太子四つ辻バス停から北へ約10分進むと通法寺(国史跡)に至る。通法寺は、1043(長久4)年に河内源氏の祖源頼信が子の頼義とともに小堂を建て前九年合戦のとき、頼義が浄土教に帰依し、阿弥陀仏を本尊としてから河内源氏の菩提寺となった。 その後、南北時代および戦国時代の兵火で再三焼失、1700(元禄13)年、江戸幕府五代将軍徳川綱吉のときに、子孫の多田義直の上表を受け大僧正隆光や柳沢吉保らにより、壷井八幡宮・壷井神社とともに再建された。 しかし、明治時代初期の廃仏毀釈により廃寺となった。今回は、その通法寺跡・源氏三代の墓・壷井神社を巡ります。辰じいです。 . . . 本文を読む
川面町の人からこのスケッチブックを紹介され、昔懐かしい風景に出会えました。数十年前卒業した母校や、懐かしい遊びそして風景。遥か昔の風景もありますが、笑いながら見てください。独り占めが惜しいので、ブログUPしました。By 辰じい でした。 . . . 本文を読む
富田林寺内町は、今から約450年前戦国時代末期の永禄(1558~1569)初年頃、西本願寺派興正寺の門跡証秀上人が、守護代より富田の「荒芝地」を購入し開かれた宗教自治都市です。民家は江戸中期までは藁または茅葺きで、密集した街並みではなっかたとおもわれます。江戸時代は公儀御料となり、また、東高野街道、巡礼街道などが交わる交通の要衝であり、酒造業、木綿業をはじめ、近世以降南河内一の商業地として栄え、財をなした家が多く、江戸中期以降、豪壮な白壁造りの町家(厨子(ずし)2階本瓦葺)が軒を連ねる街並みが作られた。現在も17世紀中頃から明治にかけての町家が多く残り、町そのものが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。現在の町家(古民家)を小生の独断で一部を紹介します。 2017.06.17ー22 撮影 . . . 本文を読む
「久宝寺寺内町の歴史は、450年以上前、戦国時代にまでさかのぼります。文明二年(1470年)に本願寺第八世蓮如上人が久宝寺で布教した際、「帰するもの市の如し」といわれるほど帰依するものが多かったので、文明十一年(1479年)この地に西証寺を建立しました。後に西証寺は顕証寺と寺号を改め、天文十年(1541年)頃にこの御坊を中心として久宝寺寺内町が誕生しました。久宝寺は地理的に要衝の地にあり、中・南河内の門徒集団を束ねる拠点として多くの門徒衆が集まり住むとともに、商工業者も集まって活発な商業活動が行われるようになりました。 江戸時代以降は、農村部における商業の中心-在郷町-として発展しました。久宝寺は旧大和川(現在の長瀬川)の船運の要衝として、また堺から八尾街道を経て京都に至る主要幹線の中継点として栄えました。しかし慶長年間に本願寺の東西分派にともなって久宝寺の一部の住人が分離独立して八尾寺内町を建設し、宝永元年(1704年)に大和川付け替えが行われると、それ以降地域の中心は八尾寺内町に移っていったのです。」(八尾市まちなみセンターリーフレットから) By 辰じい . . . 本文を読む
富田林市域には、民衆信仰型の石灯籠が三十数基もあります。富田林市中央公民館の市民講座 「富田林百景+」では、2年にわたりその調査を続けているところです。江戸中期以降に街道筋や町中に民衆の手によって建之(けんの)された石灯籠-「太神宮灯籠」とか「金毘羅大権現」と記銘された-その原動力は何であったのか、考えていきたいと思います。 . . . 本文を読む
今年は梅雨に入ってから、晴天の涼しい日が続いていますが、来週あたりから梅雨空になるようです。下赤阪の棚田は田植えが終わり、これからグングン苗が伸びてくる時期ですが、伸びる少しの間、田んぼが鏡のようになりとてもきれいです。 . . . 本文を読む
富田林寺内町からの二上山の日の出をご覧ください。寺内町(富田林町)の町中から二上山の日の出が見れる場所は、3カ所しかありません。そして、二上山中央からの日の出が見られるのは、北会所町で5月12日頃、展望広場では、5月18日頃、亀ケ坂付近で5月22日頃になります。 . . . 本文を読む
6月10日、「富田林の自然を守る市民運動協議会」(富田林の自然を守る会)主催、親子で楽しめる行事として、奥の谷(里山)で「田植え」が開催されました。総勢50名以上の親子・孫連れが参加され、守る会のスタップの指導のもと、泥んこになりながら、田植えが無事終わりました。その一部と自然の草花を紹介いたします。2017.06.10撮影 . . . 本文を読む
石川からの二上山の日の出をご覧ください。川に反射した二上山がとても美しく、多くの鳥たちが日の出に彩りを添えてくれます。金剛大橋周辺で二上山中央からの日の出が見られるのは、5月22日±1日と7月22日±1日です。 . . . 本文を読む
先日、5月28日の滝谷不動尊の春季大祭で、大峯修験者の大行列(修験大練供養)がありました。大勢の修験者が滝谷不動駅近くの極楽寺より出発し、その行列が延々1.3kmにおよぶ参道を練り歩き、滝谷不動尊へ行かれます。そこで、壮大に天をも焦がす「柴燈大護摩供」が行われました。 . . . 本文を読む
ひさしぶりに下赤阪の棚田を訪れてみると、ちょうど棚田に水を引いて、代掻き(しろかき)をされていました。いよいよ田植えですね。例年ここの棚田は、6月第一か第二週の土日曜日に田植えをされるようです。 . . . 本文を読む
6月1日に金剛山に登りました。今回はカトラ谷の沢沿いに、自然を満喫しながら登りましたが、年の制か、普段の運動不足なのか?かなりきつく、翌日は両足が筋肉痛アンメルツが必要で動きが鈍くなりました。金剛山の詳細説明は省略して、小生の独断と偏見で少し違った見方で紹介いたします。 2017.06.01 撮影 . . . 本文を読む