7月25日(火曜日)
今日はもう帰る日。
八丈島滞在中、雨や曇りばかりだった。
このブログを書いている日は8月1日、夏を思わせないほどの低温。
職場でもクールビズ対策であまり気温が上がらない日はエアコンを止めればいいのに、とうとう風邪引いてしまいました。
エアコンが大っ嫌いというのではなく、あまり冷やしすぎると体に悪いし・・・。 民宿ささおの全景。玄関にパイナップルの木、南国らしさ情緒が漂ってきます。
ささお荘に棲みついた、野良猫がいっぱい!
全部で9匹もいました。残飯もくれるし、居心地がよいからでしょうか。(笑)
夕食に出た焼魚の残りを出すと、奪い合いのケンカになるのだろうかと思った。ところが、ボス風格のするネコが口にすると、他の猫たちは大人しく眺めていました。
それがネコ社会の掟!? 今の季節、島内のあちこちにそのような赤い花が咲き乱れていました。
名前はハイビスカス。
内地(本土)では見かけず、南国を象徴する花だそうです。
そういえば、小笠原でも咲いていたっけ。
東京に戻る惜別の見送りで一輪のハイビスカスをもらい、船が港から少しずつ離れたところで一斉に投げ出すシーンを思い出した。
ハイビスカスのティーバックを飲んでみたところ、少しレモンっぽさの味がしてさっぱりしている。ビタミンCも豊富だし、美容にもなれる。 1976(昭和51)年まで東京都八丈支庁として使われていた庁舎を歴史民族館に生まれ変わり、八丈島の歴史や昔の生活用品などが見られる施設。
江戸時代(1600年頃)から明治の初め頃まで罪人を島流しにする流刑の地として知られ、「飛ぶ鳥通わぬ」とうたわれたほどの辺境の地だったらしい。
1番最初に流人がやってきたのは、1606(慶長11)年、宇喜多秀家氏とその家来13人。拘束したり、苦しい労働をさせるような江戸の監視役が八丈島までやって来ないので、島民と仲良くしたり、自由な生活が許されていた。
流人といえとも、政治犯、思想犯などのインテリが多く、本土でのさまざまな文化や建築技術を八丈島に伝えたとのこと。
御蔵島、三宅島は流人の受け入れを拒否をしていたので、島流しは決まって八丈島に指定していたらしい。
青ヶ島は伊豆諸島の中で最も遠く、最南端に位置しているが、流人の送り先を青ヶ島にしなかった理由は何だろう?