かっ飛ばせ借金 打ち勝て倒産

 
 ‐オグチ経営研究所‐

 ☆★自分でできる経営の再生と整理★☆

  

ある女の借金

2008-08-30 | 事例
計画を打ち明けたらお金を出してくれる人が居りました。
お金が足りないと言ったら、借りるところを紹介して保証人に
なってくれる人が居りました。
今、貸して呉れるところを、紹介してくれる方を探して居ります。

30台後半の彼女は独身です。
3年前から、家賃保証システムで赤坂に店舗を借り、
ライブハウスとスナックを営んで居ります。

其れまでは江東区で小さなスナックを経営して居ましたが、
華やかな場所えの飛躍を狙い、それにライブハウスにの
仕事には興味があったのです。

聞き上手の彼女には何人も力になってやると云うお客が居りました。
彼女はそんなお客を全部断り、赤坂でやりだしたのです。

実はこの時には、彼女は依頼している税理士より5000万の出金を
約束して居たのです。
「貴方のお店を切り盛りしている能力を買います。
 返済に条件をつけません。出来る時に出来るだけ返してください。
 どうしても駄目に時は会社の株を全部譲って頂いて、僕が社長に
 なって貴方に働いて貰います。」

特に美人と云うほどではありません。
其れなのに何故5000万も借りれたか解かりません。
お店でパトロン顔をして居ることなど見た事もありません。
あえて言えば聞き上手です。人の悩みを黙って聞いて、
柔らかく助言をしてくれる人、そんな彼女に参っている人も
少なくなかった筈です。

とにかく5000万を貸してくれたのです。
彼女は開店のため、2900万を出して家賃保証の店舗を借りています。
毎月水道光熱費まで入れて120万懸かりそうですがそんなもの
一寸売り上げれば平気です。

売上は200万になって居ませんがスナックはそれでも黒字でした。
しかし力を入れたライブハウスは最初から大きな赤字です。
毎月500万一寸しか売上はありません。
家賃で120万、楽団謝礼が250万、人件費が150万かかっていれば
お店の飲食代やその他の経費は全部持ち出しと云うことになります。

当初の5000万はたちまち底を付きました。

この時に彼女に助言をした人が居ます。
公務員でした。
「銀行から借りれれば一番良いが時間も掛かるし確実に
 黒字で無いとやばいよ。其れより商工ローンと云う処が有るから、
 多額でない適切な金額で短期間ならばそこで借りると良いよ。
 保証人が必要かも知れないが僕がなってやるよ。」
40台ですが独身で都内にマンションを持っています。
保証人としては打って付け、たちまち3軒から1200万を借りる要に
なってしま居ました。
金利が15%と言って居ますが、700万は29%です。利払いも大変です。

たちまち無くなります。
その間に国金に行きましたが商工ローンから1200万の
借りて居る企業は相手にもなりません。

しかし世の中、助ける神は多いです。
取立ての厳しいN銀行が保証人さえ居ればと見つかったのです。
居ました。赤坂の一流企業に勤めている人です。
小額だったら良いよと言う事で300万借りれたのです。

この300万が最後のつもりでした。
しかし、其れも使い果たす頃、ライブハウスの赤字も何と
無く少なくなって来たような気がして来ました。
スタッフと相談して、もう1度お金を工面して、後6ヶ月やろう。
そして駄目の時はお店を閉めようと決めたのです。

でももう資金は足りません。
楽団のお金を1ヶ月伸ばすことだの、又借入のリスケなど彼女には
思いも付きません。又誰かに進言されても一蹴して居たでしょう。
借りれるならばこうした所でも良いと考えて居ります。
今までは、きちんと返しているだけに、怖いところから借りて居ると
云う事は感じたことがありません。

そんな時、偶然にインターネットで資金コンサルタントを探したのです。
然しその結果は、コンサルタントは契約料を取りながら居なくなって
しまったのです。
契約金だけでなく、預けた2期分の決算書も戻って来ません。
「決算書に一寸手を入れると1流銀行からビジネスローンで1000万は固いです。」
の言葉に、ついその気になったのです。

懲りずもう独りと会いました。
今度の方は固い人です。極端なリストラと1ヶ月棚上げの支払い交渉、
出来ない時は破産を薦められました。
勿論断りました。
然しそんな事をして居るうちに支払いが出来なくなったのです。

楽団には払えないし、家賃の支払いも滞ります。
借入の返金杷勿論、利息も払えなくなったのです。
今まではこうした事態にはなった事はありませんから対応は下手で遅いです。

ライブハウスは自然消滅となったのです。
スナックの方は黒字ですが、大家はじめ、酒屋など、ライブハウスと
切り離されないものが多いです。自然消滅も時間の問題です。

然し彼女は平気です。

最終的には金融借入が残るだけです。
それに今でも、何処も最初から保証人と話をして、
彼女にはきついことを言ってきておりません。
税理士は其れは暗い顔をしましたが、何も言いませんでした。

結局保証人が払うでしょう。又払う力を持っています。

直ぐ近くにスナックの売り物があります。
彼女の食指が動いております。





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自宅買戻し資金を疑う

2008-08-27 | 事例
「10年前になりますが、安定化資金で5000万融資したことが有ります。
 あの時1000万は、設備資金と云うことで当行もエビデンスのコピーを
 頂いております。残る4000万は、運転資金と云うことだったですが、
 改めて当行で調べて見ますとうち2900万は、会長宛の小切手になって
 居ります。何に使用されたか教えて頂きませんか。説明が付かない
 出金は、保証協会の代位弁済の対象から外れるんですよ。」
電話口の次長の声が響きます。

銀行も保証協会に代位弁済を依頼するのには、出金明細が必要だそうです。
初めて聞くことですが銀行が言うのですから本当でしょう。
それにしても10年前の事で解かりっこないです。恐らく出金していると
なれば関連会社のどれかに回しているでしょう。
今頃言われても思い出すのも難しいです。

それにしてもこの銀行の話は本当でしょうか。

この会社も、もう金利も払えなくなっと銀行に伝えてから3ヶ月経ちます。
当初の騒ぎはもう治まって居ります。
しかしどうもおかしいです。
過去の何でもないことを引っ張りだして聞いてくるのです。

3年ほど前に3番抵当まである不動産を、家内の親戚の名前で1番の国金に
全額払い抵当権をそのまま移行してもらったことがあります。
根抵当権が抵当権になりましたが、先ずこの不動産は守れたと思っています。

当時何処の銀行も何も云って来ませんでしたが、今になって
そのことについて詳細を聞いてくるのです。
此方は債権者が国金から家内の親戚に変わっただけですが、
何か此方が不適切のことをして居るみたいで気持ちが悪いです。

そう云えば確かに最近いろいろと不動産登記をいじって居ります。

4人の男の子、53歳から41歳まで皆私の許で育ってきました。
長男は私の後を継ぎ、後は小さな会社を3つ作り其の社長にして居ります。
長男は仕方ありませんが、3名は借入保証をさせておりません。
長男も出来るだけ少なくしてきました。
この各自の自宅と会社だけは守ってやりたいです。

自宅の殆どはその為に買った土地は少なく、元からあった土地に
家を建てたのが殆どです。殆どが担保になっていた土地です。
それを、ここ1-2年の間に全て買い戻したのです。
そして子供自身の住宅ローンで自宅を作っております。

会社の買戻しは、次男の会社が比較的業績も良く、違う銀行が
融資をしてくれました。それで買い戻せませました。此れは最近、
この騒ぎが起こってからです。
そして、其処に3男と4男の会社が同居させてもらっています。

私としては銀行の担保で有ったものを、子供が正当な価格で
買い戻したのだから銀行がとやかく言う事は出来ないだろうと
云う考えでした。事実、今日まで銀行から此れに付いてとやかく
言ってきた事はありません。

ある日次長がつぶやいたことを聞いて私は慄然としました。
「お宅のお子さんは皆さん土地を買い戻して其の上に
 立派な自宅を建てられたのですから。」
其れを聞いたときに銀行が最近、何を調べているか解かるような
気がしたのです。

会社の買戻しのお金の出所ははっきりして居ります。
後の個人の自宅の土地の買戻しはお金の出所がはっきりしません。
会社のお金を流用しているかを調べて居るのでは無かろうかと、
そんな気がしたのです。

各自が社長と云っていた会社も、所詮は私の会社と繋がっています。
銀行としては、各自の不動産の買戻しのお金は倒産会社から出て居ると
云う結論が欲しいのです。

さすがです。
事実は私の会社のお金の流用です。
そんなこと、対して気にもして居ませんでしたが、帳簿を見れば直ぐに
解かります。
もう帳簿など見せっこ無いから彼らは通帳の動きを追っているのでしょう。
其れが10年前の安定化資金の出金まで及んでいるのでしょう。

私も3行と取引しておりました。
息子たちの会社も次男がもう1行取引があるだけで、あとは同じ銀行です。
全ての銀行が資料を持ち寄れば簡単に資金の操作など解かります。
ただ息子に対する貸付金を他の費目に変えてあるだけです。
買戻しの時には其処まで考えませんでした。

何も無くてこのまま治まってくれることを願っています。
万一其のことで銀行に何か聞かれたら、徹底して知らぬ存ぜぬ出と
ぼけるつもりです。

恐らく大丈夫とは思いますが、心穏やかでない日々を過ごしております。





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サービサーが来る

2008-08-25 | 事例
電話を取ったSの顔が急に強張りました。姿勢まで変わって居ります。
「解かりました。お待ちして居ります。」
受話器を置いたSは、心配そうに見守っていた妻と息子に、
力なくつぶやきました。
「2週間後の20日、サービサーが此処に来るんだって。
 此れで我が家も終わりかな。」

昨年4月、2億3000万を借りているM銀行から急に云われたのです。
「ビルを売却して全額返済して下さい。」
驚きました。今まで返済を滞らした事は1度もありません。
約定通りには返済して居ります。

ただ契約が1年毎切り替えの契約です。毎年払う額を決めて残金は、
年度末に一括支払いの約束です。切り替え時に当然一括返済は
出来る筈がありませんから、また1年間の返済を決めます。
ところが今回は其の切り替えが出来ないから約定通りに一括返済を
してくれと云われたのです。

弁護士に聞いたら違法ではない。銀行は出来ると云う事です。
金融庁にも電話して聞きました。同じことを言われました。
しかし、返済の最後の一括返済を出来る人が一体居るのでしょうか。
其れを又伸ばす事は文章にはありませんが、当然の約束毎です。
金融庁も法律には抵触しないと云って居ますが、下々の現実を知って、
適切な手を打ち出して貰いたいものです。

気持ちとは裏腹に、どうしても返さなければならない。
そして返せないと言う事は解かりました。
ビルを建てた融資ですが、仮にビルを売却しても大きな残債務が
残ります。自宅まで取られるでしょう。

今まで家族には給料もきちんと払っておりません。
自宅を売却して其れで全部精算しました。
自宅は其のお金で家族が再び買い戻して居ります。
司法書士の先生に聞いてやった事ですから大丈夫です。
と思っても、良く聞く詐害行為ではないかと心配にもなります。

そんなことをしながら、正式の話し合いがありませんから、
返済は以前の110万を続けて振り込んでいました。

しかし今年の3月、ついに外資系の会社に譲渡されてしまったのです。
挨拶状が来ました。
その間も返済は其こが指定する銀行に振り込んで居ます。
其の所為か、それからなんとも連絡はありませんでした。
怖いから返済はずうっと続けて居りました。

そしたら8月になって回収を委託されていると云うサービサーから
急に訪問するという電話が入ったのです。

一番良いのは今のまま続けられたら申し分ありません。
テナント収入でも25万くらい手元に残って居ます。
1Fでやって居る酒屋とタバコも利益は出て居ませんが継続したいです。
どうしても駄目の時はビルは何時でも諦めます。生活の為の収入が一気に
無くなりますが何とかなるでしょう。
一番困るのは自宅が詐害行為と云われた時です。でも、サービサーって、
意地が悪いそうですから言われるような気がして居ます。

電話を頂いてから、来る日までの2週間、本当に辛かったです。
私だけでなく、家中がそうでした。
今度から電話は来る2-3日前にして貰いたいと思います。
家中暗い雰囲気の中、その日がやってきました。

お二人でした。40台と50代でしょうか。主に若い人が喋りました。
簡単な現状説明をしただけです。
もともとの家業は赤字同然、テナント収入も背一杯返済している努力は
理解して頂いたらしいです。

「今日はビルを見るのが目的だったです。
 懸命に返済して頂いて居る事は理解しました。
 ご希望もわかりました。
 今後の事は帰って決める事になりますが、出来るだけ努力致します。

 本来は100%の返済をお願いするのが基本です。
 その間に難しいこともあるでしょうから、お互いに100%、
 自分の意思を通す事は止めましょう。私共も無茶は言いませんが。
 無理をお願いしますことも多いでしょう。ご協力願います。
 決して其れが為に、ビルを売ったり、自己破産に走らない様にしてください。
 そう云う時は遠慮なく相談をもちかけてください。」

二人は帰りました。

どう解釈してよいか解かりません。
恐れていた、一気に自宅までなくなるという事は無いようです。

今まで暑さも感じませんでした。
急に暑くなってきました。

それにしてもM銀行のやり方、他でも聞きます。
国が規制する事は出来ないものでしょうか。





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復活へのステップ

2008-08-22 | 事例
「このままではジリ貧だ。」
Iが真っ先に考えたのがレストランを兼業すると云う事でした。

彼は蜆を主に浅利や雲丹などの海産物の卸業者です。
得意先は主にスーパー、又有名なホテルやレストランも有ります。
出張所も二つあり、順調に見えたのですが、この年は天候が不順でした。
入荷が狂ったとなれば、何処かから商品を調達して納入しなければ
なりません。儲けどころか大きな逆ザヤになります。
売上が下がり気味のところに、この補填が大きく足を引っ張って居ります。
それに出張所はまだ赤字体質です。

内部整理をすれば良かったですが彼は拡大策を取ったのです。
単なるレストランではない。有名な場所に有ってショウを
見ながら食事が出来レストラン。観光バスが停まるようなレストラン。

彼の希望する貸店舗が見つかりました。看板を変えるくらいで
内部造作や用度品は殆ど今までの物が使えます。
そうで有っても、新規の商売は非常に金が懸かります。

今の銀行取引は大手銀行と信金です。少しくらいの借入はありますが、
定期預金の担保以外は全て保証協会付でした。

銀行取引など考えたことがないIに、運よく世はビジネスローンの時代でした。
知らなくても貸し手が飛び込んで来ます。
取引のある大手銀行ともう一つの大手行、2行から2億近い融資を
受けられたのです。

結論から言うと失敗しました。
レストランは1年くらいしか持ちませんでした。
直接の原因は、6ヶ月以上から前金を払って、しかも宣伝に費用が
懸かるショウの継続でした。
多額の出金が先立つ資金の段取りは、出来ませんでした。

出店の決意も早かったですが、引くのも早かったです。
丁度その時、居抜きで従業員毎、引き受けてくれる人が現れました。
未払い費用は全額引き受けてくれますが、銀行借入までは引き受けません。
莫大な借金を背負ってレストランを撤退したのです。

普通でも苦しいのに余計な事をしたために月に400万以上の出金が
増えたのです。借りたお金は勿論、個人のお金までつぎ込んで借入の
返済を続けて居ます。
強気なIですが、破産と云う文字が頭から離れ無くなりました。

それでも彼は頑張りました。
何処も金利だけにする交渉をして、頑張ろうとしました。
ビジネスローンの1行はこんな時でも金利を6.25%に上げてリスケを
OKしたのです。もう1行も見習いました。

仕入代金の支払いは月に2回、現金払いです。単なる契約ですが
この支払いは手形以上にきついです。待ったと話しただけで仕入れは
困難になるでしょう。
赤字営業所を整理し、ペナルティを注意して行けば、回って行けます。
破産をすればこの生活の道すらなくなります。

今となっては月100万の金利が非常にきつくなって居ます。
このままでは、何時仕入れ代金の分に手を付けるか、時間の問題でしょう。
Iは金利すら払う事をストップする覚悟をしました。

そう決めると、二つのことをやっています。

其の一つが自宅の保全です。
ローン残は殆どない自宅です。
此れを義父の名義に変更のつもりでした。が、事情を聞いた義父は
1族ならば詐害行為の恐れがある、其の恐れが無い絶対に信頼できる人を
と紹介してくれました。
第3者名義にして、自分は自宅から近くのアパートに越したのです。
旧自宅はそのまま貸家としました。

一方では第2会社を作って業務を移行したのです。
元の事務所は賃借物ですから新たに他所を借り、部下に独りが新社長です。
自宅も会社も調べられても、もう所在がありません。

そしてから、Iはどの銀行にも払えなくなった旨を伝えたのです。
新住所と連絡場所の携帯番号。此れははっきり伝えました。
尚その後掛かってきた電話には必ず出て居ります。

勿論、仮差もなく、恐れていた、「破産する」の脅しもありません。
ビジネスローンはサービサーに譲渡されたのです。
保証協会分も代位弁済になりました。

間もなく1軒のサービサーから現況聴取がありました。
「もう会社は事実上無くなって居る事。
 自分はアルバイトで食べている。
 破産したいが、会社があるため、100万以上掛かること。
 自分は親戚から30万借りるのがやっとの事。」
等説明して、結局50万で和解をして居ます。
もう1軒のサービサーも半年後に同じ条件で和解をしました。

第2会社も漸く軌道に乗ってきました。

保証協会分はまだ残っておりますすが、Iは4年の間にいろいろと経験して、
漸く破産もせず立ち直ったのです。
立ち直りのきっかけは、「払わない」と決めたことです。

非道徳的かも知れませんが、自分が立ち直るためには
必要なことでしょうか。





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保証人の無担保の土地

2008-08-17 | 事例
91歳。Kの父親の葬儀はしめやかに行われました。
会場にはあのU銀行の支店長の顔も見えて居ました。


Kは20年以上前、父親の跡を継いでやって居ます。
父親は先祖からの土地に、早くからのマンションや駐車場の経営し、
しかも、小さいながらこの地に紳士服の卸を始めて居ました。

20余年前に洋服卸は息子に譲り、以後悠々自適の日々を
過ごしていたのです。
そう、この会社でU銀行から少し借りたことがありますが、
引退の時は、すっかり返済して、もう何も無いと信じていたのです。

息子はやり手でした。
紳士服卸を礼服一本に絞ったのです。
日本中の礼服を独り締めにしてやろうと、彼は銀行から金を借り、
ビルを建て工場まで作ったのでした。
世はバブル景気の少し前、追い風でした。

あらゆる事がうまく行ったのですが、銀行借入もアット言う間に
膨らみました。いつの間にかU銀行も復活してメイン銀行となり、
借入は22億まで膨らんできたのです。毎月全部で3000万以上の返済。
しかし誰も気にしなくても商売はうまく回っていました。

急に問題となったのは今から10年以上前です。
バブルは破綻して、先ず不動産から、そして繊維も不況産業に
なったのです。Kも勿論大きな担保不足でした。

そんな時、U銀行の支店長からKの父親の駐車場を担保に入れるように
要請があったのです。
父親は殆ど銀行から借入はなく、数多い不動産は殆ど無担保です。

中でも都心に近いJR駅前の大きな駐車場は不動産業者の垂涎の的でした。
あの土地ブームにも離さなかった土地です。

Kはびっくりしました。
「保証人でない父親にそんな話は持っても行けません。ご勘弁を。」
と云うKに銀行は驚くことを言ったのです。
「お父さんは保証人ですよ。若しKさんに何かがあれば、当然お父さんは
 全て責任を追求されます。当行はあの土地さえ担保に入れて呉れれば、
 お父さんの保証人の義務を免責してもよいと考えて居ます。
 お宅を思った良い案ですがね。」
それでも首を振らないKをよそ目に、銀行は父親に直接談判をしたのです。

「父親が社長の時、融資を受けるために個人保証しました。
 包括根保証です。其れが今日でも生きております。
 だからこそ、20億以上も融資して居ります。」
そんな事が80歳を越した老人に解かる訳がありません。

息子を責めても、息子は父親がU銀行の保証人だったと一言も
言っては呉れなかったと逃げ腰です。

付き合いの深い顧問弁護士に相談しました。
はっきりしません。
「裁判になればフィフティ・フィフティでしょう。」
弁護士が強引に訴訟を進めないようならば負けに決まっています。

その頃始まった何年毎かにある保証人の確認のサインも勿論して居ません。
銀行はだんだんと脅し文句になってきています。
「今のままですとKさんに万一の時は、貴方の全ての不動産は
 無くなりますよ。と云って、今にうちに保全を考えて少しでも
 登記をいじる事があれば、不本意な がら当行は即座に詐害行為
 取消しの訴訟を起こします。其れより当行のお願いを飲んでくださいよ。
 貴方の保証人義務は免責いたします。」
あれだけ景気の良かった倅の会社も、秋風と言うより真冬に変わりつつ
あります。それでも父親は承諾もせず、ついにはU銀行と言っても会いも
しなければ電話にも出なくなりました。

父親は他界しました。
死後の相続の事は一言の遺言もなく、又相続人も生前に
相続の事は口にも出して居りません。

Kは母親と弟妹に頼みました。
「遺産は他は要りません。あの駐車場だけをU銀行の担保に
 してくれないか。そして、他の物件を守らないと、うちは
 そろそろ金利も払えなくなって居るから。弁護士に依頼しても
 費用だけは高く、勝ち味は無いと思うよ。」

皆の承諾を貰い、銀行と話し合った時に、銀行は慇懃の顔でしたが、
心の中ではせせら笑った様に思われました。
「何を言って居るのですか。Kさん。お父様のご生前中は少しでも
 気を楽にして差し上げようとあのようなことを申しましたが、
 今となっては違います。遺産は全て貸金のかたに当てて頂ます。其れと
 非常に不本意のことですが相続人からは私財を投げ打って頂きます。
 勿論当行はあらゆる面から法的検討はさせて頂きました。
 やって居る事に恥ずべきところは無いと確信して居ります。」
何の事は無い、父親の全財産どころか相続人の財産まで貰いますよと
いうわけです。
其の上、不満だったら訴訟でも何でもやりなさいと見得を切って居ます。

K以外は全員が相続放棄を致しました。
駐車場だけですと4億くらいのものがその他も増え、全体では7億くらいを
弁済して居ります。

駅の近くに大きな立派なマンションが建築されております。
Kはもう其れを見ても何とも感じません。
最後にサービサーとは結局2000万で和解をして居ります。

持ち前の商才で今はブライダルの事業に力を入れています。





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此れが詐害行為?

2008-08-13 | 事例
「君、此れは詐害行為ではないかね。」
「私もそう思いまして調べました。が、該当しないようです。」
はっきりではないですが、担当官と上司とのやり取りが耳に入りました。
後は何を相談して居るか解かりません。

Yは還暦の少し手前の歯科医です。
銀行の借金に追われて税金も2年くらい払って居りません。
業を煮やした税務署はついに彼の診療報酬を国民保険も社会保険も
差押えたのです。
ところが2軒とも「診療報酬は既に第3者に譲渡されて居ります。」
と云う返事です。
税務署は其の診療報酬を誰にも払わないように組合には要請して、
一方ではYを呼んだのです。

30年前に義母から3000万借りて開業しました。
借用書はきちんと入れて、エビデンス代わりに専用の通帳を作り、
この借金の出し入れは全て記載して居ります。
借用書には診療報酬を優先的に返済に回すようなことも書いて居ります。

しかし開業しても、もともと、商売っ気は無く、儲かる自費診療など
滅多にしません。
義母の借金も遅々として減りません。

そんなYが奥さんや義母に薦められて自宅兼診療所を作ったのです。
建築資金は全て銀行からです。2億3000万でした。バブルの真最中です。

案の上、返済は滞りました。
彼は折角の診療所です。あらゆる算段をして返済をしました。
当然他のものにはお金が回りません。診療どころでなくなって来ました。

義母は自分の貸したお金が戻らないばかりでなく、娘が生活にも
困るみたいです。ついにYの立ち直りの為に、診療報酬を一旦
自分の手元に入れて必要分だけを又Yに戻すようにしたのです。
勿論義母の取り分などありませんでした。

税務署は経緯を調べて、譲渡は正当の行為と認めて差し押さえを
解除しました。

義母もYも、此れで診療報酬は今後何処にも差押えられないことを
確認したのです。

やがて折角の自宅兼診療所は競売となりました。
Yはある私鉄の駅前のビルに1室を借り、そこで診療を始めました。
新規開店と同じですから、当分は年収も700万以下を覚悟です。

銀行は自宅競売後の残金を型通り請求はしましたが、結局は、
何もしないでサービサーに譲渡しました。

「医者だから取れる。」
サービサーはそう読んで居たみたいです。
しかし暗に相違して、Yは全然払って呉れません。
債務名義を取って心あたりのある銀行を差押えても空振りです。
ついに診療報酬をも差押えました。
此れも「譲渡済み」で空振り振りです。

此処でサービサーは「財産開示」を申請しました。
Yはあらゆる資料で自分の資産を説明しました。
裁判官もうなずいて居ります。
この時にサービサーは診療報酬の譲渡について徹底的にYに質問を
浴びせたのです。Yは答える必要も無いことまで丁寧に答えております。

帰りしなに、相手の弁護士はYに云って居ます。
「600万で和解しませんか。出来ないとなれば、
 お義母さんまでご迷惑を掛けることになりますよ。」
Yは意味が判らず、払えないと はっきり断っています。

2ヶ月くらい経って、裁判所から彼と義母に書類が届きました。

義母がYの診療報酬を独り占めにするのは、他の債権者の権利を
侵す行為である。Yは債権者全員に公平に分配すべきである。
よって義母とYはこの譲渡契約を直ちに解除せよ。
又義母はサービサーが差押た日から財産開示の日まで受け取った
診療報酬630万を直ちにサービサーに払えと云う訴状です。

法律の事は何もわかりませんが、担保にしろ譲渡にしろ早いもの
勝ちではないか。それに此方は正当な理由があり、結局税務署まで
差押を諦めたのではないか。それにみんなで公平にと言いながら
630万を独り占めにする気ではないか。80歳に近い老婆まで事件に
巻き込むとはサービサーのやり方も少し汚いと思うし、徹底的に
争うと決めたのです。

しかし80歳の義母には裁判所から来た請求はきつかったらしいです。
払わないと何もかも差押される。自分は自宅も家財道具も全てなくなると
思い込んだのです。
630万、私がお金を出すから直ちに訴状を取り下げろと云うのです。

630万払って、Yの借金は全て片付きました。
しかしYは悔しくてなりません。
サービサーが罪も無い老人に難癖をつけ、630万むしり取ったと
思われて仕方ありません。

でも最近、新しい診療所も漸く患者が付いて忙しくなりました。
儲け下手な彼にも少しは残りそうです。
今度こそ、借金も返して小さなマンションくらいは持てそうだと
云う夢が湧いてきます。 





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帰ってきた夜逃げ人

2008-08-10 | 事例
「もう5年は過ぎたんだ。」
Tは住民票を戻す決意をしました。
子供の事を考えると何時までも住民票がないと言うわけには行きません。

生コンとコンクリートの土木資材の製造販売でした。
工場の片隅に事務所とTの住まいがありました。
肉親は母と姉です。
近くに小さな住まいとお店を持ってつつましくやっていました。

仕方なく亡父の後を継いだもののTはこの仕事が好きになれませんでした。
しっかりと根を張った会社でしたが、トップがこんな考えでは当然おかしく
なります。Tの会社は世間の評価とは逆に資金難に陥って居ました。
Tは独り倒産を覚悟していたのです。

そんなTが業界のゴルフコンペで知り合った近県のある業者と知り合って、
相手の望むM&Aを決めたのは当然なことだったでしょう。

業者の条件は破格でした。うまくTの販路とオリジナルな土木資材を
物に出来れば、工場と設備は使用出来る期間、使用すればよいと
云うものでした。丁度倒産会社が第2会社を良く作りましたが此れと
そっくりの考えです。

要はTは今の営業をうまく業者にバトンタッチさえすればよかったです。

不渡りを出す前日、Tは仕入先を集めて債権者会議を行い3割の配当で
残債務放棄の話をつけました。
後の業者を紹介して業務には一切迷惑を掛けないことも付け加えました。
近県の業者はこのあたりでも知られた存在でした。評判は悪くなりません。
其れが幸いしてか、揉めること無く仕入先とは話が付いたのです。 

銀行や公租公課は先月から払いを止めております。
もれないと思っても債権者会議の事はもれていました。
終わるとどっと銀行が押しかけてきました。
Tは悪びれるところも無く、現状を説明し、今後の方針を云うのは
暫く待ってもらっています。

1ヶ月は直ぐに過ぎました。売掛金の未回収分が漸く終わり約束の
配当も出来ました。
売掛金を1軒、何処で知ったか社会保険庁に差押えられました。
トラブルはそれだけでした。

この配当が無事済むと、ぱったりとTの姿は見えなくなったのです。
業者も姉も本当なのか口止めされて居るのか、全然知らないということです。
置手紙なのか、電話化わかりませんが、郵便物は内容証明は
受け取らないでくれ、普通郵便は一々戻すのも大変だろうから
棄ててくれと云うことです。

一切を投げ打って自ら姿を晦ませました。
昼間でも夜逃げと云うのでしょうか。蒸発人のほうが適切でしょうか。

Tは東京に出ていたのです。
あの時、お金は何のかんので1億5000万を握ったのです。
当分生活には困りません。

Tは会社のあるうちに大学の同輩と連絡を取り、好きなITの仕事を
決めていたのです。
子供が独り居ましたが、奥さんが引き取って離婚になって居ましたが、
東京で又同棲を始めています。奥さんは離婚時、姓を変えて居りません。
自分の現住所は倒産場所から、移していません。
異動は一切してありませんから、本当に必要の時は住民票でも
多分貰えるだろうと云う気はします。試した事はありません。
年金は掛けて居ない間は諦めますが、現実に困ったのは健康保険です。

此れは今の住民票所在の役所に行って交渉しました。
「ホームレスにも等しい生活をして居る。決まった住所は無い。
 しかし健康保険だけは何とかしてもらわないと困る。」
と云うわけです。
何か特別にそうした人の為に用意してある保険で、月に1000円位に
してくれたそうです。

そう不便無く暮らせるわけです。
日常生活も変わっていませんし、人目を避けるわけでなし、此れが家を
棄ててきた人間かと思われるようなところは何もありません。
姉に聞いても、当初は住所を聞きに来た人も、結構居ましたが、
直ぐに無くなって今では噂すら上がっていないということです。

もう殆ど時効になって居るだろう。業者も諦めているに違いない。
Tは改めて今の住所に住民票を異動したのです。
同時に復縁もしました。
マンションはもう少し待って見極めてから購入する予定です。

1ヶ月くらいは平穏無事で喜んでいたのですが、其のうちに、
色々の手紙が多くなったのです。電話はまだかかってきません。
番号が解からないからです。

住民票から業者が知ったとしか思われません。
「個人情報だ。住民票は本人の了解無しに勝手に
 見せない事はありません。」
と云うのは真っ赤な嘘です。
少なくとも此れを見るかぎり、サービサーは自由に見れる様です。

Tは失敗して居ます。この時に全て「時効の援用」をすればよかったです。
時効の中断をして居るサービサーは直ちに其のことを云ってくるでしょう。
時効に該当するサービサーは黙る筈です。
今までの手紙が全て無いからどうなって居るか解からない、
と云う気持ちがTを躊躇させたのです。

Tは次から次と投げ込まれえるサービサーの督促状は一切無視しました。
すると、相次いでたちまち全部のサービサーから支払いの訴訟に
持ち込まれたのです。

今からTとサービサーの交渉が始まります。
当分は放っておくつもりですが此れで通せるか解かりません。
5年間の空白が良かったか悪かったか、少なくても当初の目的は
一つも果たしていません。





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自宅は詐害行為に

2008-08-05 | 事例
「ついに来たか。でもやれるだけは頑張ろう。多分勝てるだろ。」

Sのところに今日、裁判所から届いた書類。請求に関する訴状の中に、
詐害行為取消しの要求があります。不動産は仮差されていました。

Sが無担保の自宅を守りに入ったのはもう2年以上前です。
「会社はどんな事をしても不渡りが出る。」
社長についでのナンバー2のSの読みです。銀行融資には担保こそ
提供して居ませんが、社長と二人、保証人には名を連ねています。

保証人で無担保の不動産には直ぐに仮差をされると聞いて居ました。
仮差イコール本差です。
最愛の家族の為にこの自宅だけは守らなければなりません。

Sはもう30年、苦楽を共にした最愛の妻に半分を贈与したのです。
税の特例の限度でした。これ以上は贈与税が懸かります。
でも半分の方が自然で良いと考えたのです。
「いざと云う時は妻の名前で半分は買戻しだ。」Sの覚悟でした。

都合の良い事に丁度この頃、急に輸入品関係で3000万が
必要となったのです。このお金を遠縁の叔父から借りた、
そして振り込んだという筋書きを作りました。
其れに自宅のS名義分だけを譲渡担保にして名義を変えたのです。
お金は実際に動いています。証言を求められても全て一致します。
慣れない事ですから一脈の不安はあっても大丈夫だという確信です。
自宅は何とか守れるだろう。Sは一寸安堵しました。

会社はそれからリスケを依頼したりし、何とか続行を努力しましたが
及ばず半年後に不渡りを出しました。

債権者会議、第2会社での続行、やがて銀行の回収、めまぐるしく
動きました。しかしSの自宅に対していちゃもんはつきません。
大丈夫かと思っていた矢先、弁護士から内容証明が届いたのです。
地元の信金でした。
幹部に顔見知りも多いです。まさか此処だけは、
何も云わないだろうと思っていた銀行がやったのです。

「貴殿の自宅は今は名義が変わっているが詐害行為と受け取ります。
 ついては早急に取消しを要求します。」
と云う内容です。
放って置こうかと思いましたが、顔見知しりの信金でもあるし、
簡単な返事だけは出しておきました。
「此方は貴行に損失をかけるなどのつもりは毛頭なく、
 必要だからやって事で今から訂正は出来ません。」
銀行は無言でした。

それから2ヶ月くらいして訴状が届いたのです。

裁判の進行は悪くない様に思いました。
「結婚して30年経ったら妻に住まいを贈る約束をして居ました。
 丁度30年経ったのと初孫が出来たので一つの節目として半分を
 贈りました。尚会社がこんな状態とは妻は全然知りませんでした。」
「常務の奥さんが会社の事を知らないわけはないと思います。」
と云う反論も弱弱しく感じます。

お金を貸し、譲渡担保にした事はきちんとして居て全て裏付もあり、
相手も困ったようです。

「何とかなりそうだ。」
彼の思惑は最終弁論の時に簡単に崩れたのです。
銀行がSが依頼した司法書士を証人として呼んだのです。
Sは登記を変えるとき、司法書士にちょっぴり今回の経緯を
漏らして居たのです。特に会社が一個人から大金を借りると
いう事は珍しいものですから、弁解に彼は今回の登記の目的を
喋ってしまったのです。

狭い町、あの仕事は誰がやったと司法書士仲間では解かります。
其の上、司法書士の半分以上は信金の仕事をやっており、信金から
見放されたら食べていけないと云う事情もあります。
司法書士の証言は全くSを裏切って居ました。

「Sは詐害行為の意思あり。奥さんや叔父さんも知っていて加勢した。」
そんな事になってしまったのです。
そして裁判は敗訴しました。

個人秘密を守るべき司法書士がそんな顧客の秘密を漏らしてよいか。
Sは上告しようとしましたが、奥さんと80歳を越す叔父は首を
横に振ったのです。

Sは買い戻しに懸命ですがもっているお金は叔父の時に使った
3000万一寸です。1000万以上足りません。
会社がなくなった人にはもう誰もお金など貸しません。

Sは最近、胃痛に悩まされて居ります。





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第2会社の挫折

2008-08-03 | 事例
「電話でお願いした時に貴方は何も仰らなかったではないですか。
 私は当然K社と同じように商品を入れてもらえると思っていたんです。
 今更。困りますね。」
「いや、私どもK社とは当然取引をさせて頂きます。
 其の中でうまく処理をして頂きたいと云う事です。」
Kは力なく、席を立ちました。

ちっちゃいけれどK社は、磁気メディアの用度品納入業者として
知られています。国内草分けの販売会社だからでしょう。
当初より輸入物が主体です。しかし国内品も扱わなければやっていけず、
此れは大手専門商社より仕入れて居ります。

よせばよかったですがつい省エネ商品と取っ組みました。
資金は当時流行のビジネスローンです。大手2行から1億4000万でした。
しかし、磁気メディアのようには行きません。苦戦の末撤退、後には
返済不能の借金が残ったのです。

「借金を打ち切るには第2会社が良いよ。」
方々で教わりました。
商標や代表者、それに出来れば場所も変えて会社を作る。
其の会社が商売をすれば法的には、差押など一切出来ないから、
安心して事業に打ち込めると云うのです。

要は自分は表に出ないが、自由になる会社を作って、
K社の良いところだけを移し営業を続ければ、借金も
返さなくて良いし、全てを復活させる事は出来ると云うのです。

「第2会社にして一番問題点は、今までの取り引き先が同じように
 取引してくれるかと云うことさ。今では普通の会社は一社でも
 取引口座を減らそうとして居るから、この機会に止められるかも
 知れないよ。其処だけ気をつければ好いさ。仕入先の方は今時、
 取り引き先が減ることなんて好まないから大丈夫だよ。」

売り先の確保です。今の販売事情から見て充分に解かる言葉です。

しかしKは自信が有りました。
海外の磁気メディアに関してKが独占のブランドはありません。
しかし今までの取引で、迅速な調達、好きな数量注文、それに
価格等でしっかり得意先を掴んでいます。K社ほど使い安い会社は
なかったはずです。だからこそ続いていたのでしょう。
勿論供給先は第2会社でも取引きに異存はないでしょう。

「今までK社は磁気メディアを柱に食品やエスコ事業をしてきましたが、
 私も64歳を機に、この一つ一つを独立させる事にしました。それぞれ
 新社長でやります。私は総合的に采配を振りますが、どれも小さな
 会社ですから会長職は設けません。なお、事務所やスタッフ、
 電話番号など全て同じです。今後も宜しく願います。」

確かに口座切り替えは難しいです。2割近くはどうしてもうまくないと
言うことです。単に社名変更や社長交代ならば構わないが、会社が
変わると、新会社と言っても口座は設けられないと言うのです。

仕方無い。K社も残そう。両方平行で走ろうということにしました。
此処で初めて国内の仕入れ商社にも知り合いの部長に自分で電話を
入れました。新会社設立を伝え、月並みなお祝いの言葉を貰って、
安心して発足準備に掛かったのです。当初の第2会社にする目的が
薄れて来て居ますが、それでも何とか第2会社を立ち上がらせる予定です。

そんなある日、仕入先の部長が突然独りで訪問して来ました。
社交辞令の後、部長が何気なくの様に切り出したのです。
「今回新会社を作って、そちらでもやる事は結構ですが、
 私の方からの仕入れは今まで通り全てK社でお願いしますよ。」
「出来れば別々の方が有り難いですが、どうしてもまずければ当分は
 仕方無いと思います。でも直送の発注主は新会社とK社に分けて
 頂けるでしょうね。」
「いやそれが、駄目なんです。全てK社になるのです。」

磁気メディアの注文は全て国産品は直送依頼です。
自分で在庫を持って、3個4個の発送をして居れば採算が取れません。
しかしこうした注文も受けないと取引はしてもらえません。

「実はね。今は倒産して第2会社でやるところが非常に増えて
 居るのですよ。そうした処と取引をしてやりたいのですが、
 其処が続かない場合が多いのです。当社は第2会社とは取引禁止の
 命令が出て居るのですよ。」

其れを聞いた時に、Kの第2会社にかけて情熱がぐんと引いていくのが、
自分でも解かりました。
「自分は知らなかったが、第2会社は今はそう世間から見られて居るんだ。
 得意先も実際に走りだしてみないと、取引してくれるか解からないよ。」

もうビジネスローンは返済して居りません。
電話が五月蝿いです。





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