目の前には還暦を迎えようとする夫婦です。疲れきった顔には生気が有りませんでした。
15年前です。
相談に載って欲しいと言う夫婦を紹介されました。
自分で縫製をし、安物の衣類を地元の洋服屋に卸している夫婦です。
子供は都会に出たそうです。
その時から更に10年前、工業団地を買い、鉄骨2階の工場を建てたのです。
縫製工場の拡大。一気に図ったのです。世間はバブルに浮かれて居ました。
ところが素人の仕事、トラブルの続出、順調に出来ないどころか、バブルの崩壊が襲って
きたのです。
1億8000万の工場は毎月80万の返済が必要です。
其の前に、工場員の給料に困りました。
僅かな預金などとっくに吹っ飛んでいます。
弁護士に相談してもお金を作ってくれません。
銀行の担当から「破産」と云う言葉の出たときは、自分の事かと真っ青に成ったものです。
そんな時、知人が彼を紹介したのです。
彼が直ぐに調べた事は卸業務に関してです。「卸だけで食って行けるか?」
心配は無用でした。
3名で卸していますが毎月確実に黒字です、律儀な主人の評判も良い為も有ります。
其の主人は今工場に着ききりです。
工場は縫製、主人まで入れると6名です。6名かかっても、3名で売る量をつくりきりません。
彼は直ちに、工場を閉鎖させました。渋る主人にハッパを掛け、即、辞めたのです。
さらに卸の人間も一人退社です。ご主人が代わりに入るのです、
これで確実に借金さえなければ黒字の会社に成ったのです。
商品は全て仕入れに変えました。自社の縫製より、此の場合はるかに利潤も有ったのです。
そして彼は空き室を全て貸しに出したのです。
自社卸のために小さなスペース。隅で奥さんは資金担当です。
貸せるのも、当初は一括借上げを狙ったのですが、足が遅いため、分割に切り替えました。
運がよかったのか、半年後くらいで2階全部の借り手が着いたのです。
これで確実に30万は入ります。
夫婦の顔色も艶が出て来ました。
彼と知り合って1年です。
平行して銀行折衝がありました。
一番気に成ったのは此の折衝でした。
夫婦とも、「借りたお金を返さないのは罪悪だ」という考えです。
縫製を止める頃、金利すら払えない時も結構ありました。
担当者は何にも言わず、奥さんと一緒に溜息です。たまったものでは有りませんでした。
があがあ怒鳴られる方が余程気が楽です。
1年過ぎると返済も落ち着き、元金まで若干払えるようになったのですが此の1年が一番辛かったのには間違い有りません。
二人とも帳票には無関心でした。今後どうなりそうだと言う見込みは、数字と表で知りたいです。
作れないから担当者は代作しようとします。そのためには細部まで突くようになります。
結果的にはこれがよかったです。担当者はもう危機は脱した会社と云うことが解かって
きたからです。
でも二人には要点を聞いて、突いてくる銀行は何より怖い存在でした。
銀行が自宅の事を聞きたりすると、自宅が売られると大騒ぎ、売らないでと翌日夫婦で
お願いに行く有様です。
3年目になろうと言う時に漸く全部建物の賃貸が埋まりました。
卸も主人が戻って、当初1名の計画を2名辞めてもらいました。
暫くして、息子も帰ってきました。
ネット販売を始めたのです。初年度200万の売り上でしたが、今は600万は堅いです。
粗利は50%以上。見込みが有ります。
返済に全てをぶち込み、借りた1億6000万は、彼と知り合う前の10年間は返済なし、知り
合って10年の間に5000万は返済しています。
でも此の借金、普通ならば返済期限です。もう20年有れば返済は確実ですが、このままでは銀行に取られるのでないでしょうか。
そんな時に銀行が又呟いたのです。
「最近廃業が多いね。本当は廃業より自己破産をしてすっきりした方が良いと思い
ますね。」
「さあ、大変だ。あれは内に破産しろと云って居るのだ。
折角返せる目安がついたというのに、どうしましょう。」