2023年4月8日 16:07 富田林市富田林町17 亀ヶ坂
「とんだばやし寺内町」の亀ヶ坂を降りたところに「富田林町公園」が誕生しました。
ちょうど「とんだばやし寺内町」の四つの坂の内、亀ヶ坂と山ケ坂の間の細長い公園です。
以前は崖下の荒地でした。
「小板橋跡」の碑が建てられています。
「小板橋」とは明治の明星派歌人 石上露子(いそのかみつゆこ)(「とんだばやし寺内町」の旧家、旧杉山家当主 杉山 タカ)の詩歌に出てくる橋で、この公園の西の山ケ坂の向こうにあった、当時杉山家の別邸の小さな板橋のことです。公の橋ではなく、現在は存在しません。
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井路を邸内に引き込んだ「推定細流」あたりにあり...
河岸段丘の崖下を通ります。
紫陽花や桜が植えられています。
公園の真ん中を井路が暗渠で通ります。上天溝(かみあもぞ)井路で、富田林高校のテニスコートあたりから取水し、新堂(現若松町)地区の下の田んぼを潤しています。
公園の西の端にある山ヶ坂。「四つの坂」で一番の小道で舗装されていなく、なんとかひとりが通れます。でも天保期にはここを上がった所に「用心門」が絵図に描かれています。
かつての細流付近には「石上露子の小板橋跡」の碑。
「小板橋 ゆきずりのわが小板橋 しらしらとひと枝にうばら いづこより流れか寄りし...」明治40年に『明星』12月号に「ゆふちどり」の筆名で掲載された「小板橋」は、後に多くの人の心を打つことになります。
旧杉山家別邸の敷地にある竹藪。
昔は富田林から新堂、中野、喜志まで2.8kmあまりの間、竹が植えられていましたが次々と切られ、現在はここと中野竹林を残すのみとなっています。
真竹の竹藪で、河岸段丘の崖崩れを保全し、また新堂などの竹細工(新堂籠・金剛簾)の原料となった竹です。江戸後期の新堂には竹細工の職人がなんと80人もいたことが村明細帳に記載されています。
現在の富田林の伝統工芸品「金剛簾」はここからきているのですね。
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写真撮影:2023年4月8日
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