かっ飛ばせ借金 打ち勝て倒産

 
 ‐オグチ経営研究所‐

 ☆★自分でできる経営の再生と整理★☆

  

保証人の気持ち

2008-03-31 | 事例
久作はほっとしました。
久しぶりに訪れた、結婚して居る一人娘のお願いです。
「婿と二人で家の前の空き地でデイサービスの仕事を始めたい。
 お父さん。あの空き地を使わしてください。それに銀行から
 1億くらいお金を借りるから其の保証人になってください。」
と云うわけです。

北関東の町の外れ、農家に生まれましたが若い頃から畑は貸して、
自分は2時間半掛けて東京木場の現場担当として通って来ました。
妻は10年ほど前に他界。以後娘と二人暮らしでしたが、其の娘も嫁ぎ、
広い旧家に、妻の時から買っている猫と暮らしております。

定年が近くなって、再雇用はありませんし、これからどう暮らそうかと
悩んでいたのです。東京勤めで地元の付き合いは薄いのです。
一人娘は其れを心配し、父の家の前で仕事をしよう。父にも働く場所が
出来て家族の心配がなくなるからと、夫を口説いて計画したのです。
夫も乗り気でした。

どうせ使わない土地です。ましてや久作の資産はやがては
全部娘の物になります。保証なんて良くわかりませんが、
介護施設といえばこれから花形になると聞いております。
其れより娘と毎日一緒に暮らせます。
久作は嬉しさを噛締めながら応援をしたのです。

町外れの交通の便が悪い辺鄙な所に立派な建物が出来ました。
すべりだしは非常に明るかったのです。
市の人たちも応援してくれました。
しかし法律が変わったのです。
此処で扱うような介護者には補助金が出なくなったばかりでなく、
介護することも難しくなりました。今まで有った町からの紹介も
無くなって、人数はぐんと減ってしまったのです。
しかも増える見込みはありません。自分で宣伝をし、新規の介護者を
探してやることなど出来ません。閉園をせざるをしなくなりました。

銀行は回収に躍起になりましたが娘婿にも誰にも
資産はないことを知りました。目を付けたのは久作の退職金です。
差押をしないからと、貰って直ぐに其の4分の1を回収して居ます。
久作も一旦自分に入りながら約束だといって払って居ます。
しかし後の分は、娘に注意されて、少し遠い銀行に預けました。

銀行はそれ以上突きませんでした。退職金を回収すると
直ぐに不動産ごとサービサーに売却しました。恐らく不動産は
建物は立派でも、地理的に売れないと見ていたでしょう。
あるいは地元銀行が出来たばかりの介護施設を潰したような
印象を世間に与えたくなかったかも知れません。

1年くらい立ちました。
サービサーが懸命に売り先を探したおかげで全て売却できました。
少ないけれど立退き料まで出ます。
久作は貸してある畑は別として祖先からの土地を全部失ったのです。

売れるということが決まったとき、3人が3人とも
違った心配をして居ました。久作は此れを機に、二人とも
又遠くに行ってしまうのでは無いだろうか。生活は退職金の
残額と年金でどうにかなりますが、非常に淋しいです。
娘は、夫は親に迷惑を掛けたと何時も悩んでいますから、
此れを機に離れた処に行きたいのではないかしら。
夫は妻の父親から縁を切られ、妻とも暮らせなくなるだろうか。
3人が3人ともそれぞれ自責の念ばかりです。

「お父さん。一緒に住む家、もう少し待ってね。犬だったら
 OKのところが多いが猫も飼えて、3部屋から4部屋の
 物件がなかなか見つからないでね。」
婿が切り出したとき、久作は答えました。
「一緒に住む件ね。未だ急がなくて、別々でも良いではないかな。
 儂はやはりこの近くにするよ。猫も飼えるし、家賃も安いよ。
 第一最近この辺にゲートボール仲間が増えてね。」
続きます。
「今度の件、儂のことは何も心配しなくて良いよ。娘に財産も
 残せなくなったことが心残りだが、其れは勘弁してもらえるだろう。
 あんた方も此処で4年くらい無駄足をしたが、それだけ良い経験を
 して居るわけだ。此処で少し遅れたが、夫婦で力を合わせると
 追いつくのも簡単に出来るよ。」

定年後、先祖からの不動産を失いました。
しかし其の心は健在でした。

今は愚痴一つ出ず、みんな気ままに生きて居るようです。





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診療報酬の攻防

2008-03-28 | 事例
「医者には収入はある。借金の返済なんか出来ない道理はない。」
普通の人はこう考えます。ましてやサービサーにとっては
医者と聞けば、回収出来ないとは考えられません。

Lは歯科医です。
自宅の建築資金の残1億8000万が残っています。
銀行からも相当突かれました。どうにもならずついに
サービサーに譲渡です。何回もの交渉後、サービサーは
和解条件600万を提示、Lは30万しか払えないと云って、
暗礁に乗り上げたままです。

自宅や預金等が解からなくても、医者となれば
先ず狙うは診療報酬です。サービサーは無作為の
銀行預金の差押も失敗して、ついに診差報酬の差押をしました。
しかし結果は他人に既に譲渡されて居て、此れも空振りをしたのです。

サービサーは此処で財産開示を要求しました。
Lは素直に応じています。しかし何処をどう突いても、
本当に資産は無く、突けば突くほど、回収が出来ないことがわかります。
ついにサービサーは診療報酬のことを調べだしました。
その結果、譲渡先は義母であることを知ったのです。

彼は35年前、妻の薦めで開業しました。
蓄え一つありませんでした。そんな彼に義母は開業資金は
3000万貸したのです。生真面目な彼はきちんと借用書を書き、
それに「返済が滞ったり、返済の見込みが信頼できない場合は
診療報酬の受給を義母に変えます。」と云う一札を入れました。
確定日付けなど知りませんでしたから、同じような事をはがきで
送り、日にち証明として取っています。

人がよすぎるのです。自由診療など、患者が希望しても
保険診療を薦めるくらいです。その為に診療所は儲かるどころか
毎月火の車、義母の返済など大きく遅れています。
しかしバブルの頃、彼は更に、妻にけしかけられて
2億4000万の自宅にを購入したのです。勿論直ちに返済は
出来なくなり、その為に若干高利のお金を借りたりして、
やりくりは しっちゃかめっちゃです。

此れは義母の知る処となりました。義母は診療報酬を
守る為にも、自分が譲渡を受け、全額が自分に入金が
あるようにしました。そこから必要額だけをLに戻せばよいのです。

その後、税務署が診療報酬を差押えたことがあります。
詐害行為ではないかと随分調べられましたが結局は
引き下がっています。Lは今回の財産開示で、サービサーに
診療報酬に関することも素直に全部を喋っています。
ただこの時にサービサーは
「お母さんだけに払うとは片手落ちだ。」
と云って居ます。

義母に対する訴状は突然来ました。
サービサーからです。
「Lに対する債権者は義母だけではなくサービサーも
債権者である。其れなのに、義母だけがLの稼ぎを
一人占めにする事はおかしい。サービサーと債権額比で
分けるべきである。このサービサーとの配分を、サービサーが
差押をしたときから要求する。差押をしてから今日までの
サービサーの取り分約600万は義母が受け取っている訳ですから、
其れを義母は返還して欲しい。」
と云う無茶な理由です。
そんな理由が通るならば、あの時税務署もやって居る筈です。

さすがのLも、今度だけは断固闘う決意をしました。
しかし義母宛の訴状ですから義母の協力が必要です。
82歳になる義母で有っても、其の気の強さから、
承諾してくれるだろうと思いました。

しかし此れは義母の腰砕けが有って、間もなく幕となりました。
「裁判所に告訴される。」それだけで義母は大変な罪を
犯しているような錯覚に陥ったのです。それによって、
若し婿の借金が全部自分に降りかかってきたら、破産を
しても追いつかないと云う事です。どんなに説明しても
婿の言う事は聞きません。
毎日婿に直ちに訴状を取り下げるよう催促です。

結局600万で和解をしました。
Lにとっては、又義母に借金が増えました。

Lは今回の件は、争っても絶対負けなかったと、
今での信じています。罪も無い、力も無い老婆が、
知能やくざに負けたと思っています。

国がよかれと作ったサービサー制度は、何の罪も
無い老人を苛める機関となっていたのです。

しかし其れはそうとして此処10年以上苦しめられた
借金から漸く逃れました。気分は又格別です。
600万には変えれません。少しでも働いて義母に
返したいと心掛けています。





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正義感のある女

2008-03-24 | 事例
社長より、女事務員のFさんの方が、
銀行から信頼されている見たいです。
銀行は良く実績と、今後の見通しを聞きます。
社長は神掛かったような大きいことばかり云って、
実際の数字の把握にも疎いですが、何時も同席をして居る、
20年勤務のFさんは、きちんと補足説明をしてくれます。
的確に掴んだ数字です。

社員も一目置くくらい仕事は出来る女です。しかし社長に
とっては其の正義感だけが時に非常に困るのです。
会社が危なくなった、そろそろ少し個人的に資金を
抜いて蓄財を図りたいですがそんなことは出来そうも
有りません。それどころか仮払いだって気を使う有様です。
と云って代わりになる人は居りませんし、第一急に居なくなれば、
どの銀行も不審に思うでしょう。馘首にも出来ません。

業績は落ち込む一方です。
実際に資金繰りをして居るFさんも大変です。
しかし銀行と掛け合い、保証協会の安定化資金などを
引っ張り出して居ます。銀行も社長が全面的に信頼してる
Fさんを、社長より信頼して居ります。

業績の向上は見られません。
たまりかねた第2地銀が、手形切り替えの時、
担保の売却をついに指示しました。
担保は、本業とは関係の無い賃貸ビルです。
そこで上がる賃料がほぼ返済金と見合って居ます。

社長は直ぐに動きました。協力してくれる不動産屋が
今なら銀行に内緒で社長の取分があると話を持って
来てくれたのです。キックバックと云うのだそうです。
しかし、これは実を結びませんでした。問題はFさんでした。

「其のお金、銀行のお金を猫ババするのと同じと思います。
やるならば勝手にやってください。しかしそれに少しで
関係すること。つまりその時の金銭の授受、帳簿付けなど
一切は私には出来ません。」
と頑強でした。説得しても首を縦に振りません。

其れならば、長く持っていた方が家賃が入るだけ得です。
社長はそこで相場を無視した高い値段で売りに出ました。
売りに出ている証拠に不動産屋もそれでもチラシを作らせました。
しかし其れは銀行の腹案の倍以上の価格です。売れる筈がありません。
銀行は販売価格のダウンを示唆しましたが、社長は
「残額のことがあるから余り安売りは出来ない。」の1点張りです。

手形切り替えは3ヶ月ごとです。其の都度売却の
進行状況をせがまれますが、お客は付きません。
ついに銀行は強い態度で迫りました。
「後6ヶ月のうちに必ず売却してください。当行は、
今の売却価格の半分でも検討します。6ヶ月たって
売れない時は競売をさせてください。当然期限の利益を失います。」
銀行は相場を無視した売却活動に、
「舐められて居る。」と感じたのです。

残念ながら6ヶ月の間に銀行の腹案でも売れず、
銀行は手形書き換えをせず、期限の利益を喪失をしました。
近くに競売の予定ですと云うことです。
しかし此処で、あの銀行思いのFさんに大きな変化がありました。
「此れだけ銀行の為にやってきて、其れが一つ出来なかったから、
直ぐに競売とは余りにも銀行は勝手過ぎる。競売されるとは、
会社は潰れると一緒ではないか。銀行は此れだけ銀行のことを
思ってきた会社を平気で裏切るのか。」

そうでなくても、今の借金は孫子の代まで返済できない。
其れを解決するのはと、社長は第2会社の構想を持っていたのです。
ましてや、不動産が競売になれば、他に取引をして居る4行にも
直ぐ解かる。其れまでに第2会社を作ろう。
ただ此方の秘密事項が銀行に知れたら困る。漏れるとすれば
Fさんからだ。そう思っていたのに、逆にFさんが本気に
なって手伝ってくれれば雲泥の差です。

Fさんならば、何を言っても、銀行は信頼するでしょう。
それに現状の分析は社長以上かも知れません。

第2会社と言っても、取り引き先は5-6社です。
何れも材料至急の工賃仕事、他に競争相手が居ないのも
幸いして居ます。しかしそれだけに売掛金の差押など、
注意が必要ですが、細かい神経を使ってくれるFさんが
やってくれれば成功したも同じです。

正義感の強い女。仕事は出来ますが使い難いです。
しかし其れが手足のように使えれば、男性より役立つことも多いです。





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助かったと思ったが

2008-03-22 | 事例
「工場を取られちゃう。絶対守るぞ。」
来月か再来月には完全に銀行に返済が出来なくなったと
知ったMです。脳裏を掠めたのは、先ずこの事です。

Mの工場は何時も稼動して居ります。
りストラなどもやった事はありませんし、リスケすら銀行に
依頼したことはありません。経理をして居る女の子を除いては、
社員すら会社は相当景気が良いと思っていました。

手形を切って居りませんから、即倒産と云う事態は
ありませんが、仕入れ関係の支払いは厳格で、
条件通りに払わないと直ちに仕入れはストップします。

職工からたたき上げのMが、漸く工場を手にしたのは、
もう20年以上前です。以来Mは、自分がこの辺りの大物に
なった感じです。工場を手にした頃はバブル景気でよかった
ですが其れもほんの暫く、直ちに不景気の中に突入しました。

不景気になればなるほどMは、工場の音を絶やしません。
むしろ夜まで稼動して居ります。Mは世間体もあって、受注を
ずば抜けた廉価で取って居たのです。今は競争相手も居りません。
しかし受注は原価すれすれか、時には原価割れさえあります。
何時も操業している「Mさんの工場」は当然毎月赤字でした。

赤字が出ると今度は粉飾です。
単価アップした売上で誤魔化しました。時には
仕入れを計上せずに仮払いにして利益を出しています。
知っているのは女の子一人です。
長い事、銀行すら騙されたのです。

回収の出来ない売上や、戻ってこない仮払金があっては、
利益は作れても資金はついて来ません。でも当初は銀行も
貸しました。しかし次第に硬直した決算書に気付くと、
もう回収一本です。なおも資金が苦しくなります。
良くあった新規の銀行の飛込みもなくなりました。

「銀行以外に金は借りるな。」
此れが鉄則ですから、銀行を借り漁ります。
インターネットで商工ローンモドキの銀行すら
借りまくって、もうありません。

資金が回らないことを目の前にして、Mは今までのやり方は
通用しないことを痛感して居ります。しかし今後どうして
良いか解かりません。
こうなる前、弁護士と相談したことがあります。
弁護士は即座に破産しかないと言いました。
それに高い費用です。彼は弁護士に相談する気は
さらさらありません。何もかも自分でやろう。と決めてのです。

とりあえず銀行の返済はストップです。
そして後は流れに任せてやっていくことにしました。
最悪の場合、工場を担保にして居るメイン銀行だけを
立てて後は全て全然払わなくても良いと思っています。

一斉に銀行から「入金が未だですが」と電話が入ります。
そこを一々回りました。昨日まで対等の口を利いていたのに、
急に頭を下げることに為りました。
プライドなんて何処かに消えました。

メイン銀行からは競売にすると脅されました。
Mの泣き所です。当分金利と元金10万で話が付きました。
後の銀行は、殆どが金利だけです。駄目だったらどうにでも
してくださいと云う開き直ったMの態度勝ちだったと思います。

しかしインターネットで借りたTM銀行と
NM銀行は違いました。嫌と云うほど脅されたのです。
「売掛金なんか調べればすぐ解かる。
そしたら差押えます。又、直ちに不動産を全部仮差しをします。
仮差が付いていれば、もう銀行は一切相手にしなくなります。」
経験かないことを羅列されて奮え上がりました。
結局は今まで通りの返済にしました。

此れで毎月の資金繰りは随分良くなります。
しかし未だ不足です。このままでは仕入れ代金を
食うことになります。

Mは大口2軒に対して今まで翌月支払いを翌々月支払いを
交渉しました。此れも何とか為りました。此れは大きかったです。
此れで不足と思われる資金も全てクリアできたのです。

Mは此処でただ一人彼の自由にならなかった古参の
専務を切っています。専務はMとは違い、1ヶ月据え置きで
払うと云う事に対して業界の評判が落ちると大反対だったのです。
此れで社員全部彼の意のままに動きます。

何のことは無い、何も手も打たず、成り行きで
処理しただけで、専門家も頼まず、資金不足の会社を
又普通に操業できるようにしたのです。
此れで毎月を黒字にさえすれば回っていきます。

あれから5ヶ月が過ぎようとして居ります。
Mの会社に又資金不足の症状が現れました。
銀行が原因では有りません。受注です。
受注が取れないのです。この会社は、他社より絶えず
安い見積もりで受注を取ってきました。互角に他社と争う、
そんなことは出来なくなって居たのです。
社員教育するのは時間が懸かります。

Mは一寸甘かった見たいです。




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他人の保険金

2008-03-19 | 事例
Rが昨夜急死をしたと聞いた特、Dは耳を疑いました。
昨夜Dの自宅で飲んで、自分たちの現状をこぼしあったばかりです。
大して飲みもせずに「今からあの おっかあ のとこに戻らにゃあ」
としぶしぶ立ったRを思い出します。

DもRもこの山あいの木材業者です。
補助金を貰い易くするために、殆どが別に協同組合を作り、理事に
成り合ったり、銀行借入も保証し合って居ます。そんな組合も
殆ど破綻、DとRはそれらの保証債務で追い回されています。
昨夜はそんなことをこぼしあって居たのです。
Rは特に人が良く、保証の塊りみたいな人です。

葬儀が済んで間もなく、DはRの奥さんに、
「不動産は取られるが、相続放棄をして、今後は安楽に暮らす。」
ことを薦めました。
奥さんは毅然として反対したのです。
「息子は主人と一緒にこの仕事一本で今までやってきて居ります。
今更他の仕事も出来ません。それに息子も私も何処にも保証は
して居りませんから、此れを機にむしろ立ち直りを図りたいと
考えて居ります。尚、不動産が担保ですが、幸い保険も少々入り
ますから、今だったら安いと思いますから、買戻しをしたいと
考えて居ります。」
しっかりした返事です。

「そう、保険か。5000万も入りゃ、
あの不動産など全部買い戻せるよ。」
それ以来Rは余分の口出しをしません。
しかし、この時には早くも奥さんと銀行とに間で
保険の取り合いっこが始まっていたのです。

3年くらい前からRは急に何社かの保険に入るようになったのです。
決算書で知った銀行が不審に思い、全てのやりくりをして居る
奥さんを問い詰めたこともありました。銀行としては其の掛金を
返済に回すか、保険を担保に欲しかったのです。奥さんは言葉を
濁らせ、保険の明細も教えません。勿論止めることはしませんでした。
5行か6行に保険料から推すと相当額の保険を掛けています。
「何故?」銀行は何で急に保険を掛け始めたか解かりません。
しかし支店長以下其の保険のことはみんなの頭に
畳みこまれた事は事実です。

Rの保険はこっれだけでは有りませんでした。会社の5億の他、
個人でJAともう一軒、合わせて1億5000、嫁いだ娘が受取人で、
入って居ました。会社の保険は受取人は当然会社です。
しかし取締役会の議事録さえあれば名義変更できます。
半年前に息子に受け取り人が変わっております。

Rが居なくなれば此の会社の再起はおぼつきません。
支店長は保険を弁済に回すように求めましたが奥さんは
承知しません。直ぐに仮差しと思いましたが、約束通り払っている
奥さんに其れも簡単に出来ません。支店長は20日後、手形貸付の
切り替え日です。当然全額決済は出来ないでしょう。
此れに焦点を絞りました。

手形切り替えの日から3日目に、銀行は一斉に保険会社と
銀行を仮差しして居ます。しかし不発と気付いたか、家庭裁判所を
調べて相続放棄が済んで居ないのを確認し、今度は相続者に対して、
それから4日後に仮差の追加です。担保保証金が1億になって
いましたから、銀行としても大勝負だったと思います。
700キロ離れた奥さんの里の銀行まで仮差しがありましたから
その執念が解かります。

しかし奥さんのほうが1枚上手でした。
葬儀の最中から保険会社やJAと交渉してこの時は
殆ど手中に収めて、安全の保管をして居ました。
一つ東京の大手の保険が5000万やられました。
この保険会社だけ、息子の名義にするのを渋っていたのです。
この後、自宅の買戻しもあります。これだけは問題に
しませんでした。それでも個人と会社を合わせて
6億くらい入ったのです。

さあ、其れを掴むと今度は相続放棄をした奥さんは、
債務の支払いを全て拒否です。この頃になると奥さんと
息子には大分保険が入ったらしいと評判になって居ます。
その為に取る方も躍起になって、裁判沙汰になったことも
少なくありません。

不動産は全て買い戻しています。誰にも差押は出来ません。
会社は別会社を作り、前の会社と一寸名前を変えてやって居ます。
旧会社やR名義の資産は全然ありません。奥さんや新会社が
引き継げと云った裁判もありましたが、殆どの訴訟は勝っています。

息子は、新会社を現金仕入れの会社にしました。
この時世です。たちまち売り込む業者も多く、
又安い仕入れを狙って人は集まります。
何処も不景気な木材業界、しかし息子の会社のみ気を吐いています。

「Rの奥さんは主人の保険金のお蔭で立ち直った。」
と業界では評判です。当初1億くらい入ったという額が、
最近では3億くらいは固いとやっかみ半分の噂です。

「Rの死因は脳溢血とかいったな。彼は、大して飲まないのに。」
Dは時々Rを思いがします。
自分は保証債務で未だにいじめられ放しです。
「それにして、もまるで仕組んだように保険が
入ってきたのだな。こんなことも有るんだな。」

噂をする人たちは入っても1億、良くても3億くらいと思っています。

若し本当の額を知れば、ねたみは相当な悪意の噂となるでしょう。
ましてや、川向うに奥さんの縁続きの医者が居て、
死亡診断書はこの医者が書いたと解かれば、其れこそ
騒ぎが起きるかも知れません。

保険金が入ったが為に逆に不幸になる人も少なく有りません。
Rの奥さんはうまく生かせて幸せを掴んだ一人と思います。





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新銀行の融資

2008-03-16 | 事例
「今度出来た新銀行東京は、全く弱い者の味方で、我々のように
銀行から見捨てられた企業にも融資をしてくれるそうだ。」
永代信組が破綻してから2年半。たちまちこの噂は永代仲間に
伝わりました。

殆どがRCCに譲渡された者達です。
Eも其の一人です。
担保の競売は未だですが、都の入札など廼対応の為に、
早くから作ってある第2会社に営業を全て譲渡して居ます。

もう借金は返済して居ないとは云え、稼ぎが無いから非常に苦しいです。
永代からの借入金、つまりRCCには返済はして居りませんが、
一般の仕入債権債権が未だ5軒残っています。入金を切らすと
たちまち出荷停止で、工事の注文が取れても着工も出来ません。

Eは申し込みました、
駄目で元々でしたが、此れが借りれたのです。
しかし直接融資では有りません。窓口銀行から借りて
新銀行は其の8掛けを保証する仕組みです。

永代が破綻して、今後の銀行取引の為に、苦しい中を
毎月5万円づつ、地元の信金に積立を始めて居たのが幸いしました。
其の信金から新銀行の保証で600万ですが借りれたのです。
石原都知事に改めて感謝です。

Eの借入は設備資金でも運転資金でもありません。
さりとて借金の返済に回すものでもありません。
実体は赤字補填融資とも云うべきでしょう。計画書を
信じてか詳しい内容は、聞いても来ませんでした。

こんな借入がまともに返済できる筈が有りません。
借りて1年もたたないうちにリスケの交渉です。
しかし間に立った信金はEと新銀銀行とが直接交渉するのを嫌がり、
全て中に立って動きました。

あれほどあっさり保証をしてくれた新銀行はリスケとなると
非常に嫌がった様子です。信金はなかなかEにOKの
サインを出しませんでした。しかし、仮にNOであっても
返済は出来ません。不良債権になると其れこそ返済の目処は無く、
漸く1年間元金だけのリスケが認められたのです。
平成19年の5月の初めでした。

20年の3月上旬Eは信金に呼ばれました。
「5月までのリスケの件、払えるようになればよいが、
もう1年リスケが必要ならば今年は直接新銀行と話し合ってくれ。
当行はどっちにしろ、それで決まった方にしますから。」
と云うことです。
はっきりは言いませんが、どうやら新銀行と組んで
いろいろする事は辞めた方針らしいです。仮に話が決裂して
Eが返済を全て止めても、もう積み立ては200万少しあります。
信金は損をしません。

一方マスコミは毎日、新銀行のことで囃子立てています。
Eは永代信組を思い出します。
「あの時も毎日囃されたっけ。そして数多くの中小企業の
仲間がRCC送りとなって結局は競売で破綻さ。
今回もそんな事があれば怖い。むしろどんな無理を
しても全額返済すべきかな。」
新銀行に話に行く前から何かビビッて来ます。
どんな方針で臨めばよいか自分の姿勢も決まりません。

「Eさん。無理して全部返す必要は全く無いよ。
出来るかどうか解からないけれど逆にリスケの
延長をお願いしましょう。」
親しいコンサルの言葉です。
「リスケをしていても、其れが話し合いで決まったものならば、
その間は、何処に債権が移っても、変な真似はされません。又、
返済が出来なければ債権者が何処であっても此方はそれなりきの
態度で臨めばよいですよ。」

Eさんは知っています。
新銀行の利用者は永代から回った人も多かった。
しかも其の殆どの人が目先の赤字資金補填が主だった。
殆どの人が返済が出来るまで復活しては居ない。
400億の導入資金が、この人たちの追い貸しならば
先ず新銀行は永代の2の舞になるだろう。

Eさんの心は決まりました。
一括返済など、自分が考えただけで、何と云っても
返済が出来ないのです。其の為には又嘘も言わないと
なりませんが、其れが当分生きて行く糧です。


相手がどう騒がれている銀行だろうが、
来週中にもリスケの再延長をお願いに行きます。
そして結果がどうであっても払えません。





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無茶な担当者

2008-03-14 | 事例
中小企業には、銀行の担当者は神の使いです。
若干無理なことがあっても、此方から文句を
つけるなど考えられません。どんな事があっても
神の使いを怒らしてはなりません。

しかし其の使いも時に我慢の出来ない理不尽なことを
言ったりやったりすることがあります。
最近もある大手銀行の担当者がリスケを依頼する債務者に、
聞く耳を持たないどころか、一回返済が遅れただけで直ちに
其の保証人宅に電話をしたのです。あいにく保証人は留守、
出てきた家族に対して「この家を直ぐに競売しますから。」
と言ったのです。保証人の家庭は寝耳に水、大問題となりました。
債務名義は勿論無く、未だ期限の利益すら喪失されていません。

勿論こんなことは許されることでは有りません。
直ちに取り上げ、リスケも含めて解決しました。
今年に起こったこの件は、何時かどんな方法で解決したか、
ご紹介しようと思って居ますが、この様な時、
決して黙っていることはないと思います。

恐れずに抗議をしよう。
そんな私の経験となった最初の事件を書いて見ます。

「リース会社の担当者が来て「差押だ」と云ってやたらに
その辺に有る品物にシールを貼って居ます。大声で喚いて
居るし、どうしようもありません。どうしたらよいでしょうか。」
「差押って、貴方のところは未だ債務名義も取られていないが、
来ている人は裁判所の人?」
「いいえ、リース会社の営業マンです。」
「直ぐにタクシーを飛ばします。20分くらいでしょう。
110番はその後にしましょう。」

Tは小さな映画会社をやって居ましたが、残念ながら破綻です。
債権者は銀行のほかにリース会社が有ります。
特殊なカメラのレンズでリース代は未だ980万残っています。
銀行の子会社のリース会社です。

特殊な商品で引き上げてもどうしようも無く、リース会社は
Tの同業者に、Tの口利きもあって100万で転売をしました。
残額の約900万を一括で払えと担当が乗り込んできたのです。
元々横柄な担当者でTが嫌っていたタイプです。

Tは現状を説明し、落ち着くまで待って欲しいと
懇願しましたが、担当者は其れを無視し騒いだのです。
「もう払えないのでしょう。其れだったら此処に
ある品物を頂かないと此方が困ります。嫌の場合は
差押しかありません。」
と云っていきなり其の辺りのロッカーや応接セットなどに、
何かの紙を貼りだしたというのです。

恐らく自分で作ったのでしょう。
「Sリースの所有物。許可無く移動禁止。」と書いてある紙を
セロテープで貼り付けてあります。
Tは差押は赤紙を張られると聞いていましたから、
それに間違い無いと肝っ玉も吹っ飛んで居たのです。

私は見たとたん「此れは会社も知らないことを、
担当が勝手にやって居るな。」と直感です。
「抗議をしよう。そのために暴力沙汰になれば、
この債務は0になるな。」と打算も沸いてきます。
 
「私はTさんの知り合いで近くに居る者です。
電話で飛んできましたが、こんなやり方って
許されているのですか。今お宅の責任者に
電話して聞いて見ます。」

運よく、部長が出てくれました。
少し驚いたらしいです。
担当者に電話を変わり、担当者は帰りました。
貼った紙を剥がすと言いますから其れはさせません。
せめて写真とビラを何枚か証拠にとっておくつもりです。

何とかその場は片つきましたが、今後が不気味です。
どんな手をやってくるか解かりません。
相手は梨の礫、そこで此方から先制攻撃をしました。
「お宅にご迷惑をおかけしていることは非常に申し訳ない。
但し先日のお宅の態度 は許されるものではない。」
それであの以後は近所でも噂の対象になり、妙な目で
見られるし、第一、大家から立ち退きを要求されて、
折角の再建計画が非常に難しくなった。
お宅に迷惑をお掛けしている件も早急に話し合わねば
なりませんが、先ず今回のこの件を解決しないと
次に進めないと思慮いたします、と云う手紙です。

しかし此れに対する返事は有りませんでした。
支払いの催促もありません。3年くらい経って、
サービサーに譲渡の通知が届きました。
直ぐに両方に此方の主張を言いました。

それっきりです。
いい加減のものです。昨年、違うサービサーに
又譲渡の通知です。時効期間になっていたために、
時効の援用をしました。

相手が筋も立たないことをしてきた場合、
逆にチャンスが来たと考えても間違いではなさそうです。





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リースは怖い

2008-03-12 | 事例
「売掛金だって調べれば何処にあるか直ぐに解かりますよ。
10日までには全額払ってください。そうない時は不本意ですが
法的回収を取らせて頂きます。」
Kは震え上がりました。リースなど小額だから、物品さえ
返却すれば後は何もしてきませんよ。と聞いて居ました。
その気になって2月末まで充分に時間もある日に電話をしたのです。

「今月末でこの事務所を取り払うことになりました。
今までのリース物件はもう不要となりましたから、其れまでに
引き上げてください。尚、景気は最悪で其の後のリースは
デフォルトです。」
「デフォルトって何ですか。」
「つまり不良債権だ。払えないと言う意味です。」

信販系のリース会社、担当者は電話で話しているうちに、
当然のように払えないと云って居るKに対して怒りが
こみ上げてきました。
「直ちに差押をします。」の一喝で、そんな予想も
しなかったKは、とたんにうろたえ始めたのです。

Kの納入先は1社です。資産は此処に対する売掛金だけです。
この1社を差押えられると、Kの会社は直ちに参ってしまいます。
折角のKの事業再生案は失敗です。

銀行返済とリースの支払いさえなければこの会社は安泰です。
第2会社に移行することにしました。幸いのことに得意先は
会社が変わってもKに対しては取引をやめることは出来ません。
第2会社の口座の新設を認めています。

多額な銀行の返済については1年前から弁護士に依頼して居ります。
弁護士は破産をする事で承知をして居ます。しかし破産の時は
売掛金も車も全て無くなることをKに告げています。
そんなことになると、文字通りの破産です。第2会社をつくり、
売上を全て移したからでないと、弁護士に破産も依頼出来ません。

リース会社の残は320万です。
Kの電話以後、毎日きつい電話があります。
訪問がないのが未だ救いです。
「商品は引き上げる。しかし2月の末は通常通りに払いなさい。
3月10日までに全額払えない場合は、どう払うか直ぐに
計画書を出して下さい。」
「調べれば解かりますが現在の取引先を教えてください。
そこの売掛譲渡も検討してください。」
Kの会社には、こうした話の応対の出来る人は居りません。
ついにKは2月末の支払いを約束してしまいました。

紹介されたコンサルはリースが売先を知っているか、
知って居る可能性があるか、しつっこくKに聞きました。
「大丈夫です。リースは売先など何も知らないでしょう。
差押など出来ないですよ。しかし、Kさん。貴方の最初の
切り出しは悪かった。私だってそんな態度で云われると
怒りますよ。どうです。丁重に謝りましょう。そして今後の
連絡方法としてKさん。貴方の携帯を教えておきましょう。
態度が、全然違いますよ。」
「それからね。2月末お金があればよいですが、
苦しかったら支払うのは止めましょうや。後で文句が
あれば丁寧に謝っておきましょう。怒られて居る振りを
見せて於いてください。」

コンサルの説明では、債権者の中ではリースが
一番強く出てくる処らしいです。そして直ぐに訴状を
申請し債務名義を取ると云う説明です。其の後直ちに
差押があるか解からないが、預金の差押は覚悟して
おいた方が良いと教えてくれます。

Kは改めてリースに謝りました。
会社がおかしくなって、その為に自分の頭まで
おかしくなったと云うのです。
「不景気で、事務所も私の自宅に移します。
リース物件も不要になりましたし、第一私の
自宅には置くところも有りません。是非引き上げて
少しでも残債務を埋める足しにしてください。」
そして、今後の連絡方法として携帯を教え、
残債務の責任を認めました。

少し好転しましたが一旦払うと云った月末が
払ってないために又電話が怒鳴っています。
恐らく近く訴状は覚悟しなければなりません。

Kはもうリースには払わないつもりです。
でもリース会社はどんな方法で責めてくるのでしょうか。





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痛かった保健所の監査

2008-03-08 | 事例
3月に入って1週間、Nと連絡が取れません。何か不吉な感じです。

Nは平成10年の10月不渡りを出しています。
しかし彼は法的整理も任意整理もせずに同じ場所で
同じ作業員を使い操業を続けて来ました。

勿論、簡単では有りませんでした。
広大の不動産は全て競売になりました。しかし工場は借地の
事も幸いしてか、1位の信金と同位の保証協会と、7年間、
僅かな返済を完遂すれば、担保を解除すると言う和解をしたのです。
今年が其の期限です。此れで工場と設備を確保出来たのです。
以後Nは長年の顔を利用して材料の入荷ルートを確保し、
操業を続けています。

35名の従業員は近くにパート先も無い為か、極安い賃金で
勤めを続けて呉れました。Nは今までと同じ様に仕事が
出来たのです。ただ売掛金だけは差押が怖かったものですから、
2-3年前から販売会社を作り、全て此処を経由するようにして、
売掛金の差押対策をして居ます。

Nが我欲のためでなく、本当に企業を維持したい。
それだけの気持ちしか無いと解かったために、私もNと3日に
上げず連絡を取り合い、励ましたり時には怒ったりして、
何とか今日まで続けて来ました。

勿論その間にはいろいろな事がありました。
何しろ会社整理と云うけじめをつけずに、ただ放置して
生き延びてきた会社です。下位の銀行の工場の競売申請、
又財産開示の申立て、その他仕入先からも支払いの訴状など、
記録を整理できないほど、問題は発生して居ります。
其の都度Nにはアドバイスや力付けをしてきたのです。
競売申請して無剰余が決定するまでの行動や心境の変化は
別の機会に紹介したいと思います。

中でも辛かったのは販売会社に対する請求の3500万全てを
差押えられた時です。滞納が1億1000万で無剰余ですが工場も
差押になって居ます。この時は弁護士や、民間の相談機関は
もう此れが最後とさじを投げたのです。でも20万を持って直ぐに
国税まで出向かせお願いしました。お蔭様で未だ息の根は
切れて居ません。

「何とかとんとんで10年近く生きてきた。今年は担保も
解除される。しかし、本業が駄目の時、または役所の
監査があった時は、私は全然役に立たないよ。そちらは
どうしても自分でやらなければならないよ。」

こんな会話をしていたところに保健所の監査が
入ったのは昨年9月でした。昨年は食品で方々で問題が
発生しました。其の所為とも思います。しかしNはたまりません。
細かい点で食品工場として不適格のところが多々有ったのです。
殆どの点はNも気になって居たところです。
ただお金が回らないから出来なかっただけです。
保健所の監査が特に意地悪とは思いません。

保健所の指摘には素直に聞かざるを得ないでしょう。
指摘の都度、工場は止まります。ついに10月と11月の
2ヶ月間売上は減少し、特に11月は半分に落ち込んだのです。
但しこの時はNには未だ影響の大きさがピンと来て居ませんでした。
そのために後日打つ手も遅れました。

貸してくれるところが無い企業は、売上の低下は
即資金に繋がります。12月は未だ良かったのですが
1月は従業員の給料や地代すら満足に払えなくなりました。
ついにピークが2月末に来たのです。

2月末さえ乗り切れば、3月から売上も全部ではないが
復活して居ます。此処さえ乗り切ればとNは必死でした。
その間私にも連絡も無かったのです。

其の上不慣れのNが全く足りない資金を配分するのに
少し失敗もあったらしいです。従業員の中に辞める者が
増えました。仕入先も微妙な支払いの変化に気付いたらしく、
入荷に狂いが見えています。
10日くらい待ってくれと云う言葉が反故になりそうです。

そんな時又保険所から以前指摘した処の進行状況を
見たいと連絡が入りました。多分2-3日は工場が止まります。

気分的にもさすがのNも参りました。
「もう駄目か。」
今まで口から出したことの無い言葉です。

「どうして結末をつけようか。」Nは受話器に手を伸ばしました。





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勲章に気をとられ

2008-03-06 | 事例
5坪くらいの小さな会長室、場違いの立派な額に
賞状と勲章が治まっています。会長室に訪れる人の
賞賛を聞くのが、唯一B会長の生き甲斐です。

平成14年、業界から推されて黄綬褒章を頂いたのです。

丁度其の頃、Bは銀行と大きな争いを起し、高裁まで
争いましたが全面敗訴が下った頃でした。バブル崩壊で
信託銀行に薦められてやったマンション投資の件で争ったのです。
生真面目なBは真正面から当時流行の貸し手責任で争いましたが、
貸し手責任を正面切って争われると、銀行が受け入れる筈が無く、
ついに訴訟までになったのです。

其の最中に当初銀行に対して同じ問題で争っていた人たちが
どんどん銀行と和解をしたことを知り、Bは自分だけが特別に
不公平の扱いを受けたと思い、ついに高裁まで争いました。

敗訴になると同時に銀行からは残の請求がありました。
払える道理はありません。すると銀行は自宅と会社の
不動産を仮差ししてきたのです。

もう裁判では勝てない、しかし支払い面で争そおうとBは
覚悟しました。銀行の差押にも手抜かりはあったのです。
自宅は建物のあるところは仮差ししたのですが、地続きの
土地は手付かずです。直ちに妻の名義に変えました。
差押のところだけならば、大した事はありません。

会社は狭い土地に鉄骨の2階建です。
他の銀行が第一抵当で現在無剰余に近いです。
其の上、2階は建物を建てた30年前から音楽学校に貸してあり、
簡単に売れる品物ではありません。

不動産は買い戻しても、大した事はない。不動産が無くなれば
儂は無一文だ。争える。争そおう。Bはこう決意した時に、
業界から褒章候補に推されたのです。

「業界に精通し、民の模範となる」黄綬褒章です。
生真面目なBにとっては身にあまる光栄です。不動産は
なくなっても又買うことは出来ます。勲章は今のチャンスを
失えば、もう手にする事は無いでしょう。何を犠牲にしても
勲章を貰うことを決意したのです。

勲章のお祝い事は方々で続きました。
Bは豪快と云うタイプでは有りません。全くの謹厳な小心、
生真面目なタイプです。天狗にはなりませんが、皆に勲章の
ことは誇りたいのです。そして其のたびに決意をしました。
「儂は今後この勲章の名を汚さないように生きて行くぞ。」
Bの行動の基本は此処から始まるようになって行ったのです。

さあこんな時敗訴して仮差までされたのです。裁判に負けたのです。
正しいと思っていた自分の信念がぐらつきました。こんな時に
仮差しのことが世間に解かれば立つ瀬がない。勲章に申し訳ない。
Bは勲章の名誉を守るために何か急に弱くなってしまったのです。

其の後の返済交渉は急に腰砕けとなりました。かって貸し手責任と
云って争った面影は急速に消えてしまったのです。

毎月20万を返済し、20年たったらその時に残債務に関して
協議をする。本件の担保として、今の仮差しの物件を
抵当権に切り替える。銀行との返済方法が和解になったのです。

此れも最初は毎月30万で金利を1.2%にする。
倅の社長を保証人にするなど銀行は笠にかかっていましたが
倅の社長が根気良く交渉した結果です。20年たっても支払い
総額は4800万、残債の3分の1です。会長は其の頃になると、
銀行は残債務を放棄し、担保も解除してくれるだろうと
甘い考えの和解でした。話が成立したのは平成15年の夏でした。

其れから5年近く経ちます。本人以外に黄綬褒章のことなど誰も
問題にして居りません。其れより、景気は全然良くなりません。
かえって悪くなって居ります。

Bも社長を倅に譲りました。
そして公私は別です。銀行の支払いは自分が払っています。
しかし会長ですからあてがい扶持を貰っておりますが、
息子は減額要請です。銀行の返済が苦しくなってきました。

今までは20年経ったら放棄して貰えると信じて居ましたが、
その後の調べでは、どうもその時は不動産は取られて、
残はサービサーに譲渡されて請求がありそうです。
つまり20年間払った金額は全て役に立ちません。其ればかりか
若し自分に何か会った場合は家族に迷惑も掛けそうです。

もう20万の返済をやめて、争いたいですが、体力や気力は
衰えているし、万一競売なれば勲章に傷が付きます。
こんな事を考えて居ると78歳のBはだんだん鬱症状が
現れてきたのです。

70才を過ぎて、思いがけず頂いた本人から見れば最高の勲章、
確かに栄誉でしたが当人が特に過大に受け取ったために、
この代償は非常に大きかったと思います。

倅の社長は親父の様子を見て、自分が知人と相談していろいろな
案を作り自分で銀行と交渉しようと思い立っています。
難しいかも知れないが不可能ではないと思います。

立派な額に入れてありますが、気のせいか勲章の
リボンの色が若干あせてきた気がして居ます。





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