第43回 2013年12月17日 「奥深い黒の世界~奈良 墨~」リサーチャー: 高梨臨
番組内容
今回は、奈良で伝統的に作られてきた墨。国内で生産されるものの9割は奈良産だ。安土桃山時代に創業の製墨会社は、伝統に忠実な方法で墨を作っている。手足を駆使する驚きの職人の技を紹介。さらに従来の書道液の概念を覆すような新商品を次々と開発している会社を訪問。奈良の墨は、絵画や書など日本の芸術に欠かせないもの。墨が生みだす黒は、実に多様な表情を持っている。女優の高梨臨が、墨に秘められたワザに迫る。
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201312171930001301000 より
1300年の歴史を持つ奈良では、古くから墨づくりが盛んに行われてきました。
今も国内の墨の9割が奈良で作られています。
1400年頃、興福寺で灯明の油を燃やした際の煤(すす)から「油煙墨」(ゆえんぼく)が作られると、古来の「松煙墨」(しょうえんぼく)よりも粒子が細かく深い色合いを持つことから好まるようになりました。
煤(すす)や膠(にかわ)、香料を混ぜた「墨玉」を練り合わせて木型に入れ、数カ月乾燥させて作るという昔からの製法を守って作る「奈良墨」は、国の伝統的工芸品に指定されています。
現在の奈良には、製墨会社が14軒あります。
「1.墨つくり(古梅園)」
「古梅園」(こばいえん)は、弘治3(1557)年に創業した日本最古の製墨業の会社です。
夏目漱石が「墨の香や 奈良の都の 古梅園」と詠んだ墨匠です。
自宅の庭の一隅に梅の古木があり、来訪した文人や墨客が皆、その古木を賞揚したのでこれを園号とし、それ以後、「古梅園」と称するようになりました。
「古梅園」の店頭には、100種類以上もの墨が並べられています。
その中には、徳川将軍家に納めていた墨など、貴重なものがあります。
「古梅園」では、古くからの伝統を受け継ぎ、昔ながらの採煙方法にこだわって「墨つくり」が行われています。
手掛ける職人は若干5名。
一日に取れる煤の量は600g、一般的な大きさの墨が40個分です。
「墨」は、原料となる「煤すす」により、主に「松煙墨しょうえんぼく」「油煙墨ゆえんぼく」「洋煙墨ようえんぼく」の三種類に分けられます。
「松煙墨」(しょうえんぼく)は、松脂(まつやに)を燃やした煤から製した墨です。
歴史としては最も古い墨の製造方法です。
「油煙墨」(ゆえんぼく)は、菜種、胡麻、桐の油を燃やした得られた煤で出来た墨です。
「松煙墨」に比べると、粒子が細かく均一なので、見た目も艶やかで光沢があります。
「洋煙墨」(ようえんぼく)は、石油や石炭などの鉱物性の油を燃やして得られた煤に、コールタールやカーボンブラックを混ぜて作った墨です。
「改良煤煙墨」とも言い、プリンターのインクの原料とほぼ同じです。
現在の墨の80%がこの洋煙墨を使用したものです。
「古梅園」では、代々継承した秘伝によって、上質の「油煙墨」(ようえんぼく)を作っています。
「油煙」(ゆえん)では、上質な純植物性油を燃やして「煤」(すす)を作ります。
この「煤」を「膠」(にかわ)を湯煎で溶かしたものに入れて、混ぜ合わせます。
これを幾度も幾度も練り合わせると、真っ黒で艶やかなお餅のようなもの「墨玉」になります。
この「墨玉」を膠のニオイを隠すために「香料」を入れてよく揉み込んだら、梨の木で作られた「木型」に入れて成型する「型入れ」をします。
「古梅園」では、「香料」には「竜脳」(りゅうのう)を中心とした天然香料を使用しています。
墨を磨る時に気持ちを引き締め、安らぎを与えるためだそうです。
「墨づくり」が本格化するのは、寒い季節になってからになります。
これは、膠を腐らせないようにするためだそうです。
「採煙蔵」(さいえんぐら)と呼ぶ土蔵には、植物油を注いだ200枚の素焼きの皿が並び、灯芯に火が灯されます。
そして炎の上方に設置した土器で煤を溜め採る仕組みになっています。
炎の大きさや油の種類で煤の質が決まるため、常に熟練の職人が張り付き、200の揺れる炎を均一に管理しています。
「膠」(にかわ)は牛など動物の骨や皮を原料としたものです。
これを二重釜に入れて、長時間湯煎をし、液体にします。
煤と膠の溶液を練り上げていくと、黒いお餅のような状態になります。
これを「墨玉」と言います。
「墨玉」は、少し時間をおくと硬くなってしまうので、体重をかけて全身を使って練り合わせていました。
古梅園 奈良県奈良市椿井町7番地
「2.百選墨(墨運堂)」
平成23(2011)年春から行われていた、京都にある妙心寺・退蔵院(たいぞういん)の「退蔵院方丈襖絵プロジェクト」が令和4(2022)年5月8日、約11年の歳月をかけて、遂に完成しました!(番組放映当時は、プロジェクト推進中)
妙心寺退蔵院と京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)が共同で、若手芸術家の育成、職人の技術・素材や道具の継承、そして既存の文化財の保全を目的に、
安土桃山時代の慶長2(1597)年に建立された退蔵院の本堂(方丈)にある同時期に絵師・狩野了慶(かのうりょうけい)によって描かれた国の重要文化財の76面の襖絵「五輪之画」を描き上げるというものです。
絵師の条件は、若く才能がある人・京都に所縁のある人・やり切る度胸がある人・宗教や文化を尊重出来る、無名の人。
選ばれた絵師・村林由貴さんは、5年半、寺に住み込んで、禅の修行を経験しながら水墨画を学び、創作に励まれました。
またもう一つの目的、「職人の技術・素材や道具の継承」するために、和紙、墨、筆、襖、舞良戸(まいらど)などの素材は全て最高のものを揃えて作り上げ、更にその技術を次代に伝えるため、素材の製法や技術も事細かに記録されました。
そして襖絵制作に使用する「墨」は、アドバイザーの京都造形芸術大学・青木芳昭教授があらゆる墨を試した中から、国産の墨で最も優れた能力を持つのは「百選墨」であるとして、「墨運堂」(ぼくうんどう)が選ばれました。
「百選墨」は、「墨運堂」の先代・松井茂雄さんが、それまでの試作品の中から良いものを百種選び出し、一型柄(一銘柄)一墨質を理念として、昭和47年より製造を始めた墨で、日本の墨の最高峰と言われています。
「墨運堂」は、文化2(1805) 年に創業した墨・書画材のメーカーです。
煤と膠を混ぜる作業は機械を導入していますが、その他は、今でも伝統的な製法を守り続けています。
「永楽庵」では、「墨運堂」の180種類の墨をご試墨し、求める商品を選ぶことが出来るように作られた施設です。
西ノ京工場敷地内に併設する「墨の資料館」は、墨の歴史と職人達の技を、見て、触れて感じられる資料館です。
普段は見ることが出来ない墨の原料である油煙や松煙、膠や龍脳などの香料が展示されている他、貴重な資料や記念墨なども揃っています
「がんこ一徹長屋には、奈良の伝統工芸作家が入居していて、奈良に息づいた伝統工芸職人のこだわりの数々に直に触ることが出来ます。
墨運堂 奈良県奈良市六条1丁目5−35
「3.書道パフォーマンス(呉竹)」
現在、書道のイメージが変わろうとしています。
高校最高峰の書道大会「国際高校生選抜書展(書の甲子園)」を始め、多くの書道展で入賞している埼玉県立川口高校・書道部では、個人での作品制作のみならず、「書道パフォーマンス」にも力を入れていて、「書道パフォーマンス甲子園」に出場したり、年7回、校内外でパフォーマンスを披露しています。
「書道パフォーマンス」とは、音楽に合わせて踊りながら、大きな半紙に超極太の大きな筆で一つの書を仕上げるというものです。
愛媛県立三島高等学校書道部が以前から行っていた音楽に合わせて歌詞を書いて披露する「書のデモンストレーション」を、平成20(2008)年に四国中央市が、
地元の祭り「四国中央紙まつり」でも披露することを依頼したことがきっかけとなり、平成20(2008)年夏、「第一回 全国高校書道パフォーマンス選手権大会「書道パフォーマンス甲子園」が開催されることとなりました。(「書道パフォーマンス甲子園」は、四国中央市の登録商標です)
平成22(2010)年には『書道ガールズ!! わたしたちの甲子園』として映画化され、日本中に「書道パフォーマンス」ブームが巻き起こりました。
「書道パフォーマンス」では、パフォーマンス後に作品を持ち上げて披露します。
普通の墨汁では垂れてしまうので、「超濃墨」と言うかなり濃い目の墨を使います。
これら「パフォーマンス用の書道液」を開発したのは、書道の授業などで、誰もが一度は使ったことのある文具メーカー「呉竹」の6代目社長・綿谷昌訓(わたたに まさのり)さんです。
「呉竹」が作った「パフォーマンス用の書道液」は超々々濃墨液で、静止している状態ではトロ~っと粘りがあって垂れにくいですが、動かすと粘土が下がり、運筆が良くなってサラッと書ける不思議な墨液です。
また、乾くと雨でも流れないので、パフォーマンスした作品を、雨を気にせず屋外に掲示することが可能です。
カラー書道液もあります。
他の色と混ぜれば、オリジナルカラーを作ることも出来ます。
また、肌や服についても洗えば落ちる「洗って落ちるパフォーマンス書道液」もあります。
「呉竹」は、常に時代のニーズに着眼点を持ちながら、長年に渡り開発と革新を続けてきた会社です。
明治35(1902)年に創業した「呉竹」は、昭和33(1958)年に液体状の「墨滴」、昭和38(1963)年には墨滴に続く新規事業「サインペン」分野に進出、昭和48(1973)年には「くれ竹筆ぺん」を開発しました。
美しい色合いやカラーバリエーションが豊富な「カラー筆ペン」は、海外にも展開し、人気を呼んでいます。
現在は、「アート&クラフトカンパニー」として、色々なアイテムを提案しています。
綿谷昌訓さんは、既存の技術を応用した形の中で新しい商品を開発していくのが企業の使命とおっしゃっていらっしゃいました。
呉竹 奈良県奈良市南京終町7-576
*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Nara/Sumi より