東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

ついに小笠原空港開設か!?

2016-10-10 10:08:34 | 2016小笠原
小笠原・父島にプロペラ機用滑走路案 羽田と結ぶ構想 16/10/10(月) 8:35 掲載

 本土から約1千キロ離れた小笠原諸島・父島で、都と小笠原村が協議している空港案の概要がわかった。洲崎(すさき)地区にプロペラ機用の1200メートル級の滑走路を設け、羽田空港と結ぶ案だ。世界自然遺産ではない地区だが、豊かな自然と利便性、費用対効果をどう判断するのか――。(朝日新聞デジタル)

(ここまでネットニュース)

 洲崎地区に戦前、飛行場があって、小型のプロペラ戦闘機が発着していた話は存じていて、もしも、空港ができる話が出たときの候補地は洲崎になるかも知れないとうすうす感じていましたが、やはり、あの場所に空港案が出ていました。世界自然遺産ではない地区なので、村のクリーンセンター、斎場もあります。
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これはもしかしたら・・・70年以上前のモノか!?

2016-10-10 00:00:00 | 2016小笠原

 これです。私が見落としたところまで、友人はよく見ている。私のカメラに入っていなかったものが友人のカメラに入っていたりするものもあるので、両方使わせていただいています。
 探照灯基地跡地にあったものですが、小笠原では戦跡の資料として当時の食器やビール瓶がそこらへんに転がっていても、絶対に持ち帰ってはならないという暗黙のルールがあります。ずっと昔、父島の戦跡ツアーに参加したときも、DAINIPPON(大日本)の刻印があるビール瓶や、☆のマークがついている食器が山の中で転がっていても、ガイドさんからは「見るだけでその場から移動したり、持ち帰ってはいけません」といったような注意を聞いたことはあります。ずっと昔なのでうろ覚えですが・・・。

 ジャングルのような道路でも、いちおう、東京都道の241号線っ!!渋谷から池袋方面の明治通りをドライブしたときも「都道305号線」。青ヶ島239号、父島の循環道路240号、母島の241号よりあとからできた305号線、渋谷、新宿、池袋・・・明治通りはどう見ても2車線、3車線もある幹線道路なのに、番号の付与方法に大きなギャップ。ずーっと昔住んでいたところの所沢街道は都道4号線、新青梅街道も5号という1ケタ台だというのに・・・。

 いちおう、母島でも細かな地名はあります。猪熊谷(いぐまたに)。都道なので、区間ごとに規律に、こまかな地名の標識があります。蝙蝠谷(こうもりたに)や庚申塚(こしんづか)とか。母島の地名標識を見ただけでも母島のどのあたりの位置にあるか、把握している方は母島ファンの方かと思います。
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うちなーのおばあ伝授!100%のソーミンチャンプルー

2016-10-09 22:47:43 | 麺類・パスタ
 先月旅したときにゲットした播州のソーメン。麺つゆをつけていただく季節はもう過ぎてしまった。以前、沖縄のソーミンチャンプルーを作ったことはあるが、沖縄の味とは全然違う。ベトベトになっていて食感が・・・ともう作るのはやめてしまった。ソーミンチャンプルーなんて、簡単にできそうに見えても、意外と難しい。
 
 【沖縄料理レシピ】沖縄おばあ直伝!美味しい「ソーミンチャンプルー」の作り方

 の情報をもとにして作ってみました。

 1.ソーメンを茹でる時間は半分!! (2分と書いてあれば、50秒)
 2.茹でたソーメンを水でよく洗い、ぬめりをよく取り除く
 3.水をよく切った麺にツナ缶の油で馴染ませておく
 4.まず、野菜を炒めておいて、最後の仕上げに麺を入れて、短時間で炒める
   がポイント。


 スパム缶の常備がなく、野菜だけになってしまいましたが・・・沖縄で食べたときの味をそっくり再現できました。うちなーんちゅはデーケー主義(適当)なので、分量はでたらめでも、最後に美味しく仕上げることはできる。もしかしたら、私もその日の気分により、デーケー主義なのかも知れない。
 まさしく、ホームページを通して沖縄のおばあ伝授!!作り方を覚えてしまったので、はまってしまいそうです(笑)
 この分量で1人前だけど、父はこの量だけでは足りないといつも文句を言うので、プラス1人前を多めに用意。案の定でした。よく食べるな・・。

 隠し味は青ヶ島の鬼辛を使った、卵スープ。ごちそうさま~。今年は小笠原に行って満足したけど、今度はオキナワに帰りたい!病がそろそろ発症するかも知れない。
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出雲横田駅

2016-10-09 00:27:07 | 2016木次線・赤穂...

 木次線の中で主な主要駅である、出雲横田駅。時刻表を見ていると、出雲横田駅は1日9本発着しているのに、出雲横田から先は極端に減り、4本。ほとんど出雲横田駅で折り返す列車が多い。

 亀嵩驛もそうだけど、この駅も昭和9年開業当時からそのままの姿を保っています。出雲大社にちなんだ駅舎。

 1日9本発着する駅だというのに、乗車券発売窓口は朝7時から夕方の5時まで。オンラインで結ばれた指定席予約端末ではなく、POS端末。もし、マルスが設置されていたら、駅員さんのスキルによりますが、なかなか取りにくい難しい列車の予約でもラクチンかも!?今はなき、トワイライトエクスプレスやカシオペアとか・・・。まるで子どものころに1度は遊んだことのある、椅子取りゲーム。10時打ちを狙っていたのに瞬時に席を取られてしまい、がっかりするとか・・。

 私は旅先での入場券は収集しませんが・・・友人は必ず足跡として収集。友人が購入したものを拝借し、写真撮影。旅の思い出にアルバムを広げたときに日付と、購入した時刻も載っているので、正確な旅の記録になるということでした。なるほどですね。
 マルス端末と全く同じなんですが、マルスの場合は駅名が半角文字。発行会社の「西」とかは印字なし。マルスなら、端末の機種やメーカーを示す符号 が付く。MR(北海道、東海)、@(東日本)、M(四国)、F(西日本)、R(九州)、はMR32(白い端末)やMR52(黒い端末で最新型)という機種で日立製。A1やA2はOKI電気製。MV、VF、MKもOKI電気。001は、POS端末を示し、ほとんどNEC製品。駅により、乗車券の様式を統一するように日立製作所のフォーマットをOKIや日本電気も追随。

 あの~・・・JR西日本さんも、もっと柔軟な対応を!!通学定期券を所持する学生さんのみ立席での乗車を認めるといったような措置はできないのかね。部活動が終わって、帰宅しようと思ったら、金・土・日・祝日は普段のワンマンカーではなく、トロッコ列車です。指定席券520円と、乗車券が必要ですとは!!学生は収入もなく、少ないお小遣いから出しているわけなので、520円と別途乗車券が必要だったら、乗るのにためらい、次の汽車を待つのに15時53分。部活で疲れているので、14時27分で帰りたいと思う学生さんは多いはず。1時間半後の汽車は定期券で乗車できるから待っていろ!とは「時は金なり」。そのムダを排除するためになにかJRに働きかけが必要です。

 ずーっと昔、山口県の何もない田舎に住んでいたころの通学定期券の裏面を確認。
 1.自動改札機にあるところでは、自動改札機をご利用ください。 → 何もない田舎なので自動改札機なんて全然ない。機動改札隊員かワンマンカーの運転士さんに提示。
 2.特急料金等特別の料金を必要とする列車に乗車される場合は、特急券等のほか乗車券をお求めください。(別に指定した区間・列車では特急券等をお求めのうえご利用いただけます)
 と記載されているので、たぶん、指定席券を要す「おろち号」は定期乗車券では乗車不可なので、別途乗車券も必要だということ。木次線の活性化を図るため全国各地からの観光客を呼び込むのはよいことだと思うが、平日はワンマンカーなのに土日祝日は、指定席券を要す臨時列車。地域の通学生、しかも部活動帰りの足を奪っていることをJR西日本さんに認識してもらいたい。
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モニタニングしていた熱帯低気圧、台風20号に

2016-10-08 22:45:25 | 2014~2022青ヶ島

 日本列島、青ヶ島への直撃はありませんが・・・このパターンだと船の予想が難しいので、とりあえずは・・・

 10日と11日の予想は欠航、になりそうです。12、13日は東京積み荷作業のため、運休日となっております。
 もし、10日の船が奇跡的に「条件付」だったら、3連休は青ヶ島!と考えていた方は青ヶ島からのお帰りにこの船にお乗りになってください。
 最近、日本一の秘境、青ヶ島ブームになっているのか、観光客の姿をよく見かけるといった話を伺っています。
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この先のあおがしま丸予想

2016-10-08 07:41:34 | 2014~2022青ヶ島
 あくまでも予想ですので、100%その通りになるとは限りません。
 
 10月 3日(月) 〇 就航 当初欠航の予想でしたが、波高、波周期も問題なし。 
 10月 4日(火) × 欠航 台風18号の影響
 10月 5日(水) × 欠航   同上
 10月 6日(木) 芝浦
 10月 7日(金) ○ 就航 条件付
 10月 8日(土) ○ 就航
 10月 9日(日) 日曜運休
―――(ここから予想)―――
 10月10日(月) × 欠航 台風20号の影響 大気不安定 
 10月11日(火) × 欠航
 10月12日(水) 辰巳
 10月13日(木) 芝浦
 10月14日(金) ???
 
(2016年10月 8日  7時45分現在の予想)
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六本指地蔵~探照灯基地跡

2016-10-08 00:00:00 | 2016小笠原
 北港からの帰りは母島の観光マップにも載っている、観光地2ケ所へ。

 都道241号線の北進線沿いにある六本指地蔵。都道241号線といっても、ははじま丸が着岸する沖村周辺が起点。ここを境にして北港方面は「北進線」、南崎方面は「南進線」。青ヶ島の都道239号線も都道上手というところもあります。実は、この道を通ったほうが三宝港から岡部までの最短距離になりますが・・・崖崩れにより、道も陥没しており、現在も通行止め。時代は遡って昭和3、40年代。東京~八丈島の大型客船が青ヶ島まで延伸する日は年に4、5回。当時は今のような桟橋がなかったので、もちろん艀作業です。船着き場に這い上がって、やっと上陸。今の都道上手を歩いて岡部へ。当時は船が来る日は学校もお休み。子どもたちも艀作業で上がった食料品なども運ぶお手伝い。昔の青ヶ島の様子は国立国会図書館で所蔵する昔の資料(ほとんど高津勉先生が残したもの)をコピーして永年保存中。「こんなところに来るんじゃなかった」と次に来る船で逃げてばかりだったというのに、自分が逃げては青ヶ島の子供たちに未来はない!と10年以上も教鞭をとっていた先生です。それほど、昔の青ヶ島は過酷な環境でした。青ヶ島で生まれ育った方々たちは別に何も不自由は感じないと思うが、内地から赴いてきた方だと文明の利器を味わっているので、非常に激しいギャップに驚かされたに違いない。
(注:今の青ヶ島は内地とのギャップは全然ありません。郵便もお天気が良ければ翌々日配達、インターネットも高速ブロードバンド導入、大手携帯電話3社の通信スピードもLTE(高速通信の4G)。昔からずっと不便なのは、交通手段だけ。母島の話だというのに、青ヶ島に脱線・・・。)

 お地蔵様はいつからあったのか、文献がないので、全然わからないとのことです。終戦後、母島はアメリカの占領下に置かれていた時代もありましたが、それでもずーっと北港の変化を見守り続けていたに違いない。

 6本指になっているお地蔵様は、右側です。杖を持っていれば、親指は後ろに隠れていて、見えるところは4本になるはずなのに、5本になっていました。お地蔵様を掘った人がうっかりしたのか、6本を意識して作成されたのか、今も不明。
 どこでもお地蔵様に赤いものを掛けられているのは、日本では古くから魔よけとして赤ちゃんや、還暦を迎えた方々をお祝いするとき、お地蔵さんに赤いものを着せる風習があります。私たちの住んでいる地域で生活を見守ってくれている場所でお地蔵様が祀られていますが・・・なぜ、戦前にぎやかだった北港から離れたところにあるのか、不明。

 今度は探照灯基地入口です。標識をぱっと見たところ、25mを2.5kmと見間違てしまいそうですが、都道からすぐそこ。

 敵機に見つからないように、あまり目立たない場所にあるので、このような標識で存在を知らせてくれます。

 戦後70年の残骸。

 7年前に来たときも全く同じ。なかなか朽ち果ててくれません。戦争で容易く壊されないように、頑丈な作りになっています。線路が敷かれているので、必要なときに出して、使わないときは壕に収納。昼間のような明るい照明で暗闇の空を照らし、飛行機らしきものを見つけたら、地上から発射するみたいですが・・・飛行機の動きは速いので、地上から発射しても的中できる確率は低いかも知れない。当時の大日本帝国軍がわざわざ地上配備した理由もよくわかりませんが、硫黄島が陥没したら、今度は小笠原を狙ってくるかも知れない。そのような準備もあったかも知れません。沖縄では一般人も巻き添えになり、多くの方々が亡くなられましたが、小笠原は戦局が激しくなる前に一般住民を内地へ疎開したりしていたため、巻き添えはなかったようです。
 大日本帝国時代、戦車や鉄砲、砲台などに必要な金属類資源を確保するため、お寺の鐘からやかんまで鉄製品なら軍が徴収。東京タワーの鉄骨も、朝鮮戦争でスクラップされたアメリカ軍の戦車を溶かして再利用されているようです。

 日没時間までまだまだたっぷりあります。北港からの帰り道。ずーっと無人地帯なので、ジャングルのような都道をアップダウン。
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今日は条件付きーっ!

2016-10-07 07:43:48 | 2014~2022青ヶ島
 今日(10月7日)は、昨日より少しひんやりしています。台風18号が低圧前線に変わり、東へ移動。その影響なのか、少し波が出ているようです。今日は条件付き出航となりました。予想では通常通り出航となっているので、欠航にならず、よかったです・・・。
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亀嵩驛(続き)

2016-10-07 00:00:00 | 2016木次線・赤穂...
 10月6日。今日もあつ~い1日でした。例年なら、秋らしくひんやりとした空気になるのに、最近は猛暑続き。7月になっても長袖を羽織りたくなるほど肌寒い日もあったし、季節がちょっとおかしくなっているようです。
 職場でも今日もクーラーが入りました。今日も長袖の人はあんまりいませんでした。やはりクールビズは10月31日までにすべきでは??

 亀嵩驛前の道路。周囲は民家が建ち並んでいて、新しく家が建ったりして、秘境駅ではないようです。

 奥出雲交通の路線バス。どうみてもワゴン。大型バスだと、乗客は数名程度だと空気を運んでいるようなものなので、バスといっても10人乗りのワゴンで運用。亀嵩驛前の蕎麦屋専用駐車場も完備。ぜひ、JR木次線で召し上がりにおいでくださいませ~。

 蕎麦屋の出入り口にあった、ステッカー。このマークは、山口県の何もない小さな漁村で両親が理美容を営んでいたときに、店内にこのマークがついていたのはおぼろけながら覚えている。じゃあ、もともとは蕎麦屋ではなく、理容店??と思い、ネットでいろいろ調べたところ、亀嵩驛に理容店という話題はなかった。最初から蕎麦屋。

 このSマークは、清潔・安全・安心マークで、理美容店だけではなく、クリーニング、麺類飲食店、一般飲食店でも適用。なるほど、ずーっと昔、両親が営業していた頃のマークを目にしているので、理美容店だけのマークかと思っていた。飲食店でもそのマークがあるとはいえ、あんまり見かけず。

 驛舎の待合室にあった自衛官募集相談員の札。「私、自衛官を志願して、小笠原・硫黄島での駐在隊員になりたいですっ!!」と言えば相談にのってくれるかどうか不明ですが・・・。硫黄島は太平洋戦争中、日米軍合わせて2万人が戦死。硫黄島は1968(昭和43)年6月26日、日本に返還。本土復帰するとともに硫黄島も東京都小笠原村に属するようになった。立派な滑走路も備えている自衛隊の硫黄島航空基地あり。400名の自衛隊が交代しながら駐屯している。就寝前に1杯のコップを英霊に捧げてからでないと、兵士さんが現れることもあるようです。

 木次線も100年。キハ120も国鉄らしさ雰囲気を出そうと首都圏色(朱色5号のみのタラコ色)でラッピングしたものも運行。ここは中国地方なのに、朱色のディーゼルカーを「首都圏色」と呼ばれるのは不思議なんですが、国鉄時代。国鉄が赤字になり、ディーゼルカーのカラーリングを簡素な朱色5号のみにしようと相模線、八高線、久留里線、木原線など、非電化区間の車両が順次塗り替えられたのがきっかけ。それで北海道から九州までディーゼルカーは朱色5号の首都圏色オンリーに。
 1987年、国鉄解体。JRに引き継ぐと、JR各社ごとのカラーリングに変更されましたが、JR西日本の本社は大阪なので、ディーゼルカーの塗色にカネをかけたくないのか、最近は国鉄色に戻している線区拡張中。わが山口県の何もない山陰本線も最近はほとんど首都圏色に変更されています。

 少し前までは、古めかしい筆記体で「かめだけ」の縦型駅名票があったのに、取り外されていますね・・・。

 丸太に焦がしたあとがたくさんあるのは何ででしょうかねぇ??焦がしたほうが腐らないからでしょうか。
 汽車を待っていたら、首都圏色ではなく、木次線カラーのキハ120 4がやってきました。残念。2両編成で、お客さんが乗っているのは前だけ。後ろは回送扱い。秘境路線だというのに、座席が全部埋まるほど満席。だったら、後ろの車両も回送扱いにせず解放すればいいのに~!!

 12時49分、出雲横田駅到着。20分間の停車なので、車両の切り離し。切り離された車両は12時59分、宍道に向けて発車。どこから工面するのかと考えてみれば、備後落合行きに連結して、途中で切り離し。運転士さんも同乗。あくまでも運転士なので、車掌さんのように検札や集札業務はなし。次の記事は出雲横田駅です。
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7月29日 母島北港 15時40分

2016-10-06 00:00:00 | 2016小笠原

 乳房山下山後、バイクで北港へ。時間はあっという間に過ぎ、15時40分。日没時刻は18時20分なので、まだ2時間半ある。今日は10月6日。日中の気温は30度。まだまだ真夏日が続きます。クールビズは環境庁の通達によると9月30日まで。しかし~ほとんどは夏の半袖姿です。

 上の写真より70年以上昔の写真。船着き場のコンクリートはまだ残っています。大型客船の寄港はできないので、沖合いで停泊し、艀作業で旅客や貨物を運んでいました。日本で最後まで艀作業が行われていたのは青ヶ島。今の大きな新堤ができたのは2000年。旧堤に小さな還住丸が発着し、クレーンで積み下ろしをしていましたが、大型貨物船(当時は黒潮丸)の荷物積み下ろしは艀作業。2000年以降は新堤に大型船の着岸が可能になり、日本で最後まで残っていた「艀作業」は消滅。

 戦前はにぎやかなところだったのに・・・・今は無人地帯。

 戦前のコンクリートなので、波で洗われた丸くなった石を寄せ集め、単に打ち付けただけ。

 そのまま飛び込んで泳ぎたくなりますが・・・もうオジさんになったのか、かなり疲れがピークに。オガサワラの海は文句なしに綺麗なのは確かです。

 ここでも東京都なので、東京都シンボルマーク(緑色のイチョウの形をしたもの)付きの標識。

 1番下に都のシンボルマークが見えます。

イチョウかと思ったら、東京都の「T」をデザイン化したもの。

 今の時代、都営地下鉄や都バスもシンボルマークが使われていて、この都章はあまり見かけなくなりました。現在も都庁でシンボルマークと都章両方とも掲揚中。

 7年前に来たときはなかったものがありました。都道240号線、沖港北港線9.8km。標高5m18。
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本日は欠航です

2016-10-05 07:40:22 | 2014~2022青ヶ島
 台風18号の影響により、今日の船は欠航となりました。明日6日(木)は芝浦で積み荷作業、次に来るのは7日(金)になりそうです。今日の千葉は晴れていて、さわやかな朝を迎えました。
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健康診断の結果

2016-10-05 00:20:33 | 日記・エッセイ・コラム
 2015年度の結果・・・尿酸高め。7.6。基準は7.0以内。このままだと痛風になってしまう。痛風って何だ?と調べてみたら、尿酸が体の中にたまり、それが結晶になって激しい関節炎を伴う症状になる病気。「うわー、それはイヤだ」と改善方法を調べてみたら、プリン体の多いアジやイワシの干物や明太子、イクラの摂取を減らし、お酒やビールを飲むときは、糖質0、プリン体0のものを選ぶ。

 1年間アンセリンのサプリメントを欠かさず服用。
 2016年度の結果・・・尿酸 基準内の6.3に下がりました。HbA1cは去年度5.0。(6.2未満までが基準内)。甘いものを時々口にしているのに、今年はなぜか4.8に下がりました。ウェー?(韓国語で「なぜ?」)
 その他の検査項目はぜーんぶ「A(問題なし)」だけど、体重と腹囲だけはダメ。まだまだメタボリックの領域。
 
 とりあえず、アンセリンのサプリメントは本当に効果があるという実証結果でした!!
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亀嵩驛

2016-10-05 00:00:00 | 2016木次線・赤穂...
 亀嵩驛に行ったのは9月4日。気が付けば今日は1ケ月目。7月末に出かけた小笠原旅行もまだまだ・・・季節が変わってもアップし続けていく予定です。9月4日の天気図は台風12号が鹿児島県の西側にあり、島根県はまだ影響が出ていない頃。「もしかしから、旅行は難しいかもしれない」と危うい状態で出発なので、間一髪。

 駅舎は昭和9(1934)年建築なので、往年の看板を再現。戦前の驛名票は今の左から右ではなく、逆。東京驛の駅名看板も「うやきうと 京東 TOKYO」。今はなき万世橋駅も「しばいせんま 橋世萬」といったような表示でした。

 昭和9年当時からそのままの出札窓口。行き先ごとに硬い切符がずらりと差し込まれ、「〇〇まで」と注文があると「〇〇円です」おのずと硬券をさっと取り出し、日付器にカチャッとスライドして窓口の受け皿にすっと差し出し。その場で小銭の収受。改札口に立っている駅員さんに硬券を差し出し、ハサミを入れてもらう。今は無人駅化となっている駅も、戦前だと、多くの駅員さんが駐在。

 秘境路線とはいえ、割と汽車はありますね・・・。11時01分はおろち号。おろち号が運転されていない日はワンマンカーとして運用。12時39分発まで、ここでしばらくまったり。

 三江線は残念ながら、平成30年4月1日で廃線になりますが、木次線は辛うじて生き残ります。それを見込んで、ラインカラー入りの駅名票をリニューアル。

 委託駅なので、駅舎の管理も徹底していますね・・・。

 夏の風物詩でもある「ほおずき」。9月だというのに、きれいに赤く実っています。春に植えて、5月頃に花を咲かせ、7月下旬から8月にかけて実を赤くする。だけど、俳句の世界(旧暦)で夏は5月から7月にかけて。8月からは秋になる。夏の季語かと今まで思っていましたが、厳密にいうと秋らしいです・・・。
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今日は欠航ーっ!

2016-10-04 07:46:04 | 2014~2022青ヶ島
 10月4日。台風18号の影響により、うねりが出始めたので、欠航となりました。今日の関東は10月だというのに、30度を超す暑さだそうです。気温の急激な変化に体調を崩さずようにお願いいたします。
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母島最北端の「北港」

2016-10-04 00:35:47 | 2016小笠原

 沖港の中心地は旧沖村地域。母島は細長い南北に、真ん中より北部は「北村」南部は「沖村」。1つの島に2つ以上の自治体は戦前ならよくある話。山口県の何もない小さな漁村も、戦前は「豊浦郡宇賀村」。わずか6キロ離れたところも「滝部村」、「阿川村」「田耕(たすき)村」。今のような広域ではなく、村役場より10~12キロの範囲ごとに置かれていたようです。今のようにクルマで自由に往来できるわけではないので、このような制度が敷かれたかも知れません。
 八丈島も現在の町役場が置かれている三根村、樫立村、中之郷村、末吉村、八丈小島の鳥打村、宇津木村など。青ヶ島村は1940(昭和15)年に町村制を敷かれたときは全島全域を1つの村として制定。

 戦前、子どもたちがたくさんここで学んでいたのであろう、北村小学校跡地。

 左側の校門がまだ残っています。

 右側。

 廃校70年経過しているため、ジャングルと化す。コンクリートのようなものは建物の基礎なのかどうかは不明。

 建物もなく、70年以上だとこのような風景になってしまいました。1945(昭和20)年、北村小学校1年生は1938(昭和13)年生まれ、6年生だと1932(昭和7)年生まれ。78歳から84歳の間なので、現在もご存命の方が多いはず。北村小学校卒業生や、在校していたという方々にお会いして、昔の様子はどうだったのかお話しを伺ってみたいな~。

 北村小学校跡地から300m先までは、昔、北村の繁華街。今は跡形もなく、無人地帯となっています。

 大手携帯電話の電波が届かないエリアなので、衛星公衆電話設置。初回36秒で200円。衛星を通すので、とても高すぎる~!!1分通話すると400円っ!?電子マネーのEdyも使える機種だけど、使えないように設定されているようです。
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