10月15日火曜日。昨日(14日)の「あおがしま丸」は、無事に八丈島表玄関の反対側の八重根漁港発着で就航しました。15日は、表玄関の底土港から条件付き出港です。
14日から「あおがしま丸」で運航しています。「くろしお丸」は父島から母島間に就航しているのかなと東海汽船さんのホームページで確認しましたら、「ははじま丸」でした。「くろしお丸」は年に1回のドック入りか、どこかで活躍かと思います。
あおがしま丸は2014(平成26)年にデビューしてから早くも10年経過してしまいました。
「ただいま車両の安全確認を行っております。そのため、こちらで少し停車いたします。
こちらの発車時刻が未定のため、餘部駅の到着時刻の未定でございます。
また、それに伴いまして、餘部駅でお客様に降りていただけない可能性もございます。詳しいことがわかり次第ご案内いたしますので、少々お待ちください」
快速あめつち号の時刻表を確認すると、餘部駅は通過扱いだけど、一時停車してホームからウォッチングできる時間も設けているようです。
餘部駅 を「暴れる駅」「余目駅」と誤変換されていますがご愛嬌。
やっと餘部駅に停車したかと思ったら・・・えっ!?えっ!?
「お客様は車内でおまちいただきますようお願いいたします。発車時刻未定のため、お客様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、車内でお待ちいただきますようお願いいたします」
残念。今回はドアが開かないので餘部駅での下車はできませんでした。
こちらは、こちらの乗客ではなく、観光にいらした方です。
鉄道マニアの方なんでしょうか。旧鉄橋跡地に観光客がちらほらと・・・。
旧鉄橋跡地は、1912(明治45)年の竣工からおよそ1世紀の間、風雪に耐えて列車を通してきました。その鉄橋が老朽化に伴い、2010(平成22)年に旧鉄橋のとなりにコンクリート橋梁を設けました。
近代土木遺産として、旧鉄橋の一部を保存しようという動きがあり、このように一部は残しています。
旧鉄橋時代の1986(昭和61)年12月28日(日曜日)13時25分頃、旧鉄橋を通過中の香住発浜坂行き回送列車が日本海から風速33メートルの突風にあおられ、DD51 1187ディーゼル機関車と14系「みやび」客車の台車の一部を残して7両が転落、真下にあった水産加工場や民家を直撃しました。そのため、12名が亡くなられる事故が起きました。
DD51 1187号機は、2007(平成19)年に廃車後、岡山県の津山市にある「まなびの鉄道館」にて保管中です。
降りられないのはちょっと残念ですけれども・・・。
前回、ここに降りたのはいつ頃でしたっけ?と調べてみたら、なんと2016(平成28)年。
今年は平成にすると36年なので、8年前ですかね。まるで昨日のように思い出します。
あの頃の記事は こちら。