~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

日中少し暖かく

2010年01月19日 22時38分23秒 | 見る・読む
冬休みさぼったツケで、今かなりの時間を練習にあてなくてはならず、数時間集中してやると、ピアノ廃人か・・というくらい気力・思考力とも低下してしまうのですが、なんとか体力だけは残して家のことをやっています・・・ええ、いいご身分です(笑)。
ほんとは「練習なんかやらなくても弾けちゃいます」って言ってみたいもんです。何度も言いますけど、趣味なのに必死で練習してるってとてもカッコいいとは思えません。「ピアノなんか持ってもいないし週末だけちょちょっとスタジオ借りて、それでもって、こんくるなんか軽~く優勝です、ハハ・・」というのがアマチュア的には画になります。

それはともかく、今日は少しぬくかった。
こういう微妙に「ぬくい日」は苦手です。変に解凍かけられて「一部変色」みたいなむず痒さがあります。
この感覚、たぶん私に限らず・・と思いたい。ピアノ廃人状態だから・・とは思いたくない(殴)。


朔太郎の『月に吠える』には、春に関する詩がいくつかあるのですけど、これを受け入れられるかどうか、心底「おお・・」と思うかどうかは、必ずしも文学的センスの有無を問うものではないでしょうし、それどころかアブノーマル試験紙であるといえるかもしれません。
ふたつほどいきます。


<春夜>
浅利のやうなもの、
蛤のやうなもの、
みぢんこのやうなもの、
それら生物の身体は砂にうもれ、
どこからともなく、
絹いとのやうな手が無数に生え、
手のほそい毛が浪のまにまにうごいてゐる。
あはれこの生あたたかい春の夜に、そよそよと潮みづながれ、
生物の上にみづながれ、
貝るゐの舌も、ちらちらしてもえ哀しげなるに、
とほく渚の方を見わたせば、
ぬれた渚路には、
腰から下のない病人の列があるいてゐる、
ふらりふらりと歩いている。
ああ、それら人間の髪の毛にも、
春の夜のかすみいちめんふかくかけ、
よせくる、よせくる、
このしろき浪の列はさざなみです。


<春の実体>
かずかぎりもしれぬ虫けらの卵にて、
春がみつちりとふくれてしまつた、
げにげに眺めわたせば、
どこもかしこもこの類の卵にてぎつちりだ。
桜のはなをみてあれば、
桜のはなにもこの卵いちめんに透いてみえ、
やなぎの枝にも、もちろんなり、
たとへば蛾蝶のごときものさへ、
そのうすき羽は卵にてかたちづくられ、
それがあのやうに、ぴかぴか光るのだ。
ああ、瞳にもみえざる、
このかすかな卵のかたちは楕円形にして、
それがいたるところに押しあひへしあひ、
空気中いつぱいにひろがり、
ふくらみきつたごむまりのやうに固くなつてゐるのだ、
よくよく指のさきでつついてみたまへ、
春といふものの実体がおよそこのへんにある。



ひさしぶりに読んで、キました・・「もえ哀し」

・・・・はい、さっさと寝ます。