40才過ぎに此の地に移り住んだ父が、1代で作った加工工場です。
当初は烏賊の加工から初めて、瞬く間に30名くらいの従業員を雇い、海産物の加工場を作り上げたのです。
余りにもうまく行き過ぎて、父は同業者の妬みを買って居たみたいです。
好事魔多し。その父も肺炎をこじらせてあっという間に母と大学を出たばかりの長男を残してこの世を去ったのです。
世間はバブル景気も弾けて不景気の中に突入中でした。
父の遺産は借金でした。
派手に工場をつくり、豪華な自宅も建築しましたが全て借金です。
母と子は忽ち借金に追われる身になりました。
息子は懸命に働きました。
しかし彼には海産物の経験が有りません。
工場にも、しっかりした番頭格は居りませんでした。
父は仕入れから製造までやって居ました。それに変わる人が居ないわけです。
それどころか、新社長の相談相手すら居ません。
此のため、業界では当たり前の常識を知らず、随分損もして居ります。
例えば1億円近い烏賊を長期間の冷凍のし過ぎで駄目にしちゃった事もあります。
会社の業績も次第に落ちて、ついには銀行借り入れの返済に滞るようになって居りました。
やっかみ半分で見られていた工場です。噂は輪になって広がりました。
そうなると納入先も用心します。
本当に不良債権になりそうです。
丁度此の頃、此のあたりの銀行を回り歩き、資金事情の悪い企業を探しているサービサーが有りました。
此のサービサーが噂を聞きつけて彼のところに日参を始めたのです。
「此の地区の中小企業再生支援協議会に再生支援を申し込みましょう。
借金は大幅に減り、資金が楽になりますよ。会社の経営をあらゆる角度から検討し、
適切な助言をします。」
と云うのです。其の過程で資金が必要の様な時は私どもに任せてください。と云うわけです。
「之は取引銀行が同意してくれれば協議会は必ず取り上げますよ。」
サービサーはメイン銀行まで口説いたのです。
その結果かどうか解かりませんが、彼の工場は協議会でも再生の検討をすることが決まりました。
此の時に彼は、資金のことより、工場の管理・指導の相談が出来ると思って居たのです。
それでヒントさえ掴めば、此の工場は又甦ります。
しかしこう決まっても協議会の進め方は実に手ぬるいものでした。
協議会は、支援を正式に決めには、先ず現状把握からと、ある監査法人に会社の現状と分析をさせて
居ります。
有触れた報告書に350万円を払わされました。
其ればかりでなく、その後再生まで、公認会計士を顧問採用と云う要請が有りました。
顧問料は月に100万です。
そして見た目は完全の形にして、協議会で支援しようと云うのです。
結果として、直ぐに彼は全く失望しました。
顧問も協議会も彼が最も望む実務の相談事は何にも解かりません。
そう云う相談が必要ならば一人世話をしましょうか。特殊なことですからちと顧問料も張りますと云うのです。
其ればかりでなく、当初大幅に負けてもらうと云って居た負債は、担保の処分後の話です。
工場を処分するくらいならば、此の会社には未練も有りません。
又、其ればかりでなく、個人資産までも煩く聞いてきます。会社の債務を負けて貰うのに、
個人資産を全部吐き出せと云うのでしょう。
その担保も売れず、それでも顧問料は必要です。彼は顧問契約を廃止し、協議会から手を引き、
自分で再生と整理をする事を伝えたのです。
「腐っても鯛と云えるようなの大企業ならば支援協議会も役立つかも知れません。こんな中小企業では
協議会の要求に答えられる資力も有りません。我々には高値の花になるでしょう。」
之がいつわらざる利用者の実感でした。
今の中小零細企業の支援策、3本柱になって居ります。
資金は保証協会の緊急保証で対応。
返済などが困難になった時は中小企業金融円滑化法で乗り切り。
企業再生支援機構で再生に取り組みましょう。
此の中で再生支援対策、お寒い取組でした。
あれから彼は全部を捨てて、自分一人でやりだしました。
今は5人の仲間で簡単な水産加工業をして居ます。
「営業での稼ぎは誰も教えてくれないし、助けても呉れない。
国だって、誰もが知っている事しか出来ませんよ。」
最近緊急融資も、資金円滑化法も、現地では役に立たなくなってきたという噂を聞くにつれ彼は呟いて居ります。
特に支援機構は出来たときから、役に経ったという声すら聞いて居りません。
本当は真っ先に役立たないとならないところですが。
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