「又か。」
眉を潜めても同じです。香港に居る彼に、日本の銀行からの呼出状です。
東京から新幹線で2時間の都市の第2地銀です。
「私は背一杯やっているのに。幾ら何でもひどいじゃあない。何で電話では駄目なんだ。
もう銀行に気を使う事は止めた。」
銀行は何時も呼び出しです。電話では有りません。相手が何処に居ようと構いません。
彼は今までは海外に居ても、子の呼び出しにはきちんと顔を出していました。
いつも近況は報告して居ます。保証人でなくても今は借入企業の責任者です。
しかし其の彼が、もう銀行と接触しないと決めた瞬間でした。
学生の頃から語学に堪能でした。在学中からイタリヤに留学していた事も有ります。
将来も日本では無い所に居を構える積もりでした。
そんな彼が日本である企業に就職したのです。
米国の日本の子会社でした。コンピューター関連の商品を作っていました。
米国の親会社の保証で、融資を受け、工場をつくり、当初は羽振りもよかったです。
しかし親会社は技術の進歩に追いつかず、間もなくもっと大きな会社に吸収されてしまいました。
その時に日本子会社は引き取らないという条件でした。
日本子会社は4億の借金を背負ったままほっぽり出されたのです。
商品は技術が古く、しかも在庫は山です。
そんな会社の社長になり手は有りません。
彼にお鉢が回ってきたのです。
この会社の銀行保証人は米国の親会社でした。
其の親会社は無くなってしまったのです。債権者の銀行は大慌て、彼に保証人になるように迫りましたが
なる筈が有りません。
彼は如才なく、「中国と云う有望な市場が有るから其処にプッシュして御迷惑を最小限に留める。」
と言って逃げ切ったのです。
事実彼はその後中国に常駐するくらい熱を上げ在庫の処分に勤めました。
当初は業績はよく、銀行返済はセーヴして、追加生産をしたほどです。
此の追加は失敗でした。
急に中国で売れなくなったのです。
ワンクラス上の製品が出回ったのです。
彼は駄目と読むと、直ちに工場は閉鎖、全従業員を解雇しました。
仕入先は決済しましたが、結局は銀行借り入れが残りました。
それでも、彼が社長就任の時は、4億有った借入が1億6000万に減っていたのですから、たいしたものです。
しかし銀行は彼だったら、残った在庫を処分して返済して呉れると期待した感があります。
保証人で無い彼の行動を全部管理するかのごとく、密着し始めたのです。
彼の人生計画は、シンガポールあたりに事務所を構え、得意の語学を操って商社をやる事でした。
それがために勉強しようと思っ事が、飛んだ大回りです。
若し此処で汚点を作って、自分の商社設立に悪影響が有れば困ると彼は懸命だったのです。
在庫は、中国の代理店に預かってもらう。日本の事務所は協同の連絡事務所に変えました。
彼は上海を常駐の場にして仮住まいも決めて居ます。考え付く事は全部やりました。
ところがこれが銀行の疑惑を招いたらしいです。
「売れたのでは無いか。其のお金が入って来ない。」
銀行は頻繁に彼を呼びつけるようになりました。
電話ではなく、書面で日本に呼びつけです。
一方彼は、売ったお金は自由になりましたが、彼は返済を重点に考えて居ました。
自由に自分の物にすれば相当な金額は残せた筈です。
まだ30代の独身男性。将来の夢は銀行も承知して居ます。
銀行は、そんな彼が売上を一人締めする心配もしたのでしょう。
連絡方法だけは、がっちりと掴んでいました。
最近彼は、今後の自分の仕事で10日くらい携帯の通じない地方に行ったことが有ります。
地銀はこの時に慌てて日本連絡所に呼び出しの手紙を送って居ます。
それも、時間に余裕に無い、銀行への呼び出しです。
東京からのFAXで其れを見た彼は考え込みました。
「私は保証人でもないが、会社の最後の社長として何処にも迷惑の掛けないように頑張ってきた。
しかし、最近の地銀と信金はどうも私がやるのが当然で、しかも信用出来ないと監視をして
居るような気がする。第一海外に居る者に、1週間のうちに、銀行に来いと云うのに、
従わなくてはならないだろうか。」
この時彼はもう会社の債務は忘れて自分のことに専心しようと云う気になったのです。
保証人で無いのに、保証人以上に尽くした男、銀行はこの男のやる気を失わせてしまったようです。
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眉を潜めても同じです。香港に居る彼に、日本の銀行からの呼出状です。
東京から新幹線で2時間の都市の第2地銀です。
「私は背一杯やっているのに。幾ら何でもひどいじゃあない。何で電話では駄目なんだ。
もう銀行に気を使う事は止めた。」
銀行は何時も呼び出しです。電話では有りません。相手が何処に居ようと構いません。
彼は今までは海外に居ても、子の呼び出しにはきちんと顔を出していました。
いつも近況は報告して居ます。保証人でなくても今は借入企業の責任者です。
しかし其の彼が、もう銀行と接触しないと決めた瞬間でした。
学生の頃から語学に堪能でした。在学中からイタリヤに留学していた事も有ります。
将来も日本では無い所に居を構える積もりでした。
そんな彼が日本である企業に就職したのです。
米国の日本の子会社でした。コンピューター関連の商品を作っていました。
米国の親会社の保証で、融資を受け、工場をつくり、当初は羽振りもよかったです。
しかし親会社は技術の進歩に追いつかず、間もなくもっと大きな会社に吸収されてしまいました。
その時に日本子会社は引き取らないという条件でした。
日本子会社は4億の借金を背負ったままほっぽり出されたのです。
商品は技術が古く、しかも在庫は山です。
そんな会社の社長になり手は有りません。
彼にお鉢が回ってきたのです。
この会社の銀行保証人は米国の親会社でした。
其の親会社は無くなってしまったのです。債権者の銀行は大慌て、彼に保証人になるように迫りましたが
なる筈が有りません。
彼は如才なく、「中国と云う有望な市場が有るから其処にプッシュして御迷惑を最小限に留める。」
と言って逃げ切ったのです。
事実彼はその後中国に常駐するくらい熱を上げ在庫の処分に勤めました。
当初は業績はよく、銀行返済はセーヴして、追加生産をしたほどです。
此の追加は失敗でした。
急に中国で売れなくなったのです。
ワンクラス上の製品が出回ったのです。
彼は駄目と読むと、直ちに工場は閉鎖、全従業員を解雇しました。
仕入先は決済しましたが、結局は銀行借り入れが残りました。
それでも、彼が社長就任の時は、4億有った借入が1億6000万に減っていたのですから、たいしたものです。
しかし銀行は彼だったら、残った在庫を処分して返済して呉れると期待した感があります。
保証人で無い彼の行動を全部管理するかのごとく、密着し始めたのです。
彼の人生計画は、シンガポールあたりに事務所を構え、得意の語学を操って商社をやる事でした。
それがために勉強しようと思っ事が、飛んだ大回りです。
若し此処で汚点を作って、自分の商社設立に悪影響が有れば困ると彼は懸命だったのです。
在庫は、中国の代理店に預かってもらう。日本の事務所は協同の連絡事務所に変えました。
彼は上海を常駐の場にして仮住まいも決めて居ます。考え付く事は全部やりました。
ところがこれが銀行の疑惑を招いたらしいです。
「売れたのでは無いか。其のお金が入って来ない。」
銀行は頻繁に彼を呼びつけるようになりました。
電話ではなく、書面で日本に呼びつけです。
一方彼は、売ったお金は自由になりましたが、彼は返済を重点に考えて居ました。
自由に自分の物にすれば相当な金額は残せた筈です。
まだ30代の独身男性。将来の夢は銀行も承知して居ます。
銀行は、そんな彼が売上を一人締めする心配もしたのでしょう。
連絡方法だけは、がっちりと掴んでいました。
最近彼は、今後の自分の仕事で10日くらい携帯の通じない地方に行ったことが有ります。
地銀はこの時に慌てて日本連絡所に呼び出しの手紙を送って居ます。
それも、時間に余裕に無い、銀行への呼び出しです。
東京からのFAXで其れを見た彼は考え込みました。
「私は保証人でもないが、会社の最後の社長として何処にも迷惑の掛けないように頑張ってきた。
しかし、最近の地銀と信金はどうも私がやるのが当然で、しかも信用出来ないと監視をして
居るような気がする。第一海外に居る者に、1週間のうちに、銀行に来いと云うのに、
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この時彼はもう会社の債務は忘れて自分のことに専心しようと云う気になったのです。
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