かっ飛ばせ借金 打ち勝て倒産

 
 ‐オグチ経営研究所‐

 ☆★自分でできる経営の再生と整理★☆

  

銀行の手口

2010-09-28 | 事例
弟が急死しました。
たった一人の弟。母親の土地に小さな4Fのビルを建て、
その管理会社の社長をしていました。社員は誰も居りません。
弟一人の会社です。
かっては町随一の場所もデパートの閉店に伴い、繁華街は駅南に移り、
空き室がちでビルの収益も上がりません。
丸々銀行の借金で建築しましたが、弟一人の給料を引くと、
返済も十分に出来ません。
銀行とのいざこざは、保証人の母や兄の彼にも若干耳に入って居ります。

社長も社員も居ない会社は困ります。彼は、弟の家族から泣きつかれ、
暫くの間のつもりで、其の社長を引き継いだのです。
銀行からの要請もあったのです。

彼の会社は宅配弁当で評判も良く、その内容も銀行は買って居ます。
銀行はビルと同じ銀行です。

ところが3ヶ月もすると、銀行の態度が変わって来たのです。
何でも協力すると云う態度が滞留しているビルの返済の催促になったのです。
彼に払える筈が有りません。
「直ぐビルを処分するから、それまで待って下さい。」と頼んでも、
間単にビルは処分できません。

更に2ヶ月も過ぎた頃、銀行はいきなり、地続きの彼と母の自宅を仮差押えてきたのです。
母親は「私は地代も貰って居なかった。それなのに、自宅が取られてしまうなんて。」
と大騒ぎです。この間は彼も全然払っていません。

「私は単に社長代行です。それをいきなり自宅を仮差とはひどいではありませんか。」
「いえ、この物件は先代の社長がご健在でしたらとっくに競売まで行って居たでしょう。
  社長がお変わりになったので、当行も待てるだけ待ちました。    
  当行もこれ以上待っ居ることは不可能です。
  これ以上は監督官庁の手前もあって待てないのです。
  それに今回は直接の債務者はご他界で居りませんから、
  連帯保証人に請求するしかありませんでした。」
彼は余りこんな議論は好きではありません。

半ば喧嘩を覚悟した彼に銀行から提案がありました。
「貴方の会社であのビルをお買いになったら如何ですか。資金はご用意します。」
会社でビルを買って、其のお金でビルの返済をしなさいと云うのです。
ビルと自宅の時価を加えても借金の額にはなりませんから高い買い物です。

彼はこの話はキャンセルのつもりで、それでも念のために保証協会に尋ねました。
「銀行と喧嘩になる。下手をすると弁当屋の借金は代位弁済になるかも知れない。
 その時は今迄とおりの支払を続けますが、保証協会は借入の保証をしてくれますか。」
NOが保証協会の返事でした。
「代位弁済になると、それが解除されるまで保証はしません。」が保証協会の返事です。
たまたま、弁当屋とビルとが同じ銀行で有ったばかりに、銀行の提案を吞まないと
弁当屋までもおかしくなるのです。

彼は提案を受け入れました。と言うより吞まざるを得ませんでした。

具体的な借入の詰めの話です。
銀行は絶えず、彼のことを考慮に入れて居る様な口ぶりです。
多だし、やることは えげつなかったのです。

先ず、仮差は勿論解きます。ただし今度は弁当屋に融資をした見返りの担保に必要です。
返済は10年です。
「当初は家賃の収入があるから払えるではないか。売却すればぐんと減るから
 後は払えるでしょう。出来ないときはいくらで当行はご相談に応じます。」
と云う態度です。

弟の自宅の事もありました。
近く、競売の予定だそうです。
「自宅のローンは必ず保険が掛かっているのでありませんか。」
「いやこれに限り入って居ませんでした。」
何故入っていないのとつつく気力もありません。
ただ、傀儡のように銀行の云うことを聞いただけです。

金回りの良かった弁当屋も、急に月に50万の出金が増えたために、苦しくなりました。

工場は借家ですから差押えはありません。
何かあっても、お客様は勿論、仕入先にも迷惑はかけません。
自宅は買い戻しても安いもの。
彼は近いうちに一切の返済を止める予定です。


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間違った銀行の残高通知書

2010-09-25 | 事例
久しぶりに届いた銀行の内容証明です。
開けて見ると「相殺通知」となっており
 当行の債権 手形貸し付け  金5400万円
 当行の債務 当座預金    金12207円
「よって之を相殺します。」と書いてあります。

当座預金の12207円が戻って来ないのは良いとしても、
借入残が5400万となっているのが非常に気になります。
彼はこれは相手が放棄して0になっていると信じて居たからです。

昨年6月、彼は同行から残高証明を頂いて居ります。
頂いているというよりむしろ送りつけてきたのです。
それも支店からっでなく本店営業部からです
     当行の融資取引   ありません
     当座預金残     13037円
ご丁寧に「この証明書の金額は訂正いたしません」となって居ます。

この時は彼は飛び上がって喜びました。
「債権放棄をしてくれたんだ。これで1行は片ついた。」

彼はその1年前に銀行の返済が出来なくなりました。全部で4行です。
その一行が少ないほうとは云え、残高になったのです。
もう請求もありません。

この時、「借金が0になったから、担保の土地は抵当権を解除して呉れるかな。」
また僅かとは云え当座の残は戻してくれるかなと疑問が頭に掠めました。
が、未練は全然ない不動産。銀行は之を競売して入金するのは折込済みだろうと
軽く考えてそのまま放置です。
それが1年以上過ぎて突然の内容証明です。

「内も迷惑をおかけして居ますから当座が戻ってこないことは構いません。
 ただ今回の内容証明に、貸付残高6400万と有るのは間違いでこれは0ですね。」
支店に電話をしたら「支店はもう本社に全て移行したから本社に連絡お願いします。」
と云われて本社に電話です。
「いえ。元金残が6400万あります。こんなときの申し訳ありませんが、
 この9月でサービサーに譲渡する予定です。」
「おかしいですね。私は御行から残高0と云う正式の残高通知書を頂いて居りますよ。」
「そんな馬鹿な。」
「いや。本店営業部から昨年6月に送られた来ました。」
彼は送られてきた書類など詳しく話しました。

主任と名乗る本社の係り員も慌てた見たいです。
其処から主任の言い訳が始まりました。
「お宅の債権は内部で償却してあることは事実です。だから送ったのです。
 銀行の債権は内部で償却してもまだ本人には償却しません。
 お宅の場合はこれに当てはまります。だから債権はまだ残って居ります。」

「そんな、銀行が外部だか内部だか知らないが償却をして、
 その都度債務者に連絡するなんて聞いたことはありませんよ。
 様は銀行の発行する残高証明は正しいものと信じるのが我々ですよ。」

またこんなことも云いました。
「あなたは全額払ったといえるのですか。払っていないでしょう。
 だから残の有るのは確かです。」
「払っては居りません。しかし債権者には放棄と云うことがあります。
 倒産方1年経って、もう、会社も個人も資産がないときは放棄は十分に
 有ると信じてもよいでしょう。」
こんな問答を40分もしましたが合意に達しません。
銀行員の方から「違うお客も待たせて居りますから、夕方電話します。」
と云う事で切れたのです。
夕方の電話は「電話では難しいですから私の方からお伺いします。
とその時間を決めただけです。

銀行はこの間に「私の方が間違いました。」と云う言葉は一言もありません。
「貴方の解釈が間違って居ます。」と云う云い方です。
この方が癪には障りますが喧嘩はやり易いです。

来週初めがその日です。相手に云う言葉は決まりました。
「御行がこの債権をサービサーに譲渡する事は私の関知する所ではありません。
 ただし御行でもサービサーでも今後この件で私の請求があった時は、
 支払をお断りします。訴訟になっても訴訟を受けます。
 またその時は金融庁にも私の考えが違っているか相談するつもりです。
 それはそれとして、担保はご自由に処分して頂いて結構です。
 当座のお金も戻らなくても良いです。ついでですが、
 当座は全然動いて居ないのに、何故830円減っているのですか。」

この争い、私も彼は勝つと信じて居ます。
銀行もそう思って、何か折衷案を持ってくる様な気もします。
その時はまたご紹介します。


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失敗した名義預け

2010-09-22 | 事例
「不動産の購入は、どうしても債務者や保証人では駄目です。買うと即時にまた差押えされます。
 名義を変えましょう。親兄弟、またはご親戚によい方はいらっしゃいませんか。」
倒産の時の任意売却や競売での買戻しです。
このために必要な資金は揃えて置きました。
さて名義を誰にするかが問題です。親兄弟にはこうした問題を知られたくありませんし、
万一事件に引っ張りこみたくありません。税金など細か事が発生するのも嫌です。

幸い彼には親友と云える不動産屋が居りました。
愚痴を聞いた不動産屋は胸を叩きました。
「私が一番の適任だよ。商売柄、出物は買い置きもします。
 馴れ合いなんて誰も思いません。力になりましょう。」
ガキの頃からの付き合い、気のあった仲間です。今でも良く飲みに行きます。
「2-3年の間かな。彼だったら信頼できる。」
彼は不動産屋の名義で買い戻したのです。

しかし、魔は多し。彼に戻さないうちに、不動産屋に資金のピンチが起こったのです。
不動産屋は資金つくりに彼の不動産を担保にしたのです。
不動産屋の名義ですから、勝手に出来ます。
「一寸の間だ。」不動産屋は自分で自分に弁解をして居たのです。

しかし景気はそう好転しません。担保が解けないうちに名義書き換えの要求があったのです。
不動産屋には悪意は全然ありません。涙を流して謝る親友を彼は咎めることは出来ませんでした。

まだ、抵当権はそのままです。
解除どころか、逆に不動産屋の業績は落ちて居ります。
どうなることやら。
二人の仲がぐんぐん冷えてきて居ます。

Bは、資本金1000万の子会社の資本を5000万にする事を決めました。全額Bが出資をします。
ただしBが株主になる事はまだ一寸早いのです。
「名義株」と云う念書を取り交わし、子会社の役員4名を株主にしたのです。
税務署に問い合わせてやって居ますから、後日名義を戻しても税金関係で問題を起こすことはありません。
この話の経緯は次のような事でした。

Bの経営する生コン工場が倒産したのです。
幸い仕入先や得意先には何等の迷惑もかけて居りません。
ただしBは倒産を用心して早くから別会社のB建材を作った置いたのです。
B建材は場所も社長も違います。B生コンとは取引があるだけです。
Bはこの資本金1000万を自分が出して、B建材の役員2名が出資した形にしました。これも名義株です。
ただしこの場合は口頭だけで、覚書まで結んで居りません。

B建材は評判も良く、Bは此処に倒産した生コンを扱わせようとしました。
B生コンの工場を買わせれば良いのです。それが為の資金を増資で考えたのです。
ゼネコンからもB建材と真剣に取り組むには過小資本と指摘されていましたから、増資は1石2鳥
です。自分の名前で増資が出来ませんから名義株を考えたのです。

増資後の事業は順風でした。利益が上がって居ます。
後はBの復帰が何時かと云う事だけです。
その時に以前からの株をもって居る役員の一人が故郷にどうしても帰らなければ ならなくなったのです。
その時には当然名義株返還の話が起こりました。

名義人は主張しました。
「私は会社の株を1500万もって居ります。このうち1000は生コン事業の為の増資で確かに名義株で 
 す。そのための念書も入れて居ります。しかし、最初からの500万は名義株といえないと思いま 
 す。あのときにBさんが貴方の名前にしておくよ。と云っただけです。当然頂いたものと思って
 居りました。この分は買い戻しと云うわけには行かないでしょうか。」
Bの考えもしなかった事です。

Bは「建材あるのも彼等の功績だ。だからこそ儂はまた生コンが出来る。」
税理士の計算では、株価は1.6倍が妥当のようです。
大して揉めもせず、Bは800万を払ったのです。

第2会社の社長になって貰った、実質的には社長の名義預けです。
それが、顧問税理士に毎月20万で依頼した人が居ります。
この人は、3年後、自分が復帰するときに退職金と云う名目で百万円払わされて居ります。
コンサルタントに社長を依頼して、解約出来ずに困っている人も結構知って居ります。

名義を借りること、想像以上に難しい事です。
大切な資産を何の裏づけもなく他人の名義にする訳ですから、問題は起こりがちです。

お金が有り余った居る人ならば問題も少ないでしょうが、なかなかそんな人は居りません。


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何回も提出し直した経営改善計画

2010-09-19 | 事例
彼がリスケを始めて丸2年を過ぎようとして居ります。
3年目になっても返済は出来ません。いや今までよりきつくなっている感じです。
もう1年は延長して貰わないとなりません。

昨年も書き換えは八月、例の返済猶予法の施行前でした。
今年はその最中です。「この法律があるから簡単さ。」
彼は甘く見ていたらしいです。思惑は見事に外されまいた。

借入は3行。メインの地銀と第2地銀、それに信金です。
お互いの連絡こそありませんが、地銀が通れば同じ書類で第2地銀と信金は通ります。
地銀が勝負です。

4年間担当だった営業マンは他店に栄転しました。きついことも云ったが良く面倒も見てくれました。
後任はそれと比べるとまだ若いです。融通が利きません。

申請の書類に、経営改善計画を作り直し添付したのです。
昨年も情勢が悪いと、思い切って悪い数字を提出したのです。
漸く利益の出る数字が2年ほど続く計画書です。
それでも前任者は黙って通してくれました。
ところが実際はその売上すら行きませんでした。
今回は更に悪くして居ります。

「リスケの延長はやむを得ません。私どもは認めて居りますから
 本部に通る書類を提出してください。」
新担当はこう言って書類を受け取りません。
「貴方のところはこの調子で返済すれば、40年かかっても返済は出来ませんよ。
 そんな書類、本部が受け取る筈が有りません。
 せめて10年以内で返済が出来る計画にして下さい。」
「そんな夢のようなことを云っても無理だ。今はモラトリアムも出来て居るんだ。
 本部はそんな馬鹿なことを言う筈がない。1度提出して下さい。」
こう言っても駄目です。
「1度出して、通らなかったと云って直ぐに違う計画書を出せば、
 作文の作り直しと云うことになって、感情問題になる可能性もあります。
 駄目です。」
「それもそうだな」と思い、兎に角今は延長して貰う方が先だと作り直したのです。
地銀の担当者は納得し、彼も済んだと思いました。

ところが3日ほど経って担当から電話がありました。
「書類の事で、もう1度お話をしたい。」
「冗談じゃあない。これ以上景気のよい計画書はできないよ。」
彼は銀行に出かけたのです。支店長も同席して居ました。

「この計画書は良すぎます。こんな計画を出すと、リスケどころではありません。
 直ちに返済を始めなさいと云う指示になります。もっと悪いのを作りましょう。」
彼が、最初に悪い計画書を持ってきたのを支店長は知らないみたいです。

兎に角、彼も云いたい事を押さえて、今回のリスケも円満に話がついたのです。

この書類と同じ書類を持って、第2地銀と信金を訪問して此方も認めて頂きました。
これで全部終ったと思っていたら、それから1週間、第2地銀と信金の両方から
呼ばれたのです。そして同じ事を云われました。

「お宅、2年前、リスケを始める時に、コンサルタントが作った計画書を頂きましたね。
 最初の説明文だけでもよいからあの様な物が出来ませんか。」
彼はびっくりしました。
2年前、あるコンサルタントにリスケ様の書類をお願いしたら、25年間先の利益計画、
資金繰り表、返済計画を作ったのです。
それに付随して現在の資産・負債明細、個人の資産状態も全部つけたのです。
「25年先の交際費まで決めるの?」当時銀行から皮肉だかお褒めだか解らない言葉を
貰ったことを覚えて居ます。
昨年は細かい費目など一切使わない大雑把な数字で自分が作って「この方が解るね。」
と云われたのを覚えて居ます。
それがまたあの細かい25年先の経費の費目まで出した計画書を作るのかな、
うんざりしたのです。

じっと2年前のコンサルタントが作った分厚い計画書を見ていました。
根本的に違って居るころがあったのです。
今回は不動産の処分計画を入れて居りません。2年前の計画では今頃半分以上
処分している筈ですが実際はまだ何もして居りません。
ただメインのところは若干処分もして居ます。
之を思い出させ、処分を約束させるのが目的だろう。そう感じたのです。

改めて、不動産の明細を他行の分まで解るように表にしました。
之をもって訪問し、改めて処分の方法について説明しようと思って居ります。

今度こそ本当にどの銀行もリスケを承認してくれるでしょう。


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倒産時のあがき

2010-09-16 | 事例
Mは今月は何とか払えても、来月は無理だと判断しました。
手形は切って居ませんから、支払ぶりが特に重要視されます。
支払を狂わせると、噂が飛び、材料供給は現金引換えで無いと無理になります。

兄弟・弁護士みんなが破産を薦めました。
しかしMはどうしても破産は気が進みません。
破産をして資産が皆取られても良いです。どうせたいした物はありません。
しかし、仕事が出来なくなる事が弱ります。生活の為ばかりではありません。
48年間、耳にこびりついた機械の音が聴けなくなるなんて、死ねと云われるのと同じです。
工場の事以外は何にも解らず、且つ出来ないMは65歳です。
年金を貰い始めたばかりですが、之を返上しても工場は続けたいのです。

一人だけ変わったことを云いました。
「仕入先皆を集めて内整理しよう。若干払って、後は負けてもらうのさ。
 その後の仕入れは現金になるが、必ず了承しますよ。
 銀行は保証協会付は先ず代位弁済。毎月小額で勘弁して呉れるよ。
 工場担保がプロパーならば其の金利だけを払おう。後はサービサーと和解さ。
 これでいけるかも知れないよ。」

少し光明を持ったMに、第2会社のことを吹き込んだ人も居ります。
「会社は潰れない。儂は破産をしなくてよい。必ず生き延びる。」
Mは信念を持ったのです。

彼は自分が得た情報の中から自分の都合のよいところだけを選んで、取り上げたのです。
「先ず破産は絶対にしない。工場は誰にも渡さない。
 債権者会議など儂にはできないから、先ず支払をストップして、1軒づつ口説く。
 それで、1年後から支払を約束する。用紙だけはあるから、手形を切ってもよい。
 それで材料供給にも協力して貰う。」

支払日の寸前、まともに之を仕入先にぶっつけたものですから、何処もびっくりしました。
現状説明もなく、今後の計画もなく、ただ「払えない。1年先に若干払う。」
と云われても協力のしようもありません。
膝詰めで、せめて事情の説明と計画ぐらい教えろと大騒ぎです。
そんな物、有りませんから出来ません。しかしMは大真面目です。
積極的に債権者と有って、自分はいかに払いたいか、説明して居ります。

2ヶ月くらい、大揉めに揉めましたが、納入業者たちは次第に静かになって行きました。

彼の工場の音は止まりません。相変わらず威勢よく動いて居ります。
材料の買い置きがあったのと、これだけ世間が騒いでも現金ならば入れる業者はあります。
彼は給料以外は全然払っていませんからお金を持って居ます。
従業員は会社は変わらないと一人も辞めて居ません。
しかもこの評判を聞いて納入先は逆に注文を出して居ります。
他に比して価格が安く、品質も劣らないからです。
潰れる前に買っておこうというわけです。

銀行だけは工場が取れれると不味いと、まだ何処にも金利は払って居ます。
銀行は何処も騒いで居りません。ただ仕入先だけが損をして居る形です。

この体制で2ヶ月間は平常と変わらない仕事を続けましたから大したものです。
しかし、ほころびは段々大きくなってきます。
買い置きの材料が途切れます。我慢して付いてきた従業員にも漸く動揺の色が見え、
辞める者が現れ始めました。
回収は殆ど手形で、割れません。仕入れに回すと裏判もありませんから、
馬鹿高い値増しを要求されます。採算どころでは有りません。
彼の手持ち現金は見る見る減って行きました。
税務署が動き出したのも不気味です。

此処でMは第2会社の方法を思い出したのです。
会社さえ違えば何処も材料は普通に入れ、銀行も手形を割って呉れると信じたのです。
差押えも心配無用になります。
早速会社をつくり、今までの工場の半分を賃貸契約をして、知り合いの老人を
社長に据えて一先ず安心です。

しかしこんなふざけた事が通る筈は有りません。
先ず従業員から反対です。
変な会社を作って何も知らないおじいちゃんが社長になっている、
自分達は全員其処に移籍だって。
承知するはずがなく、全員で退職金の要求です。
退職金などもう払えません。其の前に従業員失くしては工場は回りませんから、
第2会社の話は1ヶ月で消えました。

もうMの懐にはお金は殆ど残って居りません。
こんな騒ぎでも、工場は減ったとは言え、動いて居ましたから驚きです。
でも回収は大幅値引きで現金です。採算なんて知りません。

今後はどうやっても2ヶ月とは続きません。
現金でも仕入れることは難しくなりました。注文が少量になってきたかです。
しかしそれでもMは未だ工場は守る積もりです。
破産など見向きもしません。最も破産の費用もありませんが。

この後のMの生き方、また次の機会にご紹介いたします。


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時効を認めた債権者

2010-09-12 | 事例
瞬間ドキッとしました。
1通の封書ですが1ヶ月前に、時効の援用をしたサービサーからです。
「時効が成立していないのかな。そんな馬鹿な。」
恐る恐る開いた封筒には、連絡書と本文の「債務不存在確認書」と
云う難しい題名の書類が入って居りました。

平成10年に借りたお金です。
銀行は借り尽くしてカード会社から、別枠の200万だったと思います。
借りました。それからも会社は頑張ったのですが、残念ながら平成13年には
営業続行が不可能となり、自然消滅的に会社は消えたのです。
金融債務だけは残り、追いかけられもしましたが何とか逃れて現在に至って居ります。
これは其の1つです。
確か平成15年にサービサーに譲渡の連絡を貰ったところです。

それがまた違うサービサーに譲渡されていたらしいです。
其処から催告書がありました。
もう忘れていた債務です。7-8年は払ってありません。早速内容証明で援用通知です。
「消滅時効になって居りますから支払いません。」と云う内容です。

時効の内容証明は初めてではありません。これで3回目です。
確かに最終回の支払から5年以上経っており、且つこの間、残高承認もして居りません。
仮差押とか競売、または訴訟など、裁判所が関係したこともありません。
最終の支払日など忘れて居りますが、銀行がサービサーに譲渡したときの書類は、
もって居ます。この時から1円も払って居りません。
今回の請求元本と同じです。日にちまで確認できます。

前に送った2行はその後何も云ってきません。
「違っていれば直ぐに反論してくるよ。確かに時効ならば何も云ってこないよ。」
援用通知を教わった時に、こう教えて頂いて居ります。

しかし今は返事がなくても半年後とか1年後とかにまた請求がないかと心配です。
「何時までに返事がなければ当方の主張を認めたものとします。」
と、内容証明に書いても、法的な効果があるか解りません。
ただ今は、若干不安ですが、後でまた蒸し返すことはないだろうと思って
そのままになって居ります。
ですから相手も時効を認めたら其の通知を頂ければ本当に有り難いです。

債務不存在の確認書は、サービサーも確かに消滅時効により、
債権が存在をして居ないことを確認した書類でした。
何か もやもやしたものが一時に晴れたような気分です。
本来はこれでなければならないと強く思ったのです。

反対に、今は、時効になっていることを恐らく知って居るでしょう。
それでも平気で請求するサービサーがあまりにも多いのです。

時効になっているのに、うっかりして残高を認めたり、払ったりすると
「時効利益の放棄」となって折角の事項が「ふい」になってしまいます。
之を狙っているかとしか思われません。
金のないものを相手に一寸感心しない卑劣とも云える回収方法です。

よくサービサーから「貴方の債権は50万で和解にする事を提案します。」
と云う文章が舞い込みます。
しかし良く調べると半分以上は時効になって居ます。
「請求書を貰えば時効は中断する。」
無知な債務者は信じて居ます。之を悪用しているのでしょう。

サービサーが利用されるまで銀行は債権放棄をしていました。
ところがこの放棄を債務者に通知したことは殆どありません。
債務者は放棄されているにもかかわらず、何時取立てが来るか戦々恐々としていたのです。
恐らくこの精神はサービサーでも同じと思います。
サービサーから債権放棄の通知は見た事がない人が多いでしょう。

出してもよい通知、むしろ出せば苦しみから逃れる人が生まれるような場合、
そんな通知は出す事を普通にして貰いたいです。
いまは強者独善の姿を見て居るだけです。

しかし一方では、今日の書類みたいなことも出来るのです。
話は変わりますが最近サービサーから債権放棄の内容証明を貰った人も知って居ます。
通知をしない趣旨がわかりませんが、「通知をしなければ相手が急に羽振りが
よくなったときにまた回収出来るさ。」と云うようなスケベ心があるならばさらりと
捨ててこうした返事はするべきと思います。
時効の場合も官庁と同じく援用通知がなくても時効になれば一番よいのです。

「それより払えばよいじゃあないか。」と云う声が聞こえそうですが、
そうした事がいえる人は、最も驕り昂ぶった人と思います。


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内職の失敗

2010-09-09 | 事例
「ご本尊をお参りして、蕎麦つくりの醍醐味を。」
例年、この観光会社は7-8台の顧客を運んでくれます。
彼のところはお寺様の近くの土産物店です。
大きな味噌つくりの会社の1部門です。

彼はこの土産店の営業です。観光バスを引っ張ってくるのが務めです。
強敵が多く、一寸気を抜けば直ぐにお客は引き抜かれます。
しかし面白いのは新企画があればバス会社は真剣に対応してくれるのです。
彼は自分が企画屋になって独立することを夢見て居ります。

彼が目をつけたのが、今の企画に葡萄の「巨峰」との組み合わせでした。
葡萄と云うと隣県だけが有名でしたが最近この県も、この地方ですばらしい
巨峰が出来るようになったのです。
林檎狩を組み込んだツアは一杯ありますが、ご本尊と蕎麦それに葡萄を
組み込んだ企画はありません。案の上バス会社も直ぐに載って来ました。

生産者も大乗り気でした。ツアは黙って大量に売れます。
入園料300円、帰りの土産2房で700円がバス会社の希望です。
生産者は入園料500円、土産1200を主張して居ります。
折り合いが付かないままに、彼はバス会社の希望を引き受けて見切り発車したのです。
双方とも彼を経由して決済をします。

ツアはまずまずでした。
初秋、10回ほど行われました。
しかし彼はバスの巨峰立ち寄りと、決済は彼を経由することは一切会社に
報告して居りません。
「マージンを1円も抜くわけでなく、単にお金のやり取りの中に立つだけ。
 悪いことは何もしていないから報告などする必要はないではないか。」
これが彼の思惑です。
彼は兎に角、自分の企画を成功させて、生産者やバス会社に顔を売りたかったのです。
これが成功すれば彼の頭には次の企画が詰まって居ます。
「会社だってバスが増えれば言う事は無いよ。」

しかし、決済になって揉めました。生産者は当初の見積もりを負けません。
50人乗りのバスを1日2台づつ5日のツアです。
ただ後の2台は空席があり、2台で50人です。
彼は、人数分×1000円で45万払つもりです。
相手は最後の2台も満席分の用意をしたからと、それも請求します。
85万の請求です。仲介者も生産者も始めてのことです。
いちゃもんは起こって当然かも知れません。

揉めに揉めているうちに、生産者はあのツアで傷をつけられた木があると云って、
請求は120万に増えたのです。
それから半年間、生産者と彼との間で揉めましたが結論は出ませんでした。
勿論彼が負けても払うお金がありません。

やがて生産者は彼の勤務先に請求することにしました。
彼の勤務中に彼がやった商行為であるから会社に責任が有ると言うのす。
彼は早くも之を察知して会社から無断で飛び出して居ります。

その後、会社に言って来ました。会社は勿論、そして直ちに否認しました。
「彼は確かに当社の社員では有ったが、そのような取引は店長も本社も誰も知らない。
 そんな大金が動く取引ならば、契約書や発注書なり何かのエビデンスがある筈だが
 何もない。第一事故が起こって半年以上何も連絡なく、且つ彼が居なくなってから、
 急に言ってくることがおかしいではないですか。」
会社はこれで終って居ります。

企画の成功を自分にするための内職が、ひいては1円も貰えず、職まで失い、
請求すら背負ってしまったのです。

後日談があります。
彼はその後実家に戻ったみたいです。
1週間も居てふと姿が消えました。後で気がついたことですが、
この時に親父の印鑑証明と家の権利証を持ち出して居ります。

それで彼はお金をつくり何かやろうとして失敗したみたいです。
それで親の家が競売で他人に渡ったのです。親も自分がやったでは無いと
抗弁をすればよかったですが、田舎の老父、何もしませんでした。

それで終ったと思ったら、今度は全然別のところからです。
「交通事故で損害を蒙った。子供が弁済しないから親が弁済してくれ。」
と保険会社の弁護士から請求です。

勿論これは払いませんが、それにしても心配になる彼です。
1寸したことが、運が悪ければこうまでなるものかと考えさせられます。


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離婚の寸前

2010-09-05 | 事例
「最近女房の様子がおかしいんです。」
Aが少し冗談ぽく切り出します。資金繰りの話が一段落した後でした。
「昨年末、癌で入院をしましてね。胃の半分以上切り取って、でもお陰さまで
 1ヶ月くらいで退院しましたが、その後女房の態度が少しおかしいのです。
 と云うのは入院中に私名義の預金など全て自分の預金に切り替えたのです。
 これに気付いて女房に聞いてみると、「あなたが入院で死ぬかと思った。
 そこで私の名義に切り替えたのですが、もうこのままにして置きます。」
 なんて云うのです。」

若い頃から家計は奥さんに任せて居ります。
したがって預貯金などいくらあるかも掴んで居りません。
ただ通帳の名義だけはAさん名義にしている事を確認しております。
退院後、会社はますます資金難になり、銀行も宛てに出来ず、
場合によたっら自分のお金をつぎ込むかと残高を妻に聞いたら、
「もう貴方の預金はありません。」との答え。「入院に全部使ったか、
おかしいな、保険で殆ど補われたはずなのに。」と思って問い詰めたら、
預金の移動を知ったのです。

此処でそのままにしておけば、あるいは次に発展しなかったかも知れません。
「それで何時、また俺の名前に戻すの?」と聞いたために妙な展開となりました。
「私たち、別れましょう。その時にこのお金だけは全部私が頂きます。
 そして年金は半分頂きます。」
家は借家、財産を全部取られるも同じです。
それより夢想だにしなかった離婚と云う言葉にびっくりし、
其の日はそのままにして置きました。
「女房はその後、弁護士と連絡している様子です。」

お互いの浮気ではなく、又、性格の不一致でもありません。
男の稼ぎが少し悪くなって、仕事が危なくなっただけです。
こんな時こそ助け合うのが夫婦と男は思います。女は全く違う考えです。
「少し危ないな。でも大丈夫だろう。」と其の日は分かれたのですが。

それから10日も過ぎないうちにまたAから電話です。
あれから直ぐに離婚の印を押せと正式に話があったらしいです。
半ば覚悟していましたから、「財産を全て半分にするならばよいよ。
預金も半分にしよう。」
と提案しましたが、妻は承諾しません。
「通帳は其のまま」が言い分です。其の中身の額面すら教えません。

家裁に電話をしました。
「あなたが金額を掴んでいない限り、家裁も仲裁は無理です。
 金額がはっきり解っていて、其の配分で揉めるならば、
 いくらでも仲裁に立たせて頂きます。」
家裁で乗り込んできて強制的に通帳を調べる事などは一切やらない方針のようです。

何時癌が再発するか解らない身。
預金は1円もなく、半分の年金11万で借家住まいとは、
今までの67年間の人生、何をして居たか解らないし、先に何も希望もない。
うなだれるAを慰める言葉を知りませんでした。

こんな話も最近です。
×一同士、20年前結婚しました。
男は家なし、女は自宅がありました。以後其の家で生活をして居ります。

結婚して間もなく、近くに夫婦はもう1軒買いました。
名義は半々です。賃料稼ぎです。当初賃料はすべてローン返済に
回しましたから、もういくらも残って居りません。
男の稼ぎが減って居ますから、この賃料は生活の足しになって居ます。

男の仕事はますます苦しく、ついに返済猶予のお願いです。
100%保証協会付です。男だけの保証ですから自宅は勿論、
貸家も担保になっていません。
女はこの時に下手をすると貨家の半分は取られると思ったのでしょう。
全部、自分の名義にする事を計画しました。

自分の名義にする事は難しいです。
自宅でないから結婚20年の税法の恩典も利用できません。
無剰余で守るのでなく、何とか自分の名義に変えたいです。
その結果思いついたのが偽装離婚です。

男の工場には幸い仮眠室もあります。其処に男を住まわせ、
別居をした事にすると詐害行為にもなりません。
銀行は返済猶予前ならば危ぶむが、過ぎてからならば平気でしょう。

幸い、返済猶予は成功しました、新しい担保要求もありません。
「もうすんだから偽装離婚などよいではないか。
 将来の危機管理と、いぶかる男を説き伏せて偽装離婚をして、
 まんまと貸し家を自分名義にしました。

この偽装離婚、成功したら、女は本物に変えたのです。
「貴方の会社がおかしくなった。私たちの資産は守りましょう。」
それが全部を女に採られ、おまけに年金の半分も取られ、
自分は工場の仮眠室で暮す様になったのです。

こんな例はまだまだあります。
いずれも男に年金が支給されるようになってからです。

論評は差し控えますが、何か寂しい気がします。


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破産の前に考えよう

2010-09-02 | 事例
月末前の29日の夜、彼から電話です。
「月末の入金先が2軒飛びました。当社も月末の支払は一切出来ません。
 昨日土曜日でしたが金策に歩きましたが、効果0でした。
 明日、もう1日ありますが、もう金策は無駄と思っていります。」
今はこの2軒が殆どを占めているらしいです。
よりによって2軒同時に行かれるとは! 彼も正常心を失って居るみたいです。

「弁護士事務所にも飛び込みました。破産しかないって言われました。
 費用が100万ちょっと位掛かるらしいです。其の金さえ無いものですから、
 そのまま引き下がって来ましたが、親に頼んで破産をしようと思って居ます。
 親も以前から私の窮乏を知っていて、破産をして、やり直しなさいと云って
 居ましたから、最後の面倒を見て呉れるとは思いますが。」

「破産って! 以前から考えて居たの?」
「いえ、頭を掠めた事は良く有りますが、やろうと思ったのは今回が初めて、
 それも弁護士に会ってからです。」

「じゃあ、あんた、破産後の生活など、何も考えてないよね。それが一番大事だよ。
 どうするの。」
「何とかなるでしょう。直ぐ仕事をすれば1-2ヶ月の辛抱ですから。」
こんな様に考えている人は彼だけでは有りません。破産をするような人には多いのです。

「仕事は何とかなる。生活も何とかなる。」普通の人ではなく、
 破産をする人が考え手居るのです。
個人でも、会社でも、破産申請から免責まで、いくら短くても4ヶ月はかかります。
会社破産を弁護士に依頼しても、弁護士の申請まで2-3ヶ月はかかります。
自分が破産を決意してから免責までいくら短くても半年は十分にかかります。

少なくてもその間は自営業は成り立ちません。
さりとて中高年になれば勤め先など、職種に拘わらず直ぐ見つけるのは先ず、
出来ないでしょう。

会社再生と云って居りますが、再生の前に、まず自分と家族は生活しなければなりません。
弁護士は破産を薦めますが、どうやって生きていくかは教えません。
教える事は過去の整理だけで
将来のことではありません。
会社再生コンサルタントなども、再生に必要な資金の作り方と、再生出来るまでの
生活の方法は教えません。

彼は言い張ります。
「私はもう一花咲かします。その時に妙な負債があって、足を引っ張るより、
 此処で全てを綺麗にした方が、人も応援しやすいと思います。
 だからこそ、私は破産をしなければなりません。」

とんだ思い違いです。
今までの付き合いがあるからこそ、破産もせず、頑張っていれば、
応援者も協力者も現れるものです。
破産をすれば其の途端、みんなの見る目が違ってきます。
破産をして綺麗になって出直すなどの台詞は、現場を知らないものの
世間知らずの考えではないでしょうか。

「明日もう1日あります。自分で回って説明しなさいよ。
 手形がないから反対者が居ても倒産はありません。銀行だって何もしませんよ。
 それで、ベストを尽くす方法をもう1度検討しましょう。
 
 今までにもいろいろやって居ますから、今後は特に発想を変えた、
 ものすごいリストラが必要で  す。
 其の方があなたが破産をして別にやりだすより、手っ取り早く、
 成功率も高いでしょう。それでどうしても駄目に時は破産しましょう。
 でもその時は3-4ヶ月の生活費だけは何とか握ってから破産します。
 其の方法は教えますよ。」

その時の彼はまだ破産を断ち切って居りませんでした。
「後は自分で決めることだな。」わざと冷たく言い切って電話を切りました。

気にはなっていましたがそのままにして此方から問い合わせはしません。
2日の今朝、電話が有りました。
「仰ったとおり、30日から皆さんのところを回り歩いて居ます。
 潰れるにしても其のほうが誠意だけは解って貰えると思ったからです。
 回って驚きました。
 何処も以外に協力的なんです。「頑張って下さい。出来るだけ協力します。」
 と云ってくれました。
 回ってよかったと、つくづく思いました。
 人間なんて考えて居るより、ぶっつからないと駄目なんですね。
 あっ、それに銀行は電話だけですが、何処も何も云いませんでしたよ。
 来月はお願いしますだけです。」

恐らく当分破産より厳しい道が待っているでしょう。
でも、それを踏み越える事が彼の試練です。


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