かっ飛ばせ借金 打ち勝て倒産

 
 ‐オグチ経営研究所‐

 ☆★自分でできる経営の再生と整理★☆

  

相続した人、保証のある人

2008-04-30 | 事例
ドキッとしました。
後、半年、来ない事を祈っていた書類が届いたのです。

早くから、妻に先立たれた父は、二人の姉妹を残して他界しました。
収益物件など資産はありましたが、全て借金の上の資産でした。
其の1部の負債に、かって、成人したばかりの私が、保証を
させられて居たと、後日知りました。父が亡くなった時は、
私は結婚して家を出ており、妹は独身で家に居ました。
私と違っておきゃんな妹は、父の秘書と出来ていた様子です。

「借金の方が資産より多い場合は、相続を放棄した方が良い。」
こう聞いて居た私は相続を全部放棄しました。
妹は其れを見て、全部を相続したのです。どうせ取られる資産でも、
取られるまでは賃料など入ってくる。先ず其れを自分が頂きましょう。
最後の残債が残っても払わなければ平気でしょう。
どうも秘書から植えつけられた考えらしいです。

私の放棄は誤算でした。相続を放棄しても、保証して居ると、
保証分は弁済をしなければならないとのことです。
ですから保証をして居る場合は相続放棄は馬鹿ばかしい限りだそうです。
訪問してきた銀行員に教わりました。

つまり私の場合、相続放棄をしても、しなくても、債務は残ります。
其れならば資産の半分貰える相続をした方が遥かに良かったのです。
妹にまだ3ヶ月経って居ないから、相続を元に戻すか、または資産の
1部を私に管理させてくださいと頼みましたが、妹はもう書類は
出してしまったからと冷たいものです。

私はそれから債務に終われました。
賃貸アパート2棟、それに自宅は土地だけが私名義でした。
結局は全てを手放しております。

自宅の土地は夫が買い戻しました。
保証債務は1億円くらい残ったでしょうか。
自宅を手放したとき、銀行の人が、「此れでもう銀行は請求には
きませんよ。奥様が宝くじに当たったり、急に不動産が手に入った
ときなどは解かりませんが。」と云ったのを覚えています。

一方、妹も大変だったようです。
「賃料を手にしよう。あわよくば不動産も守りぬこう。」
なんて考えるのは全くの素人でした。
アパートなどは強制管理と云う方法で、家賃は完全に
吸い上げられたらしいです。引っ越した住居に、家財の差押まで
あったと云っています。たまに会うと、意気は高く、銀行の
悪口ばかり云っていました。

そんな頃、夫が急死したのです。
夫の名義の不動産を相続しなければなりません。
若し私が相続して、銀行が知れば、無事では済まないでしょう。
私たちには子供が二人居ます。子供の名義にすれば良いですが、
そうすると二人ともその気になって将来私など、追い出される
可能性が高いと感じるのです。私の名義にするば、万一の時に怖いし、
子供の名義にすれば私の老後が解からないし、結局、名義は
夫のままにして、そのまま時効を待つことにしました。

時効は私の夫が買い戻した日から5年と聞いています。
後、2年足らずです。勿論日々何も起こらず、平穏無事に
日は過ぎていきました。

後半年と思っていた矢先、知らないサービサーから手紙が
舞い込んだのです。

手紙の趣旨は、「サービサーは銀行の依頼で回収を任されて居ます。
その後どうなって居ますか、1度後話し合いたく、連絡を願います。」
となって居ます。
連絡しなくても、サービサーに動かれ、謄本でも調べられれば、
家のことは直ぐにも解かります。法定相続分は差押が
出来ますと云われ、半分取られてもお手上げです。

意を決してサービサーに出かけました。
夫の他界は言いません。
夫は定年。今が一番苦しいとき、へそくりで30万あるが
これで手を打ってくださいといういお願いです。
担当者は、私の話に逆に同情して、直ぐにOKしてくれました。

その時に盛んに妹のことを言って居ました。
「妹さんとは銀行もかなりいろいろ遣りあったみたいですが、
 もうそんな事は水に流します。妹さんも一緒に和解したら
 どうでしょうか。費用は同じでよいですよ。この債権、
 近く外国のファンドに譲渡の予定ですから、其の前に
 是非和解をお勧めしますよ。」
商売以上の物を感じました。

しかし妹は首を振りませんでした。
今はあの秘書とマンションに住んで居るらしいです。
勿論結婚式の通知など頂いておりません。

つい最近です。
妹から、「新しいサービサーから手紙が来たよ。」
と云う電話がありました。心なしか、其の声に
いつものから元気も感じませんでした。





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女房の感性

2008-04-28 | 事例
Oさんは此処暫く良く寝付けません。
隣で軽い鼾をかいている女房を見れば羨ましくなります。

今まで不景気と云われながらも良く遣ってきました。
其れが今になって、さらに急速に売上が落ちたのです。
食品の衛生などが叫ばれ、此れから海苔加工も、今迄の
不況を取り返すと思っていたのに、逆です。
手形は切ってありませんが、銀行返済が出来なくなりました。

銀行にリスケをお願いして居ます。
担当者は、「リスケは以前の様に簡単でなく為りました。
一寸難しいです。しかし本当に困ったときは遠慮なく云ってください。」
と云ってリスケには応じませんでした。そして、本当に返済が
出来なくなった時に其の月は延滞を認めたのです。
もう3回も遣っています。

今月も危ない為に又お願いに行きました。
担当者の口ぶりは、何時もと違った口調です。
「Oさん、今度で4回目です。4回の重なると、私も本部に
 報告をしなければなりません。すると本部で何と云うか
 解かりません。最悪の場合は担保を頂くようになるかも 
 知れません。何とかならないですかね。」

今までも月末近くになると担当者から電話が入っていたのです。
其れを聞くとOさんは胸が痛くなったのです。お金を揃え切るまで
他のことが出来る余裕がありませんでした。

今回は初めて担保と云う言葉が出ました。
子供の顔が浮かび安眠できません。
今までも、一緒に仕事をして居る女房には良くこぼしたものです。
しかし女房は銀行の言葉など歯牙にもかけていません。

「有るだけ払っていればよいでしょう。
 不渡りを出すわけでないし、銀行だって待って呉れますよ。
 くよくよするだけ損ですよ。」
そう云えば、夜、飲み合う近所の商店会のメンバーも
同じような事を言って居ます。

女房や商店会の友達が言うことは、呑気でよいですが、
共に裏付はありません。勝手に払わないと直ぐに差押は
あるのか、担保は競売になって直ぐに立ち退かなければ
ならないのか、心配は次から次と沸居てきますが、女房には
そんな心配事はお構い無しです。
「銀行はそんなあこぎの事はしませんよ。万一した時は、
 他の事をして食べていきましょうね。」
至って簡単です。

結果として女房の言う通りになりました。
返済出来なかったですが、何も起こりませんでした。

その代わり、正式にリスケをするからと云っていろいろの
書類を要求されました。女房も一緒に聞かせています。
Oさんには解からない書類の作成も帳簿付けをして居る
女房には何となくわかったらしいです。

「解かりました。其れさえ出せばリスケは認めていただけるわけですね。」
「いや検討させて頂くと云うことになります。」
「それだけでは嫌よ。云うとおりに作るから必ず認めてね。」

後で担当者に聞きました。中小企業の共働きの夫婦には
Oさんの奥さんと似たタイプが多いそうです。

くよくよしないで目の前の現象だけの解決だけを考える人です。
解決方法が他の事に影響するかどうかも考えません。
猪タイプです。

しかしその方が中小企業の場合、いろいろ気を
使う男に比して、解決率ははるかに高いそうです。

自分の弱点をうまく補ってくれる女房、少なくありません。





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金融庁からのFAX(2)

2008-04-24 | 事例
結局、Rサービサーが云ってきたのは、
「他のサービサーに再譲渡する」と云う事でした。
「他のサービサーならば200万ならば充分に和解します。
 当社は出来ないのです。」と云うのが当初の説明でした。
「幾らだったら出来ますか。」と収支を明らかにして、
 250万ならばOKとの事です。Aは其の額を認めました。
Rサービサーは和解に動くかに見えたのですが、動きません。
再び「他のサービサーに譲渡」の話を持ち出したのです。

Aは怒りました。
「この債権はRサービサーが再譲渡することなく、
 必ずRサービサーで解決します。其の条件で当行は譲渡します。」
銀行の部長の約束です。
「電話を貸してください。」とRサービサーの前で
銀行に電話をしたのです。
いや此れには銀行もRサービサーも驚きました。
しかし、その結果、Aの言葉に嘘は無いと関係者が確認したのです。

Aは、
「Rサービサーが和解が出来ないならば、銀行が嘘を言った
 ことになります。私の債権を銀行に戻してください。」
とサービサーに詰め寄りましたが、此れも結局はバルクセールで
個々の単価がわからず出来ないと言う事でした。

「金融庁にも報告しないとなりません。又、私は選挙区で○○先生とは
 後援会の理事もして居て懇意な立場です。先生にも天下の銀行と
 サービサーが、こんな事でよいか聞いてみます。」
「そんな事を荒立てることは止めましょうや。
 尚、解決が出来なくなりますよ。」
Aは何か和解が出来ない理由が他にありそうだと
感じたのですが、其れがなんだかわかりません。

Aさんの溢す愚痴を聞きながら私はAさんに言いました。
「Aさん。貴方どんな交渉の仕方をして居るの。
 真剣其の物の顔をして、何もかも金融庁に報告すると
 云う態度で交渉して居るいるのでは無いの?」

「其の通り。真面目な顔で笑い顔一つも見せず、懸命ですよ。
 又、此方も勉強している事を解からせる為に、金融庁の
 出している銀行指導の本 等前において話しています。
 そして、金融庁に報告の話だけでなく、○○先生の
 ことも持ち出しています。」

「Aさん。原因はAさんの態度と思うな。
 貴方は今金融庁とか代議士を背景に、相手を威圧しながら
 交渉していると同じ事ではないですか。相手だって、和解を
 しても、其れを金融庁や代議士に変なように報告されると
 非常に迷惑でしょう。だからです。コートを脱がせるために
 争った太陽と北風の話を知っているでしょう。もっと柔らかく、
 相手の心が安心するような持って行き方で無いと、今のままでは、
 貴方が真剣に為ればなるほど、相手は用心しますよ。」

「思い切ってラフの格好で訪問しなさい。」
「持つのはメモ帳だけ。」
「金融庁とか代議士名は絶対に口に出さないように。」
「最後に今までこうした事を金融庁に報告するのが義務と
 考えていましたが、良く考えると、報告される方も面倒でしょう。
 止めることにしました。和解が成立したときは、銀行の差出書の
 原本は勿論お宅にお戻しします。」
その他細かく指示したのです。

2-3日後、「言われた通りに遣ったら、感触が良く、其処まで
言うならばもう一度社内で協議をしますと云う事でした。」と
電話がありました。
「尚、其れでは金融庁や代議士にはどう言うの。と聞かれたから、
 単に御礼の電話を一本入れておきます。と答えておきました。」

日を経ずして和解書が送られてきました。和解額は250万でなく、
当初此方から申し入れて200万になっていました。
 
有利な材料も、最後まで有利に使うのは
実に難しいことを教えてくれた事件でした。





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金融庁からのFAX (1)

2008-04-24 | 事例
小心者のAはD銀行からの融資を断りました。
銀行が、
「マンションを1棟買いなさい。資金は当行が用立てます。」
と云う話です。

断るAに対して、担当者は執拗です。
「万一本件でAが損失を蒙ったときは当行が全部を補填します。」
と云う文章を銀行のレター用紙に手書きして、銀行印こそ
ありませんが自筆捺印をしてAに差し出したのです。
結局Aは其の熱意に負けてマンションを買いました。
何年も以前のことです。

最初は良かったです。しかし直ぐに破局が訪れました。
賃料は下がる一方、しかも空室が多くなりました。
私財まで継ぎ込んだAですが、ついに返済が出来ない日が来ました。

「損失は勿論全部銀行に持って頂ましょう。
 私はこの融資で得た物は全て換金化して銀行にお返しします。
 其れと、当事者の私にも勿論責任はあります。
 其の分として200万を別に追加支払いをします。」
事実Aには理屈をつけなくても200万払うのがやっとです。
200万を除いてAは実行しました。
しかし債務は、借りた半分以上の2億余円が残ったのです。

銀行は遠慮なくAを追い詰めます。
Aの裕福な兄弟が2人近くに住んでいます。
「兄弟にすがれば相当額出る筈だ。」此れが銀行の腹です。
Aの突きつける書付など歯牙にも掛けません。
「銀行の印が無い物は無効ですよ。当行は裁判でも
 何でも応じますよ。第一銀行がそんなことを約束
 できるわけが無いんじゃあありませんか。」
気の弱いAはだんだん追い詰められて行きます。

丁度この頃、私はAと知り合になりました。
「書付は有効で権限はあると思いますよ。貴方の
 言い分の方が正しいでしょう。訴えるのも一つの
 方法でしょうが、いっそのこと、金融庁に相談したら
 どうでしょうか。金融庁に白黒つける権限があるか
 知りませんが、少なくても銀行を司どる大本ですから、
 公正な見方はしてくれると思いますよ。」

3日ほど過ぎてAから連絡がありました。
「金融庁からFAXを貰いました。」
「金融庁が一般人にFAXを呉れることなんて有るのですか。」

金融庁の係官も銀行の担当者がそんな書類を発行したと現物を
見てびっくりしたらしいです。最初は借金で泣いて居る者、
つまりAが、難癖を考えて居るとでも思っていたらしいです。

係官は「本物に間違い無いでしょうが、2-3日時間をください。
必ず此方から返事を差し上げます。」と約束した返事が
このFAXだったのです。用紙の左上の片隅にある小さな印字は
「金融庁」とFAXの発行者をはっきり解かる様にして居ります。

「この書類は本物と認めます。
 此れで貴方の言い分も良くわかりました。
 間違って居りません。金融庁は白黒をつける処では
 ありませんから、今後も見守りますが、銀行と良く
 交渉してください。進行過程や結果を必ず教えてください。」

こんなような趣旨でした。
其れを差し入れ書の余白に書いて送ってくれたのです。
あたかもこの書類を銀行に見せなさいと云わんばかりに。

発信者金融庁の印字の威力は絶対でした。
銀行の態度が180度変わりました。
「Aさん。当行も残債務を負けてやりたいです。
 が、銀行が債権額を負けるということは、許されて居りません。
 しかし、サービサーは幾らでも元金を負けることは出来ます。
 この債権をRサービサーに譲渡させてください。私共の意志を
 はっきり、承認を頂きますから、決して悪い様にはしません。
 それに、Rサービサーから他のサービサーに再譲渡は、
 絶対にありません。」

Aは又も其れを信じて、債権をRサービサーに
譲渡することを承諾しました。

Rサービサーは初回は非常に強気でした。幾ら払えるかと
聞かれたので200万と答えると、単位が違いますというわけです。
Rサービサーが要求する書類を提出する一方、Aは金融庁の
印字のある書付を見せて、今までの経緯を説明しました。

担当者は半信半疑、もう1度御足労をお願いしたいと言うわけで
次回訪問すると今度は担当者・部長の他に弁護士が同席しました。
当初弁護士は非常に強気でしたが、Aの説明を聞くうちに
だんだん声が小さくなったのです。

其の日はそれで別れております。
しかしその後何回もAはRサービサーを訪問して居ります。
一般の例に比べれば少し異常の位、訪問して居ります。

金融庁の印字はここでも大きな威力をだしました。
Rサービサーの態度は明らかに変わりましたが、肝心の
和解は出来ません。何か額の問題でなくて、他のことが
介在していると推測されます。

(長くなりますので、何故Rサービサーが渋ったかと云う理由と
 その後どうしたかと云う経緯を次回に書きます。宜しく願います。)





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たらい回しをされても

2008-04-21 | 事例
「配達証明です。」の声。頭を掠めた予測は当たっていました。
又、サービサーから違うサービサーに譲渡の通知でした。
最近は我が家の4月の恒例行事です。4月になると
サービサーからサービサーに債権譲渡の通知が来ます。

債権と言ってもマンション代金が払えなくなっただけです。
信金と住専から借りました。県営住宅に住んでおりますが、
自分らが住むためでなく、賃貸にするためです。駄目の時は
売却しても絶対に損はしない予定でした。夫は日雇い大工、
私は当時は生保の賄い婦、老後を考えてのことでした。

しかし、たちまち甘い夢は打ち砕かれました。
住宅ローンでないために月の返済がきつく、
下がり勝ちの家賃ではとても払えませんでした。
何もかも吐き出して、これ以上は高利から借りる
しかないと言う時に、叔父の忠告でマンションを諦めました。
競売後の残債は信金が970万、それに住専、外国資本となって
名前が変わって居ましたが690万でした。
こう為ったのは今から7年くらい前です。

信金も住専も請求は書類だけでした。
競売後、現在の収支なども提出しましたが、其れっきり。
後は電話でも強い請求はありませんでした。

この残を2軒から請求された時は、途方に呉れたものです。
とても払える額ではありません。
自己破産も考えました。
しかし。此れは次の理由で止めました。
飛び込みで弁護士と相談しましたが、費用が一人35万、
夫婦で70万掛かると云われたのです。
そんなお金ある筈がありません。それに叔父は言いました。
「競売までなって居るときは、銀行は残があっても
 やがて放棄をするものだ。暫く我慢すると相手は放棄をするよ。」
又当時私は生保の賄い婦をして居て、生保は使用人が自己破産を
すると馘首になると聞いていました。働き場所は守りたいです。
そんなために自己破産はするべきでないと信じていたのです。
事実、書類を提出してから2-3年は、何も連絡の無い平穏な日でした。

ところが平成17年、先ず信金からサービサーに譲渡すると
云う通知が有りました。続いて18年、其のサービサーから
Pサービサーに譲渡の通知です。
住専の方も暫くは会社で請求などして居ましたが、
18年4月に虎の門のサービサーに依託、続いて19年4月違う
サービサーに、今度は債権譲渡、其処から1年過ぎた時、
又違うEサービサーに譲渡の通知です。此処丸3年の間に
1650万の債務で5軒のサービサーと縁が出来ました。

Pサービサーは譲り請後、返済の話し合いが付かず、
直ちに支払い督促の訴訟、続いて、ゆうちょ銀行を、何故か140万の
差押がありました。債権額でない理由は今もまだ解かりません。
勿論、敗訴以後、預貯金は用心をしていたために、2000円ほど
差押られただけです。空振りとも云うべきでしょう。

其れが終わった時、郵便局から電話が有りました。
「今回口座の差押がありましたが、もう大丈夫です。
 新口座を作って、是非とも今までと同じお取引をお願いします。」
又サービサーからはそれ以来、来請求書も届きません。

4月に新しい債権者となったEサービサーは、
今のところ他のサービサーと同じです。
電話があったから「払いたいが払えない。」と云うと今までと
同じような収支の明細を要求し、その後はまだ何も言ってきません。

今後も何処が何と回収をしてきても、何も回収は出来ないでしょう。
実害は無いから良いではないかと云う人も居ます。

しかし、請求書が届くだけでも、心の負担を感じます。
電話で怒鳴られるならば、此方に敵愾心も湧いてきますが、
請求書を黙って送られるのは堪えます。
又、預貯金をはじめとして、表面で資産を持つことが
許されないのは、実生活としても大きな負担です。

でももう少し今まで通り頑張る予定です。サービサーと
5軒付き合えば、サービサーの対応がわかってきます。

世間には当初の私と同じようにサービサーの幻影に
怯えている人が多いと思います。そうした人たちに
経験を主体としてアドバイスしたいのです。

その後の調べで、自己破産も、夫婦の同時破産を30万で
やってくれるところが結構多いとわかりました。
それに私は今はスーパーの食品係のパートです。
いざと云う時は、何時でも自己破産が出来ます。
いい気な精神的な支えです。

しかし、其の前に、こうした人を玩具みたいに扱う、
サービサーからサービサーの債権譲渡は禁止する政令を
作るべきではないでしょうか。





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銀行員のお休み処

2008-04-18 | 事例
山手線の駅から5-6分。静かな住宅地に其のマンションはありました。
4LDKのしゃれた住まい、此れが老女のマンションです。

今日も大手銀行の営業マンが尋ねてきて、コーヒーまで
自分で入れて2時間近く罪の無いお喋りをして先ほど帰りました。

老女は腰痛の為に、もう会社には出勤して居ません。
しかし夫亡き後50年守りとおした会社です。営業は若い50台の
専務に任せて、資金だけは自分が切り回しして来ました。
最近まだ、自宅から、寝ながら会社に指示をしたり、
銀行と遣り合って居ます。

何時の間にか、銀行の担当者は、老女の家にやってくるのが
普通になって居ります。そんな行員に平気で老女は命令します。

「悪いけれどあんた、お茶を入れて貰えない? 
 コーヒーは其の棚の上、こっちの戸棚を開けると
 お菓子があるからそれを出して。」

パートは通院の時の他、毎朝2時間くらい。
この間に食事の用意などをして貰い、後は老女一人です。
行員の誰もが、自分のお茶を入れて居る間に、
すっかり老女のペースに溶け込んで居たのです。
どの行員も「此処に居るときが一番気が落ち着いた。」と云って
居ますから。老女にそれだけの雰囲気があったのかも知れません。

会社は、繁華街の外れ、オフィス街との接点にある、
昔からの本屋です。此処にも不景気は押し寄せてきました。
そんな時、広告業の会社が2社、続いて引っ越したのは、痛かったです。
社員の立ち寄りだけでなく、会社に届ける書籍も又大きかったのです。
夕方など人の入りは目に見えて悪くなりました。

老女の会話も違ってきます。
「どうしましょう。お金が無いよ。うちは倒産になります。」
遠回しに貸せろ云うのと同じです。貸さないご時世ですが、
行員のお休み処の所為か、銀行借入れは徐々に増えて行きました。

しかしこんなことも有ります。
老女の借入は、昔から、保証人もなければ担保もありません。
資産も何を持っているか解かりません。何時しか銀行員は
老女の隠し資産を見つけることに躍起です。この繁華街で立派な
本屋を50年、恐らく一人になったからでも30年は過ぎているでしょう。
隠し資産が無い筈は無いとどの銀行も読んで居ます。
しかし此れは銀行の負けでした。
老女は元々隠し資産など持っていません。
あっけらかんに「そんなもの無いよ。」と云う老女を見て、
どの銀行員も逆に「隠し資産を持っていること間違い無し。」
と云う信念を強くして居ります。此れが老女に対する融資の
原因の一つになって居ることは間違いありません。

どの銀行の行員も、老女のことを考えてか、影で懸命に融資を
図ってくれたみたいです。老女には黙っていて、融資が決定すると、
さりげない口調で老女に伝え、喜ばせます。
その為に、3-4年は他所より長く持って居ます。

業績は好転しません。銀行もついに融資は打ち切ります。
1行すれば直ちに他の銀行の知る処となります。
ついに倒産を覚悟した老女にリスケを教えたのは行員です。
当人は返済が出来なくなれば、何時銀行に潰されるかと
覚悟して居ました。隠し資産を開示してくれれば幾らでも
貸してあげますと云う銀行も有りましたが、其れも適わず、
自宅で銀行員の助けを借りてリスケの書類を作りました。
こんな人は他には居ないと思います。

しかし、こうした気苦労は、一気に老女の容態に影響してきました。
ますます動けなくなったのです。ベットの隣のソファーで話すことも
出来なくなりました。ベットに寝たきりです。
痛みを我慢しているためか、思考力も鈍ってきました。
行員と話しても、以前のような軽い切り返しも出来ません。
行員も気を使う様になったのです。
次第に行員も、会社に居る専務を相手にする様になりました。

もう銀行員のお休み処は無くなります。
それどころか肝心の老女すら入院をせざるを得ないでしょう。

こんな80歳の老女でも会社の資金を支えてきました。
しかし今後専務にできるか心配です。





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弁護士の間違い

2008-04-16 | 事例
「株主総会は開かれていない。したがって其の議事録は無効である。」
先代社長の次女婿がこんな訴訟を起こしたと知って、弁護士もSも
少し唖然としました。
「何を云っているのか。」そんな気持ちです。

2行の債権者の銀行とはほぼ話が付いています。
不動産を全部処分して、法的整理をしてくれないか。
会社に対しては其れで後は何も追及しないからと云うのです。
Sは会社整理を弁護士に一任して居ります。弁護士はSが破産は
嫌だというためにわざわざ特別精算を選びました。
初めて聞く言葉に戸惑うSに、弁護士は言いました
「何もかも私のほうでやりますから、Sさんは何もしないでよいですよ。
 何でも説明いたします、それに全責任は私が負います。」
結局Sは裁判所費用と弁護士の報酬で700万払って居ります。

20年前にSは先代社長に懇願されて社長を引き受けました。
当時、先代社長には未婚の娘が3人居ましたが後継者は
居なかったのです。唯、株は当時の役員にちょこちょこ、
3人の娘に大部分を分け与えております。

そんなことに構わずに、Sは頑張りました。
飛躍的に会社を伸ばしたのです。Sは元社長の一族とは
余り親しく付き合っていません。特に株主の娘たちとは、
年も離れているために、殆ど没交渉でした。それでも
配当は毎期きちんと渡しております。

特別精算の申請が明日と云う日、弁護士から慌てた電話が入りました。
「うっかりして、株主総会の議事録を添付するのを忘れた。
 書類を送るから捺印して返してくれ。」
と云う趣旨です。
「株主総会など今日中には開けないですよ。」と云うSに
 弁護士は「どうせ開いた ところで盲印になる、
 株主には、後でうまく説明すれば同じではないか。」
とせっつきます。
「其れもそうだ。奥様には特別精算の事は説明してあるし」
とSも深くも考えずに捺印して送り返したのです。

特別精算の申請は受理されました。
銀行はほぼ了承済みです。一般債権者には迷惑は掛けない意向です。
第2会社のすべりだしは、号令待ちです。
全てが順調に終わる筈でした。

ところが次女から、株主総会はやってない。議事録は無効だ。
特別精算の受理も間違っていると訴訟があったのです。

Sは、「3組の夫婦は今まで会社に何も言ってこなかった。又、
今までの株主総会など全て造り事だ。今回もそれで良いだろう。
ましてや奥様には特別精算をする事は報告済みであるし、今有る
会社の資産も全てSになってから作ったものだ。前社長時代から
あった資産など無い。それでも1族には充分に報いてきているではないか、
反対など出きるものではない。」と思い込んで居ました。

ところが次女婿だけは違った眼で見て居たのです。
「本来ならば、我々株主が何を言わなくても大政奉還があっても
 当然ではないか。それに今回我々は株を全部失う。其れならば
 資産の処分を我々にさせて、若干の口銭を取らしてくれて
 当然ではないか。」と云う考えです。
他の義兄弟をくどきこの際Sを追い出して、我々も甘い汁を
吸おうではないかと云う事に為ったのです。

簡単に取り下げるだろう。または争っても勝負にもならないだろうと
見ていた弁護士の思惑は見事に外れました。取下げもしないし、
裁判は敗訴になったのです。開いていない株主総会の議事録は
認められない。考えてみれば当たり前の事です。
しかし弁護士は最高裁まで争わせています。
費用も大変でした。

其れよりこのことが娘婿たちをすっかり元気つけたのです。
Sを解任しようとしたのですが、此れは直ぐには出来ません。
その間に弁護士は会社の不動産を売却したのです。
勿論銀行も賛成している価格です。

其れを知った次女婿は、此れにも取り消しの訴訟を
起こしたのです。そして取り消しが駄目の時は弁護士は
異常に安い価格で不動産を売却し会社に多大の損害を掛けた。
と云う損害賠償の訴えも起したのです。

事態は目茶目茶に為りました。
ことの始まりは、添付書類を忘れると云う弁護士の最も
初歩的のうっかりミス、其れを補うために、絶対必要の
行為を省略し、書類のでっち上げに有ります。
普通ならば、こんな騒ぎにならずに、通っていたことでしょう。

しかし弁護士とは良い職業です。
悪いのは株主総会も開かずに書類に捺印したSだそうです。
度重なる訴訟に全て弁護士料を貰っています。
そして不動産の斡旋料なども大分入ったでしょう。
しかも依頼した特別精算の報酬は返してもらって居ません。

弁護士の間違いはこうあるのが当然でしょうか。





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兄弟の難しさ

2008-04-13 | 事例
Yには自慢の弟が居ります。
自分は6名の鉄工所の社長ですが、弟は上場寸前の会社の社長です。
計器を作っておりますが、その方面では名が通って居るらしいです。

Yは弟を自慢しながら、内心では負けるものかと心の中では
負けん気で一杯です。Yが無理をして、自宅と隣あわせの工場の他に、
川向こうに新規の工場を作ったのも其の表れかも知れません。

しかし不景気はこの二人に、もっと差をつけました。
Yは返済に追われるだけになったのです。
当初、保証人さえ良ければ借りれた頃、2-3回弟に保証を
頼みに行ったことがあります。

「兄さん。お互いに保証人の成りあいっこは止めましょう。
 どちらかに万一のことがあれば、Y家は破滅です。
 苦しくても自分のことは自分で処理しましょうや。
 しかしね。若しお互いに会社が破綻するような事などあれば、
 その時は徹底的に助け合いましょう。俺だって兄さんに
 そんな事があれば、少なくても、自宅と続いている工場だけは
 買い戻してあげますよ。」

理を尽くしての断りと、万一の時の援助を約束して貰って、
気が若干楽になったのを覚えております。

仕事はますます減って来ました。
折角の川向こうの工場も、ついに手放しです。
しかし残債務は借りた半分近いです。

この時は弟に、励まされました。
「兄さん。良く手放す気になったね。その方が正解と思いますよ。」
「まあ、此れで何とか為ると思うが、若し逆に自宅が危険に
 為ったという時があれば頼むよ。」
「勿論ですよ。私に出きることは何でもやりますよ。」

しかし、現実の流れは本業も赤字続きです。
返済どころかついに期限の利益を失ったのです。
此れを弟に言った時に、弟が見せた視線は、同情より侮蔑の眼でした。
けれどYは自分に対する悲しみの表情と解釈して居ります。

この頃からYは自宅を守るために全力をかけております。
お金も無いのに銀行と買戻し交渉ばかりです。
弟の名前が充分過ぎるほど利用されています。
銀行も最初は此れを真に受けて価格交渉までをして居ます。
しかし肝心の買い付け証明は全然出てきません。
ついに銀行は任売と並行するという条件で競売を予告してきました。

競売開始決定を受け取ったとき、覚悟はしていたものの、
Yは全く頭の中がが白くなりました。不渡り手形を
出していませんから、工場は今でも動いています。
しかし6人の行員は今では3名になって居り、工場の音も
途絶えがちです。競売になれば其れさえ消えてしまいます。

Yは、以前期限の利益の喪失を弟に告げてから、
1度も会って居りません。会い難く、話し難くなって居たのです。
実は電話でも何となく弟が他所他所しくなったと感じております。
以前は留守でも後で必ず掛かって来ました。其れなのに、
最近は何となく居留守すら感じます。

しかし、もうそんなことを云って居られません。
弟に自宅の買戻しを正式に依頼しなければなりません。
「一寸頼みたいことがあって、是非1度会いたいんだ。」
弟の指示で会社の近くのホテルのロビーで会ったのです。

「最近の不景気は大変だね。」
会うと弟の口から先ずこの言葉が出ました。
「わが社も四苦八苦ですよ。」
先手を取られては言い出し難くなります。

しかし勇気を出して自宅の買戻しを切り出すYに、
弟は簡単に断ったのです。
「兄さん。兄さんの一大事の時に、是非出きることは
 何でも手伝わ無ければ、申し訳無いが、我が家には
 そんな大金は無いんですよ。以前は会社を利用して、
 何とかできると思ったのに、この不景気で、今は会社にも
 其の力は全然無いんですよ。それに、もうあの街中で鉄工場は
 騒音などで駄目じゃあない。此れを機に、近県の工業団地にでも
 越すべきでは無いのかな。」

Yはそれ以上、何も云う気にはなりませんでした。

Yの近くに母親が住んでおります。
昔Yと弟が買ってやった2LDKのマンションに住んで居ります。
母親は心配して、何かの足しにと1000万、差し出しています。

Yは其れを断り、妻と二人、母親のマンションに転がりこみました。
年金まで後2年です。
母親の持っているお金で暮らせます。





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生き伸びる執着心

2008-04-09 | 事例
「どうしても駄目だ。明日は不渡りだ。」
しかしTは不渡りを出しても、操業は続ける予定です。
操業して居る間は倒産ではありません。
Tはどうなっても操業を続け、倒産にはならない決意です。

会社が消えてしまう破産は思うだけでも嫌です。
第一、破産にお金が掛かるなんて不合理です。
其の費用はTの家族が2年間は生活できる額です。
民事再生もお金は懸かりますし、第一弁護士が認可には
ならないだろうと云って居ます。任意整理で今の会社を
整理し第2会社でやっていく方法しかありませんが、
その運転資金に今の会社の売掛金をそのまま使うことは
出来ないと弁護士にも云われました。

そんな事にはお構いなく、Tは会社の操業は続ける予定です。
不渡り後、どうやって続けるかが問題です。

其の明日がやってきました。
前日駄目だと決心したとき、彼は不渡りが出ることを告げ、
其のお詫び、早急に債権者会議を開いてご説明し、今後の
ことを皆様にご商談したい旨を宅配便で仕入先に送っています。
宅配便だと間違いなく明日の午前中には届きます。

其のせいか、意外に騒ぎは起こりませんでした。
こんな山あいの工場のことも相まって、会社に訪問者は
一人も無く、電話すら3-4本有っただけです。
銀行からも預金が不足ですよと云う女の子からの連絡だけ、
仕入れ債権1億、銀行債務6億の会社の不渡りにすれば意外なほど
静かでした。ただ業界紙からは「社長をお願いします。」と、
何回もかかってきて居ります。

此処からTの大活躍が始まったのです。
Tは債権者会議などやるつもりはありません。
そこで売掛金のことなど突かれて債権者に
全額差し出すようになれば、今後が回りません。
Tとすれば、今の債権は棚上げをして貰い、
今後の仕入れは、入れて貰わないと困ります。

Tは続いて、又書類を送りました。
今までの経緯を説明して居ります。
そして現在の試算表をでっち上げ、
「こうなって居ます。配当は幾ら出来、何時お支払いできます。」
と仕入先に送ったのです。其の言葉通り、回収が出来たところで、
債権者に振り込んだのです。口封じです。

勿論債務の10%にも満たない額ですから、
とりあえずTの手元にはある程度のお金が残ったのです。

その一方、仕入先を片端から訪問して居ります。
現状の説明と仕入れの協力をお願いです。
仕入先には何時債権者会議を開き、きちんとけじめを
取るかと詰め寄るところも少なくありません。
「先日をお送りしました資料は正確な数字です。
 今後、債権者に対する応対と、今後の事業の
 方針もあの資料に述べたとおりです。」
と答え、債権者会議の開催については、
はっきりした答えを言いません。

こんな様にしてTはついに債権者会議も開かず、
勝手に債権を棚上げしてしまったのです。納入してくれる
仕入先は、仕入先を回って居るとき話を付けました。
何とか操業は出来ます。

たまに工場まで押しかけて強く言う仕入先もありました。
Tは、こうした人には、逆に強く出ております。
「払いたいが払えません。今の誠意が通じないならば、
 差押でも何でもやってください。」
と開き直りです。
後日、請求の訴状を起す仕入先もありましたが、
結局はTの目論見とおりになったのです。

銀行にも同様でした。
もう金利も止めて居ます。
銀行の出きることは差押だけです。

しかし11軒の地主から土地を借りて建て増しを続けた建物です。
3階建てのところもありますが消防法違反で2階以上は立ち入禁止です。
地代も2ヶ月送れて居ます。

最初5500万の最低価格が次に3000万の競売基準価格になりました。
その次は一気に700万です。それでも入札者は居りません。
こんな建物、借地の上、買っても使い方がありません。
取壊すにも莫大な費用です。

第一、仮に、立ち退きの強制執行になっても、
他には使用出来ない古い大型機械の撤去だけでも、
莫大な費用です。只で有っても買い手は現れないでしょう。

こうして、理屈を超えたTの執念は、倒産を機に、
事実上無借金の経営になったのです。勿論、その後も
トラブルは絶えず発生しては居りますが、手形の不渡りの
時に比べると軽いものです。

しかし、現在Tは窮地に陥っています。
一つは国税です。7000万からの滞納です。
売り先も全部握られています。
今、月に20万づつ払っているから良いようなものの、
此れが出来なくなれば売掛金の差押は目に見えております。

それに保健所が何年ぶりか一斉の検査です。
埃だらけの機械、一旦清掃を命じられると2日くらい工場が
止まってしまいます。大幅に減産となり、其れが資金不足に
連なっています。払わないと前科のある会社です。納品は即座に
ストップでしょう。

此れを乗り切る方法、Tは毎日頭を抱えて居ります。





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保証人をしゃぶる

2008-04-06 | 事例
Hは義父の友人の保証人二人に心の中で手を合わせました。

義父の会社は倒産しました。子会社とも云うべきHの会社は、
保証人が2名、9000万の保証をして居ます。
連鎖倒産と覚悟したとき、メインの信金は保証人2名を呼んだのです。

信金としては「Hの会社の将来性を買っている、保証人2名が
Hを見捨てず今後も応援していくならば、信金も協力しよう。」
と云うわけです。

保証人は此れに逆らって今直ぐ9000万の保証を
追求されても困ります。喜んでHの今後を面倒見ると誓ったのです。
そしてその場で1500万の追加保証をサインして当面のHの資金繰りを
助けたのです。

今時、親会社が倒産して、同じ場所で営業を
続ける子会社が簡単に自立できるほど甘くはありません。
1500万の運転資金はアット云う間に消え、Hは運転資金が
潤沢でなくなりました。銀行は保証人のサインさえあれば
直ちに融資をすると云って居ますが、さすがに2人とも
そんなに簡単に保証枠を増やしません。

県会議員も兼ねて居る保証人は何より世間体を気にしますから、
強く言えば保証人にはなって呉れそうですが、もう一人の保証人は、
息子に云われたらしく、もう頑として新規保証はしない様子です。

Hは懲りず、断られても、断られても、県会議員のところに
保証をお願いに行きます。県議もどうしようも無く、銀行保証は
しませんが、Hの事情を聞き、確実な売上を担保に自己手形を
融通してくれます。
一発こと有れば、自分の信用に大きな傷がつく危険な援助です。
信金も直ちに県議と回収についての話し合いを始めるでしょう。
商売にも影響し、県議の立場も、政敵も多く、
微妙な立場に追い込まれます。

当初県議のやってくれることに感謝していたHは
其のうちに次の事に気がついたのです。
「俺が不渡りを出して一番困るのは、俺より県議だ。
 次にもう一人の保証人だ。彼らが俺を助けているように
 見せかけているが、実は自分の為にやって居るに過ぎない。」
そう解かると、今度は意識的に県議を脅すようになったのです。

「最後の最後まで頑張りますが、ひょっとすれば不渡りも止むを
 得ないと思います。私は其の腹を絶えず覚悟してやって居ります。」
此れで県議はますます泥沼から抜け出すことは出来ません。

県議の会社も四苦八苦の資金繰りです。
このことはたちまち自分の会社に影響してきました。
自分の妻の社長や、しっかり者の経理からクレームが湧いてきます。
特に入金を約束して融通した手形の決済金が入らず、大騒ぎを
したことがあります。ついに県議も腹を決めざるを得なくなりました。

ある時県議は改まってHに云っています。
「此れが最後ですよ。次回から何と言われても出しませんよ。
 いや出せ無いでしょう。ほんの運転資金だから、H君も
 仕入れ支払い等、少し無理を言えば、できる杜思うよ。
 もう1度検討してみてください。又その為に、万一私の
 保証金を問われるようなことが出来ても、私は受けて立つよ。」

しかし、次の時にHは又もお願いに行って居ます。
が県議は断固断っています。

この時は、Hは露骨に「出すかも知れない。」と暗に脅しましたが
県議は、途中で座を立って聞きませんでした。
後で聞くとHは自分の遠縁の者から引っ張りだしたらしいです。
「高利の金は借りると命取りになるが、
 素人から借りたものは、必ず何回も使える。」
此れが、県議と付き合っているうちに得た、Hの資金造りの秘訣です。

Hは、もうそう長くは無いでしょう。
信金は県議のところに来るでしょうが、県議の商売も
すっかり下火になって弁済する力はありません。
いつの間にか、県議も保証は怖いものではなくなって居ました。





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