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<経産大臣指定伝統的工芸品> 埼玉 行田足袋

2021-02-21 07:49:23 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「行田足袋」

 行田足袋とは
 埼玉県行田市で足袋が作られるようになったのは、行田市が木綿の産地であった事が関係しています。
 更に近くには中山道も通っており、旅人たちが多く行き交っていました。

 そこで、旅人達にも販売出来るように、旅行や作業に使用する足袋作りが行われるようになっていったのです。

 明治に入るとミシンの導入によって生産量は飛躍的に増加します。
 1938年には足袋の全国シェア8割を占めるほど、行田の足袋は定着していきました。

 行田足袋が出来るまで
 足袋は一見シンプルな作りに見えますが、実はとても奥が深いものでもあります。
 準備から完成まで、行田足袋の製造工程は下記の13に分かれています。

 【行田足袋の作り方】
 1.準備:ひきのし布を裁断する為、10枚重ねる
 2.通し:足袋の型をあて、布を裁断する
 3.かけとおし:コハゼをかける糸を通す
 4.押さえ:通した糸が動かないように止める
 5.ハギマチ:コハゼをつける箇所の裏に布を縫いつける
 6.コハゼつけ:コハゼを縫いつける
 7.羽ぬい:表地と裏地を縫い合わせる
 8.甲ぬい:甲の部分を縫い合わせる
 9.尻どめ:かかとを丸く縫う
 10.つまぬい:爪先を縫う
 11.まわし:爪先以外を縫う
 12.千鳥:まわし縫いした所をギャザーにからみ縫いする
 13.仕上げ:最後に形を整える
 

 陸王と行田足袋

 2017年に放送された池井戸潤さんの小説原作・TBSドラマ「陸王」では、行田市が足袋の町として登場しました。

 埼玉県行田市にある老舗足袋業者「こはぜ屋」の4代目社長である宮沢さんを主人公として、需要が減っていく足袋をなんとかしようと、足袋作りの技術を活かしたランニングシューズの開発に挑むという物語になっています。

 このモデルになったのは実際に存在する「きねや足袋株式会社」で、ランニング足袋の販売も行っています。

*https://shikinobi.com/gyoda-tabi より

*https://kougeihin.jp/craft/0300/ より

 Description / 特徴・産地

 行田足袋とは?
 行田足袋(ぎょうだたび)は、全国一の足袋生産を誇る埼玉県行田市で生産される特産品です。
 利根川、荒川の二大河川に挟まれた行田市周辺地域は、水や堆積した砂質土が豊富な場所。さらに夏場は高温になるため綿の栽培に適しており、木綿の生産が盛んとなりました。また、それに加えて近くに中山道が通っていたことなどから、足袋の製作が隆盛していったと考えられています。
 生地は木綿、こはぜは真鍮もしくはアルミ(または同等の素材)を使い、指の収まりがよくなるよう、ふくらみをつけながら立体的に縫製されているのが特徴。現在でも和装文化に欠かせないアイテムです。

 History / 歴史
 行田足袋 - 歴史

 享保年間(1716~35年)ごろに描かれた『行田町絵図』には3軒の足袋屋が記されていることから、行田足袋の生産はそのころから開始されていたと考えられています。
 100年ほど経過した天保年間(1830~44年)になると、足袋屋は27軒に増加。さらに近代に入ると足袋は大衆化して需要が拡大し、行田の足袋商人は東北地方や北海道へも販路を広げます。また、作業工程に合わせて特殊な専用ミシンが導入されるなど製作面も進化。それに加えて日露戦争の好景気もきっかけとなり足袋工場建設が進みました。
 生産量の増加とともに製品を保管するための足袋蔵も数多く建造されましたが、そのうち約80棟の足袋蔵は現存。行田の町に趣きある景色をもたらしています。
 昭和13~14年(1938~39年)の最盛期には全国の約8割の足袋を生産し、“日本一の足袋のまち”と呼ばれるまでになりました。
 靴下が普及した現在も、行田では足袋の生産が続けられ、国内外へ新製品をを発信し続けています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/gyodatabi/ より


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