Mは最後の手段として、社内でお局(つぼね)と呼ばれている女子事務員を
リストラする事を考えました。工員はまだ5名残しております。
今の仕事が出来る最低の人員です。
これ以上減員すると今の仕事が続かなくなります。
残るは事務員が一人、リストラを断行するには彼女しか居りません。
先代の頃からの勤続ですから、もう15年以上になります。
仕事熱心で彼女に任せておけば間違いが無いと云うしっかり者です。
自分の思ったことは誰にでもずけずけ言うので何時しかお局(つぼね)
と呼ばれるようになって居ます。
けれど、誰もが平気でお局さんと面と向かっても呼んで居ます。
Mが先代の後を継いでから、12-3年になります。
幸い父親がよい得意先を残しておりましたから、何とか今まで続けて
来れたのです。しかしながら、6年前、世間の不景気のあおりを受けて、
思い切ったリストラをして居ります。
この時は騒ぎでした。
この時には、やはり父の代から居る専務にも辞めて貰って居ります。
其れまで営業面はがっちりと専務が抑えておりました。
「儂が居なくなればこの会社は回っていかなくなるよ。
第一儂しか知らない得意先も有るからな。」
そして20名ほど居る工員を自分の直接の部下のように使って、
その代わりいろいろ面倒も見ていたのです。
営業も工場も専務が指揮って、社長のMには出番が無い体質だったのです。
Mは工場に関する受注状況や売上・入金見込みなどは専務に聞いても
はぐらかせるために、お局に聞いて理解をして居たのです。
このまま行くと3-4ヶ月後には仕入れ代金や給料が払えなくなるとお局から
聞いて愕然としたのです。
専務が資金のことは一歩も踏み入れていなかったためか、売上の落ち込みなど
真剣みが少ないのです。話がどうしてもはぐらかせる結果となります。
しかし局に聞くともう1日も猶予は出来ません。
ある人の助言で徹底的なリストラを行ったのです。
必要最低限の工員とお局を残して後は全員退社です。
工員だけのリストラは専務が反対して不可能でしたし、専務を辞めさせるには
規模を極端に小さくすると言った方が専務も効果的だったからです。
人員が半分以下になる、専務は黙って辞めました。
「社長さん。私も知って居るかぎりの事は伝えますから大丈夫、
後のことは出来ますよ。」
お局が励ましてくれた嬉しさは覚えております。
若い社長が一線でやるようになり、得意先は好感を持って迎えてくれました。
専務との繋がり以上にMは繋がりを取り戻せたのです。
Mは始めて、会社の危機を乗り越えたのです。
仕事は減ったと云って人員は半分にしたが、半分には減っておりません。
目茶忙しいのが戻ってきました。しかし、其れも束の間でした。
サムプライム問題から端を発した不景気は尋常では有りませんでした。
Mは又リストラを考えたのです。
焦点は、お局です。女で有っても一番の高給を出して居ります。
「経理など、売上・仕入、其れの現金の出納さえきちんと
やっていればよいだろう。俺の女房にだって出来る仕事さ。
別にお局でなくてもよいだろう。」
そんな考えは、お局にも伝わったかも知れません。
「社長さん、次の手は私が辞めることかしら。」
冗談ぽく相手から切り出されて助かりました。
お局は自分の意志でか、半分リストラか解からないままに辞めました。
全て会社都合の処理になって居ます。
しかし此れが、逆にMの足を引っ張るとは思っても居ませんでした。
妻にやらせる仕事は単に売上・仕入れ・現金出納だけの帳面つけだけで、
その他はみんながフォローすれば良いとの考えでした。
実際は違います。
請求書1軒を作るにも、専用伝票の書き方も解からず、締め日に間に
合わないことすら有りました。
其れより困ったのは、見積り・納期を答える事と電話を受ける事でした。
今までお局が簡単に出して居た見積もりが、Mにも解からない事だらけです。
又電話も、どんな電話もこなせる人が居なくなったのです。
まごまごするとMがこのために縛り付けられます。
そして結果は、お局の応対にはも及びません。
2ヶ月目くらいから得意先の態度が変わってきました。
僅かな注文。其れすら更に大幅に減るのは時間の問題でした。
縁の下の力持ちで、恩恵を蒙って居る人からも気付かれない人。
そんな人は、決して見逃さないようにしたいものです。
別に特許の仕事では有りません。今までの慣れから有った受注です。
何の事は無い、実質に其れを握っていたのはMでも専務でもないお局です。
お局の機転の聞いた電話の会話が、無為に身につけていたのです。
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今の仕事が出来る最低の人員です。
これ以上減員すると今の仕事が続かなくなります。
残るは事務員が一人、リストラを断行するには彼女しか居りません。
先代の頃からの勤続ですから、もう15年以上になります。
仕事熱心で彼女に任せておけば間違いが無いと云うしっかり者です。
自分の思ったことは誰にでもずけずけ言うので何時しかお局(つぼね)
と呼ばれるようになって居ます。
けれど、誰もが平気でお局さんと面と向かっても呼んで居ます。
Mが先代の後を継いでから、12-3年になります。
幸い父親がよい得意先を残しておりましたから、何とか今まで続けて
来れたのです。しかしながら、6年前、世間の不景気のあおりを受けて、
思い切ったリストラをして居ります。
この時は騒ぎでした。
この時には、やはり父の代から居る専務にも辞めて貰って居ります。
其れまで営業面はがっちりと専務が抑えておりました。
「儂が居なくなればこの会社は回っていかなくなるよ。
第一儂しか知らない得意先も有るからな。」
そして20名ほど居る工員を自分の直接の部下のように使って、
その代わりいろいろ面倒も見ていたのです。
営業も工場も専務が指揮って、社長のMには出番が無い体質だったのです。
Mは工場に関する受注状況や売上・入金見込みなどは専務に聞いても
はぐらかせるために、お局に聞いて理解をして居たのです。
このまま行くと3-4ヶ月後には仕入れ代金や給料が払えなくなるとお局から
聞いて愕然としたのです。
専務が資金のことは一歩も踏み入れていなかったためか、売上の落ち込みなど
真剣みが少ないのです。話がどうしてもはぐらかせる結果となります。
しかし局に聞くともう1日も猶予は出来ません。
ある人の助言で徹底的なリストラを行ったのです。
必要最低限の工員とお局を残して後は全員退社です。
工員だけのリストラは専務が反対して不可能でしたし、専務を辞めさせるには
規模を極端に小さくすると言った方が専務も効果的だったからです。
人員が半分以下になる、専務は黙って辞めました。
「社長さん。私も知って居るかぎりの事は伝えますから大丈夫、
後のことは出来ますよ。」
お局が励ましてくれた嬉しさは覚えております。
若い社長が一線でやるようになり、得意先は好感を持って迎えてくれました。
専務との繋がり以上にMは繋がりを取り戻せたのです。
Mは始めて、会社の危機を乗り越えたのです。
仕事は減ったと云って人員は半分にしたが、半分には減っておりません。
目茶忙しいのが戻ってきました。しかし、其れも束の間でした。
サムプライム問題から端を発した不景気は尋常では有りませんでした。
Mは又リストラを考えたのです。
焦点は、お局です。女で有っても一番の高給を出して居ります。
「経理など、売上・仕入、其れの現金の出納さえきちんと
やっていればよいだろう。俺の女房にだって出来る仕事さ。
別にお局でなくてもよいだろう。」
そんな考えは、お局にも伝わったかも知れません。
「社長さん、次の手は私が辞めることかしら。」
冗談ぽく相手から切り出されて助かりました。
お局は自分の意志でか、半分リストラか解からないままに辞めました。
全て会社都合の処理になって居ます。
しかし此れが、逆にMの足を引っ張るとは思っても居ませんでした。
妻にやらせる仕事は単に売上・仕入れ・現金出納だけの帳面つけだけで、
その他はみんながフォローすれば良いとの考えでした。
実際は違います。
請求書1軒を作るにも、専用伝票の書き方も解からず、締め日に間に
合わないことすら有りました。
其れより困ったのは、見積り・納期を答える事と電話を受ける事でした。
今までお局が簡単に出して居た見積もりが、Mにも解からない事だらけです。
又電話も、どんな電話もこなせる人が居なくなったのです。
まごまごするとMがこのために縛り付けられます。
そして結果は、お局の応対にはも及びません。
2ヶ月目くらいから得意先の態度が変わってきました。
僅かな注文。其れすら更に大幅に減るのは時間の問題でした。
縁の下の力持ちで、恩恵を蒙って居る人からも気付かれない人。
そんな人は、決して見逃さないようにしたいものです。
別に特許の仕事では有りません。今までの慣れから有った受注です。
何の事は無い、実質に其れを握っていたのはMでも専務でもないお局です。
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