かっ飛ばせ借金 打ち勝て倒産

 
 ‐オグチ経営研究所‐

 ☆★自分でできる経営の再生と整理★☆

  

景気がよくなりゃ塾は潰れる

2007-10-31 | 事例
彼が臍をかんだのは3月です。
その付けが今回ってきました。資金繰りがこのままでは11月、
お手上げです。

ことの発端は県下で3つの市に宅建の受験教室を開いて居た業者が
東京に引き上げる。誰か後を探していた話に載ったのです。
3つの教室は何れも黒字であるが、業者は東京の総合教室に力を
集中する必要が出来たためとの説明でした。
生徒や先生、教室の賃貸などそのままを完全に引き継いでくれれば、
その他の費用は要らないと云う事でした。

今まで拡大戦術で失敗の無かった彼です。飛びつきました。
此れを期に彼の教室をこの地方にも広げる足懸りです。
しかし実際はそう甘く有りませんでした。
在籍者名簿は昨年11月も入学名簿で有って、その後の退学者は
入っていませんでした。経営は事実上若干の赤字だったのです。

今年取り返せばよいと、張り切って、宣伝をしたのにも係わらず、
今年の入学者がぐんと減りました。多額な宣伝費は完全に持込で、
通常月次でも相当な赤字になります。
一寸でも余ると拡大策に全部利用するために、余裕資金などありません。
しかも現在は銀行から借りれない状態です。
急速に資金は詰まってきました。

彼は塾や各種の教室の経営者です。
算盤塾と書道教室、他人がやっていたのを引き継いだのですが、
彼になってからもう40年近くになります。

彼には信念がありました。
「どんなことでも、教育は廃れることは無い。絶えず右肩上がりだ。
その証拠に、算盤塾や書道教室は今でも生徒数は微増しているではないか。」
だから彼は事業をどんどん広げたのです。

算盤塾の分校ばかりでなく、他の分野にも大きく手を広げました。
進学塾は言うに及ばず、各種のライセンススクールやカルチャースクール、
幼児英才教育など、あらゆる分野まで手を伸ばし今回の他の地区まで
進出をしたのです。

そんな彼が勇み足の失敗があります。
彼は教材を全て自分のところで揃えます。其れを強気の見込みで
生産をしすぎ、15ヶ月分の在庫を持ってしまったのです。
平成12年、ライセンススクールとカルチャースクールに力を
入れ始めた頃でした。勿論直ちに資金に影響します。
この時は銀行に依頼したり、やりくりで何とか乗り切りました。
金融機関も何処も応援してくれたのですが、彼の経営能力に疑問を
持ったらしいです。此れが彼のつまずきの最初でした。

2年後に起こった危機は教員の過剰採用です。
此れも強気の見込みで教室と教師を早くから用意して募集を掛けたのです。
カルチャー教室も世間で騒ぐほど盛んではなかったようです。

場所はキャンセルできても、教育者が先生を採用して直ちに
馘首に出来ません。リスケで対応しようとしましたが、
銀行の態度は冷たかったです。
危機に関して、彼の方針は生徒数を増やす事しかありません。
このことは、銀行の不信を買って居ます。
この時は、ある国会議員が中に立ち、漸くリスケが出来たのです。
でもこの議員介入は各銀行にもっと不信感をもたらせたように思います。
そして今後のリスケについて釘を刺されています。

教室仲間の会合で彼は宅建教室の愚痴をこぼしました。
「景気が回復して失業率が減ってきたからさ。」
一人がにべなく答えます。
「景気がよくなって雇用が拡大すれば、誰もライセンスなんか取らないよ。
何処でも直ぐに採用してくれるからさ。ライセンスなんて一握りの
エリート階級のものに為るよ。」
もう一人が付け加えます。
「受験生もそうだな。少子化と云うけれど塾に通う生徒は
児童数の減少以上に減っているよ。今や勉強しないでも高校や大学に
入れる時代だからさ。」

今まで人生は競争しか無いと考えて居なかった彼に、
思いがけない言葉でした。心当たりがあります。
生徒一人ひとりのやる気が、又粘りが最近は少なくなってきています。

拡大が駄目ならば縮小ですが、特に塾やライセンススクールの
縮小は在校生の事を考えると、非常に難しい問題です。

彼の先輩に大検資格が与えられる専門学校の経営者ですが、
生徒数が減ったために廃校を決意した人が居ります。しかし当時3名居た
生徒は転校も出来ず、先輩は、2年間3名のために学校を開いて居ます。
彼らを卒業させて先輩は破産をしました。
教育者としては立派でも、人間競争は負けです。

宅建の3教室だけでも、今後1年は赤字でもやらなければなりません。
前年は算盤と書道を除けば皆赤字になっていました。
今からどうするか決めないと先生の給料が払えなくなります。
彼にはどうしてよいか解かりません。





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余りにも上手い差押

2007-10-28 | 事例
彼は預金を3行差押られました。

「債権者が先ず狙ってくるのは、預貯金です。そしと其処に
入金するお金です。しかしどの銀行に有るのかが解からないから、
自宅や会社の近くの銀行を無作為に5-10行を差押えて来ます。」
彼はそう聞いていました。

それだけに注意を払っていました。今回の入金は3行に分けて、
ほぼ800万づつ振り込ませたのです。勿論、3行とも会社からも
自宅からも離れたところに有ります。其れも郵便局や信金は危険と
聞いて居ますから、大手銀行と外国銀行です。

今回の入金が大きかっただけに、振込先の預金口座の名義を家族なり、
会社なりにしたかったのです。しかし、本来の会社の仕事でなく、
副業に近い仕事のために、契約を自分の名前で行いました。ましてや
入金は海外からです。このために入金もどうしても自分の名前で
無ければ為らなかったのです。それに用心して居ても長い事平穏でした。
差押なんて真剣に考えても居なかったのです。

自宅は白金台のマンション、会社は新橋、押さえられた銀行は
恵比寿・浜松町虎の門と散らばっています。この銀行の存在は、
かって借入銀行に提出している決算書などに載っかっては居りません。

「入金になったら直ぐに異動すればよいさ。」
彼はこう考えて3つの銀行に振り込ませたのです。
クリスマスも済んだ暮れのことでした。

直ぐに動かそうと思っていたのが遅れました。
1月の中旬、1行から電話を頂きました。
預金が差押えられたという知らせです。

債務名義を取られてから2年余、まさか今頃いきなり差押が
あるとは夢にも思って居ませんでした。預金だけは、常に気を
つけなさいと云われて居たのですが、丁度もっとも間の悪い時に
されたものです。

3行全てが差押えられたことは、電話一本の確認で直ぐに解かりました。
こんな広い地域、金融機関は万と有ります。良く3行引っ掛かったものだ。
全部で何行くらい差押えたのだろうか、やがて届いた差押調書を見て
又びっくりしました。今回、差押えた銀行は被害のあった3行だけです。

銀行が差押えられる時は、何処の銀行か解からないから、山勘で
差押えされると聞いて居ました。経費も掛かるから、纏まった
地区しか差押は出来ないとも聞いていました。だから預け銀行も
地区を変えたのです。
其れがこんなに上手く差押えられるとは、少しおかしいです。

しかし、彼がサービサーから責められていると云う事は誰も知りません。
それに今度の入金も、請求書など、全て自分で作って居ますから、
会社の者は関係して居りません。
ましてや振込銀行など、奥様すら知らない状態です。

其れがその3行だけ狙い撃ちされた。しかも残が最大の時に。
指されたとしても、こんなに上手く行きません。

サービサーの草分けの最大手、調査権があると云われて居るサービサーです。
それにしても債務名義を取って2年間、都内の銀行をこのために
常時見張っていることなど出来ません。

何故こんな差押が出来たのか、今現在この謎は解けて居りません。

済んだ事は仕方無いと思っても、その後こんなことがあります。
彼自身の件とは別件で、彼が保証をして居ますが、取引銀行が破綻し、
このサービサーに譲渡され、3年くらい放置されて居る会社があります。
ただし会社はもうありません。

其処の保証人と云うわけで急に支払いの訴状が申し立てられたのです。
請求も無く、話し合いも無く突然です。
勿論争わず全て放って置いたから、敗訴です。
差押を覚悟しましたが何もなく7ヶ月ほど過ぎております。

3日前に彼の留守にサービサーから会社に電話が入っています。
「担当が変わりました。長い事連絡を取っておりませんから、
1度お目にかかりたい。そのことでお電話を下さるようお伝え下さい。」
第一、差押があった個人のほうか、訴状の有った会社の保証人の方か
解かりません。

彼には少し隠し財産があります。それを掴んでいる事は無いでしょうか。
不気味です。電話をしなければならないでしょうか。





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みみっちい差押

2007-10-26 | 事例
「一昨日、差押されたみたいです。」
夕べ電話が入りました。
銀行に預けてある、主人と奥さんの預金が差押になったらしいです。

お二人とも70歳を過ぎています。
住宅ローンの競売の残債が元金で800万ほどあります。
サービサーを転々として今のサービサーは3代目です。先の2社は
譲渡を受けたという知らせと譲渡しましたと云う知らせ以外は
何も有りませんでした。今回のサービサーは少し五月蝿いです。

つい前日も、電話でこう云われたそうです。
「奥さん今のうちに払って置かないと、奥さんでも旦那さんでも
万一のことがあれば、今の借金は全部相続されてお子さんが
払わないとなりません。その頃になると延滞金で大変ですよ。
今の何倍の金額になりますよ。」

心配する奥さんに、私は次の様に答えております。
「心配は無用です。相続する資産もありませんから。
その時は相続放棄をしましょう。普通相続放棄は他界して
3ヶ月以内にしなければなりませんが、この場合は相手から
相続人に請求があってから3ヶ月の間に放棄すればよいですよ。
何も心配することはありません。」
そして、相続放棄の方法を説明しました。
サービサーは何も知らない者を脅すと云う事しか出来ないでしょうか。

破産をすれば面倒ではないけれど、二人で40万掛かりますと
弁護士に云われたらしいです。そんなお金、とてもありません。

「預金だけは注意するようにあれだけ言いましたが、
其れでもやられたのですか。」訝る私に弁解します。
「預金だけは気をつけてください。忘れた頃やってきますから。
そう教えて頂い他ですが、住宅ローンが払えなくなってから
10年近く経ちます。その間、ずうっと注意して来ました。
まだ1回も差押が無い物ですから、ついもう大丈夫と思って、
郵貯も、近くの銀行も利用し始めました。其れがやられたのです。」
その気持ちは充分に解かります。

郵貯で主人名義が4000円、近くの銀行で妻名義18000円が
やられたと云う事です。
「人様が見れば笑うようなお金かも知れませんが私ら夫婦には
4日分の食事代です。でも本当の虎の子の30万は少し遠くに
預けてありますから無事でした。此れは教えのとおりにやって居て
よかったと思います。何れにせよ今後はもっと気をつけます。」

病院通いの多い70過ぎの老夫婦、次の年金までのつなぎの22,000円を
差押えて、其れが効果あるでしょうか。破産も出来ずに10年間、
いろいろの不便を耐えてきたのに、それでもまだ苛めるのでしょうか。
銀行はサービサーに苛めなさいと云って居るのでしょうか。

10日位の前の話です。こんなことも有りました。
地方の債務者の方です、その方からメールが入りました。
近くの小島に住む、保証人の叔父から、「裁判所から書類が届いた。」
と云う知らせです。
内容を聞いて見ると、金融機関の名前が4行書いてあり、
この差押を取り下げるとなって居るとの事です。
何か知らぬけれど預金差し押さえが有ったらしいと云うのです。

心配のなって近くに住む独り者の、此れも保証人の次男に
聞いて見ると何か裁判所から書類が来ているが開けてないとのことです。
預金の差押かも知れないよと云うと、何もないから心配ないと
取り合わなく為りました。

二人とも、当人の知らぬ間に銀行を差押されて、1円も被害が無く、
差押は終わっています。小島の金融機関は4軒しかありません。
その何処にも1円の預金すらない人が、預金を差押えられて居たのです。

良かったと思うより先に、なんで1円も預金が無いんだと云いたくなります。

私のところに相談に来る人が偏っているかも知れませんが、
最近こんなみみっちい差押が増えてきたように思います。
力の無い者を徹底して攻め、効果を挙げようとする作戦でしょうが、
それには人を人として扱う気持ちが無くなって居ます。

サービサーの担当者もこんなことはしたくないでしょう。
其れをやらせるもの、其れが悪いのです。

法を作る人、守らせる人、不良債権の回収よりも
先ず人間の気持ちまで回収しないように祈りたいものです。





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先が読めない不安

2007-10-24 | 事例
啓助の毎日は不安の毎日です。
何時銀行、それともサービサーから借入残のことで連絡が
あるか解かりません。何をされても大丈夫の様に手は
打つもりでしたが、他の弟妹が嫌になって付いて来ません。
そのために何か請求があれば、絶対大丈夫か解かりません。
銀行かサービサーか知りませんが残債務の請求は絶対に
あるものでしょうか。

啓助は東北の出身です。
父親の無い一家が逃げるように上京したのはもう7年前です。

父親の他界後、2000万くらいの銀行借入が返済出来る稼ぎは、
啓助には有りませんでした。
母と弟妹の3名を食べさせるのが漸くでした。そんな時担保で
あっても自宅を取られると生活も出来ません。
其れが不安の啓助は、こうなれば銀行からの借金はゼロに
しようと思い立ち、生前父が良くこぼしていた銀行の貸手責任を
思い出し訴訟に踏み切ったのです。勿論訴訟は直ちに負けました。
逆に、今まで比較的好意的に一家を見守っていた銀行の態度が
一変するとは、考えても居ませんでした。

裁判が終わると同時に家は競売になりました。
競売と平行して、銀行は母と兄弟3人を相続人として、
支払いの訴訟を起こしています。
この時に弟妹は相続放棄が出来た筈ですが、啓助はそんな方法は
知らず、皆して負の相続人となり、債務名義を銀行に与えています。

家を失い、逃げるように上京した一家は、其れは頑張りました。
その甲斐もあり、啓助はまだ独り身ですが弟妹は土地の者と
結婚も出来ました。二人とも、相方の親の敷地内に小さな
小さな家を作って住んで居ます。共有ですが自宅を競売で
取られた所為か、住居に関しては異常な執着心があります。

田舎の銀行はしつっこい。ある日突然に、4名と取引が
あるだろうと云って、無作為に何行かの銀行を差押えて来ました。
勿論、まだ預金など出来て居ないですから、実害は有りませんでした。
この時に自宅から離れた新宿の銀行まで差押えてあったのには
びっくりしました。父が仕入先に振り込む時に、この銀行を
利用したらしいです。そんな記録がまだ残っており、
こうした事に使われるなんて、そう思うと啓助は怖くなったのを
覚えています。

銀行の差押等、始めての事でも驚いている間もありません。
今度は弟と妹の自宅の差押が有りました。

二人とも土地は使用貸借です。銀行から1000万以上は借入をし、
名義は比率こそ違え共有です。
この差押も競売開始決定まで行き、裁判所の競売価格が
出たところで無剰余と判定されて差押は取下げになりました。

それからは何もありません。
しかし、故郷の自宅を競売に掛け、次いで東京に出てきたみんなの
取引銀行を差押し、二人の自宅まで差押えた銀行が、このままで
治まる事は先ずは無いと見ています。
またサービサーと云うところに譲渡されて居ないことも不気味です。

その後は何もありませんが、必ず又何かある。
啓助はそう思っています。だから毎日が不安です。

実は、今まで銀行が執ってきた仕打ちを啓助に予言した人が居ます。
紹介された人ですが、その人が予言したのです。
「銀行相手に訴訟を起こして負けた時、担保が競売になっただけで
終わると考えると甘いよ。東京の住所など直ぐ解かるから、
調べて此方にも差押があるよ。家財は今時無いだろうが、
銀行預金とか、自宅があればそれもやられだろうね。勤務先の
給料も狙われるよ。これらの対策は、執って置くべきだね。」

その所為か、こんなこともあるかも知れないと思い、
弟妹にも伝えて有ったのです。ですから心の準備は
ある程度ありましたから、比較的落ち着いていられました。
自宅も多分無剰余になると聞いていましたから、
余り動揺はありませんでした。

その人は、又言いました。
「完全じゃあ無いけれど、此れで大体終わりさ。でも又時期を
置いて自宅や預金をやって来るか。またはサービサーに
譲渡するだろうね。それに備えて置きなさいよ。」

「今銀行が放棄をする事は先ずない。大概サービサーに売却し、
サービサーが回収に来ます。サービサーだってまだ若いこの兄弟を
黙って放棄すると云う事は先ず無いでしょう。差押の連続だっただけに、
2-4年置いて、忘れた頃サービサーから請求があるかも知れない。
その時に備えて用意はしておくべきだね。」
と細かい指示を与えております。

その中には弟妹の家も、持分が少ないから無税内の贈与で配偶者に
贈与する方法も入っています。不動産が無くなれば破産も考えられます。
4年後くらい、此方の変化を考えて、対応の仕方も教えました。

しかし彼も弟妹もそんなこと何もしていません。
今まで確かに先のことは当たったけれど、そのために大きな手を
打っては居ません。
「放っておいたら成り行きでこうなった。
今後も成り行き上手く処理されるさ。」と云う考えです。

しかし、啓助には、何時ごろどんなことが起こるだろうと考えると、
たまらない不安を感じます。





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逆恨み(さかうらみ)

2007-10-22 | 事例
Mは兄弟一人づつに、もう1度最後のお願いをしました。
誰もが首を立てに振らなかったのです。

Mの兄弟は彼を含めて5名。全員が自営業です。
両親は昭和の始めに来日し、関西の片隅にしがみついて
頑張ってきた人です。今は子供たちもみんな自立して立派な
生活を送っています。

良くなったと云っても子供の頃は良く苛められました。
その所為か、1族だけでなく同郷人の結束は固いものです。

Mは今までも何回も経営の危機を迎えております。しかしその時は
親兄弟をはじめ皆が助けてくれました。お互いに助け合いますが、
特にMは皆に迷惑を掛ける率が多かったみたいです。
Mはそれに対する自己弁護か、次第に「人類は皆で助け合って
いかなければならない。」と云う主旨のことを、同郷人の会合などで
喋るようになりました。少し神掛かったとも云えるかも知れません。

そんなMですが商売は緩やかでは有りません。
Mは特に身内に迷惑を掛けました。
しかし頭を下げて借りるのでは有ません。助け合いの精神から、
有る人は当然無い人に貸せなければなりません。
弟たちは兄貴の説教を聞きながらお金をせびられます。
当然貸したお金ですがMは貰ったような気分です。

且つ弟たちは保証人にもさせられて居ます。
弟や母親がMに貸したお金は6000万以上になります。
さすがに身内からそれ以上のお金は出ません。
Mは同郷人から借りるようになりました。
皆、神がかったことを云うMには1目置いています。
若干のお金は回るようになったのです。

市況はますます落ち込んでいます。Mのところも赤字続きです。
しかし、皆が助け合いの精神のMには、従業員を解雇するなんて
とても出来ません。リストラもせずにだらだらと生き延びて居ます。
しかしついにどうしても手形決済の目処が付かなくなりました。

「もうこれ以上助けることは出来ません。」兄弟から釘を刺されて居ます。
「Mさん。もう限度一杯です。今までのお金の返済がずれるのは
止む得ませんが新しく追加は勘弁願います。」同郷人からも
敬遠されて居ます。

しかしMはたいして慌てもせずに
「本当に困ったときこそ助け合わなければならない。」と
兄弟に借金を申し込みに行ったのです。
首を立てに振った兄弟は誰も居ません。

なんて心の狭い奴だ。と説教しかけるMに弟の一人は云ったのです。
「兄貴、兄貴ののは助け合いでなくて、俺たちが助けているだけではないか。
助け合いとは違いますよ。もう、勘弁してください。
其れより会社を整理したすっきりしなさいよ。今のままでは人様に
迷惑を掛けるのが多くなるばかりです。」

Mはすごすご帰りましたが、どうしても腹の虫が治まりません。
「俺は本当に困って居る。その時こそ助け合うべきではないか。
其れを会社を整理しろとは何事だ。そんな人間には天誅を
下さなければならない。」
逆恨みと云うものです。

しかしMには良い手段がありません。
同郷人に弟の悪口を言ったところで天誅にはなりません。
良い事を思いつきました。
この弟は明らかに脱税して居ます。浮かしたお金を祖国に送っています。
何をして居るかは解かりませんが、不正をして居ることは事実でしょう。
Mは税務署に名を名乗らず電話しました。

手形決済の前日弟が尋ねてきました。
「兄貴、最後の最後だよ。もう1篇面倒見させてもらうよ。」
弟の手に小切手がありました。

Mは自分の行為も忘れて、うそぶいて居ます。
「人間って助け合わないといけないなあ。助け合うってことは本当に良い事だ。」





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放っておいた給料差押

2007-10-19 | 事例
彼は会社宛の訴状を見て一段とトーンが上がったみたいです。
「彼の役員報酬を差押えたのに、第三債務者の会社は
全然実行してくれない。会社は差押者に対し、報酬の差押え額を支払え。」
と云う内容です。

賃貸用マンションを購入し、銀行返済が不可能になったために売却して
返済しましたが、その残債がサービサーに譲渡されました。
そのサービサーが次から次とたらい回し、今は3軒目です。

今までのサービサーは何処も何もしなかったのに、
今度のサービサーは執拗です。6000万の残額に対して、
70万にしか払えませんと答えたら、急に債務名義を取りました。
此方もそれに備えて「銀行借入の債務者」が行っている
勉強会などに出て、対処の方法を勉強して居ます。

債務名義をとって、13日目に又サービサーから催告書が
送られてきました。返事もしませんでした。
それから又2週間、会社のメイン銀行から電話がありました。
「個人だけれど預金差押が入った。このままでは当行との取引の
弊害になる。早急に解決するように。」との指示です。
その後、間もなく、分厚い差押命令書が裁判所から届きました。

この中の差押債権目録には役員報酬まで差押えられていたのです。
会社にも同じ書類が届きました。
違うのは第三債務者の説明と催告書と陳述書が余分に入って居た
ことです。

陳述書とは第三債務者が差押命令に対し、受け入れできるかの回答書と思います。
「会社は彼に対して多額の貸し出しがあり、それを回収するまで第三者の
依頼には応じられません。」
と云う様な事を書いて出しておきたいものです。
ところがこの陳述書は少しおかしいです。
「貴方は債務者から借金がありますか。」と云うことしか聞いていません。
「其れを債務者の返済するならば此方に払ってください。」
と云う論理と思いますが、給料差押の時にはこの聞き方では逆に
なります。
「貴方は彼に給料天引きのような形で彼に貸して居ますか。」
と云う聞き方で無いとならない筈です。

彼は書類の指示に従って、結果的には「差押には協力できる」と
受け取れるチェックをして返送して居ます。
その時の彼は気付いて居りません。

初めて弁護士を訪問しました。弁護士は脅します。
「お話を聞いた限りにおいては、裁判を受けて立つか、
示談しかありません。どちらにしても分が悪くなりますよ。
6,000万借金残があって、給料差押は1000万ですから、
1000万満額払わないと和解は成立しないでしょう。しないときは
ひどいですよ。商品在庫から始まって全てを差押えられて
しまいますよ。」

挙句
「私に任せるならば引受けしてもよいですが、和解額は先ほどの数字に
近いでしょう。経費は全部で100万くらいを考えてください。
ただし1000万より安く和解が成立した時は、その6%を頂ます。
この委任状に捺印いただければそれでよいです。」
と依頼を示唆されます。

彼は勉強会でも諮りました。
比較的こうした事に詳しい知人にも相談しました。

弁護士は少し慎重すぎる。素人でも解かるように書ける陳述書ならば、
此方の事情を最初から相手に解からせた筈だ。
その点裁判で争えるよ。
費用だって安くなるよ。

会社が自分のお金を一杯貸してあるのに、自分には返済しなく、
人の借金まで自分のお金で払うなんて矛盾している。裁判で争え。

何もかも放って置けばよいよ。
裁判は負けるさ。
挙句の果てに会社も債務者になって、払わないと差押があるよ。
売掛金があるわけではなし、預金だけさ。自分の例で解かるだろう。
悪くて店頭在庫の差押さ。
90%は在庫の差押は無いよ。よしんばあっても当初から覚悟していた
和解金70万以内で解決されるさ。

彼は腹を決めました。
先ず弁護士に云って相談しよう。
弁護士費用も含めて全部で150万で上がりそうなときは
弁護士に依頼しよう。

弁護士は駄目だといったときは自分で訴訟を受けよう。
要は会社を債務者にしなければ良い。目的はそれだけさ。

其れも出来無いような時は、何もかも放っておこう。
差押があったらその時さ。多分預金で空振りだろう。
在庫は実際例を知っている人は居なかったから多分無いと
思うがあれば買戻しさ。

答弁書の提出は10月末、口頭弁論は11月7日です。
民事の請求に対する裁判は徹底して放っておくのが彼の流儀でした。
今回だけは争ってみよう。

考えて居る彼の気持ちはだんだんと昂ぶってきます。





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良く見るブログとホームページ

2007-10-17 | 事例
日頃、良く見るブログ・ホームページです。

吉田猫次郎氏のブログ


大阪事務所・主任研究員のブログ


藤原義塾のホームページ


再生の窓口@藤原義塾の徒然日記





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身内の心変わり

2007-10-15 | 事例
近所に良くある話です。
子供と一緒に住んで孫も入れて6人家族です。
平和に住んで居ましたが、そろそろ子供大きくなり、家も古くなり、
手狭になってきました。家を建て替えします。この時は殆どが子供が
ローンでお金を都合し、家も子供名義にします。
悲劇は此処から始まります。

その後も安泰で、今まで通り「家の中が平和だ」と云う家族は滅多に居りません。
子供の方が威張ってきます。親が小さくなって暮らして居ります。
特に老夫婦の配偶がなくなってからは、「冷たい」から「苛め」に
変わってきます。その結果、何かあれば病院送りです。
後は一生を病院、其れも転院しながら暮らします。
家を建て直しせず、名義を変えなかったらこの悲劇は免れたでしょう。

祖父の代からの自宅でした。
都内1流の住宅地です。250坪はあります。
中に自宅と事務所がありました。
銀行は此処を任売しないと競売に踏み切ると脅しています。

大手に見積もりされたら1億4000万です。銀行は2億で売れないと
競売にしますと強気です。
自分には資金力は全然ありませんが、資産家の叔父が、
同じ区内に住んで居ます。泣きつき買い戻して貰いました。
平成16年暮れの話です。

やがてバブルです、土地は見る見る値上がりをして、
4億位以上ではないかと不動産屋の値踏みです。
50坪は自宅に遣い、後の200坪を今流行のテラスハウスにして
6軒ほど建てて売り出せば、比較的土地はゆったりと見せて、
一戸、7,000万から8,000万に売れるでしょう。
自宅はそのまま残って、上手くすれば1億は残る。
叔父にも謝礼を充分にやることは出来ると胸算用です。

しかし叔父はうんと言いません。
それどころか元の事務所を直し、娘の手芸教室にしてしまったのです。
叔父が正式に自分で買うといって相手を説得し、自分でお金を
出して買った物件です。今住んでいる自宅すら叔父の名義です。

叔父に泣きついたあの時、此方の買戻し条件をはっきり契約書などに
出来る雰囲気では有りませんでした。亡父の弟、此方に不利なことを
するはずが無いと一方的に思いこんで居たのが間違っていたみたいです。

こんなこともありました。
倒産のドサクサに彼は1億近いお金を掴んだのです。
そして別会社を作りました。別会社は順調に伸びています。
しかし工事が先立つ仕事のために、完成してお金を貰うより仕入れや
下請けに払うお金が先行します。
伸ばせば伸ばすほどお金のかかる業種です。

彼の第2会社もお金さえあればもっと伸びます。
彼は虎の子の1億から4000万を出すことにしました。
その方法が困ります。借金では誰からが問題ですし、第一利息などで
税金問題が発生します。結局増資と云う事にしましたが、増資する人に
困りました。考えたのが名義株です。名義戻しが税務署の問題に
成らないような契約書を作って伯父に依頼しました。

3年くらいたって、元の債務は完全に綺麗になりました。
さあ、名義株を戻さないとなりません。
ところが伯父は良い顔をしません。無事第2会社も守ってこれたのも私が、
株を守ったからだと多額な名義書き換え料を要求してきたのです。

「訴えでも何でもしなさい。そうなれば私はお前のお金の出所を
追及する。綺麗なお金は出ない筈だ。私の名義は書き換えなければ
成らないだろうがお前は、恐らく多額の収入があったと云うことで
税金だけでもひどいと思う。」
伯父は頑張ります。
せめて4000万の収入の税金だけでもくれというわけです。
40%として1600万です。出せるお金ではありません。
しかし伯父の言う通りあのときのお金が税務署に見つかれば
延滞税・地方税を含めて7,000万くらい持っていかれるでしょうか。

伯父には前々手数も迷惑も掛けていません。
でも謝礼と、そう考えて居たのは100万です。
其れが500万から1000万の間で話が付けばよいほうかも知れません。

苦しい時は身内の結束も固いです。
しかし、お金が出来てくると、やっかみの生じ、信頼もしなくなります。
悲しい現実です。





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名義借りの悲劇

2007-10-14 | 事例
「あいつとは古い付き合いさ。俺を裏切るようなことはしないよ。」
藤井は言い切っています。
今回、信金から不動産の買戻しの名義に、友達の名前を利用したのです。

市場から野菜を仕入れ、都内のホテルやレストランに卸している商売です。
信金の借金さえなければやって行けます。
第2会社をつくり、鑑札も取れて、何時でも稼動できます。
世田谷に自宅を持ち、日本橋で店を借りています。店の直ぐ近くに
1LDKのマンションを持っており、寝泊りや事務所代わりに使っています。
自宅とともに信金の担保です。自宅を失うのは構わない、
夫婦二人のために、マンションだけは残したいと云うのが藤井の希望です。

「頑張ったですが返済は出来なくなりました。ひいては担保の不動産を
売却して返済に充てたいと思います。」
藤井の言葉は信金も覚悟して居たらしいです。
慌てずに対応してくれました。
そして担保解除の金額まで示唆してくれました。思ったより安い金額です。

不動産屋の友達も頑張ってくれました。地価の高騰も幸いしました。
自宅を処分すれば信金の言った金額は出る買い手が現れました。
「買い手を直接信金に結びつければ全額持っていかれるだけさ。
俺が一旦買い受けることにして、その後俺から売却した事にしようよ。
マンションは1時俺の名義になるが構わないだろう。」
一般の売買の手数料だけを売買の形で貰えば、後の謝礼は何も
要りませんと付け加えます。

勿論依存はありません。
こうしてマンションは藤井の友達の名義になり、藤井の生活は此処で
始まりました。と言っても、今までも半分以上此処で寝泊りを
していましたから苦になりません。

売買が全て完了すると、藤井は奥さんにも突かれて名義を戻すことを
友達に云いました。
「いいですよ。」友達は直ぐに応じます。
「しかし、まだ信金との件は和解は済んで居ませんよ。名義を
あなた方夫婦に戻せば、何時差押があってもおかしく有りませんよ。
他の人に移すくらいならば、今までとおり俺の名前のしておいた方が
よいですよ。」
と親切に教えます。

「ただね、俺の名前の場合、貴方が住んでいれば、少しは家賃と
云う形の物を頂かないと、税務署に突かれたとき困るよ。
他の人の名義にしたり、又其れを戻したりして、そのお礼も考えると、
少しは頂いても随分安いもんですよ。」
相場より安いと言っても自分の家です。
その自分の家に守ってもらう御礼に家賃を払うことにしました。

やがて債権はサービサーに譲渡されました。
サービサーは案外と話が解かりました。簡単に和解が出来ました。

しかし、藤井はなかなか友達に、名義変更を交渉しません。
奥さんは心配になってきました。
藤井を突く一方、たまりかねて自分で電話をすると見事に断られました。
「私は藤井君から依頼されたことですから、藤井君から電話を
呉れるようにお願いします。」と云うのです。

藤井は奥さんを口説いて居ます。
「俺たちが何も友達にお礼をして無いから、奴は家賃でもう少し稼ぎたいと
思うよ。」
「其れならば、それなり気のお礼をやったら、よいのではないの。」
「其れもそうだな、話してみるよ。」

夫婦は知りませんでした。
友達はこのマンションを担保にしてお金を借りて居たのです。

悪名高い商工ローンです。
このマンションは果たして藤井の名義に戻ることはあるでしょうか。

不動産買戻しの名義を借りたばかりに生じた悲劇、実例はほかに幾つもあります。
一寸した油断が、信頼していた人に裏切られると云う、最大の悲劇を迎えます。





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回収できなかったサービサー

2007-10-12 | 事例
最終的に残った債権者はサービサー2軒と保証協会です。

Q子は夫の急死で後を継ぎ、社長です。
夫以外に保証人は居ませんでした。銀行と揉めている最中でした。
Q子は知人の助言で、いざと云う時も個人責任を追及されないように
相続対策をして、サービサーとの交渉に備えて居ます。

債務さえなければ自力でやっていける会社です。
「会社を頼む。」と云った夫の意志を守って、今の会社の続行をしたいです。
それに第2会社では入札業者の資格も取れません。

残額が僅かな保証協会は、後の保証依頼もありますから、
全額返済のつもりです。とりあえず、僅かな返金で了承して頂きました。

しかしサービサーは違います。
一生かかっても返済できる額ではありません。相手が諦めて呉れるか、
さもなくば廉額の和解しか有りません。

ほぼ同じ頃、2社のサービサーから呼び出しがありました。
Q子は、知人を経理の責任者と偽って二人で出かけました。
債権額1億3000万のサービサーAは担当も部長も腰のきわめて低い紳士でした。
Q子の話にも耳を傾け、お互いにできる範囲で早急に和解しよう、
Q子は払える額を提示すると云う事で別れました。
債権額2億6000万のサービサーBは少し違います。
少し神経質のような担当者は、口では大分脅しの文句も吐きます。
此れも返済できる額を早急に連絡しますと云うで別れました。

Q子は、和解金は全部で500万と覚悟して居ます。
A社とB社で200万と300万です。サービサーには借りて調達しますと云いました。
一時金は借りて払えますが、分割は自分の稼ぎの中から払わないとなりません。
Q子は分割と云う話は1円でも乗れないと思っています。
一旦口から出した金額は絶対に変更しては駄目ですと知人から強く言われています。

Q子はA社にもB社にも同じように言いました。
お金は借りて払う事も言って有ります。
A社は親切です。「ご事情は解かります。先ずメインのB社と先に
交渉してください。
私どもは其れが終わった後で、見習ってやりましょう。」
B社は違います。「800万でなければ駄目だ。」と云うのです。
300万しかお金が無ければ残500万を3年で払ってくださいと云うわけです。

地方都市と東京ですから電話での折衝ですが、長い電話を何回も
やり取りしていません。一寸長い電話が2回だけです。
交渉は決裂しました。
「当社は法的回収に入ります。」
「止むを得ません。では300万も借りることは止めます。」

Q子は此れで会社も終わりだなと思いました。
銀行や売掛金が差押さえられれば、只ですら危険視をして
居る同業者・仕入先は直ぐに取引を止めるでしょう。
第一恥ずかしくて、プライドの高いQ子には商売など続けられません。

しかし翌朝、今度はA者の部長から電話がありました。
昨日の部下の非礼を詫びて結論は「350万払って頂けないか。」と云うのです。
此れでB社は片付いたのです。

Q子はA社ならば、和解は簡単に出来ると思っていました。
B社と雰囲気が全然違っていたからです。
改めてB社の報告とともに和解を切り出そうとしたQ子の前に
現れたのは以前の担当ではありませんでした。
「以前の担当は都合があって退社しました。私が後任の者です。」
部長は変わっていませんが、何となく嫌な気がします。

やっぱり先方の切り出しは1300万でした。
B社の例を出すと「B社さんはB社さん。うちはうちです。」で取り上げません。
「前の担当者はA社は差押などしませんと云っていました。」と云うと
「確かに其れはわが社のモットーです。でもQ子さん。貴方のように
全然話に乗ってこない人は別です。差押も検討します。」
と平気で云います。
Q子は本当に差押をやりそうだと感じたのです。
もう1度、検討し、お答えしますと云って帰りました。

知人は「訴訟を起こ透けれど平気さ。差押なんて簡単にしないよ。
其れより雰囲気に負けて、当初の線を変えないこと。」と発破をかけます。
Q子も覚悟しました。
「申し上げた以上は出来ません。」
「では法的回収に入らせていただきます。」
今回も交渉は決裂です。

訴訟がありました。知人の言う通り放っておきました。
敗訴の判決が届いたために直ぐに差押があるかと覚悟しましたが、
此れも差押などありません。

そのまま1年近くたったでしょうか。
電話で請求です。以前と同じ内容が繰り返します。
今度こそ、本当に差押えられると覚悟しましたが今回も何もありません。
「何時かは1度、銀行を無作に差押えられます。
其れが空振りしてから和解があるでしょう。」
知人は平然として居ます。

それから又1年近く経ちます。
この間、景気は悪くなる一方です。
借金の返済さえなければ大丈夫と信じていた会社が、
続けることが難しくなって居ます。

今のうちならば仕入先や下請けに迷惑を掛けずに整理できそうです。

Q子は税務署に廃業届けを書いています。
A社も永久に回収は不可能でしょう。





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