を聞いて、お爺さん、にこりとする。

にこりは、いい。

「感応道交すれば」は条件文なのに、いかにも確定したかのように受領したために、この「にこり」が起こったのである。早とちりである。疑似にこりでも、それでも味わえるのである。

帰依は、何に帰依するか。仏法僧に帰依するのである。仏道に帰依するのである。帰依して落ち着くのである。落ち着いて安らぐのである。自己安定が万物の安らかな調和に入り込むのである。

「天上人間地獄鬼畜」はわれわれが経巡る輪廻六道のことである。果てしもなくわれわれは、怒りと憎しみのこの六道を輪廻して、解脱が得られない。(この六道を離れたところに、阿耨多羅三藐三菩提(=無上正等正覚=涅槃寂静)の仏界が訪れる)

仏と仏法と仏道の人とに、感応道交(かんのうどうこう)するとそこで帰依が成就する。成就すれば、何処にいてもどんどんどんどん帰依の深さ高さは増長して、生まれても死んでもどんどんどんどん功徳が積み上がり膨れ上がり、ついには仏陀しか味わえない阿耨多羅三藐三菩提の境地に参入するのである。

経典に接することは仏陀の声を聞くことに等しい。仏陀の声を聞くことが感応であり道交である。もちろん曹洞宗は座禅を重んじるので、座禅が感応道交の場である。念仏宗は念仏がその感応の場である。

帰依を促す仏法電波があまねく飛んでいるので、何処にいてもいいのである。何をしていても良いのである。耳を立てていれば感応するのである。仏道の道と交われるのである。導かれて導かれているのである。

とまあ、このお爺さんは、いつもこんなふうに軽はずみな読み方をして、それで嬉しがるクセがついているようだ。

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しばらく落ち着かなかった。

2024年07月17日 11時01分44秒 | Weblog

昨夜、夕食の後に、我が家の畑で獲れたプリンスメロンを割ってみた。種を削ぎ落としていると、メロンのほのかな香りが鼻をついた。丁度いい大きさに切って、フォークを刺して口に運んだ。甘かった。おいしかった。「合格!」を叫んだ。

この爺さんは、何でも下手である。あらゆるジャンルの上手の平均値を大きく下回っている。西瓜作りもメロン作りも下手の下手で通して来た。のに、この日に食べたメロンは、合格だった。有り得ないことが有り得ているようで、しばらく落ち着かなかった。

その10分後、合格を貰ったのはメロンなのに、お爺さんはそれをお爺さん自身にすり替えて、合格お爺さんになって、得意満面になった。家族の者もおいしいおいしいの舌鼓を打った。

プリンスメロンはこれで終わりではない。畑にはいくつかまだ転がっている。もちろん、カラスも鼬も穴熊もイノシシも猿も、カメムシもナメクジも、狙いを定めているので、次もこうやって人間の口に入るかどうかは不明だ。

 

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このお爺さんは、徹底して怠け者。

2024年07月17日 10時49分46秒 | Weblog

こんなにいい天気になったんだから、畑に出ていい。

畑に出て行く条件が揃った。光が溢れている。

でも、どっこい、お爺さんにはすっかり怠け癖が就いている。

で、渋る。出て行くのを渋る。

いまから出て行ったら汗まみれになるのは必定。熱中症に耐えられるか? 耐えられそうにない。

運動不足がたたって、よぼよぼの、よぼよぼ度が数段上がった。

風も爽やかに吹いているから、出て行くだけの魅力はある。

それでも、行かない。

落花生畑に、追肥をしなくちゃならないのは分かっている。(落花生がほっそりしている)

分かってはいる、が、実行に移す手足は動かない。

薩摩芋の畑に猪避けの網を張り巡らさないと行けない。これも重々承知している。イノシシ族は集団で今夜にも襲撃してくるかも知れない。危ない危ない。

それでも、出て行こうとしない。

お爺さんは怠け者。徹底している。

 

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いいんだいいんだ、にする。

2024年07月17日 10時42分09秒 | Weblog

いいんだいいんだ。

全部「いいんだいいんだ」にする。

なぜ? 

何故そうする?

うん、お日様が降り注いでいてくれるから。

それはこの日この場所にとって、とってもいいことだと思うから。

いいことがこの日この場所に起こる全条件を満たした、と考えるから。

これで、我が身に起こった都合の悪いことは全部帳消しにする。

いいんだいいんだ、にする。

この日この場所の「いいんだ」を、優先する。

そうやって嬉しがる。

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