かっ飛ばせ借金 打ち勝て倒産

 
 ‐オグチ経営研究所‐

 ☆★自分でできる経営の再生と整理★☆

  

倒産者の良心

2008-05-27 | 事例
地銀はついに彼に言いました。
「会長、仕方ありません。あのビルを競売させて頂きます。
 それには会長のところを不良債権にしなければなりませんが、
 帰社し次第、期限の利益の喪失通知を送らせて頂きます。」
戦後からこの地で大きく商売を続け、風靡を重ねた彼の最後の
瞬間でした。

昭和の頃は、まさに彼の天下とも言うべきでした。
木材業をはじめ、関連会社を3社つくり、その何れもの
羽振りが良かったのです。公庫と地銀と信金、この3行が
メイン銀行でした。

10年ほど前から少し狂ってきました。返済が条件通りに出来ません。
返済する元金は減り気味で、特に、此処4-5年は金利だけです。
彼の子会社の本社ビルを担保にして居る地銀は、手形切り替えの
条件に、最初は担保の売却依頼でしたが、ついに任売で売れないと、
次の手形は切り替えせず、しかも担保は競売しますと言い出し他のです。

地銀が此処まで彼を追い詰めるのには、なみなみならぬ時間を
掛けております。支店長や担当者が代わっても、一貫した態度で、
ついに昨年彼にこの条件を了承させたのです。

こう決まる前でも、彼も謙虚に任売をしようと勤めました。
相場は債務の30%くらいです。
しかし彼はその倍近い70%くらいで売りに出ています。
何よりも残債を気にして居るのです。売れる筈がありません。
地銀は忠告しました。
しかし彼は残債の返済を盾に取って下げようともしません。
銀行は彼のこの姿勢を、「売りたくない。」と判断をしたのです。
そこで「売れない時は競売」と通告したのです。

さすがに期限寸前に時価まで下げましたが、既に不動産の動きは
全然無く、地銀は彼に約束通りにさせて頂きますと宣言したのです。

彼は地銀と約束したときから、会社の引き際を覚悟して居ります。
一方では其の準備も初め出しました。
 本社工場と自宅の不動産は残したい。
 本社工場で事業は続けたい。
其れだけを考えて着々と手は打っていたのです。

自宅は幸い違う銀行のローンが残っていたため、彼から息子に
ローンも借主を変えました。3行の保証人は彼だけです。
自宅の下位には地銀mp担保がありましたがハンコ代で
解いてもらいました。借地が入り混じった工場の不動産は、
公庫の担保でしたが。親戚の会社に買い取ってもらいました。
そして息子は、第2会社を作ったのです。息子は今までの工場を
借ります。仕入先、販売先には銀行に内緒で債権債務を
引き継いだ為に、騒ぎも置きません。
期限の利益の喪失を言われた時は全て済んでいました。

したがって期限の利益が喪失すると決まったとき、
彼は公庫と信金に通告しました。
「地銀が不良債権になります。差押が始まりますから、
 当社は営業続行は出来ないと思います。残念ながら
 今後の分は、お支払いが出来無くなりました。」
2行とも噂で地銀との間を知っていたか、大して騒ぎませんでした。

此れで彼は必要な事業と不動産は守ったのです。会社は倒産と
同じですが、新聞での倒産沙汰にはなりません。此れで全ての
不動産が任売でも出来れば、競売騒ぎも一切起こりません。
我ながら良く出来たものです。

不思議なことが起こりました。
良く出来たと思う反面、彼は実に銀行には申し訳ないことをしたと
言う呵責に悩まされだしたのです。戦後60年近く、面倒を見て
もらった銀行だけを裏切るようになったのです。彼はそんな呵責に
悩むようになったのです。

どの銀行も何も言ってきません。競売をすると言った地銀ですら
無言です。此処で、たまらなくなった彼が取った行動は電話です。
担当者・融資課長・支店長、誰にでも電話をする様になったのです。
その時、誰かが「こんな資料が欲しい。」といえば夢中になってそれに
取り掛かったものです。其処までしながら、彼はその間1円も
返済しておりません。妙なものです。

銀行員相手の電話ですから、長くはないものの、電話が多いと
言うことは、つい此方の裏話までしがちです。営業譲渡ではない
第2会社の発生に授受の苦労話が生じます。不動産の買取には
無関係のはずですが、金策苦労の件もチラッと出ます。

その所為かわかりませんが、ついに信金が彼を捕まえて
交渉を始めました。
「この債権は、当分当行が持って居ます。譲渡は考えません。
 ひいては今後、払えるだけ毎月払ってもらえませんか。
 第2会社にも少し肩代わりして貰ったらどうでしょうか。
 工場の買い取りも少しは会長から出ているのではないかと
 思います。裁判になれば厄介ですからね。」

彼は信金が言い出しのが自分が元だとは気付いて居りません。
銀行は痛いところをつくなと思っています。

さて信金をどのように説得すべきでしょうか。





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売り損ねた工場

2008-05-24 | 事例
大手スーパーが隣の工場跡地を買ったと言う噂は、
彼を有頂天にさせました。必ず彼のところに、
「お宅の土地を売らないか。」と打診があると思ったのです。

碁盤の目のような土地、工場跡地は其の3面が道路に面して居ります。
ただ裏通りになりますが、角地に200坪くらい彼の工場があるのが、
チョイ邪魔です。

近所の不動産屋からは、
「どこかが工場の跡地を手に入れれば、必ず彼の工場の土地も
 手に入れたくなります。その時は相場の倍の価格でも売れます。」と、
入れ知恵をつけられております。

業績は悪いです。
5-6行の銀行とは取引がありますが、漸く金利だけを払っています。
しかし、もう払えるのも長くないでしょう。メイン銀行には工場を
担保にして居ますが、その他の銀行は担保もなく、保証人は彼だけです。
メイン銀行は早くから、工場の任売を強く薦めて居ります。
坪40万が時価ですが、30万くらいまで認めると思います。

其れが若し坪70万で売れて鞘を抜ければ、たちまち
引越し費用など出て、別会社を作って、差押の心配も
無く遣っていけます。
事実そうでなくても工場は傷み、今のままならば、もう長い事は
もちません。建て直しか引越しをしなければなりません。
彼は鞘を抜く難しさなど考えません。
何とかこのチャンスを見逃したくない一心です。

待つのは長く感じます。此方から売り込みに行こうかと、
不動産屋と相談した矢先です。彼の思惑通り、相手から
売る意志の打診がありました。
やはり時価より高く,1.5倍くらいの坪60万弱の価格です。
彼は早くも売れた気分です。
スーパーにとっては、3面道路に囲まれたのと、1角に妙な
汚いものが建っているのとは全然違います。
間違いなく売れると確信をしたのです。

最初の提示価格は強気で行こうと、彼は時価の倍近い
70万と云う価格を相手の不動産屋に伝えたのです。
この場所を動くのも辛いと付け加えました。
その時に相手の不動産屋が高いとも何とも言いません。
会社に報告しますと事務的でした。
此れが尚、彼の判断を乱したのです。

悪くても60万には売れるだろう。それでも4000万ほど
鞘は抜けますから引越しの費用は充分に出ます。

返事はなかなか来ません。
しかし彼は売れることは間違い無いと信じています。
第2会社を作ること、引越しの話に夢中です。
メイン銀行以外は金利支払いすらストップしました。
いやそうでなくても払えないというのが実情だったかも知れません。

それにしてもスーパーの返事は長かったです。
ついに此方から問い合わせました。
「検討を重ねましたが、今回はご遠慮させてください。」
思いもかけない返事です。
「私どもは時価か、其れより若干高い45万くらいでないと、
 本来は買える力はありません。其れを60万近い価格で
 申し上げたのは、私共が買った方が貴社にも良いと
 判断したからです。その点、貴社があの場所に愛着を
 持っているとは知らず申し訳ありませんでした。当社も
 早く御返事をすべきでしたが、対応案に時間が懸かりまして
 時間が懸かり申し訳ありません。」
欲しいことは欲しいらしいですが、既に対応案は作ったみたいです。
もう1度。虚心坦懐になって推すとか、引越し費用を交渉すれば
あるいは変わったかも知れませんが、ショックが大きく、其処まで、
頭に浮かびませんでした。

工場は売り損ねました。
此れだけならば、良かったですが、彼は売れると信じて、
会社は全面的に整理だと思い込み、銀行に金利支払いまで
ストップしたのです。元に戻せばよいですが、其れが出来ないのです。
たった2回ほどですが、一旦下げた返済額を元通りにする事は
出来なかったのです。

スーパーは間もなく開店しました。
彼の工場との境は高さが10m位の看板で覆いました。
そしてスーパー側から見れば看板だけでなく、
大きな広告媒体にもなっていました。
遠くから見れば効果は抜群です。
下の方には屋根付の駐輪場を作っていました。
反対側に・彼の工場があるなど感じません。
実に自然なうまい使い方でした。

ついにメイン銀行の金利も止まりました。
銀行はもう任売だけではなく競売の意志も固めているらしいです。

何台もある工作機械、どうなるでしょうか。





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幻影に怯える

2008-05-21 | 事例
彼の債務もついにサービサーに渡りました。

銀行債務だけが返済できず、後は支払っていますから、
まだ会社は営業を続けて居ます。
担保の工場は親戚の名前で買い戻しました。
売掛の差押さえなければ大丈夫の会社です。

入札工事専門です。今の仕事はサービサーが追求しても、
其の頃までには全てが入金するでしょう。
次は若干大きな仕事が入ることになって居ます。

人はサービサーはきついと言いますが、借金取りがきついとは
古今・東西を通じて当たり前のことです。少しのことでは驚かない
覚悟は出来ています。

サービサーを初めて訪問した時に、入るのさえ厳重で且つ警察の
取調室見たいな処に通されたのにはびっくりしました。
しかし応対に出た二人の身なり、言動など今度は余りに
紳士的で又びっくりしました。

こんな紳士の人たちならば、サービサー恐れるに足らず、
そんな印象すら受けたのです。

友好的に始まった交渉は直ぐに暗礁に乗り入れました。
最初は彼の現況を知るために、会社の決算書や彼の所得証明など
出しましたが、結局は200万しか払えないと言う彼に対して、
1500万は払えと言って聞かないのです。
「わが社は売掛金や給料など差押はしません。
 しかし貴方のように全然妥協性がない人には考えざるを得ません。」
ちょっぴり脅し文句も入ります。

「それでは仕方ありません。法的回収に移らせて頂きます。」
背中に聞いて別れたのです。

訴状が送られてきました。
答弁書も出しません。口頭弁論にも出席しません。
敗訴の判決が送られてきました。
債務名義が取られたのです。

丁度この頃サービサーからもう1度電話がありました。
「まだ良い線は出ないでしょうか。」
「出る筈がありませんよ。」
電話は切れました。
彼は差押があるなと覚悟下のです。

預貯金だって全て対策済み。何時差押があっても平気。
家具など粗大ゴミ。ましや今は家具の差押など無いって聞いて居ます。
売掛金は丁度切れて居る時。
来るならばいらっしゃいと言う気持ちです。

しかし差押はありませんでした。2億近く借りている身、
サービサーの訴訟費用も結構掛かっています。
差押がないとは思われません。肩透かしを食い、
何時だ何時だと思っている事は結構神経を参らせます。

そんな時に、あの注文が入ってきたのです。
暗黙の談合で、当社に順番が回ってきたのです。
断れば今度は何時になるか、これまた解かりません。
思い切って請ました。受けないと会社は完全倒産になります。
しかし、本当の苦痛は、受けて初めて解かったのです。

差押は必ずある。しかし何時有るか解からない、
何を差押えられるか解からない。こんな時に多額の
売掛金を持つなんて自殺行為だと気付いたのです。

さあ、其れからは毎日薄氷を踏む思いです。
毎日が拷問以上の辛さです。
静かな何もない日が続くと、続くだけ不気味です。

彼は声までが変わったと、人の噂です。
当初、こまめに立てた対策など、彼の頭から消えました。
1日も早く入金を願うしかありません。しかし其の入金は
今年中に、あるかどうか解かりません。

半年以上たったとき、サービサーから電話がありました。
単に様子伺いです。あるいはこの電話で差押を判断しようと
思ったかも知れません。

彼は其の電話に飛びついたのです。
結局500万で和解成立です。

彼は、自分だけが妄想し、踊った怖さを噛締めて居ます。

彼は人に言うでしょう。
「サービサーにはひどい目にあったよ。」





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強くなれる時

2008-05-18 | 事例
代々の資産家、本人は県会議員をして居ます。
仕事を分業化して協同組合を作れば助成金が貰えます。
30代の頃、こうして組合を2つも作り、同業者や下請けに
理事になって貰いました。組合で融資も受けました。
この時は理事は保証人です。

当初は景気も良く、配当も弾みました。理事たちは誰もが
ご機嫌で、飲むごとに彼を持ち上げたものです。
「決して皆様にご迷惑はおかけ致しません。いざと云う時は
 私財を全て投げ打っ て事に当たりますから。」
彼も当然の様にそう言ってみんなを安心させて居ました。

バブルの崩壊は全てを狂わせました。
本業の背広の卸業は、まだ良かったのですが、
本業とは離れた宅地の造成はどうしようもありません。
此れを薦め、販売を引き受けて居た業者も倒産してしまいました。

ついに、宅地の造成組合は整理解散です。
もう5年も前の平成15年のことでした。銀行借入が3億弱、
理事長の彼の他、理事は4名です。此れは彼も担がれて理事長に
なったような組合です。彼の責任はぐんと軽い筈ですが、
彼は余り自分の弁護をせず、2000万づつを各理事、残を彼が
負担することを定め、其の返済方法は個人折衝と云う事にして
銀行の債務は綺麗にしました。

彼は出来れば全額を負担したかったのです。
しかし、彼の資産の山林は、当時の評価の1割にもなりません。
第一売れません。いわば彼は無資産と同じですが、それでも
2億以上の債務を引き受けたのです。

2000万の負担に反対する理事も居ました。
しかし、今まで各理事には相当な見返りも行き、
通算ならば殆ど損はして居ないだろうと云う事です。
結局理事たちも仕方なく同意をしたのです。

この頃から彼の周囲はいろいろと忙しくなりました。
方々に保証をしてる債務がのしかかって来たのです。
軽い気持ちでやった保証ばかりです。他に兄弟や親戚が
居ると云うのに、債権者の銀行は彼ばっかりを責めます。

勿論、彼は其の減額を懸命に交渉をして居ます。
しかし債権者の銀行は承知をしません。中には議員の
歳費の差押を遠回しに口にする処すらあります。
ぶうぶう言いながら結局は、全てを背負っています。
分割で、返済を決め、会社から引っ張りだしますが、
会社ももう限界です。

自慢の伊藤深水の絵も手放しました。倉の中には
金目の物はありません。山林以外の担保は相当売却しました。
売却時、何とか自分の取り分をお願いすることが目的です。
山林には担保で無い処ももありますが、税務署までが引取りを
拒否しました。

そんな頃、もう一つの組合が問題になって居ました。
紳士服の製造など、もう日本で製造しているところなどありません。
輸入に切り替えています。1日も早く閉鎖すべきすが、此れを
閉鎖すると3億以上の債務が残ります。又保証人に理事に
言い出すのが嫌で閉鎖をぐずって居たのです。もう銀行には
利息すら払って居ません。

借りて居るのは政府系の銀行です。政府銀行は、
いろいろ調べましたが、結局、組合には返済能力はない。
保証人も彼ともう1名を除けば返済能力無しと結論をだし、
担保を早期売却して保証人と和解をしたいと言って来ました。
彼が言いそびれていたことをずばり言ってくれたのです。
そして当事者の了解の下に保証人は個別に交渉することにしました。

「工場は借地上の建物ですから、不動産鑑定士の鑑査の
 最低価格700万、それに保証人は昨年のキャッシュフローから
 800万は払えるだろうと結論つけました。それで和解を
 お願いできませんか。当方も6月末までには、どうしても
 処理を済ましたいのです。」
いままでの彼ならば3億余の和解。担保まで戻って
1500万でよいならばと喜んで和解に応じたでしょう。

「お心添えは非常に感謝いたしますが、私にも会社にも
 お金が全然なく、担保解除 が300万、保証人弁済は
 200万が限度です。これ以上はどうしても無理です。」
初めての断り文句です。若干震えているようにも見えます。
しかし、此れが今の彼の実態です。

結局本社の調査役はもう1度、貴社に合わせるよう検討しますと
云う事で帰りました。

彼も自分でも少し驚いています。
和解金額の見直しに調査役を動かしたのです。
何もないから、出来たのでしょう。

今までの交渉にも、遣れば出来たのに、遣らなかっただけでは無いか。
保証債務の弁済さえなければ、会社の出直しも可能です。

「いままでの決まった保証人債務の弁済をもう1度交渉しよう。」
彼は腹を括りました。
明日から直ぐに行動を起こします。




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気の緩み

2008-05-15 | 事例
10万の報酬で、名前だけの社長を税理士に引き受けて貰っています。
しかし、「もう勘弁してください。降ります。」と云う固い意志は
曲げれそうにありません。Kは後釜に東京に居る自分の息子を其の
社長に据えました。非常勤社長です。息子も自分の事業が不振で
少しでも収入が欲しかったのです。Kももう債権者の追及は、
無いだろうと若干多寡を括って居たのです。

ビルの持ち主会社です。元々Kの個人的のビルでしたが会社の
失敗で債権者の承諾の下に任売をしました。出来たばかりの
小さな会社が、ノンバンクから資金を融資して貰い、債権者の
銀行も了解の元に、其のビルを買ったのです。Kは其のビルの
最上階に住んでいます。引き続き家賃を払って住む事になって居ます。
このお膳たては全てKが行い、其の会社の社長を税理士に頼んで
引き受けて貰ったのです。勿論この社長は保証もしませんし、
又、会社の実務もありません。遣ることは、税務申告くらいです。
それで出発した会社は平穏のうちに1年を過ぎました。

場所が良いところで、入居者に不自由はしません。
融資の返済資金は入金の半分です。
儲かるし、資金繰りにも不自由しない筈でしたが、
税理士社長にとって計算外のことが起こって来ました。

Kは取引銀行は全て、期限の利益を失っています。
銀行には全然返済をして居りませんが、しかし未だ若干の
営業は続けています。仕入先や従業員に迷惑を掛ける意志は、
全然ありません。そちらにこのビルからのお金をどんどん
流用して居たのです。最初はこのビルの経費は全て払って、
残りを回して居たのですが、大分前から公租公課は全て
無視されていました。

当然利益が出ますから税理士社長は申告します。
給料の源泉もあります。一番大きなものは固定資産税です。
何れも2年近く1円も払っていません。

それらの、関係官庁からの呼び出し、其の折衝が頻繁に
起こるようになったのです。社員はパートだけですから、
それには社長が出かけなければなりません。
しかも資金はKが全部握っているから、応え様もありません。
税務署相手に税理士の会社の滞納と云う、面白くない事態です。
ついに税理士は社長を下りました。

息子は父の借入の保証人ではありません。
大きな借入先が2行有りましたが、1行は担保のビルを売却し、
後はサービサーと和解して済んで居ます。
もう1行の大手は、息子が社長をして居る会社が保証です。
息子は保証人ではありません。当時銀行は、資産の無い息子を
保証人にさせるより、景気の良い会社を保証させたほうが良いと
考えたのでしょう。事実会社には不動産もあったのです。

当然Kが不良債権になった時、債権者は直ちに其の会社にも
押しかけたのですが、息子の会社にも弁済力は全然無くなって
居りました。この会社もまだ営業は細々と続けております。
債権者の銀行は息子の動きには注意していたらしいです。

Kはそんなこと何も気付きません。
3年間、このビル会社には勿論、保証人の息子の会社にも顔を
出して居ないからもう大丈夫だろう。息子も会社から給料も
取れないような状態だから、せめてこの会社で10万でも助けてやろう。
それに万一見つかっても息子は保証人ではないから平気さと多寡を
括って息子を税理士の後に据えたのです。

債務者と関係の無い会社の社長人事、銀行にわかる筈が
無いと思っていたのが少し浅はかでした。銀行系列の
委託されたサービサーは謄本から全て掴んでおりました。
サービサーとすれば、このビルがKの支配下のものと
立証できれば家賃の1部は毎月回収可能と考えています。
方法は有ります。息子の会社を差押します。空振りならば
其れを元に会社の財産開示を求めます。息子が出ますから
その際にこのビルの実体を何とか吐かせようと考えて居ます。
そうなったとき息子が誘導尋問を逃れきれるかがポイントです。

Kは暫く何も無かったため、安心しきって居たのです。
その為に、保証人でないから大丈夫と思って、つい注目されて
居る社長にしてしまったのです。

事態は読み通りに進んでいます。
ビルが無事か、大きな問題が迫っています。





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出直し

2008-05-12 | 事例
「今のままでは駄目だ。とにかく出直そう。」と決意をしました。

社長と云っても全部で3名しか居ない小さなブティックです。
店舗は駅前のよい場所です。

以前は違う場所でブティックでした。売れず、思い切って場所を
変えました。内装費も無いために此方の指示通りに内装をして、
其れを家賃に込みで5年のリースとして契約しました。
仕入れは殆ど1軒です。足りないものを若干他から仕入れる程度です。

前の借金が重たいです。
特につい借りた消費者金融の返済は一寸遅れても電話の攻勢、
やり切れません。それに、仕入先はメインの1軒以外は現金決済です。
売上が目論んだ通りに売れなかったのは誤算でした。
それにお客の決済は現金は少なく殆どカードです。
銀行返済を優先したために、他の払いは目茶目茶です。
しかしそれでも、銀行返済も出来なくなったのです。

働きだして20年以上、妻にも告げてない1000万があります。
今まで何回も有った危機にも手を付けずに来れました。
しかし今回はこのまま遣っていれば此れにも手がつきそうです。
思い切って今の仕事はおさらばして、新しく出直したいのです。

専門家と相談しました。
「銀行返済を金利だけにする事は可能でしょう。
 それで回っていけば一番良いですね。もう一つの方法は、
 今のお店の権利、そのまま引き継いでやってくれる知人は
 居ませんかね。そうして、貴方は其処の社員となって、
 しかも事実上の指揮を取って居れば良いですよ。しかし、
 この場合は、今の借金は保証人の貴方に全部掛かってきますから、
 貴方の責任で処理をしなければなりません。以上のどちらも
 駄目の時は自己破産になるでしょう。この場合は会社と個人を
 しないとなりませんから、費用も100万くらい掛かるでしょう。
 其れと先ず無いと思いますが、1000万の隠し金、見つかれば
 没収されます。以上の中の選択になりますが、どっち道借金の
 対応は、貴方が遣るようになりますね。」

なおも詳しく聞くと借金の対応とは、返済方法が話が付かないと、
必ずと云って良いほど、自宅や会社の周りの銀行を差押えるらしいです。
何処の銀行にどのくらいの預金があるなんて一切知らなくても
出来るらしいです。

ですから銀行と遣りあう場合は預貯金だけは充分に注意しなさい。

取引が無くても又幾ら預けてあるか知らなくても預貯金の
差し押さえができると聞いてびっくりしました。
そして1行だけでなく、任意の数の銀行を差押すると
聞いて尚びっくりしました。

彼はもっと甘く考えて居たのです。
差押なんて其処にあると解かったいるものでないと
出来ないと思っていたのです。

そうなると急に心配です。
何処に隠しても1000万が心配です。さりとて現金にして家に
置いた置けば妻に気付かれどうなるか解かりません。

何とか差押がない方法を考えますが結局はありません。
離れた銀行ならば良いと云っていますがどのくらいはなれていれば
よいか解かりません。

このときならば、別会社を作った変わりに遣っても
よいよと云う人も居たのです。お店のリースだけは、
引き継いでくれます。そして自分にも若干の生活費が入ります。
しかし銀行預金に差押が心配で、専門家の言うどの方法も取らずに
結局はずるずると過ごしたのです。勿論返済は出来ません。

結局、期限の利益を失い不良債権となりました。預金の差押が
あるよと云われただけで、一番悪い結果を選んでしまったのです。

出直そうと決意したのに、簡単に決意は崩れたのです。

「1000万。此れは妻に打ち明け、
 妻の名義に変えよう。そして出直しだ。」

こう決めた彼の気持ちは、若干晴れたみたいです。





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サービサーに反発

2008-05-10 | 事例
「前の担当者の時は100万くらいで和解が出来ないか
 お願いして居ました。検討しますと云う事になって
 居ましたが、今回貴方に担当が変わりました。
 前の続きでご検討お願いできないでしょうか。」
「いや、その御返事を持ってお伺いいたしました。
 原価も高く、とても当社は100万では和解は無理です。
 元金は8000万、延滞均等合わせると1億3000万以上
 あるのですよ。せめて500万お願いできないでしょうか。」

前の担当に比べて割り切った強気の性格のようです。
前の人からは正式な返事は無かったですが、100万だったら
OKのように感じたのです。

「100万だって、自分のお金ではなく、人から借りることが前程です。
 はっきり約束も出来ていません。それ以上はとても無理です。」
「どうしても出来ない時は、遺憾ながら法的回収に移らざるを得ません。」

気味の悪い別れをしました。
法的回収とは差押と云うことでしょうが本当に遣ってくるような気がします。
家中赤紙を貼られるかしらと、ショックです。

一番心配な事はこれからどうなっていくかと云うことです。
其れを書いた適切な本もありません。
インターネットで教えてくれそうな人を探しました。
その結果、何と無く解かったのは法的回収と言われても、
私のように何も資産のない者にとっては平気だと云うことでした。
そして無理をして借りてまでして、100万も払う必要も無いと云う事です。

間もなく裁判所から書類が届きました。
「訴状」と有りました。出頭日も出ずに放っておきました。
そしたら全く同じ文章で判決と書いた書類が来ました。
どうやら私は裁判に負けたらしいです。でも放っておきました。

郵便局から電話がありました。
貯金の残額、約300円が差押えられたということです。
2-3日前、田舎に帰るので全額全部を引き落としたのが幸いしました。
郵便局は付け加えました。
「此れでもう差押は無いですから新しい口座を作ってください。
 それで今まで通りお付き合いお願いします。」

それで終わりかと思っていたら、サービサーってずうずうしいです。
「如何でしょうか。返済は決まりましたか。」
いけしゃあしゃあと電話があります。
怒鳴って遣りました。
「お宅も差押をして、私にお金が無いことが解かったでしょう。
 しかし差押のことをつい親戚に喋ったものだから、親戚も
 用心してしまって、折角貸してくれる100万の件もお流れよ。
 つまり1円も払えなくなりました。それでどうにかならないですか。」

其のまま何も無く、半年ほど過ぎて今度は近くの銀行を
4行ほど差押えたらしいです。でも私は4駅ほどはなれた銀行に
普通口座を作り、日常はカードで近くの銀行から出し入れして居ます。
大丈夫でした。

それから「幾らでも払いましょう。払い方も相談に乗ります」と
云うような文章が、2回ほど送られてきましたが無視です。

結局、又担当が変わり、電話がありましたので、
20万ならば和解をしたいと伝え30万で和解を済ませませました。
最近です。サービサーに移ってから4年を経ています。

100万で和解をしようと思っていたのが30万で済んだわけです。

法的回収をすると脅され、必死になって勉強の甲斐が有りました。
やはり知って居れば強くなれます。

しかし、こんな事をせずにすんなり最初から30万で
和解は出来ないものでしょうか。サービサーだって
回収経費は20%以下で済むでしょう。





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中小零細企業経営者の皆さま

2008-05-09 | 無料相談のご案内
 


ブログをご覧頂いている方限定で、「無料電話相談」を開始致しました。


経営危機に直面している、または危機を迎えようとしている
経営者の皆様、債務全般でお困りの方、どんな些細なことでも
お気軽にお問い合わせ下さい。


お問い合わせは、

 042-483-3604(平日10時~18時)

※電話番号は、お間違いの無いようおかけ下さい。





放漫経営

2008-05-07 | 事例
1月以降、急に支払変更を通知してくる得意先が何軒も出ました。
今まで手形を切って居ましたが、手形は切らずに、其の決済月に
現金で払います。と言う通知です。

手形さえ切らなければ不渡りを生ぜず、倒産は無いという考えです。
この不景気にこんな取引を強要しても、必ず納入してくれる問屋は
あると強気です。この辺りの業界を回って居るコンサルタントが
言い出しっぺらしいです。しかし回収する方に取っては、手形でも
回収できれば直ぐに割れましたが、此れならば、大きな資金負担です。
しかし、取引を止めると売上は総崩れです。取引をやめることは
会社を止めることです。

「4月も何とか回せるでしょうが、5月は大ピンチです。」
経理の訴えを聞き、会長は銀行に融資を依頼しようと、
3月の試算表を持って出かけました。

「会長。会長が幾ら口でご説明されても、試算表だけでは、
 どうも納得できません。納得の出来るような資料をお持ち下されば、
 早速検討をし直ししましょう。」
この支店のチーフは切れ者と云う噂です。
「会長のご説明ならば、売掛金が増えて居なければなりませんが、
 持参になった3月の試算表を期首の数字と比較しても1000万しか
 増えていませんよ。12月に当行で6000万御融資しましたが、
 此れくらいならば其の6000万の1部でカバー出来ると思いますが?」

5月の初日、資料を用意して再訪問を約束しました。

考えてみればチーフの言う通りで期中に銀行から運転資金で
6000万借りています。のみならず、以前知人に用立てした3000万が、
予想もしないのに戻っています。其れと期中減った減預金と合わせて
1億2000万が何処かに消えたわけです。

経理の報告を信じて、回収状況が変わったから、資金も影響を
受けて不足したのだと思って居たのが、どうもそれだけではなさそうです。

「業績はとんとんなのに、何に1億2000万も使ったのか。」
「回収の変化は、現実にはどのくらい今の資金に影響しているのか。
 又将来どのくらいまで、資金が不足になるのか。」
会長は、こんな事も調べもせずに交渉に行ったのです。

以前はピリピリした会長でした。
ところが優秀な経理マンが入社して以来、其の報告だけを元にして、
自分では実績の検討をしなくなりました。事実経理は其の期待に
充分に応えて居たせいも有ります。税理士も又、試算表と共に、
毎月経営分析の諸表を送ってくれますが、其の報告にも悪い処は
有りません。今回も経理の報告を鵜呑みにして銀行に折衝に
行きましたが、チーフは暗に会長の間違いを指摘した様です。

4月末の休日は返上で、経理マンに業績の「おさらい」です。
その結果いろいろの事がわかりました。損益に関係する事は
厳しいですが、そうでないことには甘かった自分が解かりました。
銀行に3500万返済をして居たことは別にして、いろいろの面に
入金より出金が先行して、出し方が甘くなって居ます。
しかもそれらは全て、口頭だけですが、会長は承認して居る事も
思い出しました。そんな出金が5500万も有りました。この殆どは
簡単に戻ってきません。損益が関係しない事ばかりですので、
甘く考えて居たのです。6000万の融資と3000万の思いがけない
入金の為に気も大きくなっていた事も事実でしょう。

支払いの変化の影響は確かにありました。
季節変動で売上が下がって居るにも係わらず。
売掛金が1000万増えたと云う事は、3月末で3000万ほどそうした
繰り延べ金が発生して居ります。この分で行けば、ピークで
8000万ほどの資金が今までより不足する見込みです。

さあ、資金が何で不足になったか、幾らく以来不足になるかは掴みました。
此れを銀行を説得して融資を受けないとなりません。
しかし、放漫経営とも云うべきお金は貸して呉れそうもありません。
何れも戻って来るお金ですが直ぐには戻って来ません。子会社の在庫の
増えたのを立て替えたり、工事の前途金等です。

回収の未払は今月も更に1500万から2000万増えそうです。
これらを総合して至急に借りないと5月の手形決済は難しいです。

5月の連休、銀行から借りるための作戦と資料造りになるでしょう。





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和解額の切り出し

2008-05-04 | 事例
「次回までにどのくらいお支払いができるかご検討してきてください。
 当社もこうした問題は早期解決、つまり一時金での和解を望んで
 おります。何%では駄目ですが何割杜言う単位ならば可能です。」
初めて会うサービサーの担当者は節度ある態度で接してくれました。
「この態度ならば払えないと泣きつけばどうにかなるな。」
そんな考えが社長に生じてきます。

本業は順調でした。
得意先も仕入先も名の通ったところが多いです。
そんな時、一寸魔が射したのです。
「省エネ」の扱いに足を突っ込んでしまったのです。

これからの事業であることは間違いがないですが、「省エネ」は
先に多額の設備投資が必要です。そんな話に簡単に乗る得意先は
ありません。
「設備費は効果が上がりましたら、其の半分以内の範囲で
 回収させて頂きます。」そんな売り文句で、たちまち業績を
上げました。しかし設備費の立替資金は増える一方です。
この企画のときに、2銀行が、積極的にビジネスローンの融資を
してくれましたが、たちまち底を突き、返済に苦労する様に
なったのです。

ビジネスローンは、最初、半年のリスケにお応じて呉れました。
再延長は駄目でした。もう金利も止めてしまったのです。
結局、更に半年くらい経ってサービサーに譲渡されました
其の1軒と今日面接したのです。

当初、第2会社で逃げようと思っていました。
しかし、殆どの売り先が新会社に変わると、
口座が取れないことが解かりました。それだけでも第2会社は
難しいと思って居ましたのに、大手の仕入先からもこんな事を
言われたのです。
「今、世間は倒産する企業が、皆第2会社を作って
 再出発していますが、わが社では、そんな企業とは、
 たとえ現金でも取引は難しい事にして居ます。」
さりげなく第2会社で取引をしてもらえるか打診したときです。

商品は直送をかけていますから、売り先は仕入先に全て分かります。
販路を掴んでいますから、メーカーも強気です。
結局、今の会社を続けるより方法はありません。

当初リスケをする前は、万一この債権がサービサーに
譲渡された後、5000万の借金が500万から1000万で和解を
されるならば、こんな素晴らしいことは無いと思ってました。
一瞬にして何千万かの借金が消えることなどある筈が無いと
思って居たからです。そうした事が、そんな額で出来るならば、
あらゆる無理をしても、和解したいと考えていました。

そして今、現実に大幅な債権放棄の伴う和解が出来そうなのです。

しかし、何故か今は、かって考えた和解額はどうしても浮かびません。
「50-60万の返済で、どうにかならないかな。」
社長の頭の中はそう変わっています。

確かに、この額ならば、余り苦労せずに支払う事が出来ます。
それ以上は、何らかの無理が生じます。それにサービサーは
限り無く安くこの債権を譲渡してもらったと聞いています。
此方が500万も1000万も払う必要も無いのではないか、と云う
考えもお起って来ます。世間には同じ様な考えの人は実に
多いと聞いて居ます。

しかし結局は、社長は次の方法を採択しました。
「今後も会社は仕事を続けます。相手には決算書が
 銀行から回っていれば得意先も直ぐ解かり、売掛金の
 差押も簡単だろう。そうさせないためには、もう少し
 切り出すお金を吊り上げるべきだろう。」
周囲にもそんな意見が多く、影響されています。

社長は200万と云う和解額をサービサーにぶっつけました。
此れだったら決まるだろう。と言う自負と、第一今は200万でも、
作るのに相当な無理が必要と云う現実もあります。

それに対してサービサーの提示は800万でした。

この決着は次のようになって居ます。
和解の話は物別れに終わり、サービサーは債務名義を取りました。
社長は、この裁判には、何もせず動いておりません。

サービサーは預金の差押をしてきて居ます。
用心して居ましたが、間が悪く、得意先が間違って
振込みしたお金が有りました。200万くらい遣られております。
其れを見て社長は和解の決心をしました。「次は売掛金をやられる。」
こう感じたからです。差押で200万取られたにも係わらず、
和解額は500万でした。結局は700万支払ったことになりまます。

当初考えた500万に近い額を提示したら、恐らく其の額で
和解成立になっていたでしょう。徹底的に和解金を
値切るには、何をどうされても良い覚悟が必要のようです。





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