2015年6月
玄宮園から臨む彦根城天守閣
彦根城は江戸時代の初期、西国大名へ睨みを効かすため、徳川の重鎮であった井伊氏を配して置かれた城で、京都の朝廷に有事があった場合直ちに駆けつけるための役目も持ってました。
築かれた山の異名に因んで金亀城(こんきじょう)とも呼ばれます。
その彦根城の麓にある庭園の玄宮園(げんきゅうえん)を訪れた時の記録です。
玄宮園の造営が始まった時期や規模は明確でないそうですが、江戸初期の延宝6年(1678年)に彦根4代藩主 井伊直興が整備し、江戸時代後期になると、第11代藩主井伊直中の隠居屋敷として再整備されて今の形に近くなったとされてます。
大きな池を中心に島や入り江に9つの橋を配した変化に富んだ回遊式庭園の玄宮園。
今は国の特別史跡、名勝にも指定されてます。
梅雨の時期だったから、空がどんよりしてたのが残念ですね。青い空が水面に映ったらさぞかし綺麗だったろうぁ。。
玄宮園の築山に築かれた茶室、鳳翔台ではお抹茶を頂くこともできました。
ハンゲショウ(半夏生)の花が咲いてました。
花が咲くと、その花の近くの葉だけが白くなる不思議な植物です。
受粉のためハチや蝶を花へ誘う目印だとも言われてますね。
槻御殿(けやきごてん)
4代藩主 井伊直興が下屋敷として築造したもので、ヤケキの材木を使った華麗な建築は各大名も驚嘆したと伝えられてます。
確かにシンプルながら凛とした美しさも感じますね
幕末、徳川幕府の大老として尊王攘夷派の弾圧(安政の大獄)を行い、アメリカとの日米修好通商条約に調印し、桜田門外の変で暗殺された彦根12代藩主の井伊直弼はこの槻御殿で生まれました。
国宝 彦根城天守閣は創建された当時のまま現存する日本現存十二天守閣のひとつです。
先の大戦末期、昭和20年8月15日に米軍が彦根を夜間空襲する予定でしたが、正午に天皇の終戦の詔が発せられて空襲を免れました。
幕末の戊辰戦争では徳川譜代大名であったにもかかわらず、藩論を転向させて官軍として旧幕府軍と戦ったこととの因縁を感じてしまいます。
おしまい
現存十二天守閣: 弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、丸亀城、松江城、伊予松山城、備中松山城、宇和島城、高知城
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