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猫坂と金毘羅神社

2010-10-13 00:38:59 | 青ヶ島

201010130001  ここは都道236号線から分岐する、村道のようです。
 このまま進めばヘリポートに行けます。
 この道を島民の間では通称「猫坂」だそうです。
 沿道に猫がいっぱいいるので、クルマの運転には気を付けなければならないとか・・・。

Aogashima114
  2007年7月の猫坂。




 さすがにクルマでその道に進入する勇気はありませんでした。(アップダウンが激しく、轍の跡からにすると1台しか通れません) 

201010130002_2  かわいい猫がいっぱい!!
 初対面でも平気に懐いてくれるのにビックリ。
 青ヶ島の人たちは猫を可愛がっている証拠ですね。



201010130003  猫坂から見える、青ヶ島伝統住宅。
 青ヶ島の木材で建てられ、台風でも耐えるように低く建てられているのが特徴です。
 

 ヘリポートを横切ろうとすると、後ろから人が近づく気配がします。
 振り向くと自転車に乗った少年。
 「どこに行くんですか~?」と話しかけられたと思うので、バックからメモを取り出し、「あそこの神社に行こうと思って・・・」
 「ふーん」といった顔つきで帰ってしまいました。
 あそこの神社とはヘリポートの奥に佇んでいる金毘羅神社。
 神社まで見るなんて、よほど変わり者なんだな~?と思われたかも知れません・・・。

201010130005  天明の噴火が起きたのは1785(天明5)年。
 お隣の八丈島に避難し、およそ50年は無人島でした。
 佐々木次郎太夫が青ヶ島に戻り、復興に尽力しました。
 八丈島からの連絡船「還住丸」は「自分の生まれ育った故郷に還って、住む」という意味合いもあります。
 もし、彼がいなかったら、東京都八丈支庁に属する無人島になっていたかも知れません。

Aogashima113

 2007年7月にも参拝。

 黒潮を横切るのに大変難しい航路だというのに、佐々木次郎太夫は事故もなく還住に成功。
 
201010130004
 そのため、海上交通の守り神として金毘羅大権現を勧請したといわれています。


 前代の村営のあおがしま丸から伊豆諸島開発に引き継いでも海難事故は1度も起きていません。
 金毘羅神社のご加護もあると考えられます。
 これからもずっとご加護があるのを祈りつつ、帰途につきました。

コメント
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