「セルジオ・メンデス」
セルジオ・サントス・メンデス(Sérgio Santos Mendes、1941年2月11日 - 2024年9月5日)は、ブラジル生まれのピアニスト、作曲家、編曲家、バンドマスターである。
生い立ち
ブラジル南部、リオデジャネイロ州リオデジャネイロ市近郊のニテロイで生まれる。幼少の頃からリオ市内の音楽学校でクラシック・ピアノを学ぶなど、恵まれた環境で音楽の基礎を身に着ける。しかし、その後はクラシックの道へと進まなかった。
ボサノヴァ
1950年代後半にジャズ、そしてアントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルトの影響を受けボサノヴァに移行し、彼らを誘って国内外で活躍するようになる。
1962年に「ヴォサ・リオ・セクステット」を結成。1965年にはアメリカに活動の場を移し、ジョビンやジルベルトとともに、1960年代中盤から後半にかけて巻き起こった世界的なボサノヴァ・ブームの推進役となった。
1966年、セルジオ・メンデス&ブラジル'66としてのファースト・アルバム『Herb Alpert Presents Sergio Mendes & Brasil '66』を発表。シングルカットされた「マシュ・ケ・ナダ」はビルボード・Hot 100で47位、イージーリスニングチャートで4位を記録。日本を含む世界の多くの国で有名になった。
その後も、ビートルズの「フール・オン・ザ・ヒル」や「デイ・トリッパー」といった曲をボサノヴァ風にアレンジしたカヴァーなど、欧米の音楽市場にとって親しみやすいボサノヴァをつくり、世界へ普及させた。1970年の大阪万国博覧会のステージ等、来日公演の経験も多数ある。77年にはランバート&ポッター制作のレコードを発表している。1983年には「愛をもう一度」が全米4位まで上昇するカムバック・ヒットとなった。
晩年
1970年代後半以降、セルジオ・メンデスはAORやソウルを基調とするアメリカナイズされた音楽に傾いていたが、1992年にはブラジル音楽に回帰したアルバム「ブラジレイロ」を発表。翌年のグラミー賞にて最優秀ワールドミュージックアルバム賞を受賞した。
2006年の発表されたアルバム「Timeless」では、スティーヴィー・ワンダーやブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アム、ジル・スコットら別のジャンルの大御所とのコラボレーションを実現し、世界的なヒットで話題を呼んだ。
2006年と2008年、2016年(3月の福島復興支援コンサート、9月の東京JAZZに出演)に来日公演を行っている。
2024年9月5日、ロサンゼルスでロングCOVIDにより死去。83歳没。
*Wikipedia より
先日、ラジオから訃報を聞いた。
83歳かぁ・・・
一度はライブに行きたかったが、願いかなわず。
なぜかボサノヴァが好きだった。長年なぜ?と思っていたが、たぶん若い頃に聴いた「マシュ・ケ・ナダ」が一番の影響だったか?
2006年発売のアルバム「Timeless」からの曲が心を震わせた。
「ブラック・アイド・ピーズ」をフューチャリングしたバージョンは特に斬新だった。
ご冥福をお祈りいたします。
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