10月20日
滋賀県草津市、今も東海道五十三次 草津宿の面影を残す場所にやって来ました。
天保14年(1843年)の『東海道宿村大概帳』によると宿内家数は586軒、うち本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠72軒があったそうです。
市指定文化財の道標
「右 東海道いせみち」「左 中仙道美のじ」と書かれ、ここが東海道と中仙道の分岐点でした。
道標の近くにあったオブジェ『時の旅人』
金属でできたオブジェですが、人々が行き交った宿場にぴったりのアートですね。
史跡 草津宿本陣
大規模な解体修理を受け、弘化3年(1846年)当時の姿に修復されました。
1996年からは一般公開され、今年で公開25周年を迎えました。
日本に現存する本陣としては最大級の規模です。
滋賀県の緊急事態宣言期間中は休館してましたが、10月1日から通常開館されてます。
玄関
上段の間へ通じる畳廊下。
本来は襖がたてられていて、宿泊人数が多い時はこの廊下も部屋として利用されていたそうです。
土間から外へ出ると白壁塗りの土蔵や長屋がありました。
ここは馬を繋いだ厩(うまや)ですね🐎
楽座館と名付けられた土蔵は資料館になってて、昔の大福帳や調度品などが展示されてました(内部の資料は撮影禁止)。
ここに宿泊したことが分かっている歴史上の有名人としては、忠臣蔵でお馴染みの浅野内匠頭や吉良上野介、新選組の土方歳三、斎藤一、藤堂平助、伊藤甲子太郎、会津藩主で京都守護代の松平容保、公武合体政策で徳川家茂に嫁いだ和宮親子内親王などなど。
2019年には新選組が宿泊した時の忘れ物の煙管(キセル)入れが残されてることが分かり、ローカルニュースでも話題になりました。
身分が高い人が泊まる壱番間の忘れ物であったことから、もしかしたら新選組副長の土方歳三の物だったかも?と言われていて、歴史ロマンを掻き立てられる話題でした。
つづく
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