8月16日の早朝、北海道根室市の漁船第31吉進(きっしん)丸が携帯電話各社の電波が届く、貝殻島付近でロシアの国境警備局に銃撃・拿捕(だほ)され、1人が亡くなる事件が発生。
地図帳で確認すると、貝殻島は根室半島の納沙布(のさっぷ)岬からわずか3.7キロしか離れていない。「日本漁船が停止の呼びかけを無視し、密漁を繰り返しながらロシア領海を侵犯した」とロシアが主張しているが、誰もが見てもあの位置は日本領土のものだ。
ロシアはヨーロッパからアジアまで世界最大の面積を有する国だから、北方四島くらいは日本に返せばよいのに・・・。
竹島問題も地図で確認すると、朝鮮半島に近く、私のような素人目で判断すると竹島は韓国領だと境界を引いてしまうが、日本政府は竹島を日本領土だと主張している。
一刻でも早く国境線を定め、日本の近辺諸国と友好な関係を築ればよいと思う。
ドックおじさん(父)専用のテレビ、ついに寿命か!?
初めての給料で購入した14型テレビ。(1994年製)
わが家にテレビがあるのは、国王さまご寄贈の地上波37型液晶テレビ、1階の和室に14型テレビ、自分の部屋の3台。
家族にとやかく言われないため、すっかりお気に入りの自分専用のテレビになっているみたい。
オシム監督就任直後のサッカー公式戦を見たくて、和室に逃げ込んだドックおじさん。
37型液晶テレビでも2画面にすることができるので、呼びに行ったら、な、な、なんとこの状態のままで楽しんでいた。
見続けるに耐えないほどの画面になっているのに、辛うじて見える映像を一生懸命に観戦していた。
2画面にしても、一方だけの画面に集中して見られないのは確か。
新しいテレビの購入を検討しているところだが、アナログからデジタルに移行しつつなので、購入は当分の先になりそう。
最近、ブログを書くネタがなくなってしまったので、ちょっと過去ネタ。
毎朝、慌しく出かけるので、周囲の変化に気づかないが、休みの日だとちょっとした変化でも見つけられるのです。
真向かいの大きな栗の木にたくさんの青い実がなっていました。
実るのは10月頃なので、秋へのカウントダウンが始まったということになりますね・・・。
今年の夏は「伊豆諸島全島制覇!御蔵島でイルカと遊ぶぞ!」のはずだったが、八丈島に流され、実現できず。
8月27日(日)出発、9月1日(金)帰還の一航海で小笠原に帰る予定を入れておいたが、30日は手話研修の講師を頼まれているので、今年は断念。
今年の夏は目標を果たせずまま秋を迎えそうな気がする。
ブログを書くネタがないとその日は更新なし。
いわゆる「さぼり」の日もあるけど、ほとんど毎日更新しているブログを紹介。
青ヶ島BLOG は朝、昼、夕方、毎日のほぼ決まった時間に更新しているのですよ。
現地の人が1日3回天候の様子をリポートしているので、今の青ヶ島の様子はどうなんだろうと瞬時に知ることができるのですね。
青ヶ島に暮らす+++1/200のシンプルライフ+++ も同じく毎日更新していたが、パソコンの故障で更新が止まっているみたい。これも復活を期待。
≪Daily UMeDAS≫-デイリーウメダス も青ヶ島BLOGと同じく頻繁に更新していますので、仕事の合間でもついアクセスしたくなりますね。
自転車通勤生活 もブログ開設から100%毎日更新。お盆休みで地方での自転車ライフを楽しんでおられるみたいですが、多摩地域の話題だと私が昔住んでいた頃を懐かしく思い出します。
あっという間に1ヶ月目、人間の年齢にすると1歳。
久しぶりに会ってみたいという母の提案でチャングムの家に伺ってみた。
ところが、2人以外の人間を見たことがなく、「こいつらは何者や!?」と大きく目を見開き、耳も少し下げ、威嚇していた。(左の写真)
チャングムも最近はネコ話を解しているのか、「うー、うー、という声が聞こえるので、たぶんビックリしているかもよ」
母いわく「数日前までは私になついてくれたんでしょ、あたしのこと忘れたのかしら?」と残念がっていたが、しばらくすると、「3人はお母さん(チャングム)の友達なんだ」と理解してくれたのか、警戒心が解け、「遊ぼうよ」と母のひざでじゃれつくようになった。 よちよち歩きが可愛い。
「名前はもうつけてあるんだよね?」と聞いたところ、
「「愛」と書いて読みは「マナ」。ほら、愛娘(まなむすめ)とかの言葉を引用したもの」
本棚を改造し、1番下に「マナ」のお部屋。人があまり通らない静かな部屋の隅にトイレを設け、排泄のしつけも教えているところだとか。
ネコの飼い方の本によれば、家族と触れ合うお部屋のすぐ隣にトイレコーナーを設けるのはよろしくなく、静かな部屋の片隅に設けたほうが排泄しやすいらしい。
マナも本棚の1番下のスペースを自分のお部屋だとすっかりお気に入りの場所のようだ。
1度なついてくれた仔猫なので、大きくなるまで見守ってあげたい。
今日は日曜日。出勤日の朝は慌しいものだ。
「行ってきます」と出ようとしたら、ドックおじさん(父)が「少し前、ハブを退治したので、念のためクルマでひきつぶしてくれる?」と言うのではありませんか。
「は?殺したハブをクルマの下に置いた?クルマに乗るときに下にハブが見えるなんてイヤだね」
「違う、違う、道路の真ん中に置いた。死んだふりをしてまた人に襲いかかる可能性もあるから、確実にひきつぶせ」
なるほど、茶色のヘビが横たわっているのが見える。わざとヘビをひきつぶすように通過。
人に見られるとスルスルと逃げ込む蛇は人に危害を加えない、普通の蛇。
マムシやハブなどの毒蛇は、人に見られるとすぐ攻撃する姿勢を取り、睨みつける。
人間が逃げると「人間よりも優位に立っている」と誇らしげに思うこともある。
ドックおじさんはそのような下克上は絶対に許さないと、人並み外れたキックパワーで頭を踏みつけたとのこと。しかも、普通のサンダル、丸腰で。
山口の実家でも何匹か退治したことがあるので、武器を持たなくても攻撃に慣れているみたい。
沖縄はハブやマムシがたくさん棲息しているみたいだけど、小笠原諸島は一匹もいない。安心して山歩きや夜間の外出もできるが、ここはちょっと怖いです。
といっても、私は皆さんがお休みのときに出勤、皆さんがお仕事している間は休みというパターンの図書館なので、もちろんお盆休みはありません。
今日も明日も仕事で月曜日は休み、翌日からもまた仕事。開館前の返架作業(返却された本を所定の場所に戻す作業)やお客さんから返ってくる本の中で「えっ、こんな本あったっけ?」と自分で借りてみるとか、休日勤務でも苦にならないのです。(笑)
高速道路での渋滞100キロ以上、下りの新幹線や各地方に飛び立つ飛行機もほぼ満席だとか。
親が千葉に移住する前までは最も混雑するゴールテンウィークやお盆の期間をずらし、田舎に帰っていましたが、今はここが実家になってしまい、故郷に帰る機会が減ってしまいました。
私が成人になる前までに過ごしていた田舎なので、今度いつか家族旅行でまた訪ねたいところ。
初めて父島に上陸したときの話。
11月下旬だというのに真夏と変わらぬ快適さに小笠原移住を夢見ていたことがある。
本当に移住が実現できるとしたら、父島より母島を選んでいたかも。
東京竹芝を午前10時に出発、父島に翌日11時半。接続便として、ははじま丸が出るのは午後1時、母島に着くのは午後3時半。30時間近くの船旅といえば、おそらく船でしか行けないところで国内最長だろう。
去年の夏、ヨングク君と30時間近くの船旅で母島へ直行、クタクタになるところがバイクで日没時間まで北港へ泳ぎに行ったことを懐かしく思い出した。
仮に母島永住するつもりでマイホームを建てたとしても、父はそこに山口と変わらぬ海があると積極的に移住を望んでいたかも知れない。
さて、母はどうなんだろう?東京みたいな高層マンションだらけの都会は苦手、母島のような孤島で日本一辺鄙なところは苦手だというので、難しいかも・・・?
先代から引き継ぎ、小笠原に住んでいる人を「旧島民」、小笠原の自然に惚れ込み、移住してきた人を「新島民」と呼ばれているみたい。
今のようなハイシーズンだと観光客の受け入れに大変忙しく、お正月を過ぎると小笠原から自分の故郷に帰る「新島民」が多いらしい。
なぜか小笠原の話を綴ってしまいましたが、小笠原島民にとっての「帰省」は何だろうと思って・・・(笑) 母島の住宅街に素敵な家がいっぱい!
車のナンバーは「品川」ではなく、他県ナンバーなので、ほとんど移住者。
土地1坪いくらなのか、小笠原村まで掲載している全国地価公示で調べたのだけど、離島にしては高い。さすがに東京都ブランドの土地!?
母島唯一のドコモアンテナ。
今年の6月からFOMAも使えるようにしたため、形状が変わっているかも知れません。
青ヶ島も含む伊豆諸島全地域では高速インターネットのブロードバンドが使えるようになったが、小笠原だけはどんなに頑張ってもアナログかISDN。
NTTの常時接続の定額プランにも適用されないみたいなので、月3,900円(税込4,095円)でパケ放題になるプランを契約すれば、常時接続が実現できるのかな??
国土交通省のサイトマップに「国土画像情報(カラー空中写真)閲覧」を見つけた。
東京都 → 小笠原村 を選択すると、「表示範囲が広すぎます。拡大ボタンを使って表示範囲を絞り込んでください」とメッセージが出る。
枠内に父島が見えるように、少しずつ拡大してみます。拡大すると、島影が左右のどちらかに消えてしまったら、枠に付いている「←,→,↑,↓」でうまくコントールしてください。
すると、白地図の上に○がたくさんついているのが見えるようになります。
○の上にクリックすると、その空上カラー写真が見られます。
高解像度の画像をご覧になるには 100dpi, 400dpi の 400dpi にクリックすると、住宅の形がくっきり見えるようになります。
昭和53年(1978年)の小笠原村中心地空上写真は こちら
その画像の右下にある、境浦の濱江丸もくっきり原型を留めていますねー!!
去年の夏、境浦に行ったときはすっかり風化で朽ち果ててしまいました。
小笠原村だけではなく、日本全国どこでも航空写真が見られるはずなので、あなたの街でも10~20年前の様子が見られます。
操作が大変だけど、チェックしてみてはいかが??
ちなみに・・・・私の住んでいる土地の20年前は3軒の賃貸一戸建ての家が見えました。
山口の実家も新築当時は青色の屋根だったので、はっきり見えました。
屋根の下に私の家族が暮らしていたのでしょうか・・・(笑)
今日のゴールテンタイムに放映されたのはフジテレビの「天国からの手紙」とNHKの千葉経大付対八重山商の高校野球。
地元優先で応援すべきのところが、八重山商工を応援してしまった。日本の端っこからせっかく甲子園に来ているのに初戦で破れ、すぐ石垣島に帰るのは可哀想だし、そのまま勝ち進めて欲しいものだ。
テレビを2画面にして、「天国からの手紙」も視聴。
江原啓之氏はこの世を去った亡き人と交信できる能力を持っている。
今日放送されたのは、4つの家族からの依頼で家族を残したまま突然あの世に行かれた人のメッセージが伝わられた。
家族しか知らない本人の性格や行動などを江原氏が明かしていたし、最後の日の様子を的確に再現していた。
向こうの世界では現世での価値基準とは全く違う法則で生活をしているのか、どうか知りたい。
天国からの手紙といっても、あの世で何をしているのか触れなかった。
向こうの世界ってどうなんだろうね・・・?
地上波対応のアンテナを取り付けてからはわが家ではテレビ三昧。
ボタンひとつで番組一覧表の表示、興味ありそうな番組を選ぶと、自動的に字幕が付くようになった。
同じ時間帯に2つの番組を同時に楽しめたければ、2画面モードにすれば1つのテレビで2つの番組を楽しめることもできる。
どちらも字幕付きなので、両方見るのも大変だけど、見たい番組を見逃さずに済むので便利な最先端のテレビ。
8月になると、終戦特番や背筋が凍えるほどの怪奇現象などの番組が増えてきたような気がする。
今日の22時から放映されたNHKの特番は「硫黄島玉砕(きょくざい)戦」について取り上げられていました。
硫黄島といえば、東京から南へ1260キロ離れた、小笠原村に属する島。
小笠原の歴史はある程度知っているのだが、硫黄島の過去はあまり知られていない。
広島、長崎、沖縄では資料館で当時の惨状を知ることができるが、硫黄島における証言がなく、世間ではあまり知られていないようだ。
<<Yahoo!テレビ番組の案内より抜粋>>
戦後61年目にしてあらためて明らかにされつつある太平洋戦争最大の激戦地、硫黄島の戦いの真実を追う。
1945年2月から1カ月にわたった死闘は、補給を断たれた2万人の日本軍守備隊の「玉砕」という結末を導いた。
負傷して米軍の捕虜となり、奇跡的に生還した元兵士もいたが、玉砕戦については犠牲者への配慮から口をつぐんできたため、詳細は分からなかった。
今回、明らかにされた捕虜尋問記録をはじめとする米軍資料やわずかな生還者の証言からは、硫黄島の戦いは玉砕ではなく、米軍の占領を遅らせるために日本軍兵士の一人一人が盾となるすさまじい持久戦だったことが分かる。
一方、死傷者2万8千人という史上最悪の戦闘を経験した米軍はその後、空襲を中心とする"味方の犠牲を出さない戦争"へと進んでいく。
硫黄島戦に参戦した、元米軍と生き残った日本兵の証言をまとめると・・・・
アメリカ軍もこれ以上犠牲者を出さないように日本兵に降伏するよう拡声器で呼びかけた。しかし、日本兵も捕虜になれば、国賊扱いにされ、戸籍謄本も赤バッテンになり、殺されると教育されたため、絶対に応じなかった。
アメリカ軍も仕方がなく、火炎放射器で日本兵の潜んでいる地下壕を焼き尽くしたとのこと・・・。
戦後61年経った今でもおよそ1万人の遺骨が未収集のまま眠っているとのこと。
小笠原は「東京都の天然楽園村」を連想してしまいますが、硫黄島はすさまじい激戦地だったということを忘れないで欲しいと訴えかけるような番組でした。
東京と父島を結ぶおがさわら丸も小笠原村主催の「硫黄島遺族墓参り」と観光客向けの「小笠原より南硫黄島・硫黄島・北硫黄島3島クルーズ」で年2回は硫黄島あたりまで延ばしているみたいです。
9月8日(金)東京竹芝を10時に出発、翌日11時30分に到着。ここまでは定期便だが、その日の夕方7時には硫黄島に向け出港。
10日(日)の朝から夕方まで1日は3島クルーズ。ただし、各島には上陸できず、船内から眺めるだけ。
10日(日)の夜から12日の14時まで2泊はフリータイムで父島か母島滞在。
12日(火)14時東京に向け出発。
5泊6日のうち、船内宿泊は3泊!?
ちなみに費用は大人54,000円、学生47,000円(宿泊代・食事代含まない)
アイスクリームといえば、ハーゲンダッツ!
ちょっと値が張るものの、味わう価値は十分ある。
近くのコンビニでアイスクリームを物色していたら、季節限定のブルーベリー、パンナコッツタ&ラズベリー、マスカット、チーズケーキ、トロピカルパッションフルーツ、イタリアンホワイトビーチ・・・などが出ているのではありませんか!?
試食のつもりで各々買い、味比べ。
その中で最高に美味しいのは、これ!
ブルーベリーの果汁で紫色に染まり、果肉もたっぷり。
「あのブルーベリーのハーゲンダッツを食べたい」と発作的に思うようになる。
コンビニに行っても、商品の補填を忘れているのか、「ブルーベリー」が見当たらないときもある。
コンビニは定価で売られているので、家族で食べるにしても出費がかさんでしまう。
ネットショッピングの楽天市場で購入・・・・と思いきや、冷凍タイプでの発送なので、ほとんど定価に近くなってしまう。
父に「1個いくらなのかね?」と聞かれた。
「3,000ウォン近く」と答えると、目玉が飛び出すかような表情をしていた。
そこらへんの百円アイスクリームとは違いますからね・・・・(笑)
スーパーマルエツだけは定価よりも安く売っているのは以前から知っていたため、今日は久しぶりに行ってみた。
なんと、1個229円!!特に美味しいブルーベリーを10個、パンナコッツタ&ラズベリー、マスカットを5個ずつまとめ買い。
箱にカロリーの表示はついていないが、ハーゲンダッツのホームページによれば、ブルーベリーは240kcal。(ビール大瓶とほぼ同じ)
低カロリーと言えるべきか、微妙なとこですね・・・。
チャングムは内医院へ、ジョンホ君もお出かけのときは仔猫をわが家で面倒見ることになっている。
「軒先で仔猫が鳴いているのが聞こえたので、迎えに来たのかなと思い、今日は外に置いてみて、様子を見ることにします」とチャングムからのメールが届いた。
本当に母猫のところに帰れたのかなと心配になり、今日の帰りにチャングムの家に寄ってみた。
玄関に出たのはご主人のジョンホ君。
「ネコはどうなったの!?」
「はい、ちゃんと中にいますよ、見てみる?」
しばらくご無沙汰だった仔猫と対面。
健康状態は大変良好、排泄もできるようになったし、目も少しずつ大きくなり、可愛くなった。
「今朝5時ごろ、みゃあみゃあという鳴き声で目が覚め、仔猫の様子を見たが、まだ眠っていた。外の様子を見たら、うちの仔猫と全く同じ姿をした、兄弟らしき仔猫が鳴いていたの!鳴き声に反応したのか、うちの仔猫も鳴き声で応答。もしかしたら、迎えに来たのかなと思い、外に置いて、私は出勤。
ところが、帰宅してみたら、外出先から戻ったジョンホ君が可哀想だと思い、また拾ったのよ」 「お母ちゃんのところに帰ってね」と見送ったのはこれで2回目。
やはり、ジョンホ君は優しい心の持ち主だ。
←←←←
チャングム「オモっ!?まだ仔猫がいたの!?」
ジョンホ「仕方がないだろう、見捨てるわけじゃないだろう」
←←←←
物置小屋の下に全く同じ姿をした仔猫が佇んでいた。
その仔猫は人間に警戒しているらしく、人に見られると姿をくらましている。
家の中にいる仔猫はチャングムに育てられ、壁ひとつ隔てた外の仔猫は母猫に育てられるという、全く違う境遇の兄弟仔猫。
まるで2人の姉妹が幼いときにはぐれてしまい、姉は財閥家のお嬢様、妹は食堂を経営する傍らお金を貯め、大学に通うという韓国ドラマ「ガラスの靴」のようだ。
チャングムに育てられた仔猫はネコ社会に順応しなくなるので、最後まで育つか、ネコ好きな親里のところで育つかのどちらかになる。
ジョンホ君は2週間も共に暮らすと、我が子と思えるようになり、ますます手放せなくなったとか・・・。
歴史民俗館に「八丈町立図書館にも郷土図書を備え付けてありますので、そちらのほうにもご利用ください」と図書館利用案内のパンフレットが置かれてあった。
図書館に行って、調べようということになった。
町立病院の裏といっても、案内標識が少なくわかりづらい場所にあった。
八丈町立図書館の看板はなく、「八丈町コミュニティセンター」の表示が出ている建物の中に入ってみた。
島の図書館にしては新しく、立派な施設。青ヶ島村立図書館は村役場の向かいにあり、カウンターもなく、無人の状態で運営されていたが、こちらはカウンター付き。 今年から電算システムが導入されたのか、すべての本にバーコードがついていました。
東京都図書館蔵書横断検索に加盟しているのかなと思いましたが、対象外。
最寄りの図書館に読みたい本がないときは、レファレンスカウンターに申し出れば所蔵のある図書館から協力車で配送されるシステム。都内に1冊もなければ、他の都道府県からの取り寄せも可能。
八丈島だと内地からの配送や返送にコストがかかるため、電算システムは自館のみのようだ。
郷土コーナーでは島に関する資料がたくさん。八丈島だけではなく、伊豆諸島、小笠原も対象になっていた。
1970(昭和45)年発刊の青ヶ島ガイドブックも蔵書。青ヶ島に着いた定期船は数時間で引き返してしまうため、1ケ月滞在は覚悟しなければならないとか・・・。
当時の交通手段は月2,3回の東海汽船の定期便。今は還住丸が日曜日を除いて毎日就航、ヘリコプターも発着している。しかし、「毎日」といっても建前で実際は海の状態により、年間の就航率は4割だそうだ。
今の時代、天気が良ければその日のうちに青ヶ島に行けるが、昔は大変だったらしい。
ちなみに伊豆・小笠原諸島の公立図書館は大島、三宅島、新島、八丈島、青ヶ島、父島(福祉センター)、母島(村民会館)の7ケ所。 また暇つぶしに入ってしまいました。
「樫立ふれあいの湯」。(W3,000-)
檜の湯船なので、木の温もりが感じられる温泉。(露天風呂も付いています) 「東京電力地熱・風力発電所」の標識を見つけ、左折。
TEPCO八丈島地熱館で遊びながら地熱と風力発電について勉強。
風の当たる良好な場所にわが国の電力会社で初めて風力発電の営業を始めたらしい。
本土のほとんどは火力発電で送電しているが、八丈島は燃料いらずの経済的な発電になっている。
八丈島は何で「ひょうたん」みたいな形になっているのだろうかと前から不思議に思っていた謎がここで解けました。
2万年前、小島と南部地域に三原山が噴火し、丸い島が誕生。
1万年前、北部の八丈富士が噴火し、火砕流でふたつの島がくっつき、平らな真ん中あたりに人が住みつくようになったとか。
(コンピューターグラフィックスで字幕での説明がなかったけど、NoriNoriさんの簡単な通訳でわかった) レンタカーの返却時間が迫ってくる。急げ、急げ!とアクセルをフルに踏んでも40キロまでしか出せない。あまりにもボンコツなので、速度メーターの指針が左右に小刻みで揺れていた。
帰るときに限って、よい天気。もったいないことだ。
返却時間ギリギリで返却、その場で満タン給油。レギュラー1リットル 169円(7月25日現在)。8月からの値上げできっと180円近くになっているかも・・・。
空港まで送ってもらい、飛行機に搭乗。
わずか45分で羽田空港なんて信じられない。
離陸してすぐ到着なので、機内サービスのドリンクはありませんでした。(笑)
予定のとおりに御蔵島に上陸できていれば、帰りも船旅、夜9時過ぎに着くはずだった。
御蔵島から飛行機で帰りたければ、朝6時の八丈島行きの船しかなく、慌しく出て行くしかないしね・・・。 今回の旅に点数を与えるとしたら、半分の50点かな。
御蔵島に上陸できずに残念。来年もリベンジだ!
-御蔵島のところが八丈島!?旅行記 END-
東京から南へ1000キロ離れた、小笠原村役場のホームページにアクセスしてみると、
TOPICSに「小笠原村職員募集」と出ていました。
身体障害者手帳の交付を受けている方で、介護なしで職務遂行が可能な方も対象となっています。採用後の配属先は小笠原村地域福祉センター。
小笠原村地域福祉センターといえば、図書館も備えていたり、島民の憩いの場になっている。ここで手話サークルのメンバーたちと交流したこともある。
小笠原村にろう者が1人も住んでいないらしい。
ダイビングやドルフィンなどの観光でたくさんのろう者が来島されていることから、手話で案内できたらという思いで積極的に手話を学びたいという観光ガイドさんが多いらしい。
小笠原村職員にろう者が1人いれば、宿泊の斡旋や観光情報、お勧めスポットなどを手話でネイディブな会話もできるし・・・。
最近知ったけど、父島から南へ50キロ離れた母島でも手話に対する関心が増え、地域の講習会があるらしい。
小笠原村の昼休み12時から1時間半。その代わり、朝8時から開庁ということになっている。昼休み1時間半あれば、前浜ビーチでひと泳ぎやたっぷりの昼寝も可能だ。
「小笠原村歴代初のろう者職員!ろう者来島者を対象に手話で観光案内!」と日本聴力障害者新聞のウメダスさんが父島へ取材にやってくるかも知れないし・・・。
小笠原を手話アイランドにしてみたいので、どなたかチャレンジしてみてはいかが?(笑)