かっ飛ばせ借金 打ち勝て倒産

 
 ‐オグチ経営研究所‐

 ☆★自分でできる経営の再生と整理★☆

  

失敗して良かった第2会社

2008-10-29 | 事例
「何?K社が出荷してくれないって?親父が、話してあるんだがな。」

想定外です。K社が出荷しなければ、今の事業の続行は見込まれません。
Oは一瞬呆然としましたが、気をとりなおし、旧会社で注文をし直しました。

Oは会長の父を口説いて第2会社を設立したのです。
今の会社はリスケでは間に合いません。金利を含めて全て止めれば、
何とか回っていきます。
エスコ事業の為に借りた1億2000万は全くの水泡でした。
この借入はOが引き継いだものとしても、Oの時代には返済し切れません。

完全な債務超過にもなって居ます。
しかし、このビジネスローンの借金さえなかったら、
今の状態で充分とは云わなくとも回ります。
父は何とか自分が作った会社を続けて行きたいのですが、
Oは第2会社を主張したのです。

「第2会社を造る上で注意することは3点だそうです。
 一つは社名。今は大分緩やかになって居るらしいですが、
 それでも出来るだけ今までの商標に抵触しないように
 やりましょうと教わりました。もう一つは始める場所。
 同じ場所で第2会社を創るならば、銀行は前の会社の
 焼き直しと思うでしょう。それなりきの理由を作ってください。
 最後が代表者です。旧会社の社長でも法的には差し支えないですが、
 やはり社長がスライドしたのでは色眼鏡で見られて、何かと悪影響が
 あるそうです。暫く社長は、別の方にお願いすべきでしょう。」
Oはこう教わっています。
しかし、教わったことは此れだけでは有りません。

「第2会社が成功するかしないかは、今までの得意先が、
 どのくらい続けて取引をしてくれるかにかかっています。
 此れで採算の成り立つくらいに取引をしてくれれば、
 第2会社は成功です。」

メディア用品の扱いの所為もあって、取引先は有名会社が多いです。
消耗品とは云え、重要な用品です。それだけに納入先が、
全部口座切り替えをしてくれるかは心配です。
しかし、特殊の輸入物、それに国内商品はF社の商品を
全て扱える会社となれば競争相手は非常に限られています。
F社の商品はO社にとってメイン商品では有りませんが、
此処の商品が自由に納入できないと直ちに取引はストップになります。

F社の部長が、午後尋ねて来ました。
「先日、会長より新しい会社を作るから商品を分けて欲しいと
 話があったが、こんなに急にあるとは思わなかった。」
詳しい話を聞きたいと云う事です。
まさか、今の会社がおかしくなるから第2会社を創ったとは言えません。
適当な説明はしましたが部長は釈然としない様子です。

「最近ね。本体がおかしくなるから、第2会社と云う物を
 作ってやる会社が増えたらしいですよ。当社はそうした処とは、
 一切取引をしてはならないと指示が出ています。御社も、
 紛らわしいから仕入れは、今までのO社でして、そちらに
 商品を回して頂けませんか。」
何となく、此方の目論見を見破ったようです。

第2会社を作るのに仕入先を確認しろとは、どの本にも書いてないし、
絶対に取引は出来ると思っていました。
しかし、教える方は、其処とは現金で取引をすると言う考えだったのです。
O社のように今までと同じ条件、額によっては手形払いなど、
逆に教える方は想定外であったでしょう。

第2会社は失敗しました。
今までの会社つまりO社で経営して居ります。
あの月からビジネスローンは金利も払えません。大手行2行です。
信金には保証協会付が少し有りますが、此れは金利だけ払っています。
ビジネスローンはサービサーに譲渡されました。
幸い保証協会は代位弁済にもならないし、他行はO社が、
サービサーと交渉中であるとは全然気付かない様子です。

しかし、サービサーとうまく和解ができたのです。
裸になって、腹を打ち明けたところサービサーは、
出来る条件で折り合ってくれました。
何のことはない、1億2000の借金が突然消えたのです。

父親の愛着の有る今までの会社が続きます。
事業再生ではなく、本当の企業再生が出来ました。

もう変な融資には手を出しません。





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破産申請人の身代わり

2008-10-24 | 事例
Oは自己破産を覚悟しました。
今度のサービサーは今までのサービサーと何となく違います。
今までのサービサーから譲り受けたサービサーです。たらい回しです。
新しいサービサーはしつっこさが違います
倒産後8年目、今の会社は伸び気味で勿論黒字です。
そんなサービサーに、この会社の存在が解かれば大変です。
それ以前に自己破産をした方が良いと判断しました。

当時女子事務員だった彼の妻は早くに破産して居ります。
本で見た破産コンサルタントに指導されて、自分一人で破産したのです。
驚くほど簡単でした。簡単な書類を出して後は書類提出を含めて
3回裁判所に行っただけです。破産は官報に載ると聞いて居ましたが、
周囲は誰も気付いて居りません。
カードが使えなくなると聞いて居ましたが、きちんと払って居たら
何故か今まで使えて来ました。
今はOの妻となり、Oの仕事を支えております。

倒産寸前に破産を決意し、弁護士に相談したことがあります。
ビルが二つあり、債務は5億弱、当時で費用は1000万くらいかかると
聞いて肝を潰して自分で整理したのです。一般債権者がなかったためか、
掛かった費用は女子事務員の破産費用だけ。コンサルタント料を含めて
15万でした。それ依頼、弁護士を信頼しておりません。

コンサルの電話番号は同じでした。
今は破産コンサルから他の相談業務に変わっているみたいでしたが、
Oの話を聞いて即座に引き受けました。
「簡単です。何ならば私が裁判所の出廷までも身代わりに行ってもよいです。」
この言葉にOは飛びついたのです。

ビルが競売になって以来、裁判所も大嫌いです。
裁判所にも行かず、すんなりと破産が出来、かつ誰も知らな意破産は、
Oの理想です。その破産ができるのです。しかも費用は40万。
報酬のうち半金の20万を前途金として払ったのです。

4-5日してコンサルから元気のない電話が有りました。
依頼を受けた破産は難しいと云う電話です。

裁判所は会社の保証債務が原因で経営者が破産をするときは、
会社も破産をしなければ受け付けることは出来ないと云うのです。
経営者の破産の原因は会社にあるわけですからその会社がどうなって居るか、
はっきりしないと経営者の結論も出来ないと言うのです。

どうしても経営者だけが破産するならば、管財人を選出して手間と
費用を掛けて審査しないと出来ない。費用は申請者負担であるが、
それを持ったとしても実際問題として出来ないと云うのです。
「だから依頼された件は出来なくなりました。」と云うのです。

「コンサルトならばそんなこと知っていたのではないですか。
 解かりました。キャンセルしましょう。お金は返してください。」
しかし、事は簡単には行きませんでした。
「返せません。私が破ったのではなく、法律がそうなって居るから
 私の責任ではないでしょう。第一、そのくらい、私も動いたのですから、
 その報酬は当然貰う権利はあるでしょう。既に頂いてあるくらいの
 金額は貰っても当たり前の事ですよ。」
言い争っても無駄のことでした。

結局は裁判所を騙そうとした罪だと諦めざるを得なかったのです。

私は、Oから此れを愚痴られた時に、次の二つの事を思って居りました。
一つは、弁護士依頼の時の費用です。
最初飛び込んだ弁護士が400万といった破産が、他の弁護士は100万、
依頼した弁護士は60万でした。こんな例は幾らでもあります。
それにしても、費用の巾が大きすぎます。出来上がりは全て同じ物です。
もう少し費用範囲が狭くなって欲しいです。
何より、破産しようとする人間からは、費用は最低限にするべきと
云う考えに誰もなって欲しいものです。

もう一つは破産申請を自分で出来る様にすることです。
まだ同時破産ならば、自分で出来ますが、そうでない破産ならば弁護士が、
付かないと先ず駄目です。裁判所も必ず弁護士を薦めます。
裁判所も指導する心がけが非常に少ないように思われます。

今日ご紹介した例などは、今後2度と現れないでしょう。
しかし「馬鹿の奴」と笑って済まされないような気がします。





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保険金仮差の攻防

2008-10-21 | 事例
「奥さん。ご主人の死は銀行でも計算済みかも知れません。
 仮差を予想します。恐らく月末の条件見直しの時は、もうリスケは
 出来ないから残債を一括で払えと言ってくるでしょう。出来なければ、
 直ちに借り差押があると踏みましょう。もう半月しか有りません。
 その間に是非保険金を貰ってください。そしてそのお金を
 どこか解からないところに預けましょう。」

仏さんの枕元でのひそひそ話です。
主人は、60歳を目の前にして亡くなりました。
仲間内の会合の席上、倒れて再び眼を開けることは有りませんでした。

若い頃から保険好きでした。個人の分は分かりませんが、
会社では多額の保険に何社も入っております。
銀行借入金は返せない。仕入れ代金は遅れても保険料の払いだけは,
遅れていません。
決算書を提出する度に銀行から嫌味を言われて居りました。

今月末が又条件の切り替時です。
とても今まで通りの継続は出来ずに減額を申し出ております。
又運転資金の不足を、此処2-3年、性質の悪い仲間達に依頼して
居りますからこの催促も物すごいです。

社長は絶えず、この会社も家も救える物には保険しかないと妻に言って居ました。
「勇気さえあれば自殺するんだが。」
気丈な妻はその言葉を相手にもしなかったのです。
其れが偶然か、まるで自殺のようにぽっくり亡くなったのです。

「1本は会社が受取人ですが、その他は全て受取人を会社でも社長でもなく、
 息子や私の名前に変えて有ります。それでも危ないかしら。」
会社の保険でも役員会で認めれば受取人は誰にでも変えれるそうです。
万一のことを思って3-4ヶ月前に変えたらしいです。
「其れだったら大丈夫でしょう。しかし変えたばかりだからいちゃもんが、
 付くと困ります。大至急保険会社と交渉願います。」

受取人を変えた保険に差押などある筈が無いと半信半疑でした。
が、葬儀の翌日、銀行に月末の切り替えと今後の挨拶に云った妻に
支店長が云った言葉です。
「奥さん。ご主人が居なくなれば、やっていけますか。
 莫大の保険金も入るでしょうから、それから少し此方に
 払って身軽になることは必要ですよ。相談に乗りますから
 保険の明細を教えてください。」

妻はピンと来ました。
言葉を濁らせながら、とにかく月末の書き換えをお願いして帰ったのです。

保険会社もばらばらです。
大方の保険会社は、今まで多額の保険料を払ってくれた社長には
感謝して居ます。3億ほどは、月末までには入金になりました。
後4件ほど残っています。

月が明けた4日、一斉に保険会社から連絡がありました。
差押があったと云うことです。4社はまだ残っております。
名義が該当する1社は仕方有りませんが、3社は、該当しないと云っています。
それにしても5000万差押えられました。

急に不安になって保険会社に電話して振込銀行を
1000キロも離れている地方銀行にして貰いました。
かって息子が、サラリーマンになった頃、転勤して作った口座です。
2社の保険会社は、支店長が何とか協力する。明日入金すると云うので、
地元の銀行だと心配とわざわざ其処まで卸しに行ったのです。

良かったです。後で調べるとその日には、妻と息子だけでなく、
老母の名前で保険会社の保険と近くの銀行を仮差して居ます。
そして肝を潰したのはあの遠い地方銀行まで1日違いで差押があったのです。
息子が転勤の頃、2-3回振込みがあったのが記録に有ったのでしょう。
7年くらい前です。銀行は其処まで記録を取っておくものでしょうか。
危機一髪と云うところで助かりました。
銀行の仮差押の保証金は億を超えています。

5億のうち4億は回収できました。5000万は仮差されました。
残る5000万は愚図愚図した保険会社です。息子の名前に
して居たのですが、結局仮差になりました。

直ちに相続放棄をして、仮差の無効を主張しました。
しかし争いは詐害行為の争いで簡単に結論が出そうも有りません。
4ヶ月前に息子の名前に何故変えたかと云うことです。
しかも、何時しかこの保険をめぐる争いは他の債権者も知ってきたのです。
話が大きくなり既に手にした4億まで波及すれば困ります。

「もうこの5000万も出そう。但し地銀に全部取られてはたまらない。
 先の5000万と合わせて1億。皆さんで公平に取れる様にしよう。」
それには全部の金融機関に仮差をさせればよいのです。
地銀は5000万で諦めていたほうが遥かに手取りは多かったでしょう。

今までの騒ぎ、ちょっぴり虫が治まりました。
しかしやがて、随一五月蝿いと云われて居るサービサーに
債権譲渡すると言う通知が来ました。





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借金が多いのに相続したい

2008-10-17 | 事例
「弟は子供が出来たばかり。変なものを背負い込むわけには行かない。
 いいよ。親父に万一のことがあれば、俺が全部相続するよ。
 俺さえ泥をかぶればいいわけだから。」
兄の言葉には裏があります。
何としてもこの店を自分の物にしたいのです。

両親は苦労して今の商売を成功しました。県下でも屈指の有名店です。
そして、此処に4階建ての小さなビルを作ったのです。
1階でスポーツ店、4回は自宅です。
かっては2階はスポーツジム3階はダンス教習所でした。

2-3階は、もう空き家になって長い事経ちます。
今は、兄とその仲間のバンドの練習場に化けています。
近くに大型店が進出し、又街の人の流れも変わりかっての繁盛が嘘みたいです。

二人の子供もこの店を手伝っています。
兄は40に近いと云うのに独身、120キロです。
スポーツ店の店員に向いた体付では有りません。
その所為か当人は家がピンチと云うのに、ドラムに凝って居るのです。
兄は折角店のスペースも空いて居るから、そこに楽器を並べよう。
必ず物になると自信あり気です。しかし、その仕入れ代金の
都合となると其れは専務の領域だと逃げてしまいます。

弟は一人目が生まれました。真面目で経理を担当して居ります。
家の資金が足りないのを専務と二人で銀行と交渉です。
文句を言われ手居ますが、銀行は真面目な弟を買って居ます。
弟もこのままでは将来はないと思っています。
大幅に店をリストラして、2-3階を賃貸し、学校御用達をもっと
利用してと思っていますが、ことごとく反対する兄には閉口して
やる気を失いつつあります。

兄と弟、体つきが違うように性格も違います。
二人は仲が決して良く有りません。お互いをむしろ邪魔と思っています。

社長の容態は年内持てば良い方と聞かされました。
若し万一の時相続はどうすれば良いか、専務は心配です。
今の内から息子たちの意志を確かめておこうと思って今日の話合いです。

店の借金とは言え、社長は全部を保証して居ます。
社長の資産は、店の株とビルの敷地だけです。
借金の方が何倍の大きさで、若し銀行が今の無理したリスケを
認めなければ、一瞬にして店も個人も破綻です。

相続を機にどちらかに抜けてもらわないと店が持ちません。
そうなっても駄目になる確率のほうが大きいです。
しかし兄は泥をかぶる等うまい事を言って、やりたいと云う意向です。
債務がどうか債権がどうか等考えません。
払えなくなれば、払わなければ良いと云う考えです。

弟は弟で債務過多の怖さを知って居ます。しかし彼は、
自分ひとりでやれば。店は立ち直ると自信が有ります。
銀行の人が将来貴方が背負って立てば応援しますと云う
励ましも自信の基になって居ます。

「若し俺がやるならば万一の時は破産を覚悟しながらやるよ。
 子供の心配は有りがたいが、この親父とお袋が作った店、
 建て直したいな。」
弟も譲りません。

二人とも二人でやってのでは駄目だと知って居ます。
今の売上では少しくらいのリストラでも駄目だと承知してます。
少しくらい売上を上げても、店は10年や15年では良くなりません。

しかし、それでもやりたい。
破綻の怖さより、店を支配したい欲です。
其れと、第一、今この店を止めれば何処かに職を探すだけでも大変です。
又今の店の情勢ならば、店を止めても何一つ貰えない事も知っています。
そのくらいならば将来破産をしても店をやった方が、良いと云うその場かぎりの
考えも有ります。

「とりあえず、社長に何か有ったときは、私が全部を相続します。」
母親の専務が言い切りました。
「銀行からなんで後継者を作らないかと責められるでしょう。
 その時は1年後には、必ず決めますと言います。本当にお母さん決めます。
 その時は理由など言いません。でもそれにしたがって頂戴。嫌だったら
 直ぐに止めて頂戴。」
さすが母親。30台の息子二人に何も言わせません。

しかし、社長の容態のことでも全員仕事から気が反れ気味です。
1年間、この店が持つでしょうか。





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買戻しの失敗

2008-10-12 | 事例
公庫の云ってきた条件、非常に良い条件でした。
「保証人はご夫婦でなって居りますが200万で保証義務を免責いたします。
 工場が担保になって居ますね。4棟全部ですね。800万で担保解除します。
 債務は免除しませんが、保証も担保もない債権。当行としてどうにもなりません。」
つまり債権放棄と同じです。
3億5000万の残債。こうなるとは1年前までは思いも掛けませんでした。

「尚Yさんの保証解除は直接当行で交渉します。
 Yさんに一言、言っておいて下さい。」
そう、この債務は同業者のYさんが保証して居ります。
若い頃二人でお互いに保証をしあった物です。
だんだん整理して二人の間に残る保証と云えば此れしか残っておりません。
それだけにYのことは頭に残っております。
「宜しくお願いします、」
と云ったものの、最近のYは業績が良いらしいです。どうなるか不安です。

元は4億の借金です。当初は金利とも月800万返済しておりました。
不景気の為に280万になり100万になり、ついに今では毎月5万です。
「60万を割らないで下さい。」途中公庫の人が云ったことを覚えています。
其れも返せなくなった時、公庫から「期限の利益の喪失」通知が来ました。
管轄部署は支店から本部に移されています。

帰宅後Yに早速電話です。
わざと此方の条件は言いませんでした。
「何か思い切り易くして保証人を免除するらしいよ。
 俺んとこは最後にして、そち らを先に決めるそうだ。」
恐らくYには200万以上の請求は必ずあるでしょう。と思うと自分は、
200万と云う事等、とても言えませんでした。

公庫には「保証人の和解額は、承知しました。但し、正式にはYが、
和解した後にお願います。其れと担保解除の件ですが、800万は
有りがたいですが、当社にお金がありません。せめて500万にならないか、
もう一度ご検討下さい。」と電話したのです。

それから三ヶ月くらい経ちました。
漸くYの和解金が正式に決まりました。一時金で800万だそうです。
それでも会社の決算書の内容から見れば、常識外の安い和解が
出来たと思います。勿論Yは彼のところの和解金はYより
ずうっと高いと思っています。

彼は200万でとりあえず保証人の解除の和解をしました。
此れで公庫には保証人は一人も残っておりません。
後は借地の上の工場だけです。
総建坪、4棟で3500㎡、築17年ですが未だ見た目も綺麗な鉄骨作りです。
ちなみに鑑定士に査定させましたが、通常は9300万だそうです。
其れを安くするために、20年償却にしたり、借地であることを理由にしたり、
又市場性が悪いなど、背一杯減額しても、2000万まで落とすのが漸くらしいです。
其れが800万とはどうであれ好条件です。飛びつかない手は有りません。

しかし提示された時から4ヶ月近く経っています。
業績は毎月が赤字です。800万は安いと思ったのが、
今では500万でも資金的にはきついです。

鑑定士の出した線と、公庫の希望価格芭大きく違います。
彼は公庫は時価を基準とした価格ではない、交渉次第で、
どうにでもなる価格だと思うようになってきたのです。
丁度そんな頃Yがその後のことを知りたく訪れてきたのです。

Yは彼のところは保証人の解除は200万と聞いて少し頭に来たみたいです。
「俺んとこと足して2で割るべきだ。」と息巻いたくらいです。
彼が取り合わないと、今度は工場のことを聞いてきました。
此れも事情を説明すると、Yも彼の意見に賛成です。
「500万には絶対になるよ。競売と云っても脅しさ。よしんば競売になっても
 500万位だろう。且入札者は出ないよ。この喧嘩は負けようが無いよ。」
と何か執拗にけしかけます。

ついに彼は公庫に500万以上は、出せないことを正式に言いました。
競売止むなしと云う態度です。
「若し他人に渡ったらどうするか。分割を検討しましょうか。」
と危ぶむ公庫を尻目に彼は譲りません。
こんな競売、こんな場所でこの時期、幾らでも売れる筈がないと、
「願っていること」が何時しか彼の信念に変わって居たのです。

目論みは大きく外れました。
競売基準価格は1200万、最低入札価格でも960万です。
売れる筈がない。次回の入札を狙おうと思っていた物件に、
入札者が一人ありました。
最低価格の一寸上980万で落札です。Yの家に近い人でした。

6ヶ月のうちには明け渡さないとなりません。
交渉すると相手は最初から彼に買わせるつもりで落とした見たいです。
「Yが?」チラッとそんな考えが頭をかすめます。でもどうする事も
出来ません。結局は1200万で買い戻すことで話が付きました。

一寸の決断が800万の分割支払いから、1200万の一括の現金に換わったのです。
自分の願望のあまり、冷静に物事を分析できなかったのです。

でも全く新たに再出発が出来ます。
「ちっちゃい失敗は忘れること。」
彼は気持ちを新たに張り切っています。





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第2会社の決断

2008-10-09 | 事例
「工場を引っ越す。」
Dの前には見積もりが散らばっています。
成型機は全部で5台。引越しには騒音や製品や原材料の配送まで
気を配ります。何より機械の据付が目玉の飛び出る見積もりです。

「3000万で上がればよい方か。」
でも出来てから3年足らずの会社。1000万でも有る筈が有りません。

山の手の住宅地とも云うべき処。
隣が学校で200坪のプラスティックの成型工場。
何れは公害問題で何処かに越さないとなりませんでしょうが、
今はそれ処でなく、借入が返済できず、工場は銀行に取られることに
決まって居ます。

生き延びを賭けて、3年前に第2会社を造りました。
何れはDが社長になりますが、平とは云え、Dは社長代行も同然で、
今はこの会社の財務の責任者、そこで同種の工場で成型一筋で
やってきたDの父親をとりあえず第2会社の社長にしました。
今までの工場の中に同居し、工場の機械を使いながら、
債権者からの目を逃れるように稼動し始めたのです。

もともとこの会社は誠実な仕事ぶりで定評がありました。
第2会社は自社製品と云う形で、大口ユーザーの新規需要を狙い、
口座もとったのです。
そんな第2会社は工場を訪れる銀行間で何時しか公認になっていました。
但し第2会社は、「他人の工場にあくまで居候」です。

得意先の発注は第2会社に変わり、旧会社は完全に操業ストップです。
そうなると担保の工場も売られます。
工場の担保は第1順位が保証協会の1億4千万、第2順位が都市銀行の7000万、
続いて公庫の4000万です。その他全部で4億以上の担保です。
今の不動産相場は、1億4000万位だと町の不動産屋が言って居ます。
事実公庫以下の銀行はハンコ代で担保解除を約束して居ます。

Dは旧会社が操業ストップすると同時に第2会社の社長になりました。
銀行は此れに対し何も言いませんでした。
あの堅いDです。得意先さえ付いてくれば回るだろう。しかし、
工場の売却に対してどう対処するだろうかと銀行は見守って居ます。

Dは1番は保証協会だから、保証協会が売却しない限り当分は此処に
居られると読んだのです。保証協会には第2会社からの家賃を回せば
充分と読んで居たのです。

案に相違して保証協会は直ちに担保の売却を通知して来ました。
「3ヶ月待つから、その間に任売をしてください。
 出来ない時は、競売に踏み切ります。」
と云うのです。

Dは引越しを覚悟しました。
そして引越しは不可能と理解しました。
居残り戦術は破れ、どうするべきかと考えたとき、
ふと有る考えが湧いたのです。
「そうだ。第2会社で買い取ればよい。」
今まで不可能だからと頭にも浮かんで来なかった案です。
「そうだ。資金は借りよう。其れが出来なきゃあ第2会社も解散だ。」

創立3年の年商が1億6000万の会社がほぼ年商と同額を借りれるでしょうか。
「1億4千万で買うとして30年返済ならば、返済は難しくない。」
早速当たった信金と公庫は、今までの売上・利益の推移も
見ながら感触は悪く有りません。

ところが2位の都市銀行に行くと事情が一変しました。
最初任売すると言うとニコニコした担当者です。
其れが1億4千万の予定と云うと急に顔つきが変わったのです。
「いやあの土地は安くても2億4000万はします。
 それでなければ当行は任売には協力出来ません。」
「バブルの頃の3割の1億4000でも無理と
 周りの不動産業者は、言って居ますが。」
と幾ら口説いても了解したとは言いません。
挙句の果てに「保証協会さんの気持ちは解かったから、
当社が競売に踏み切ります。」という騒ぎです。

今まで安全圏ばかりを狙っていたDの気持ちも変わってきました。
「あの堅い評判の都市銀行が此処まで強く言うだから実際に
 相場は上がっているだろう。資金さえ借りれれば、それでも買おう。」
公庫に頼むか信金に泣き込むかです。

以外にも公庫の担当者はすんなり乗ってきました。
「今、不動産は騰がっていますよ。良い買い物と思います。
 ましてや当行にも2000 万くらい戻ってきますからね。
 しかし条件は一寸きつくなり、20年返済が良いところですね。
 金利は2.2の5年間の固定金利、それに前の社長にも保証人に
 なっていただいて、且ご自宅も担保に願います。
 それで宜しかったら稟議を上げますが。」

既に、この頃ミニバブルといわれて都心の地価は急激に
騰がりつつあるのをDは知らなかったのです。

この時から5年経ちました。
今期の決算書を見て感無量です。
売上は倍くらいになって居ます。
騒音も以外に少なく、この分ならば当分此処で
働けそうと云う事が、従業員にもやる気を起して居ります。

あの時の買うと云う決断、思い切りは必要なもの。
若いDは決算書を見ながらつくづく感じて居ります。





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掌を変えた信託銀行の回収

2008-10-06 | 事例
もう15年も前の話です。
Nは信託銀行の薦めるままに、同行から融資を受けて、
高級マンションを購入しました。
そしてそのマンションを又信託銀行に預け、同行に賃貸を運用させて、
返済金と配当とを貰うことになっていました。
何の頃はない、何もしないでお金が入ってくるのです。
万一途中で嫌になれば銀行が買値より高く売ってくれます。
安全な投資の筈でした。

ところがバブルの崩壊です。
賃貸も予定価格では高すぎました。
足が出て毎月配当どころか相当なお金が持ち出しになりました。
売ろうにも相場は下がって大きな足が出ます。

Nは契約違反を訴え、損を銀行が負って今の契約の解除を
申し込みましたが銀行は相手にしません。
ならばと、ついに返済を止めました。
すると銀行はNの会社の不動産と自宅を仮差押をして、
請求の訴訟を起こしてきたのです。両方ともN名義の不動産です。

其れが10年くらい前です。
争いの焦点は貸し手責任と云うことになりました。
この言葉がマスコミなどでも現れ始めた頃でした。
しかし裁判は負けました。
最高裁まで争いましたが負けです。

最も日本経済を守るためにも、銀行は勝訴させないとなりません。

Nは損失を全部負うことになりました。
しかし此処に来て又頭にきました。
Nと同じ買い物をして人たちは多いです。
最初はそれらの人と連絡を取り合っていましたが、
判決の出る頃から何となくNを避ける様になった気がするのです。

漸くのこと、それらの人はNが争っている最中に損失の半分を
信託銀行が負担して処理をして居ることが解かったのです。
またまた訴訟です。Nは「俺にも値引きしろ。」と云うのです。
此れはあっけなく破れました。
証拠はなく証人だけです。裁判の証人には誰もなってくれません。

65歳のNは8000万の支払い義務が確定したのです。

銀行は2回も勝訴になりましたが仮差はそのままです。
差押に変えて競売すると言う兆しは、全然見えませんでした。

自宅は土地が二筆に分かれていました。
何故か一筆だけしか仮差されていません。
又、会社は取引銀行の担保になって居り、
しかも、3階建ての小さなビルですが2ー3階は、
建築の当初から音楽塾に貸してあったのです。
もう10年以上貸して居ます。動きそうも有りません。
つまり担保物件としてはあまり価値が有りません。

信託銀行は改めて和解の話を申し出たのです。
この頃Nは息子を社長を代わっていました。信託との交渉も息子です。
「今まで払って居ませんが、金利だけで800万になります。
 此れは払ってください。そして以後毎月20万づつ、
 10年間払ってください。10年経ったらその時に又話し合いましょう。
 きちんとして頂ければ銀行が変な真似をする様なことは有りません。」
息子は10年払えば借金はなくなると勘違い。債務は40%になると大喜び、
和解は成立しました。
仮払いの不動産は両方ともそのまま担保と変わりました。

10年になろうとして居ます。
その間、若干の変化はあります。
自宅です。半分しか担保になっていません。
そこで半分を奥様に贈与して居ます。何か有っても半分は助かります。
一方会社のビルは永く居た音楽塾は1年前に引っ越しました。
第1抵当の銀行には残は殆どなくなりました。あの時は信託には、
無価値に近いビルが今では場所がら5-6000万以上の価値が有りそうです。
そして今は信託銀行の担保です。

「社長。此れでチャラと云うわけには行きませんよ。
 もう担保だけでも残金の価値が、ありますよ。
 自宅は、何故か奥様と共有にしてありますね。
 そして担保とは別に同じ広さの土地が、隣接して居ますね。」
半分を奥様の名義に変えたつもりが、半分づつの共有にしたらしいです。
新名ことをしたため、担保に取り損ねた土地があるのが発見されています。
「音楽塾も居なく為った様子ですから、今度は任売も気楽に出来ますよ。」
気に障ることを言います。

「最終的には金利は負けます。せめて元金の8000万はお返し願います。
 今度は前の様な条件はお出し出来ません。本来ですと一括返済の
 お約束ですが、今後4年のうちに願いますよ。」

どうやら銀行はNの会社も郊外の広い工場の方に主体が移り、
此処は越しても実害はないことを知っているみたいです。
そして、其れを売らせればお釣りが出ると踏んでいる様子です。

Nは銀行の薦めに載っては駄目だ。
又銀行に盾突いては駄目だ。
家訓にしようと思っています。





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引っ掛かった噂

2008-10-03 | 事例
「今度こそKも参るではないかな。」
もっぱら業界の噂です。
最近急速に伸びていた近県のN建築が再生法を申請しました。
K電工は4000万の債権が有ると興信所の資料に載って居ます。
15名くらいの下請け企業にすれば異常に多い数字です。

実は5年くらい前にもKは業界で危ぶまれたことがあります。
「さらに10年くらい前に信金から借りてビルを建てたが、
 その金が返済できなくなって、近くビルなど競売にされるそうだ。
 そうすればK電機工業も終わり。」と噂されたのです。
信金の取立てをKは隠すことなく人に喋べりましたが、
其れが噂になったのです。

Kは明け透けの人間です。何でも喋ります。
一面其れが裏表の無い人と信頼されている基にもなって居ます。

10年くらい前、8億借りて事務所ビルと収益ビルを建てました。
時期が悪く、建てて直ぐに返済がきつくなりました。
工事のお金も懸命に継ぎ込みましたが、ついに其れもお手上げになったのです。

「俺は、30年この地で仕事をして居るが一途にこの信金一本さ。
 古いから今の役員は、殆ど知っているよ。かつては無理も言われて、
 月末になると預金の依頼さ。殆ど云うことを聞いてやったな。
 このビルを建てたのもむしろ信金の依頼さ。お膳立ては信金が、
 全部をやったよ。其れに無理を重ねて返済したことは、信金も充分に
 承知しているから、強いことも言ってこないよ。最後の1年間、
 入った家賃を全然払わなかったが文句一つも無いものね。漸く売れたが、
 建てた時の4分の1にも売れなかったが、今後信金は何と云ってくるかな。」
此れを聞いた業者は口では調子を合わせながら、納入を絞ったものです。

この時は世間の興味とは別に、特に異常は有りませんでした。
やがてK電機工業がK電工と看板が付け変わり社長が息子になりました。
しかしKが毎日出社し陣頭指揮を取っていたことには変わり有りません。
「間もなく事務所ビルも取られるよ。」と云う噂は何処かにすっ飛び、
K電工が変わって世間に溶け込んでいきました。

今回の事は当人が喋らなくても、興信所情報が伝えてくれます。
4000万と云うのは15名の電気工事店の1ヶ月半分の売上でしょう。
材料問屋で別格がありますが、後は殆ど同じような金額です。
ここを除けば今までは現金払いです。
材料問屋を除き急に訪問が多くなりました。気になる支払いです。

今回Kには勝算がありました。
その一つが隠し金2500万があったことです。
以前収益物件を売るとき、近所の業者は尻込みをしましたが、
紹介で知ったある不動産屋が3000万Kに握らせたのです。
キックバックと云うのだそうです。Kも此れだけは口を固くして居ります。
もう一つはN社の売上が全体の3分の1に減ってきたこと。此れは万一を
考えてのKの自衛策が実ってきたものです。
最後の一つが、N社の手形は殆ど材料卸店に回してあることです。
ずうっと大きい会社ですから、直ちにKに現金化を迫っては来ないでしょう。
「物凄く痛かったが乗り切れる。」此れがKの読みです。

「痛いよ。君んとこでも少し助けてくださいよ。次の支払い半分は、
 現金で払います。後の半分を90,120,150の3分割で願います。」
何時も磊落なKが、粘り込ん居る業者に、押し付けるように云ったのです。
心配を顔に出さない様にして居る業者を見ているうちに、急に気が変わったのです。
「材料屋も喜んで協力すると云って居ます。一つお願いします。」
畳みかけるKに「その件は明日でも又話しましょう。」と下請けは
逃げるように帰って行きました。

下請けは全部説得しました。
計算外のことです。充分すぎるくらいです。
後は「N社無しで売上の確保」を考えればよいだけです。
そんな時急に材料屋の部長の訪問を受けました。
「今までは1部上場企業の手形の回しだから100%受け取れたですが、
 今後、K電工の手形だけならば、100%は困ります。」
と云うのです。
「せめて半金半手にしてください。
 其れと今回の落ちないN社の手形は、
 10分割でよいから電工の手形を切って下さい。」
と云うのです。

銀行は裏切っても商売は出来るが、材料屋にそっぽを
向かれれば商売は出来ません。隠し金を全部使い、
しかも今後順調に受注が出来なければ難しいことです。

「俺ももう67歳。息子の為にもう一踏ん張りか。」
Kは泣き言を言いません。
最後の闘志が湧いてきたみたいです。





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中小零細企業の皆さま

2008-10-02 | 無料相談のご案内
 

10月になりました。
1日より国民生活金融公庫・農林漁業金融公庫・
中小企業金融公庫・国際協力銀行が合併し、
株式会社日本政策金融公庫が、スタートしました。
中小零細企業の手助けになる事を祈ります。

アメリカ経済の不安から日本の上場企業でも
民事再生法の適用を申請した会社もあります。
今後年末にかけて不動産・建設業の方は資金繰りの
悪化で、経営に影響が心配です。

先が見えない経済状況化で、経営に身が入らない方も
チラホラ見られますが、必ず打開策はありますので、
諦めないで下さい。


ブログをご覧頂いている方限定で、「無料電話相談」を開始致しました。


経営危機に直面している、または危機を迎えようとしている
経営者の皆様、債務全般でお困りの方、どんな些細なことでも
お気軽にお問い合わせ下さい。


お問い合わせは、

 042-483-3604(平日10時~18時)

※電話番号は、お間違いの無いようおかけ下さい。





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