「江戸切子」
江戸切子とは
職人がきざむ模様の美、その歴史と現在
色とりどりのあざやかな色、独特な切り込み。光の反射で輝きを増す江戸切子。
東京の新シンボル・東京スカイツリーの内装にも採用されているという、江戸切子の魅力と歴史をたずねます。
江戸切子とは
江戸切子とは、ガラスの表面に切り込みを入れて表す美しい文様が特徴のカットガラス。そのデザインは、矢来 (やらい) や魚々子 (ななこ)、格子などの代表的な文様の組み合わせから成る。和を感じる文様と西洋から伝わった技巧を融合させた独特で繊細なカットに光が反射し、煌めきを生み出す。
ここに注目 明治の殖産興業政策を背景に発展
江戸時代後期、江戸のガラス問屋加賀屋久兵衛が金剛砂 (こんごうしゃ) を使いガラス細工を施したことが起源と言われている。明治時代には、新政府の殖産興業政策の一環として、政府よりガラス製造技術の促進が図られた。その伝統は今日まで受け継がれ、東京都や国の伝統的工芸品に指定されている。
江戸切子のきほん
◯主な素材
ソーダガラス製とクリスタルガラス製の2種類。
ソーダガラスは主原料の珪砂にソーダ灰と石灰等を混ぜて作られたガラスで、軽さと丈夫さが特徴。クリスタルガラスは酸化鉛等が混ぜられたガラスで、ソーダガラスに比べるとキズが付きやすいため取り扱いに注意が必要だが、屈折率が高いために透き通るような透明感がある。手に持った時のずっしりとした重さも特徴のひとつ。
◯主な技法
江戸切子は、製造工程で使用する様々な道具により繊細な趣きを生み出す。基本となる大きめのカット模様を彫り込む「粗摺り(あらずり)」、それを元に細かな部分をカットする「三番掛け」では、ダイヤモンドホイールと呼ばれる円状盤の研磨機を回転させ、そこへガラスを当てて文様を削り出す。
カット面をなめらかに整える「石掛け」では人工砥石や天然砥石を使用。さらにカット面に光沢を出す「磨き」には木盤や樹脂系パッド、仕上げの「バフ掛け」ではフェルトや綿などに水に溶かした研磨剤をつけて研磨するなど、工程ごとに道具を変えて磨き上げていく。
◯代表的な人・工房
・加賀屋久兵衛 (江戸切子の開祖)
・エマヌエル・ホープトマン (江戸切子の加工技術を指導した)
◯数字で見る江戸切子
・誕生:1834年ごろ
・産地:東京都 (江東区を中心とした関東一円)
・職人の数:約100名 (*江戸切子協同組合調べ)
・伝統工芸品指定:1985年に東京都の伝統工芸品に、2002年に国の伝統的工芸品に指定された。
江戸切子と薩摩切子の違いは?
切子と言うともう一つ、鹿児島の薩摩切子が有名だ。江戸切子と薩摩切子の大きな違いは、色の表現と文様にある。
薩摩切子に使う色被せガラスは江戸切子のものより厚みがある。表面の厚い色ガラスの層に切り込みを入れていくと、下に重なる透明ガラスに近くづくほど色が薄くなっていきグラデーションができる。これは「ぼかし」と呼ばれ、薩摩切子の特徴とされている。
江戸切子は、江戸時代には透明ガラスのみを用いていたが、現在ではデザインの多様化が進み、薩摩切子と同じく色被せガラスを用いるのが主流となっている。
しかしその色の表現は、「ぼかし」の薩摩切子と対照的に、色ガラスと透明ガラスのコントラストがはっきりしたカットが特徴的だ。
文様にも違いがあり、江戸切子は江戸の人々に好まれたシンプルな単文様が多く、菊や麻の葉などの植物、魚のうろこを思わせる魚子 (ななこ) 、篭目・風車など、江戸の暮らしの中のモチーフを図案化した伝統模様が今日まで受け継がれている。対して薩摩切子は、二種類を組み合わせた複合文様が多い。
いままでの幾何学模様を一新した但野英芳さん作品の曲線美
伝統的な江戸切子の技法に新たな風を吹かせたのが、但野硝子加工所の2代目である但野英芳さんである。
従来の直線的な幾何学文様の江戸切子とは異なり、但野さんの作品には曲線で動植物や景色が描かれる。
曲線や細やかな表現を出すためには道具の工夫が必要だ。そこで但野さんは通常よりも小さいサイズの道具を手配し、それを使い分けることで、表現の幅を大きく広げることに成功させた。
また、色のついた切子を制作する際には透明のガラスに色のついたガラスを被せる「色被せガラス」を使用するのが一般的であったが、より高度な技術が必要な特注の2色被せガラスをベースにカットを施し、但野さんオリジナルのアイデアと技法により、細やかで色彩溢れる新たな江戸切子が生まれた。
江戸切子の歴史
江戸切子の歴史は、鎖国をしていた江戸時代、日本で唯一海外と交流のあった長崎からガラスが伝わったところから始まる。当時の人々はガラスのことを、「ビードロ」 (ガラスを意味するポルトガル語が語源)と呼んでいた。
◯江戸の生活から生まれる
江戸時代後期になると、表面に繊細な文様が彫られたカットガラスがオランダから運ばれきた。それを日本人は「ギヤマン」(ダイヤモンドを意味するオランダ語が語源) と呼んだ。ギヤマンを真似て日本で作られたカットガラスが切子である。
カットガラスの製法が長崎からどのような経緯で各地へ伝わったのかは不明で、未だに多くの謎が残っているが、江戸でのガラス製造は1711~1716年 (正徳年間) の頃には始まっていたことが記録に残っている。
18世紀末期になると江戸にガラス製品が広く普及し始める。当時主流だったのは薄手の吹きガラスだった。1834年 (天保5年) 、ガラス問屋加賀屋の手代であった加賀屋久兵衛が、金剛砂を使ってガラスに彫刻を行った。これが後に「江戸切子」と呼ばれる切子技法誕生のきっかけとなる。
◯世界にも知られる芸術品に
西洋に対抗し、国家の近代化を睨んで殖産興業の政策が推し進められていた1873年 (明治6年)、 品川興業社が開設され、その3年後に「品川硝子製作所」として政府により官営化された頃、世間に「ガラス」という呼び方が広まった。1881年 (明治14年) には、イギリス人の切子技師であるエマヌエル・ホープトマンが来日し、カット技術を日本に伝授。現代に続く江戸切子の工芸技法が確立された。
◯江戸切子と戦後の復興
大正時代には、ガラス素材やクリスタルガラスの研磨などの研究が進み、切子の品質が向上するが、戦争により切子づくりは一時衰退する。その後復興のきっかけとなったのは、GHQからのクリスタルガラスの受注増加であった。
1960年頃、高度経済成長期の影響で人々の生活が洋風に変化するとガラス食器の需要が増加し、カットガラスは全盛期を迎え、江戸切子は1985年 (昭和60年) に東京都の伝統工芸品、2002年 (平成14年) には国の伝統的工芸品に指定される。
現在、江戸切子は食器以外にも幅を広げ、スカイツリーのエレベーターの内装にも採用され、訪れた人を楽しませている。
ここで買えます・見学できます
◯江戸切子協同組合ショールーム
江戸切子は、 東京都江東区亀戸にある江戸切子協同組合のショールームで購入や見学が可能。ぐい呑みから大皿まで様々な江戸切子を間近で見ることができる。ぜひ足を運んでみたい。
所在地:東京都江東区亀戸4-18-8 亀戸梅屋敷内
*https://story.nakagawa-masashichi.jp/craft_post/116337 より
円盤と水と電球と
工房は、外の明るさに馴れた目には、少しばかり暗く感じられる。木村さんは、奥の窓際に置かれた作業台に向かっていた。円盤を回すモーターの音と水の流れる音が低く響いている。作業台の白熱電球の灯が、回転する円盤にガラスを当てる木村さんをスポットライトのように照らしていた。木村さんは私たちに気付くと、作業の手をとめ迎えてくれた。
先程は、ガラスの表面を研磨していた所だという。研磨には、石でできた円盤をモーターで高速回転させて使う。その際、表面は常に水で濡らしておかなかればならない。水音は円盤に水を掛ける音だったのだ。
裸電球は、加工する部分を集中的に照らすためのもの。無色透明な切子を制作していた頃は60wを使っていたが、「色被せ(いろきせ)」の切子を制作するようになって100wに変えたという。
切子は素材の表面を削って加工を施す。その時、円盤が作り出す模様の様子は、削っている面の反対側からガラス越しに見ることになるため、充分な明るさが必要なのだと木村さんは教えてくれた。
見えない手間、見えない技
作業台の傍らに置かれた木箱には、加工途中のグラスが並べられている。木村さんにお願いして、その一つを見せて頂いた。直線が印象的なシンプルなデザインで、小さな円形がアクセントになっている。問屋からの依頼で昔のデザインを復刻した製品だという。
「これは戦前のデザインだと思います。「留め柄」の一種です。難しくて手が掛かるため、高価になりすぎて、いつのまにか廃れてしまったんでしょうね」
「色被せ」の切子は、透明なガラス地の表面全体に、色ガラスを膜状に被せたものを素材とする。この色の膜を削りとって模様を作り出すのである。
このグラスの場合、色地と透明部分は4対6位で透明部分が多く、しかも透明部分に地紋がない。そのため、ガラスを均一にムラなく削らなければならない。
「留め柄」は、模様をある一定の位置で水平に揃えて留める柄のことをいう。ぴったりと揃えるには確かな技術が必要だという。このデザインでは、底から数センチ、口から数センチのところで、柄に水平の切り替えが入っている。これは「両留め」と呼ばれるものだ。
一見してシンプルで簡単そうに思える柄でも、それが美しく見えるのは、確かな技術や丹念な加工があってのこと。見えない所で手間や技を効かせる仕事には「江戸の粋」が息づいている。
華麗に変身するガラス
「さっきは、底に石を掛けていた所だったんです。」木村さんが、木箱の中のグラスを指し示す。
切子は、最初に金剛砂と呼ばれる砂や工業ダイヤの微粒子を使ってガラスを削るため、加工面には微細なザラつきが生じてしまう。そうしたザラつきを、砥石を掛けて平滑にするのだ。それだけでなく、砂やダイヤで削った模様も砥石で整形して仕上げられる。
江戸切子には、細かい線や小さな面で構成される伝統模様がある。職人たちは、これらミリ単位の幾何学模様も、砥石を使って下図なしでガラスに刻むという。
砥石による加工の済んだものは、そのままでも充分綺麗に見える。しかし、切子の真の魅力は、最後の仕上げによって引き出される。
「磨くともっと光沢がでるんですよ」木村さんはそういうと、わざわざ完成品を梱包済の箱から取り出してくれた。
透明部分は一点の曇りもなく滑らかに透き通り、カットの端々に光が踊っている。単なるガラスのままでは決して到達しえない美しさがそこにあった。
輝きと温もりのバランス
切子の輝きは、カットの溝の深さや角度で決まる。カットの具合を決めるのは、素材を削る円盤のエッジの鋭さと、素材を円盤に当てる角度。円盤のエッジが鋭角な程、カットが華やかに光輝くという。
「私はあんまり、エッジが鋭角の円盤は使わないですね。仕上がりがいくら光って綺麗でも、手に持った時、なんだか痛そうな気がしてね」木村さんは語る。
食器・酒器・文具など、江戸切子は手に触れるものとして育てられてきた。だからこそ、美しさだけでなく触感も大切にされる。その塩梅も職人の技のひとつだ。
江戸切子の輝きに、温もりが感じられるのは、そんな職人の気配りが込められているからかもしれない。
職人プロフィール
木村泰典 (きむら やすのり)
東京カットグラス工業協同組合副理事長
高校卒業後、父親の木村義雄氏に師事。この道32年の三代目。
初代は義雄氏の伯父である木村文蔵氏。
平成12年度にはグラスウエアータイムス社奨励賞を受賞。
こぼれ話
切子の模様
江戸切子には、江戸時代から現代まで受け継がれている模様がある。菊や麻の葉など植物から、篭目、格子といった江戸の生活用品まで、いろいろな題材が巧みに意匠化されている。江戸の人々に愛された模様は、時を超え今も切子を彩っている。
職人は、これらの模様を組み合わせて自分ならではの柄を創り出す。柄には職人の模様の好みが反映されるので、使っている模様を見れば仲間うちでは誰の作品かおおよその見当がつくという。
*https://kougeihin.jp/craft/1404/ より
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