新刊案内で見つけた本です。
「小笠原はほとんど赤土、三宅島も火山灰、農業に向いている土地はあまりなさそう。この本は伊豆諸島・小笠原すべて収録しているみたいなので、是非購入したい」とコメント。
それで買ってくれました。ありがたい。
この本の前作は東京「農」23区。
高層ビルのそびえる新宿に田んぼのある風景や、千代田区のビル屋上で畑を耕す風景が載っている本でした。東京23区を隈なく撮影したものですが、こちらの本も同じく青ヶ島も含む、東京「農」離島。 やはり、この本を手に取ったとたん、青ヶ島のページを開いてしまいました。
青ヶ島編は島トウガラシ、カンモ(青酎の原料になる「さつまいも」)の紹介になっていました。
東京「農」23区の次は離島をテーマにしようと、2007年9月から2009年2月までのおよそ2年半年の歳月をかけ、伊豆諸島と小笠原すべてを取材、撮影。
最初の取材地は神津島、その次はいきなり小笠原の父島。小笠原へは最低でも6日間なので、2007年10月23日から28日まで。その間に父島と母島をまわればよかったのに、仕事の都合で父島のみ。
東京に戻った1週間後の11月6日、再び「おがさわら丸」に乗りこみ、母島へ。
私だったら、東京にいったん戻るのに往復50時間以上の船旅なんて勘弁だ、そのまま滞在しちゃえ・・・と思うはずなのに、髙橋さんの行動力はすごいです。
初めての東京離島は中学のときで伊豆大島。
少しずつ南下しながら制覇するつもりだったのに、いきなり小笠原。
今度は青ヶ島、八丈島・・・と南の島から片付き、最後に制覇したのは2008年の御蔵島でした。
全島制覇するのに10年以上かかってしまいました。
2年半年で全島制覇とはすごいなぁ・・・。
この本は伊豆諸島・小笠原の農業事情や島旅見聞記も兼ねているので、とても楽しい。
伊豆諸島全部行かれたことのある方なら、ああ、こういうこともあったなと懐かしく思い出せるかも知れません。
東京「農」離島
著者:髙橋淳子
出版社:文芸社
発刊年月日:2010年2月15日
定価:2000円+税
ISBN:978-4-286-08332-2
「電気」は空気と同じく当たり前のような存在だと思っていましたが、職場で異変が起きました。
朝9時頃だったと思います。
突然、停電し、自家発電モードに切り替わっていました。
自家発電モードは小さなランプだけになるので、かなり暗くなります。
しばらくすると、停電から復旧。
「あの停電は何だっただろう?」と気にせず仕事していると、また停電。
ここだけではなく、周辺の明かりが真っ暗になっていれば、停電だと理解できます。今回はとても明るい朝なので、なかなか気づきません。
3回、4回も立て続けに停電だと、「イタズラ?」「イタズラじゃないみたいですよ?」「電気ブレーカーの故障?」と皆が大騒ぎ。
窓越しの信号機をよく見ると灯っていないのに気付きました。
東京電力に問い合わせるも、原因は調査中で復旧の見通しはないとのこと。
各所を結ぶオンラインシステムも使えず。
てんやわんやになってしまいましたが、電気のありがたさを身に染みました。
もし、電気がないと仕事が全然できない。自宅に電気が来ていないと、パソコンもできない。テレビを楽しむこともできない、不便なことばかり起きてしまいます。
今回の原因は、強風で竹が送電線を切ってしまい、復旧するのに時間がかかったとのことでした。(@_@;)
今週の日曜日は仕事でした。
平日は富士山が見えても写真を撮る時間がなかったのですが、日曜日は空いているので、何枚か撮ってきました。
いつも持ち歩いているデジカメはオリンパス社のμTOUGH-8000 。
この機種は衝撃にとても強く、深海10mまで、マイナス10度などの過酷な環境でも容易く壊れない。
自然環境の厳しいところで撮り続けていた青ヶ島MANさんの写真を見て、この機種は何ですか?と聞いたところ、オリンパス社の防水デジカメとのこと。
小笠原で水中撮影に成功したのも、この機種のお陰です。
機能的には満足しているのですが、光学3.6倍ズームはちょっと物足りない。
光学ズームの数字が多ければ、遠くあるものを大接写できるもの。
だったら、2台目の遠いところを接写できる光学7倍ズームのμ1020を持ち歩けばよかったのに、なぜか小笠原で大活躍した頑丈なμTOUGH-8000 に愛着が・・・。
μ1020で撮れば、自分の思い描いたアングルになるはずだけど、これじゃ富士山が小さい。 帰りも見えるかな~と思ったら、夕日をバックに富士山がくっきり見えますね。
写真だとなぜか小さく見えますが、肉眼だとまるでこちらに移動してきたかように大きく見えます。
明日のお天気は下り坂、曇りや雨になりそう。
もしかしたら、今冬で富士山が見えるのはこれが最後になるかも知れません。
また見えたらいいですけど・・・。
日本テレビの「ザ!鉄腕!DASH」のソーラーカーだん吉も8年の歳月をかけ、日本一周ゴールと思いきや、「東京都内だけど、まだ行ってないところがある。小笠原諸島」と山口達也さんがつぶやき。
絶海の孤島、青ヶ島に行くのはさすがに難しいだろうなと思っていたら、2009年7月、上陸を果たし、島内を一周しました。
そのときの様子を2009年9月13日(日)と10月11日(日)、2回分けて放映されました。
(カテゴリー「青ヶ島」にクリックすると放映された内容を記事にしてあります)
だん吉もかなり傷み、小笠原で故障しないように8年前、屋根にソーラーを設置した整備工場であちこち傷んでいる部品を交換。
「おがさわら丸」は自家用車を積むことはできないので、テレビに出ているのは月島ふ頭から出ている「共勝丸」かな。
おがさわら丸は竹芝桟橋を10時に出発、翌日の11時30分に父島の二見港に入港。
共勝丸も貨物だけではなく、旅人も乗船可能。
10時に出発、その日の夕方はやっと千葉県の洲崎沖を通過。
翌日の夕方には鳥島沖。「おがさわら丸」だと往復日没後なので、島影を確認できませんが、この船なら鳥島ウォッチング可能らしい。
3日目の午前8時から10時の間にやっと父島二見港。一泊停泊し、4日目の朝、母島へ出航。
東京から母島までなんと4日間を要してしまいます。
「だん吉」もこんな日程で母島に向かわれるのですねぇ。
最北端の宗谷岬、最南端の与那国島、今度は東京都最南端。
横浜40 す 5794の 軽ワゴンとはいえ、すごすぎます。
小笠原編の放送日をまめにチェックしなくちゃ・・・。
八丈島の西に浮かぶ小さな小島は「八丈小島」と言います。
現在は八丈町に属する無人島ですが、昔は「村」として独立していました。自治体の名称を答えなさい。
こんなクイズが出されたら、伊豆諸島が好きな人ならとっさに「宇津木村と鳥打村」と答えてしまいそうです。
さて、東京から南へ約370キロは青ヶ島村。これが有人島としての伊豆諸島最南端だが、本当は約600キロ先の鳥島は「島」として最南端。(鳥島から76キロ先の孀婦岩(そうふがん)も八丈支庁に属する)。鳥島も戦前、市町村制が敷かれていました。その自治体の名称は?と聞かれても全然わかりません。 地図から消えた地名」に答えが書かれていました。
それは、東京府玉置(たまおき)村でした。
集落は島の北側にあり、明治35年の人口は125名。
ところが同年8月9日の大噴火により、家畜も含め全滅。
その後、昭和2年にアホウ鳥の羽採取が再開されたが、昭和8年に全滅を危惧し、これを禁止。
昭和14年にふたたび噴火があり、住民が定住することはなかった。
昭和11年の国勢調査によると、島民6戸24人と掲載されている。
もし、今も人が住んでいたら、最初の入植者の名をとって名付けられた玉置村として独立していたかも知れません。
青ヶ島より南にある無人島の島々をどの市町村に属するか、八丈町と青ヶ島村の話し合いが行われました。
青ヶ島村の主張は「これらの島々は青ヶ島の南にあるものなので、青ヶ島村に属すべき」。
八丈町の主張は「これらの島々は東京都八丈支庁なので、青ヶ島を飛び越えて八丈町に属すべき」
「同じ東京都内だし、お互い境界線を引くのはあまりよい気持ちがしないので、どちらも属せず、八丈支庁としよう」と落ち着いた経緯があったそうです。
鳥島に関する興味深いサイトを見つけました。
・(財)山階鳥類研究所 鳥島ウォーカー
無人島になっても昭和40年頃まで気象庁の職員が駐在していたこともあり、今も人が暮らしていた痕跡が見られるそうです。
「地図から消えた地名 消滅した理由とその謎を探る」
著者:今尾恵介
出版社:東京堂出版
定価:1800円+税
刊行年月日:2008年12月30日
ISBN:978-4-490-20645-6
我が家によく遊びに来てくれます。
ハン尚宮(母)の話によれば、5年くらい前からよく来てくれるとのこと。
今日は初めてのご対面です。
窓を開けると、音にびっくりして逃げられてしまいますが、しばらくするとまた来てくれました。 遊ぼうと近づけたら、木の上に飛んでしまい、「さすがにここまで来るのは難しいだろうな」と言っているかようです。
でも、そっぽを向かれているのではなく、「この人誰なんだろ?」とずっと私の顔を見てくれました。 玄関のドアを開けて、左側の風景。
お隣さんの敷地内に梅の花が咲き乱れています。
梅の向こうは、前からずっと気になる杉。
最近、オレンジ色に変わっているので、そろそろ飛散が始まりそうです。
花粉のない小笠原や沖縄に逃避したい気持ちです・・・。
帰宅すると、テーブルの上にはがきが置かれていました。
遠くから見ると、風景印が押されているようです。
インターネット時代にわざわざ風景印付きではがきをくれるような人は皆無だというのに、どなたからだろう?と思ったら、いつも山口の鮮魚や野菜、みかん、二見饅頭などを送ってくれる、伯母からでした。
2月2日は「2」が4個も並び、地名が「二見」の「2」尽くしなので、粋な計らいでお便りを書いてくれました。
ポストに投函すると「下関」の無機質な機械印で押されるのを避け、わざわざ郵便局の窓口から出してくれました。
左は10年前の11.11.11(「1」が6個も並ぶ記念)、右は今回届いた22.2.2記念。 物心ついたときから記念切手が発売されるたびに何回も通っていた二見郵便局。
子供のころ、「風景印欲しいです!」とリクエストしたとおり、作ってくれました。
近くに北浦街道沿いの夫婦岩があるし、名産の「ウニ」。図案の題材に困らなかっただろうと思います。
11.11.11の風景印は私がリクエストした初代のもの、今回届いたものは微妙に図案が異なります。山口二見のフォントも違うし、波の数の違うし、明らかに2代目でした。 青ヶ島郵便局、小笠原の母島簡易郵便局の風景印は物珍しさもあって、押印も多い。
印面が擦り減ってしまい、最近は「青ヶ島」の文字がつぶれたような印影になっています。
もうそろそろ取り替えどきかな。
母島簡易郵便局は 「母」の文字がつぶれ、東京 田島に見えます・・・。
この本を手にとってみたとたん、「小笠原も載っているかな?」と目次を広げてみると、やはり載っていました。
戦争遺産は広島、長崎、沖縄に集中していると思われがちだが、実際は全国47都道府県に散らばって残っているとのこと。
わが故郷山口県は下関市の火の山砲台の壕。
このページを開いたとたん、遠い昔の記憶がよみがえりました。
小学生だったころだと思います。学校の遠足に火の山へ登ったとき、鬱蒼としたレンガ造りの壕を見つけました。
教えられたわけでもないのに、これは戦争の跡だなと直感的にそう感じました。
実家近くの角島にも「弾薬庫」跡があるのに驚きました。角島へは何度か行っているのに、そのような存在すら知りませんでした。 この写真は硫黄島に残る、鉄帽に銃弾の貫通跡。
まわりには機関銃などの残がいも野ざらしにしています。
父島、母島も南方に向かう中継基地として、陸軍司令部壕、トーチカ、砲台などが多く残されています。
硫黄島は日米軍合わせて約2万7千名の戦死者が出た、激戦地でした。
終戦後、旧硫黄島村の帰島は許されず、現在に至っています。
約400名の自衛隊が交代制で暮らしていますが、硫黄島にまつわる不思議な現象を書かれた資料を読んだことがあるので、ここで少し。
夜寝る前に、1杯のお水を入れたコップを自室前のドアに捧げる。
それを忘れてしまうと、水が欲しい・・・とどこからなく聞こえ、夜中に目を覚ますこともあるそうです。
戦争で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
「訪ねてみよう!日本の戦争遺産」
著者:安島 太佳由(やすしま たかよし)
出版社:角川SSコミュニケーションズ
刊行年月日:2009年3月25日
定価:1100円+税
ISBN:978-4-8275-5065-8
★材料 (すべて白菜2株としての分量)
白菜2株
大根2本
ねぎ2本
にんにく(できるだけ多めに)
生姜1個
アミの塩辛
韓国産の粗引き唐辛子
★下漬け用材料
塩・・・2カップ
水・・・16カップ
★キムチの素
水700ml、昆布、だしの素など
砂糖大さじ2
すりにんにく 200g
イワシエキス 100ml
韓国産の粗引き唐辛子 300g
1.まず、白菜を塩漬けします。
塩漬けはキムチを作る前日に実施。熟手のドックおじさん(父)が担当していました。
切り口を下にして、よく洗ってから水を切る。タオルなどで十分絞る。
2.キムチの素を作る
水に昆布とだしの素などを20~30分浸しておく。それから火をかけて弱火で15分くらい煮る。熱いうちに砂糖を入れ、そのまま冷まします。
冷めたら、イワシエキスとすりにんにく、粉唐辛子を入れる。
唐辛子を入れた直後だと液体状態だが、20分しばらく放置するとしっとりした感じに変わる。
3.材料作り
大根を千切りにして、薄く塩をする。ねぎは5センチ程の長さに切りそろえる。
大根とネギも十分水を切るようにする。水分が多いと、水っぽいキムチになってしまうので、注意が必要です。
生姜も千切り。みじん切りしたにんにく、粉唐辛子(粗引きでも可)、アミの塩辛も1つのボールに入れ、混ぜ合わせます。
4.キムチの素と3で作った材料と混ぜ合わせます。
5.塩漬けした白菜に4のものを挟みます。
6.ビニールに入れて、空気を抜いて口を閉じる。あとは3~4日で出来上がり!!
これがハン尚宮(母)の秘伝レシピ。簡単そうに見えますが、実は重労働(特に塩漬けとしぼるとき)、だしを取っても冷めるまで時間がかかります。
キムチの素を白菜に挟む作業もとても大変。
大根の千切りが欠かせないのですが、好みにより人参の千切りを入れても大丈夫です。
私でも作れるようにハン尚宮(母)のお手本を撮影しました。
作り始めから最後まで2時間過ぎ、ビデオは大切だと思われる部分だけ収録しているので、4分11秒。
韓国では「ケンチャナ~」(細かいこと気にしなくていい)というお国柄なのか、いい加減さも出ていますが・・・。
漬ける途中、キムチの素がなくなるハプニング発生。
ハン尚宮:「オモモッ!(韓国語の感嘆詞。女性が使う「あら、ま」に相当)途中でなくなってしまいました。下は美味しくて、切れた上の部分は美味しくないかも」
ドックおじさん:「前漬けたものがあるじゃないですか。それを付け足せば」
ハン尚宮:「そうだったね、ケンチャナ~」
1月31日(日曜日)は春を思わせるような陽気でした。
この椿はお隣さんの大きなヤブツバキです。
毎年、これを見ると大島と利島を思い出す。
利島はとんがりコーンを連想してしまいそうな、きれいな円錐型の島。
人口も東京都内にありながら、300名程度のミニ自治体。
10年前の2000年に初めて上陸、秘境ぶりにカルチャーショックを受けながら島内探検したことを思い出します。
民宿も伊勢海老やサザエなど、新鮮な魚ばかりでボリュームたっぷり。
利島、御蔵島は1回、青ヶ島に魅せられ、なぜか4回。(小笠原は7回)
何もない島なのに、リピーターになるのは何ででしょうかねぇ・・・??
日本一アクセスが難しく、日本の原点がそこにあるからでしょうか。
今年も伊豆大島で椿祭りが始まりました。
期間は1月30日(土曜日)から3月28日(日曜日)まで。
千葉県房総半島南部の館山港から伊豆大島行きの高速船も期間限定で就航します。
館山から大島までわずか45分。
去年3月の伊豆大島旅で購入した、「カツラギ」という品質の椿。
数日前からずっとこのような状態ですが、間もなく開花。
これは八丈島の「明日葉」。
こぼれおちた種から発芽です。
5年前からそのような繰り返し、夏になると生い茂ってしまいます。
生命力はすごいですな~。 青ヶ島名産の「フェニックスロベレニー」。
青ヶ島からわざわざ持ち帰ったわけではなく、竹芝桟橋で開かれた島じまん2008の青ヶ島テナントで購入。
島じまんは2年ごと開催なので、次回は今年になります。
日程は5月22日(土)、23日(日)の2日間。
今年も多分、会場に着くなり真っ先に青ヶ島テナントに直行かな?(笑)
それよりも本物の青ヶ島へまた帰ってみたいな~。
フェニックスロベレニーは寒さに弱いので、ハイビスカスとともに屋内で育てています。
福寿草も大きくなりました。