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秋深まる檜原旅 No.4

2007-11-24 00:00:00 | 奥多摩&檜原

1885 三頭山荘本館は築400年の兜造り、1階は食事、2階は客室、3階は郷土民俗資料館になっているので、ちょっと見学に行ってきました。
 
 
 すご~いものを見つけてしまいました。
 明治18年(1885年、つまり122年前)の小学校卒業証明書。
 
 よく見ると、

 「東京都西多摩郡檜原村」ではなく、「神奈川縣管下武蔵國西多摩郡檜原村」と書かれていますね。
 名前のところも「神奈川縣平民」と記載。
 
 歴史を調べてみると・・・

 1889(明治22)年に町村制施行により、「神奈川縣西多摩郡檜原村」。
 1893(明治26)年に西多摩郡、南多摩郡(今の八王子、町田、日野あたり)、北多摩郡(世田谷区の一部から市部全域)を神奈川縣から東京府に編入。
 
 青ヶ島も含む伊豆諸島も歴史的に駿河國(今の静岡県)に属し、明治時代に静岡縣に編入されましたが、商人や島民を中心に東京府に属したいと嘆願する運動が行われました。
 その念願が叶い、1878(明治11)年に晴れて東京府に移管。

 そのおかげもあって、日本一人口の少ない村はなんと東京に属する青ヶ島と自慢できますね。
 
 奥多摩町に面する山梨県小菅村も最寄り駅は奥多摩駅から路線バス。
 市外局番も青梅と同じく0428になっているため、生活圏は東京都に属している。
 奥多摩や檜原に比べると存在感が薄く、小菅村を東京に属したいと請願したみたいですが、残念ながら実現に至らなかった。
 
 氏名にも肩書きがあり、「平民」とはいったい??
 学校の歴史にも習ったことはあると思いますが、江戸時代に「士農工商」という身分制度がありました。
 平民とはいたって普通の市民であることを意味します。
 そのような身分制度は戦後の1947(昭和22)年に廃止。
 そんな肩書きはいらねぇよと突っ込みたくなりますねぇ・・。 

0032hinohara 0033hinohara

 マニアが欲しがるほどの展示物。
 明治・大正・昭和天皇の肖像を見て、ふと思い出しました。



Kitacho 潜入して撮ったものではなく、国境付近の資料館で撮ったもの。
 どこの家でもそのような肖像画を高いところに架けておくことが国の決まりだそうです。
 日本でも戦時中はどこの家でも天皇と皇后を神として崇められ、肖像画を飾っていたみたい。

0034hinohara 無造作に置かれた、古めかしいテレビ。
 HITACHIの丸帯びた古いロゴマークがついていました。
 たぶん、壊れていると思いますが、ブラウン管や真空管を交換すればまだ写りそうですねぇ・・・。
 地上デジタルのチューナーも取り付ければ、このテレビも字幕付きで見れそう。

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(2分28秒)

 DVを検証してみたところ、裸の蛍光ランプが反射してしまったみたいなので、一瞬怪しい光線が付いています。これは決して霊ではありません(^^ゞ
 

コメント (2)
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