第42回 2013年11月26日 「素朴で温か ふだん使いの美~栃木 益子焼~」リサーチャー: 豊田エリー
番組内容
ほっこり温かな魅力が満載の益子焼。午後のコーヒータイムにぴったりで、若い女性を中心に人気上昇中。流行のファッションで全国展開するセレクトショップでも取り扱われている。栃木・益子町は、400を超える窯元が集まる東日本有数の陶器の産地。今回は豊田エリーが、おしゃれで使いやすい器を作る女性陶芸家や、モダンで色彩豊かな焼き物で知られる老舗の窯元、流行の手洗い鉢を手がけるベテラン職人などを訪ね、ワザを堪能。
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201311261930001301000 より
詳細不明につき、勝手に調べてみました。
「【益子焼】の基礎知識 特徴や人気窯元を紹介!」2018/12/28 (更新日: 2023/4/10) うちるスタッフ タキ
栃木県益子町の焼き物、益子焼。
益子陶器市のイベントが有名なので、知っている人も多いのではないでしょうか。
益子焼の特徴は、厚みや重みもあってぽってりとした姿。
そんな益子焼のまずは知っておきたい歴史や特徴、そして窯元を順にご紹介します。
益子にお出かけ予定の方向けに、益子陶器市や観光情報についてもお伝えします!
また、当店で扱う益子焼や、益子陶器市出店作家さんの作品はこちらからご覧いただけます。
益子焼って?
知っておきたい益子焼の歴史
益子焼は江戸時代の終わりからの歴史を持つ栃木県益子町周辺の焼き物です。
茨城の笠間焼を修行していた大塚啓三郎が、益子町で焼き物に適した陶土を探し出して陶芸の場所に選んだことから、その歴史がはじまりました。
主な製品は鉢や土瓶などの日用品。
首都圏に近く、流通にも適していたためどんどんと発展をしていきました。
昔から「来る者は拒まず」な気風があるため国内外を問わず数百人の陶芸家が集まっていると言われます。
現在も「益子焼らしさ」の伝統と先鋭的なデザインを融合させながら多くの人に受け入れられる製品をつくっています。
益子焼の特徴
益子焼の特徴は土の質感。
県内で採れる陶土は気泡を多く含むため細かい細工は向かずどうしても厚手になってしまいます。
それが益子焼の特徴である、ぽってりしたあたたかな手触りのうつわという特徴を生み出しています。
砂気が多く、素朴な味わいを感じさせるところも魅力のひとつです。
益子焼の土は同じく益子でつくられる釉薬との相性も抜群で、飴釉や青磁釉などによってつけられる色味も味わい深い印象に。
益子焼は土の性質から焼き上がりは黒っぽくなりがちなので、それをカバーする糠白(ぬかじろ)釉で白化粧をする工夫もされてきました。
装飾は刷毛目や櫛目など身近な道具で描かれる、かんたんで実用的なものが基本となっています。
益子焼の魅力
益子焼は生活の中で使う道具として作られています。
そのため、どんな料理にも食卓にも合ううつわがほとんどです。
カラフルなサラダを包み込むぽってりとしたうつわ。
サラダの彩りを邪魔せず 食卓にあたたかな印象を演出します。
パンやハッシュドビーフなどの洋食でも 大活躍です。
シンプルな料理を並べても、 ふわり豊かな食卓に。
ふはふと湯気の立つごはんをいただくシーンにたくさん登場させたくなります。
和洋中問わずシンプルな食材でもカラフルなメニューでも包み込んでくれるのが、益子焼の魅力です。
益子焼といえば! 知っておきたい3つの窯元
「つかもと」
つかもと窯は1864年創業と150年以上の歴史を持つ窯元で、益子最大の窯元とも呼ばれます。
益子焼が民芸品に転換した後も苦しい経営を余儀なくされていたころ、つかもとでは信越線横川駅で販売される駅弁「峠の釜めし」の容器製造を請け負いました。
次第に峠の釜めしの需要が大きくなり自社製造だけでは補いきれなくなり、20軒ほどの他の窯元に発注します。
これが益子焼業界全体の経営安定につながっていきました。
現在もつかもとでは峠の釜めしの容器を製造しています。
つかもとは「時代に合わせた商品をつくる」という思いで製品づくりに取り組んでいます。
お一人様向けの土鍋というコンセプトの元、開発された『kamacco』1号炊きは、その姿勢がわかる商品です。
益子町にある本社は益子駅から車で7分ほど。
自然に囲まれた広大な敷地には窯工場のほかギャラリー、体験工房、お食事もあり「見る・買う・遊ぶ・食べる」を楽しむことができます。
益子に行くときにはまずは足を運んでみたい窯元です。
益子焼窯元 つかもと 栃木県芳賀郡益子町益子 4264
「よしざわ窯」
ぽってりとした風合いで食卓をあたたかく彩るよしざわ窯のうつわたち。
うつわを「使う」ことを中心に考え、製品をつくっているとのこと。
とっても可愛いのに丈夫で電子レンジや食洗機にも対応している日々の生活で使いやすいことも人気のポイントのひとつです。
個性的なかたちのうつわはとってもかわいいのに、料理とともに食卓に並ぶと自然と料理が映える。
そんな魅力も兼ね備えています。
実店舗は持たず、お店は益子町にある民芸店「やまに大塚」での取り扱いと、ネットショップ「on the table」で主に買うことができます。
入荷情報などは「on the table」の公式Facebookやメールマガジンにて確認ができるので、ぜひチェックを。
お知らせ後すぐに売り切れてしまうことも多いため、気になるアイテムがある場合はこまめにチェックすることをおすすめします。
益子陶器市にも出店していますが、毎年たいへん人気で整理券配布後の入場になっています。
事前に整理券を申し込む対応をしていた年もあるので、行ってみたいと考えている方は前もって公式サイトにて情報を確認してから向かいましょう。
よしざわ窯 栃木県芳賀郡益子町益子3546
「えのきだ窯」
ドット、格子、植物……パッと目を引く模様が印象的な「えのきだ窯」。
明るくにぎやかな食卓をつくってくれるうつわは、カラフルなサラダにも落ち着いている煮物にも合わせやすいですね。
ぽってりとした質感は益子焼らしく、手に持ったときにも心地よいうつわです。
ドット柄などのうつわを作るのは5代目の榎田若葉さん。
益子町にある本店で夫の智さん、お父様で4代目の勝彦さんとともに、それぞれうつわをつくっています。
若葉さんのつくるドットや格子の柄を取り入れるシリーズも、ロウを塗って釉薬を弾く(ロウびき)えのきだ窯代々の手法で描かれています。
また、えのきだ窯は急須も有名です。
うつわと合わせてぜひ手にとってみてくださいね。
工房であり店舗でもある本店のほか少し離れた支店では4代目の勝彦さんが作る打ち立てのお蕎麦をいただくこともできます。
もちろんうつわはえのきだ窯のもの。
訪れた際にはうつわづくりで培った生地をこねる力で作られるお蕎麦もぜひ味わってみたいものです。
えのきだ窯 栃木県芳賀郡益子町益子4240
益子で作陶されている人気作家さん
益子焼は昔から新しさを受け入れる気風を持っています。
現在もたくさんの作家がそれぞれにうつわづくりをしています。
きっと「おっ」と思えるうつわに出会えるはず。
「木のね」
益子焼のぽってりした質感を活かしたユニークなかたちのうつわもあります。
木のねの粉福食パン皿はトーストそっくり。
パンを乗せてもよし、パンの上に乗せるように 卵料理やサラダを乗せても楽しそう。
コッペパンのかたちをした器もあります。
うつわができるまでの過程で自然にできる色の 濃淡やポツポツとしたピンホールも個性のひとつで、つい愛おしく感じてしまう ポイントです。
「東峯未央」
ツバメやお花などのモチーフを多く制作されている東峯未央さん。
北欧テキスタイルを思わせるような、デザインがすてきなうつわを制作されています。
どこか懐かしくレトロな印象もあり、味のある喫茶店で出てきそうな印象もあります。
「豊田雅代」
ぷくりと盛り上がるように描かれた、繊細な模様に思わずうっとり。
豊田さんの作品は、クリームでデコレーションするように模様を描く、「イッチン」という技法が使われています。
丁寧に施される手仕事のあたたかみの中に、遊び心が感じられます。
「笠原良子」
厚みのある益子焼のうつわは、持ったときの安心感も特徴のひとつ。
笠原良子さんがつくるうつわは、そんな安心感がうれしいうつわです。
例えばそば猪口は、太めのピッチで施された面取りの装飾とぽてっとした適度な重みが感じられます。
手にしたときに不思議とほっとするうつわです。
蕎麦やそうめんのお供にはもちろん、同じく笠原さんがつくっているポットと合わせてお茶やコーヒーのカップとしても使えます。
「相澤かなえ」
見ているだけで心が柔らかくなるイラストが書かれた、相澤かなえさんのうつわ。
益子焼のぽってりとしたあたたかみとマッチしたやさしいイラストは、使うたびに気持ちが和みます。
「渡辺篤」
シンプルながらもどこか遊び心のあるデザインと、上品な色合いが魅力な渡辺篤さんのうつわ。
小さな小さなお鍋のような、ミニチュアサイズの豆鉢はとってもキュート。
食卓のアクセントになりますよ。
*https://uchill.jp/blog/pottery-area/mashikoyaki/ より
長く愛される物の形
オーストラリア人の陶芸家ユアン・クレイグさんは、数十年間にわたり、創造性と美しさを実用性と融合する日本の民芸運動の伝統を取り入れながら日本で技術を磨いている。
日本には全国各地に様々な焼き物が存在する。益子焼は栃木県の益子町を産地とする焼き物で、その歴史は江戸時代末期にまで遡る。良質の陶土を産出することや大市場の東京に近いことから、火鉢や水がめ、壺などの日用品が多く作られ、日本を代表する焼き物の産地として発展を遂げてきた。
ユアン・クレイグさんの日本での生活は、栃木県益子町の陶芸コミュニティで始まった。1964年にメルボルンで生まれたユアンさんは、14歳の時に自分の将来を考え、オーストラリアで初めてろくろの前に座った。それは天職というよりも客観的な計算に基づいた選択だった。「私が求めていた仕事は、一生退職せず、 力仕事で体を鍛えられて、手を使い、かつ自分の好きな科学、芸術、哲学を取り入れたものでした」。これらの条件を満たす職業が陶芸だった。
セラミックデザインの学士を取得してベンディゴのラ・トローブ大学を卒業すると、ユアンさんは4年間、スワンヒルで小さな陶芸工房を営んだ。そんな時、日本の友人から益子町の陶芸コミュニティを紹介された。
1990年1月、ユアンさんは人生を変える巡礼の旅に乗り出した。益子町は、益子焼の聖地で、1920年代に民芸運動を主導した濱田庄司氏(人間国宝)の活躍で大きな注目を浴びた。「大学で日本の陶芸と民芸運動について学び、益子町についても知っていたので、絶対に行きたいと思いました」とユアンさんは語る。
ユアンさんは、濱田氏を師とし自身も人間国宝であった島岡達三氏に弟子入りした。来日当時、彼は日本語を一切話せなかったが、日本語を猛勉強しながら、島岡氏の指導の下、「民芸品は、素朴さと日常の実用性のゆえ美しく、民衆が民衆のために作るもの」という民芸の基本的な教えを学んだ。ユアンさんは1994年に開窯し、益子に21年間暮らした。地域にも溶け込み、妻との出会いもあった。日本民藝協会の会員であるユアンさんは、用の美と創造性と工芸の全体論的関係を固く信じている。
2011年の東日本大震災で店と窯が大きな被害を受けると、ユアンさんは家族の安全と暮らしのため群馬県みなかみ町に移転した。現在は古い農家で妻と4人の子どもと暮らしている。家の中には広い工房とギャラリーが作られていて、土間や冬作業のための炉があり、大きな窓からは日光があふれ込む。水は外の井戸からくみ、足踏みろくろを使って作陶する。
ユアンさんの最も自慢の作品は皿などの食器だという。「食事は芸術のように人々を結びつけ、養います。」東京都内のある美術店周辺のレストラン3店とコラボレーションし、特別メニューのために料理に合わせた作品も作っている。2018年11月にはその美術店で25周年記念展を開催する予定である。
ユアンさんはこの節目を嬉しく思いながらも、成功とは別物だと捉えている。「私は美しくシンプルで実用的な物を作りますが、それは人々が生涯毎日使い続け、私がいなくなった後も残り続けます。それこそが、日常生活の芸術です」。彼の作品は多くの人々の日常生活と結びつき、その暮らしを豊かに彩っている。
*https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/201805/201805_11_jp.html より