~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

腕力でものする

2010年01月24日 22時06分01秒 | その他音楽
大学時代、師が講義やゼミ中におっしゃった言葉で今でも思い出すものがあります。


文学史の講義では、毎回数人の作家をとりあげておられましたけど、いつも始めに
「・・今日は、〇〇のお話でございます」とおっしゃる。
「今日は森鴎外をやります」でもかまわないと思うのですけど、「今日は明治の作家、森鷗外のお話でございます」という言い回しがなんともよくて、「今は昔」「むかしむかし」に似た、「まくら」としてわくわく感がありました。
卒業後、同じ講義(といっても明治から昭和までは2年がかり)を2年間聴講しにいきましたので、私もよほど好きだったんだなとは思いますが・・・(笑)。内容がどれほど身についたのかと言われると、「穴があったらなんとか」な心境です。

その師がよく言われていたことの中に、「腕力で書く論文がある」というのがありました。
その意味を私が取り違えていなければ・・ですが、緻密な検証や構成は別として、ぐぐーっと文章力で引き込み、思わず納得させられる論文がある、ということではないかと思います。
古典の文学だと、(楽譜でいう自筆譜、原典版ではないですけど)自筆といわれる書、〇〇定本・〇〇本、ときて、あと江戸期の国文学者等による手の加わった本などを丁寧に調べ比較し、自分なりのオチどころを探していくわけで(私は古典の研究には大変疎いので違っているかもしれませんが)、地道な作業が膨大なのだろうと思います。
近現代の文学についても、上級の専門家は似たような経過があるかもしれませんが、大学の卒論くらいだと、「長大な感想文」程度のもの(私もその一人でありましたが・・汗)を出す人間もいるわけです。それがまた妙に説得力があったりする場合もたまには、ある(笑)。

文章に限らず、しゃべりでも「よーく考えてみればたいしたこと言ってないのに、妙に感心感動してしまった」ということがあるわけで、良いとか悪いとかは別として、それは一種の「力」であろうと思います。

時間の芸術である音楽については、「ライブで聴いたときはつまんなくて寝てしまったけど、あとから録音をよーく聴いてみたら実は手堅くていい演奏だった」というのは本来困るわけで(繰り返しの視聴に耐えるもの・・CDとかDVDの場合はまた話が別)、やっぱり「今日は〇〇のお話でございます」で、身を乗り出してしまうがごとく、冒頭で「おおっ・・」と引きつけられ、楽譜をきちんと再現しているのかどうか確信はないけれど、とにかく最後まで耳が離せなかった・・という演奏が聴いていてうれしいものではないかと思います。
もちろん、研究に練習をかさね、突き抜けた境地に至った演奏というのが理想であることは言うまでもないのですけど、「腕力の演奏」というのもありかな・・・アマチュアだったらアリだろう・・と思うわけです。
じゃあ、その「腕力(説得力?)」はどこからくるかというと、これはまあいろいろなのであろうと。
仕事で培った人もいるだろうし、波乱万丈の人生経験からもくるものもあるでしょう。もちろん多ジャンルの音楽を聴きまくったりやりまくったりしてもそうかもしれません。


2月28日に、福山でオールショパンの5時間あまりのコンサート(ふたつのサークル合同)がありますけど、たぶんアマチュアならではの「腕力の」(笑)ショパンが聴けるのではないかと思います。
正直、プロでも難しい曲がずらーっと並んでいますので、CDのようにはいかないと思いますけど、いろいろな「思い」のショパンがあるはず。

今から諦めてかかるわけではないですけど(殴)、私自身、難しい曲を抱えて「せめて『腕力』だけでも」と思う今日このごろ。

・・ジャンルは違えど、「師」はありがたい存在です。