かっ飛ばせ借金 打ち勝て倒産

 
 ‐オグチ経営研究所‐

 ☆★自分でできる経営の再生と整理★☆

  

夜逃げと9件のサービサー

2008-01-31 | 事例
Kの手元には9件のサービサーからの催告書があります。
送られた用紙はタイトルもフォームもばらバラですが、
何れも請求書であることには間違いありません。

Kはこんなつもりでは有りませんでした。
平成13年、不渡りの出る前日の夜、Kは持ち物はただ一つ、
自慢の碁盤だけを持って、自宅と会社が同じビルから姿を
晦ませたのです。妻は前年に逝きましたし、二人の娘は
嫁いで居ります。心配する家族は居りません。
Kが何より恐れていたことは、不渡りで債権者に
吊るし上げを食うことです。特にプライドの高いKにとって、
債権者の前で頭を下げる事など、考えても出来ることでは有りません。
その結果、娘婿の一人が薦める夜逃げを選んだのです。残整理は、
その娘婿の紹介してくれたグループがうまく処理をしてくれる予定です。

Kの落ち着いた先は自宅から1キロくらいしか離れていない、
賃貸マンションです。
妻亡き後、付き合っていた同郷の女のところです。
女は一人でカラオケスナックを経営した居ります。
そこでひっそりと暮らしていたのです。
籍を公にしなくても健康保険を除いては何とかなります。
其の健康保険は区役所に行くと、超易い保険料で面倒を
見てもらえたのです。都会の雑騒はそんな男を飲み込んで
誰にも会わず、Kは碁と株で5年間を過ごしたのです。

5年過ぎました。
Kは二人の生活をもっときちんとしたものにしようと思い、
先ず今までの賃貸から分譲に変えることにしました。
5年立てば時効になるとも聞いています。
ですからもう、共有にしてもよいでしょうが、安全を
見て女の名義にしました。Kは其処の居候です。でも現住所を
正式に此処に移しました。もう住所を公にしても、個人情報の
保護も有るし、簡単には債権者にも解かるまいと思ったのです。

移って4ヶ月目、珍しく1通の手紙が届きました。
間違いなくK宛です。封筒の送り主はKも知りません。
此れが9件のサービサーの第1号でした。
「銀行から譲渡を受けました。このお支払いを相談したい。」
と云う内容です。放っておきましたら次に裁判所から訴状とか
言うものがついて、そして此方が敗訴したらしいです。
しかし差押は無く、請求書が毎月来るようになったのです。

其の頃から次から次にいろいろの書類が届くようになりました。
借入銀行は保証協会も含めると4行になります。
バブルの頃、個人でマンションを買いました。
銀行や生保から借りていました。其の関係のサービサーが3件。
もう1件は、カードを使いかけで姿を晦ませたためにカード代金。
キャッシングがあります。

やはり今でも住民票は幾らでも公開するのでしょうか。
個人情報を守れと叫びたくなりますがもう遅いです。
しかし何処も電話も無ければ尋ねても来ません。
勿論、K名義の電話は携帯しかありませんし、部屋も
一応家財差押を考えて1部屋借りたことにして居ます。
大切な碁盤とコンピューターだけは其の部屋に置いて居ません。
何も無いと云える典型的な部屋です。

9件のサービサーからの督促状にも変化が見られます。
1時毎月来た督促即状も、今も続いているサービサーは、
3件しかありませせん。みんな、おろぬいてきました。
中には未だ2回しか来ないところも2件有ります。
しかも、気がつくと殆どが単に請求金額を知らせるだけでなく、
「幾らで和解をしましょう。」と和解額を書いています。
其の額もばらばらです。50万から200万までです。

最初1件来てたちまち9件になった時はどうしようかと
少しおろおろしましたがどうも無いと解かると平気にはなりました。
しかし気持ちは悪いです。自己破産をすればもう同時破産が
出来て簡単でしょうが、Kは破産と云う言葉が大嫌いです。
万一、その時に債権者とばったり会ったらと考えるとそれだけで
体に虫唾が走ります。そのくらいならば、もう1度夜逃げをします。

もう時効になって居るだろう。そうも思います。
しかし公示送達と云う方法で訴訟など行われて居ないかなど、
余分なことが頭に浮かび、時効の援用にも躊躇します。

破産は嫌だ。時効になって居るか解からない。
和解するにも9件分のお金は無い。
相手が諦めるまで我慢することも辛い。何のために5年間も、
世間から消えていたのか。Kには誰にと云うことなく怒りが
巻き起こってきます。

夜逃げは兎も角、債権の処理と云う事については、
現実にはKのような人がが多いのではないでしょうか。





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強情と打算

2008-01-28 | 事例
Mがパーキンソン病と診断されたのは、通院を始めて3年目です。
6年前に交通事故を起しています。震えがきたり、動作が、
ぎごち無くなって行くのは事故の後遺症と思っていたのが
漸く本当の原因が見つかったのです。

古い田舎町、Mの店は銀座通りと云われる町の中心に有りました。
しかし人の流れは次第に駅前通りに奪われたのです。
かっては町で唯一の化粧品専門店でした。
Mの奥さんは顧客の一人ひとりに化粧品処方箋と
云うべき記録を作り、この辺りでは信頼された美容相談者でした。

駅前通りには大きなスーパーも2軒進出して居ります。
化粧品も専門のフロアを設け、絶えずマネキンが来て
美容相談もやっています。Mの店は衰退の一途でした。
交通事故を起したのはそんな最中の事でした。

Mが交通事故を起し、歩行が若干不自由になった時、
兄弟や知人は今の場所で今の商売を続けることを反対しました。
銀座通りの商店街は老舗が多く、皆が一国一城の主で、
纏ままってお客を呼ぶことなど難しい地区でもあったのです。
駅前通りに移るか、スーパーに出店するか、または思い切って
廃業はどうかと云う意見ばかりでです。生活の仕事くらいは、
周囲で面倒見て呉れます。

しかしMはこうした忠告を一切聞き入れませんでした。
「お化粧と云う事は廃れることは無い。如何にスーパーで
売ろうが私ほど顧客の事に忠実ではない。私の持っている
処方箋が必ず生きる日が来る筈だ。ましては此処はこの町の
一等地だ。復活しない事はない。」
アドバイスした人たちは、首をかしげながらも、信念を
持って仕事にぶっつかってて居るMの態度に感心したものです。

しかし売上は落ちる一方です。
仕入れ代金の決済にも滞るようになりました。メーカーは、
少しでも代金の入金がなければ直ちに出荷停止です。
最初は銀行も貸してくれました。
しかし担保に余裕が無くなり、しかも実体はここ数年黒字は、
無かったと知るとさすがに融資お断りです。

陳列棚も違ってきました。支払いに余裕のある商品ばかりになり、
売れ筋の商品は姿を消しました。
こうなりだした頃、人のアドバイスを聞いて店を整理し、
駅前と売りに移るか転職をすれば未だよかったのですが、
Mは強情を張って、今までの商売を続けたのです。
他所で成功している弟がお金を貸したらしいですが、
溝に棄てるのと同じ結果になって居ます。

ついに銀行は古くから付き合っていた、
老舗の家を競売することになりました。

Mを知っている人たちは言いました。
「Mさんも強情やな。信念を持って貫き通そうとする
姿勢は感心するが、此処まで来ればあほやな。」

Mは違った考えを持っていました。
彼は信念を持って今の場所で商売を続けたのではありません。
内心小心なMは、今更商売変えや他の店舗を移すことなど、
先が約束されないことは怖くて出来なかっただけです。
其れを周囲に気取られまいと、平然とした態度を
取っていたのに過ぎません。

弟二人は他の土地で成功して居ます。しかしお墓は祖先からの
お墓に一緒にと兄弟で話し合っています。仮にこの家が
売られそうになっても弟たちが買い戻すに決まっている。
買い戻しても自分では住めないからMが無償で住むことになるだろう。
と読んでいるのです。競売開始になってからも、Mは平然として
今までの仕事を続けています。

Mの今までの行動は信念による強情で無くて、
小心者の打算だったのです。

そんなMも、今、奥さんが分かれようかと迷っていることは
未だ知りません。





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今頃何故?

2008-01-26 | 事例
電話の相手は、返済を止めたM銀行でした。

ビジネスローンが払えなくなって、1年間、
金利だけに減額をお願いに行ったのは昨年8月でした。

酷かったです。それから1ヶ月以上梨の礫でした。
その間に返済日も回ってきました。其の返済も、今まで通りの
正常な返済が出来ませんから、申し入れた金利だけを振込ました。
暫くたってからです。突如回収も委託を受けて居ると云う
サービサーから電話がありました。

「今金利だけの返済は銀行として認められません。
返済期間5年を7年に延ばすことが最大の可能な範囲です。
でも金利は6.5%にして頂きます。此れが無理ならば当方は、
この債権を別のサービサーに譲渡するより方法はありません。」
話し合う余地の無い冷たい返事のように聞き取れました。

他の通常の銀行借入は全てリスケを認めて頂きました。
ビジネスローンももう1軒あったのですが、そこは当初は
盛んにM銀行のことを気にして居ましたが結局は認めて頂きました。

M銀行の話は常識では考えられません。
今までの月20万の金利が30万位なります。
しかも返済の総額は、120万から90万に減るだけです。
此れで、資金に困って居る企業に力を貸してくれているのでしょうか。

でもその時は、そんな条件的な事ではなく、銀行の要求する
月90万の資金の調達が不可能でした。やむなく金利も払わず、
サービサーに譲渡される事を覚悟したのです。

以外に早く10月末、期限の利益の喪失を明記した
督促状が送られてきました。

それから3ヶ月近く何もありません。
其れが今日急に委託してあるサービサーでなくて、
借りた銀行から電話があったのです。

「返済をする意志が有りますか。あるのでしたら、金額の高は
言いませんから、幾らでもよいから払って頂けませんか。当方も
一旦期限の利益を失った事に対しては、取り消しが出来ませんが、
其の返済金を元金に戻し入れ、貴方の誠意を汲まさせて頂きます。」

何か解かったような解からない話です。
市況はリスケをお願いに行ったときより遥かに悪くなって居ます。
当方もできる努力は全て行い、他の銀行の返済は続けて居ります。
それで経営も固まっていますから、今更他に返済を求められても
出来る余地がありません。

「20万、30万がご無理ならばせめて月5万でも返済してください。」
担当者は懸命です。
しかし月5万づつならば、元金だけの完済でも100年かかります。
そんなこと銀行がやる道理が有りません。

次のサービサーに譲渡する時、
「此処はこの通り払っている回収可能な会社です。」
と譲渡価格を吊り上げるための手段でしょうか

返せるか、返せるならば幾ら返せるか返事を求められています。
「借りたお金は、返すのが借りた者の義務です。
其れは忘れても居ません。痛切に思っています。しかし現在返せる
資金がありません。もう暫くお待ち願いえないでしょうか。
返せる硫黄になりましたら、必ず私の方から返済にお伺いします。」
此れが現在考えて居る返事です。

3月の決算は間近です。
この返事によって違う処理を取るのでしょうか。

それにしても「今頃何故?」と言いたくなります。
幾ら貸した者でもいろいろ憶測の出来る身勝手な質問と思います。





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決断

2008-01-23 | 事例
M鉄鋼の専務が辞めたと云う噂が流れた時、知っている人は
みな一様に「此れでM鉄鋼も終わりか。」と噂したものです。
「いや専務は辞めたのでなく、若い社長に辞めさせられたんだ。」
と知ったかぶりに云う人も居ます。ことの真相は兎も角、M鉄鋼に
於いては社の内外を問わず専務の存在は大きかったのです。

全部で14名の鉄鋼部品メーカーのM鉄鋼。今は月商も3000万内外です。
このうち、専務は一人で1000万以上の注文を取って居ます。
専務が居なければ、その注文が無くなることも予想できます。
専務は自分の存在感を注文と云う実績で示しておりました。

しかしながら、会社は赤字の連続でした。
社長はリストラもし、資金の潤滑を計るべくリスケも
しなければと考えて居ります。しかし、先代の時から
この会社に居る専務は反対です。「そんな恥ずかしい事、
M鉄鋼が出来るか。資金が不足ならば儂が売上で作ってやる。」
と云うわけです。しかし専務が無理をして売ると云う事は、
それだけ粗利が少なくなり、赤字は増え、結果として、資金の
不足が悪循環となって増えて居ました。

手形は一切ありませんから、赤字は即資金に影響します。専務が
嫌っていたリスケも、いまや金利だけの返済も増えて居ります。
社長はノンバンクからは借りて居りませんが、親戚知人まで
借り歩いております。結束の固い同郷人だからみんな心配を
して貸して呉れましたが、其れとて限度があります。

母親に又無心に行った時です。
「此れしかないのよ。もう此れが最後ですよ。
今まで何回も借りに来て居るが、少しは役に立っているの。
このお金最後だから、自分の思う通りに使ってね。人に
遠慮する事無いのよ。若し失敗したら潔く、世間様に手を
突いて謝る事よ。」
何かMの心に引っ掛かったみたいです。

社長と専務が大激論をしたらしいのは、それから
暫くたってからです。社員の帰社後ですから誰も
聞いては居りません。翌朝、専務の姿が見えず、社長から
「急ですが専務は暫く休みます。」と発表がありました。
そして直ぐに関係者を集めて、
「専務が急に長欠することになりました。そのことについて。」
と会議が持たれたのです。

社長はある程度正直に話して居ります。
このままで行けば、皆さんの給料も2ヵ月後くらいから、
まともに払えなくなること。会社はどうやりくりしても
4ヶ月とは資金が持たないこと。しかし、一方4ヶ月有ると
云う事は其の間に、立て直しをすれが大丈夫と云う事ででもある。
専務が居なくなって心淋しいかも知れないが、逆に今までのように
何もかも上から指示されるのでなく、自分で自分の思うとおりに
出来ると云う事でもある。皆が一丸となれば何でもできると思います。
皆さん、頑張って立て直しをしましょう。
社員の目の色が違ってきました。

社長が先ず動いたのは、今までの専務の得意先を
回ることです。特に1軒逆ザヤのところは切っても
止むを得ないと腹を決めています。幸い専務の出した
価格は、通常ではありえない無理の価格の事を承知して
居ますから、何処もそう揉めることなく、又専務のことで
質問も無く、社長の希望に近いところに落ち着きました。
中には新体制でやるんだなと、ご祝儀の注文を呉れる
ところすらありました。

金融関係は慇懃無礼の態度で回っています。
基本は3ヶ月金利すら払えないという線です。
仕入先も締め25日の現金払いを4ヶ月だけ半分を
更に1ケ月繰り延べにして居ます。

ただ此処で全員が力付けられたのは、専務のように
傑出した一人が居なくなっても其の後さえしっかりやれば、
殆ど影響なく乗り切れると云うことです。逆に全員に
やる気が出て会社とすれば大きなプラスと云うことです。
それに専務一人が退社すれば、従業員3名をリストラしたと
同じ効果です。世間は其の会社の一人でなく、全体の動向を
見ているのです。

もう2ヶ月半を過ぎています。
今のところ黒字になってきましたが、金融機関と仕入先の
約束が出来るかどうか難しいところです。

お金を借りた親戚知人と社員のことを考えると
会社は絶対に潰せません。社長の決断する態度は、
ますます要求されると思います。





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やっぱり人です

2008-01-20 | 事例
タイル工事をして居るYは父親から今朝、
「週末の手形がどうしても決済できない。会社は倒産する。」
と聞かされました。

職人8名のタイル工事としては中規模な会社です。
年々減って行くタイル工事ですから、競争は物すごく
激化して居ますが、Yタイルの評判は良く、頑張っています。
第1線で指示をして居るYには手形が落ちないなんて夢にも
思って居ませんでした。

10年位前、バブルで値上がりした土地もぐんと下がりました。
その時に父親は近くに駐車場と物置になる土地を買いました。
此れが命取りになっていたのです。景気は更に悪化。競争は
薄利にとなり、業績はどんどん落ち込んだのです。資金繰りを
していた父親も、もうどうしようもなく、不渡りを覚悟したのです。

Yは経理や資金のことなど何も解かりません。大学の時応援部から
いきなり父親の仕事を手伝い出したのですから、少し変り種と
云えましょう。しかし、人の面倒見は実に良く、若い職人達の
格好の相談相手です。中堅ゼネコン2軒が大きな得意先です。
一旦引き受けると施行・納期安心して任せられます。しかも同じ
工事仲間から評判の良いYを、ことさら信用していたみたいです。

ただ、おろおろする父親を引っ張って弁護士のところに
駆け込みました。弁護士の言う事はYの意とは大きく違いました。
「自己破産しか方法はない。費用は不動産も二つあるから
300万くらい掛かる。」と云う事です。
何よりYが承知出来なかったのは、
「下職や職人の賃金は売掛から真っ先に回したい。」
と云うYの意見が無理だと言うのです。
「全部の負債額が決まった後です。其れも職人は給料で
優先債権になりますが、下職は一般取引と同じに見られるから
Yの希望とおりにおは難しい。」
と云う事です。

Yは直ぐ其の足で友達が紹介してくれたGに相談に行ったのです。

「第2会社で行きましょう。Yタイルを止めて別の会社を作ります。
其の別会社とゼネコンとが取引できれば何とかなりますよ。」
Yの顔色が少し生き返るました。
「大丈夫です。多分私がお願いすれば口座は作ってくれるでしょう。
駄目だと言っても、私は一生懸命口説きますよ。」自信有り気です。
「若し此れが出来ると後は債務処理だけです。銀行は放って
於いても2回不渡りを発生するまでは動きませんよ。
先ず取り引き先を説得することが先決です。」
意外に仕入れ先は少なく、全部で9軒しかありません。
ただ大手のI陶器が入って居ます。ここの意向次第では
材料が入らなくなります。
 
GもYの熱意に負けて夢中になって説明しました。
3時間くらいYはメモも取らず瞬きさえ忘れたように
Gの話を聞いたのです。

次の日からYの奮戦が始まりました。
Gが驚いたのが難の抵抗もなくゼネコン2軒とも仮口座を
作ってくれたことです。それどころかいろいろアドバイスすら
与えております。
「何時も飲んだりしているの。」Gの質問に首を横に振ります。
「私飲めそうに見えても飲めないのです。但し仕事については
一言でも文句を言われたら終わりだと云うくらいの気持ちで
やって来ました。」言うのです。

続いて債権者会議です。仕入先だけです。
此れも難なく終わりました。
心配したI陶器は「今までの積立で殆ど見合って居ますから、
債務の件は心配しなくて良い。今後の取引は直では出来ませんが、
ある会社を経由して今までと同じ条件で出来るようにしましたから。」
と先ず解決です。他の仕入先も「息子の専務が頭をさげたからには。」
と残額を殆ど放棄、若干の配当で承諾してくれたのです。

後一番大きい銀行債務が残って居りますが、此方は担保さえ
手放す覚悟がついていれば何も問題ありません。あとは如何に
手放すかの方法だけです。

「切れる」と言うタイプでは有りません。
「豪肝細心」とも言うべきでしょうか。
このYタイルの整理にYが主役で有った事は事実です。

しかしYはそんなこと思っては居ないでしょう。
目先に起こったやらねばならない事。其れを初めてだ、
知らないなんて言わなく夢中で取り組んだだけでしょう。

お金が無くても、経験が無くても人さえ信頼されていれば、
何でも恐れる事は無いんだ。
Gは自分に言い聞かせています。





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気力

2008-01-17 | 事例
Nの会社が何故今も続いているか不思議です。
不渡りを出したのが平成13年10月のことです。
3行の銀行に12億、仕入先に3億の負債でした。1億2000万の
国税の差押もありました。40名の会社で5000万以上の月商が
落ちたとは言え、4000万近くありました。

しかしこの会社は法的整理も、又外部に対しても私的整理で
けじめをつけず、今日、35名の従業員で3000万の月商で、
未だ会社を続けております。国税を含め、ありとあらゆる方法で
取り立てを蒙って居ります。社長一人が満身創痍になりながら、
社長の気力だけで今も続いております。

社長の心を一貫して支えて居るものは
「会社を潰してはいけない。」と云う気持ちからです。
何故と理由を聞かれても困ります。理論めいた理由などありません。
「家族は娘婿まで含めて、全員がこの仕事に従事しているから。」
「従業員も他にパート先も無く、失業保険も入って居ない為、
直ちに困るから。」等理由を挙げますかが決定打はありません。
文句なしに「潰してはならない。」と云う一種の信仰からです。

不渡りの半年前に知り合ったGは法的整理は反対です。
しかし仕入先に対しては債権者会議を開いて、こうなった説明と、
今後の協力をお願いしよう。と喋る原稿まで書いて呉れました。
Nもお金が掛かる法的整理は反対です。民事再生は否認されて、
自己破産までもっていかれそうな気もします。しかし自分でする
債権者会議も一寸怖いです。配当などありゃしない。
若しみんなして詰め寄ってくればと考えると、怖さ倍増です。

結局は「債権者会議に時に」とGが書いた原稿を
アレンジして、債権者全員に不渡り前に配布しました。
内容は飾らず、嘘は言って居りません。其の効き目か、
かねてから噂があったせいか、Nが不渡りを出しても、
何処も直ぐに会社社まで乗り込んでくる業者は居ませんでした。

この事が其の後のNを決定付けました。
「まずいことでも本当のことを、相手が知りたい時、
言えば何とか窮地も乗り越え ることは出来る。」
そんな処世訓を持ったみたいです。

勿論債権者会議を開き、もっと詳しく説明を期待していた
業者も少なくありません。Nはそうしたところは1軒づつ回って、
丁寧に説明して居ります。それで結局は債権者会議もせず、
仕入先を押さえてしまったのです。それどころか引き続いて
材料を入れる処まで約束させたのです。

一方、銀行にはつっけんどんでした。
3行の銀行は一斉に担保の競売です。9軒の地主の
借地に立てた自宅兼工場を除いては競売で直ぐに
手放しました。今まで使っておらず、収益も上げて
いない物件ですから惜しくもありません。
肝心の自宅兼工場は入り組んだ借地に立っている
消防法違反の駄々広い建物ですから簡単に売れません。
案の上、最初の6500万の最低価格の時は売れませんでした。
2回目の競売は基準価格として2800万、売却可能価格で
2240万と言う易さになりました。この時は、此れでは
チョッピリ危ないという気持ちから、3000万、5年払いで
和解に漕ぎ付け、ほっとしたものです。

やれ此れで商売に専心できると思って居たら、今度は国税の
取り立てです。全て合わせて滞納額は1億1000万らしいです。
毎月20万で何とかお願いしました。但しその間、実害は
ありませんが、3回ほど差押も食っています。

取り立てばかりでは有りません。特に19年度は食品で
いろいろな問題が新聞紙上を騒がしたためか、保健所の
検査が厳しかったのです。これだけは逆らえません。
言うことを聞かないと営業が出来ません。

こんな緊張の日々が6年間も続くと、さすがに体にも響き、
昨年は1ヶ月の入院、心臓を傷めて今では身障者障害手帳を
持つようになりました。それでも会社は続いております。

「市況は悪いね。今年になっての悪さは、
今までの中でも群を抜いているよ。」
もう7年以上の付き合いですがNの弱音を聞いた事がありません。
普通の人ならば当に会社を続けていることは出来無いでしょう。
しかし今年は年初から珍しくNの泣き言を聞来ました。

今年の悪さは気丈なNの気力を虐げています。





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争い好き

2008-01-15 | 事例
AはYを訴えております。
内容はAがYに譲渡したY工業の株券の代金、1億円のうちの
未払い分8000万円を払いなさいと言う訴えです。

AとYとは余り仲も良くありませんが、双方とも父親の頃は
結構仲がよかった見たいです。其の所為か、何故かA織機の
決算書にはY工業の株式が400株、額面の3倍の価格の6000万で
資産として計上されて居ります。何かの時、Aの父親が買ったか、
またはYの父親に依頼されて買ったものでしょう。配当は1度も
ありませんが、株主総会の案内など良く届いて居ります。

最近はもう銀行も融資をしてくれませんから、Aはこの株を
Yに買い戻して欲しいのです。第一配当も無く、何の恩典も
無い株式など額面の2000万でもお金に変われば儲け物です。
しかし高ければ高いほど良い事は辺り前です。
一方Yも、そろそろ隠居をしよう。3人の子供たちに実権を
譲ろうと思っていましたから、Aの持つ株が欲しくなりました。
二人の間で取引が発生したのです。

問題は此処です。受け渡し日・単価・支払い方法などを
細かく決めてからの異動ならばよいですが其処は町の有力者同士。
はっきりと決めないうちにYは一応Aに断り自社の株主名簿を
書き換え、それに基づいて株主総会も開き新役員も決めたのです。

一方では売買ですから、値段を決めて決済が必要です。
しかし互いに腹の探りあいで自分の言い値を明らかにしません。
Aは額面は2000万でも簿価は6000万です。最近もY工業は景気は
よいと聞いていますから、この際できるだけ儲けてやろう、
1億と言ってもおかしくないと、一人胸算用です。
Yの方は最近は業績も落ち込み勝ちで、良く引き取っても
額面の2000万までと思い、2000万だけは直ぐに振込ましたが、
後は梨の礫です。

Aの弁護士はひどい人です。Aに発破を掛けます。
「Aさん。此れは争いましょう。絶対に勝てますよ。
そりゃ譲渡契約など一切ありませんが、Aさんは相手に 
「今は業績もよいからこの株の評価も大分上がっているでしょう。
私の株も1億くらいになって居るかな。」とYに言ったのは
価格は1億と云うことです。負ける筈がありません。
私がやってあげましょう。」
とそれなりきの着手金です。

しかしYは次のことから簡単に負けないと思って居ます。
「あの時Aが1億はしそうと言うから、
わしは直ぐに、店頭株になっても額面でも
動かない株になりそうと打ち消しておいた。」

話がおかしいならば取引を全て元に戻せば
よさそうなものですが、そうすると両方とも困ります。
Aには既に使ってしまった2000万円を返済する力はありません。
Yの方は役員人事が、全て元の木阿弥になり、此れがきっかけで
Aが役員を要求してくれば、折角の会社にひびが入ります。
と云って1億も、お金もありません。簿価の6000万すら出来ません。

何故か、弁護士が訴訟に踏み切るまでに1年かかっております。
訴訟になっても時間ばかり要して居ります。1年くらいたって
裁判所の命で譲渡された株の価値が出ました。3500万です。
裁判所の和解勧告が有りました。

Yも少し折れてこの話は4000万で和解になりました。

此処でAに変化が見られるようになったのです。
1億が4,000万にはなりましたが、元々腹の中は2000万で
換金できれば上出来と考えて居たAです。少し高く吹っかけ、
訴訟になれば自分が思っていた倍のお金が入ってきたのです。
しかも其れは裁判所が査定した時価より高い額です。
訴訟こんな良い事、今後利用しない手はない、そう気付いたのです。

例の弁護士と組んで訴訟ラッシュです。
青汁の共同開発で失敗すると直ぐに共同者を損害賠償で訴えたり、
納期遅延を口実に、大幅値引きだけでなく、逆に損害金を
取ろうとしたり、普通の人から見れば言い掛かりもよいところです。
銀行相手に貸し渋りに依る損害賠償を訴えようとしたらしいですが、
此れは弁護士が同業者から忠告されて止めたとも聞きました。

間もなくAは、裁判にも勝てず、商売も誰もが協力を
しなくなったのです。夫婦は離婚し、息子とも別れて
一人で生活を余儀無くされています。其の家も競売で
立ち退かねばならなくなりました。

そんなAの状況、又の機会にご紹介します。





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泳がす

2008-01-13 | 事例
Lは不気味でたまりません。
2年前に7億の債権がサービサーに譲渡されました。
「お会いして今後のことを相談したいですが。」
当初2度会ったばかりで、その後何の話し合いも無く訴状を
起して債務名義を取っています。そして其れ以後は電話すら
ありません。何故2年間も、何も言って来ないだろうかと
疑問と云うより不気味です。

年商は12億くらいでしたが、銀行債務は18億ありました。
仕入先には迷惑をかけずに、営業面は別会社に切り替えました。
銀行債務も当初は6行ありましたが、何れもサービサーに
譲渡されて今残っているのは2行です。一行は遠い九州の
土地が担保で其のの売却に手間取っていました。
漸く売却が済んだから解決も間近いでしょう。

但し残るメイン銀行はさんざん揉めました。
保証人では無い息子の土地を売って弁済もしましたが、
銀行は承知しません。折も悪く、祖父が他界しましたが、
相続人だと云う理由で生命保険すら仮差しをして来ました。
普通ならば売掛金も差押えられるでしょうが、2年ほど前から
仕入先の代表者に 売掛金譲渡の登記をしてあります。
その所為か売掛金は大丈夫でした。

揉めに揉めてから漸くサービサーに譲渡されたのです。
2度目に合ったときサービサーは言いました。
「和解をお望みならば6000万で手を打ちましょう。
それ以下は当方も元が掛かっており出来かねます。」
言葉の裏に何が何でも取ってやろうと云うサービサーの
思惑を感じたのです。

2会社を作って、そっくり部下に預けています。
自分は役員にもなって居りません。裏で若干手伝って
居るものの、表面に出れない物足りなさがあります。
1日も早く先頭に立って働きたいのです。
「先ずこのサービサーを最初に片つけて。」
Lの思惑は外れました。この不気味のサービサーは何を
やってくるか解からず、ひたすら耐えて2年間、表面にも
立たずやって来たのです。

和解したサービサーの中にやはり1年くらい放って置かれた
サービサーがあります。和解の時に、何故もっと早く交渉を
済まさなかったかと不審がるLにサービサーの部長は説明して
くれました。
「私どもは払うべき資産も収入も無い人から無理やり
回収しようなんて思っておりません。しかし、倒産した
人たちの中には何千万、あるいは億以上の資産を隠して居て、
そのくせ払えないと云っている人が少なくありません。
私殿も探偵では有りませんから、そんな実証を直ちに
挙げる事は出来ませんが、時間が経つと、必ず債務者も
隠し切れずにボロを出し手来ます。其の見極めが出来るまで、
何もせず放っておくことが我々回収をする者のコツです。」

泳がして隙を見せれば襲い掛かる、此れがサービサーの
戦法だったのです。

Lにはこの言葉が強烈に焼きついています。Lには資産など
何もも無いから、其れをどう突かれ様が大丈夫です。
しかし第2会社の事は全く債権者には内緒で作ってきました。
今でも社名は違うし、場所も違う、役員も違う、同じ会社とは
思われませんが社名はある程度似て居ます。
其れと働いている人が前の会社のメンバーで仕入れ先・得意先に
ついては全く同じです。Lが其処に帰り咲けば、直ちに今までの
Lの計画は解かってしまいます。
 
第2会社のことで詐害行為になることは殆どないとは聞いていますが、
けちを付けて若し裁判沙汰などになれば負ける可能性が充分です。
そうで無くても、若しLがこの会社に勤務していることが解かれば
給料の差押など直ぐのことです。Lが此処の代表者に返り咲いたと
わかれば6000万の和解はともかくとして、相当多額な和解金で無いと
和解は不可能でしょう。

しかしLは自分が復帰せねばならなくなってきたのを自覚して居ます。
あれから2年、Lは第1線を離れています。得意先に対しても、仕事に
対しても此れ以上離れて居れば、使い者にならないでしょう。
それに第2会社の社長にした人間が大政奉還が近いと思って仕事に
精を出さなくなってきたのです。社内がたるみつつあるのもわかります。
社員の中にはLの復帰を1日も早くと望んでいる人も少なくありません。

Lはサービサーに泳がせられていると自覚して居ります。
しかし正直、2年も何も無ければ其の緊張感も正直少なくなって
居ります。一方では怖く不気味ですが、ついに第2会社に復帰を
決めました。株主総会まで直ぐです。

さてその後、サービサーはどんな責め方をしてくるのでしょうか。





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お人好し

2008-01-10 | 事例
「Gさん。こんな書類が不意に来ましたが放っておけばよいですね。」
FAXとともにのんびりしたKの声です。
サービサーから今後の返済について相談したい。
と至急に連絡を求めた書類です。

10年ほど前に発生した貸し渋り、多くの企業が倒産しましたが、
Kも其の一人です。
「基本的にはそれでよいですが、あの金は大丈夫?」
「あの金って、例のお金ならば、もう全然残っていませんよ。
文字とおりの一文無しです。」

Kの会社は毎月の家賃が350万あがるマンションを
持って居たのです。会社が家賃の上がり以外は返済が
出来なくなると解かった時、Gは会社の整理を薦めました。
その時に、気乗りしないKに発破を掛けて、家賃を返済に
回す事もやめよう。と決めたのです。5ヶ月分くらいは
差押を免れるだろう。2000万あれば今後何をやるのでも役に立つ、
そんな判断でした。ところが銀行は競売にするのでもなく、
サービサーに譲渡するのでもなく、2年間家賃は懐に入りました。
2年後、ある大手のサービサーに担保付で譲渡されるまで
続いたのです。さすが天下のM銀行だ。こんなことでよいのかなと
半ば喜びながら訝ったのを覚えています。7000万は間違いなく
手元に残りました。

その間に、長男が代表者の第2会社は順調にすべり出しています。
自宅も長男名義になって居ます。もう1行の銀行は早くに
サービサーに譲渡、債務名義を取られ、自宅周囲の銀行を
2度にわたって差押されましたが、空振り、結局40万で和解をました。
残は担保付のサービサーと保証協会だけです。其のサービサーも
マンションを売却するとNサービサーに再譲渡したのです。

「7000万からのお金、そんなに簡単に何処かに行く筈が
ありませんよ。一体何に使ったの。」
「一つは自宅の買戻しです。Gさんにも長男が嫁の実家から借りて
買ったと説明しましたが代金の1,500万は裏から私が出しています。」
「解かった。其れはよいが未だ5500万は残っている筈だね。其れは?」
「保証協会に全部払ったのです。」
確かに見せてくれた保証協会の請求明細は其の頃7000万近くも
残が減っています。

「何でこんなに払ったの。和解したサービサーの時にも
言ったでしょう。自分の老後を大切にしなさいと。もうKさんには
何処からもお金は入らないですよ。こんなことになるならば、
あの時も無償でなく、私も若干相談料を頂ければよかった。」
「でもね。借金を抱えているより、払えるお金があれば払った方が
気も休まるでしょうと保証協会からも何回も言われました。」

馬鹿野郎と怒鳴りたくなります。
元々、Kは人を疑うことを知らず、其の言葉を信じる方です。
見知らぬ遠いサービサーにはお金が無いよと断ることが出来ても、
同じなまりの地元の保証協会の人には嘘が言えず、つい家賃を
貯めたお金があると言ってしまったらしいです。そうしたら
何時からとか月額幾らとか聞かれて結局全部取られたと言う
子供みたいな話です。

「本当にもう全然ないんです。だから何を言われても平気です。」

「一寸待てよ。自宅はどうなって居るの。相手は手強い
Nサービサーだよ。まごまごすると自宅のケチを付けられて
取られる恐れもあるよ。」

「まさか。自宅は銀行と保証協会がともに納得した処理ですよ。」

「それでも危ない。」

Gは、Mサービサーのあくどさは身に浸みて知って居ます。
税務署も銀行も認めた診療報酬の譲渡にケチをつけ、譲渡された
老人に返還請求を起し、老人から550万取った例を知って居ます。
不動産の買戻し契約は差押が出来ますと云って、値上がり分を請求し、
結局事業年金を解約させて相当額回収した例も知っています。
他のサービサーではやらないような差押をして居ることは、
数多く其の例を知っています。何れも裁判所と聞けば震え上がる
婦女子や老人の時に効果を挙げています。

今の家、確かに息子の名義になって居ます。
しかし実体はKが裏から出したものであり、誰もが認める
エビデンスはありません。勿論毎月家賃も払ったことはありません。
手馴れたNサービサーがみれば、直ちに訴訟のネタを探し出すでしょう。

幾ら言ってもKは平気です。
銀行や保証協会が認めた売買をNサービサーがけちを
付けるはずが無い信じています。若し有ったとしても、
元々は借りたお金だ。相手に支払うべき家賃だった筈だ。
取られても仕方無いと思う。と云う訳です。

話は違いますが、最近保証協会からも、又請求を受けているらしいです。
あれだけ払えた人が其れ以上払えないなんて筈が無い。
返済方法は相談に載るから払ってもらえないか。と云うことだそうです。

Kはこれも若干でも応じないとまずいと思って居ます。
この分ならば本当にKは自宅を失うかも知れません。





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零細企業の方の勉強会

2008-01-10 | 事例
藤原義塾の1月の勉強会は、1月18日(金)です。

詳しくは、ホームページでご確認下さい。

http://www4.ocn.ne.jp/~aoymfcq/





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