ここのところちょくちょくお邪魔しているブログ「音の記録」に大変興味深い記事がありましたので、ご本人の承諾を得てここに貼らせていただきます。
内容を一部ご紹介しますと(以下引用)
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pp-p-mp-mf-f-ff
の順番で音は大きくなるということを教えられたし、どの楽典の参考書にもそう書いているので、今の今までmpに特に注目したことはありませんでした。
一回だけ、ショパンについて誰か(専門家)の書いた本の中で、
「ショパンにとって普通の音量はmpなので、彼の楽譜にはmpという指示は絶対に出てきません。」というのを読んで
「ふ~~ん、そうなんだ。」と思ったくらいです。
その私の固定観念が、アルトのパパさんのご著書を読んで完全に覆されました。
曰く、ブラームスが楽譜にmpという記号を書きこんだことが、当時の評論家によって
「許されざる革新」と批判されたというのです。
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ということなんです。
え~~~~そうなん、びっくり!
この記事を読んでいただければわかるのですけど、そこでこの方は楽譜(おそらく原典版)を片っ端から調べられたのだそうです。
するとほんとにブラームス以前にmpはない、といってもいい・・・・
私もちょっと検索してみたのですけど、たまたま、私もお名前は存知あげているこちら出身のピアニストさん(一度演奏会を拝聴して、馥郁としたモーツァルトに感銘を受けました)のavecpianoというブログにたどりつきました。
(・・・こちらはご本人にコンタクトをとっていないので直リンクはやめておきます)
これによると、メゾという単語は「半分」ということなので、「pのさらに半分の音量」ということで、ppとmpが混同される危険性があったといったことが書いてありました。
さらにそこのコメントをたどっていくと、「中心に寄せるという意味での、メゾ、つまりフォルテもメゾがつくと少しやわらぐ感じ、メゾピアノも<そこまで弱くないピアノ>」という意味になるのでは」という内容の意見もありました。
・・・なるほど、なるほど・・・・
結論が出たわけではないのですけど、長年のどこか「気持ち悪い感じ」の根拠が得られたようでうれしいこと限りなし(笑)。
というのは、mpが突如単独で出てくる場合はまあいいとして、mfとmpの両方がひとつの曲中に出てくる場合、どこか「イラっ」とするわけです。
もちろん私はイタリア語はさっぱりわかりませんので、日本語でいうところの「やや強く」「やや弱く」と考えるわけですけど、「やや」という場合はなにか基準があってそれに対しての「やや」であると思うのですが、その基準はどこにある?・・・
強弱の順番でいくと、「よわく、ややよわく、ややつよく、つよく」って、<やや>同士の違いっていかほどなんですか?ああ、感覚ですか、センスですか・・と開きなおるのはまだしも、指導者や聴き手に「だってそこはmfでしょ?そこはmpでしょ?」と言われると、「すみませんが、実演をお願いします(半ギレ)」みたいなことにもなりかねません。
これって、私がヘンなのか・・・中辛と辛口の順番がわからなかったり、準特急と快速急行の違いがわからなかったりするし(泣)。「なにか欠陥がありますか、私・・」と思っていたりもしたのですが、歴史からいうと、mpというのは、コンセンサスを得ていない時代がけっこう長いじゃありませんか?!
私、逃げも隠れもしない文系人間で、いろいろなことを数字化するのは大嫌いなんですけど、そのファジー礼賛の人間でさえ「イラっ」とくるこういう記号、きちっとシロクロつけたい性格の方々はガマンできておられるんでしょうか?
この前の「付点と三連符」ではないですけど、「音の長さや音量の大小の問題はあくまでも楽譜上のこと」といわれてしまえばそれまでですけど、なんか納得いかないです。
・・・・・ところで、中辛って辛口より「やや」甘いほうでしたっけ?(逃)
内容を一部ご紹介しますと(以下引用)
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pp-p-mp-mf-f-ff
の順番で音は大きくなるということを教えられたし、どの楽典の参考書にもそう書いているので、今の今までmpに特に注目したことはありませんでした。
一回だけ、ショパンについて誰か(専門家)の書いた本の中で、
「ショパンにとって普通の音量はmpなので、彼の楽譜にはmpという指示は絶対に出てきません。」というのを読んで
「ふ~~ん、そうなんだ。」と思ったくらいです。
その私の固定観念が、アルトのパパさんのご著書を読んで完全に覆されました。
曰く、ブラームスが楽譜にmpという記号を書きこんだことが、当時の評論家によって
「許されざる革新」と批判されたというのです。
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ということなんです。
え~~~~そうなん、びっくり!
この記事を読んでいただければわかるのですけど、そこでこの方は楽譜(おそらく原典版)を片っ端から調べられたのだそうです。
するとほんとにブラームス以前にmpはない、といってもいい・・・・
私もちょっと検索してみたのですけど、たまたま、私もお名前は存知あげているこちら出身のピアニストさん(一度演奏会を拝聴して、馥郁としたモーツァルトに感銘を受けました)のavecpianoというブログにたどりつきました。
(・・・こちらはご本人にコンタクトをとっていないので直リンクはやめておきます)
これによると、メゾという単語は「半分」ということなので、「pのさらに半分の音量」ということで、ppとmpが混同される危険性があったといったことが書いてありました。
さらにそこのコメントをたどっていくと、「中心に寄せるという意味での、メゾ、つまりフォルテもメゾがつくと少しやわらぐ感じ、メゾピアノも<そこまで弱くないピアノ>」という意味になるのでは」という内容の意見もありました。
・・・なるほど、なるほど・・・・
結論が出たわけではないのですけど、長年のどこか「気持ち悪い感じ」の根拠が得られたようでうれしいこと限りなし(笑)。
というのは、mpが突如単独で出てくる場合はまあいいとして、mfとmpの両方がひとつの曲中に出てくる場合、どこか「イラっ」とするわけです。
もちろん私はイタリア語はさっぱりわかりませんので、日本語でいうところの「やや強く」「やや弱く」と考えるわけですけど、「やや」という場合はなにか基準があってそれに対しての「やや」であると思うのですが、その基準はどこにある?・・・
強弱の順番でいくと、「よわく、ややよわく、ややつよく、つよく」って、<やや>同士の違いっていかほどなんですか?ああ、感覚ですか、センスですか・・と開きなおるのはまだしも、指導者や聴き手に「だってそこはmfでしょ?そこはmpでしょ?」と言われると、「すみませんが、実演をお願いします(半ギレ)」みたいなことにもなりかねません。
これって、私がヘンなのか・・・中辛と辛口の順番がわからなかったり、準特急と快速急行の違いがわからなかったりするし(泣)。「なにか欠陥がありますか、私・・」と思っていたりもしたのですが、歴史からいうと、mpというのは、コンセンサスを得ていない時代がけっこう長いじゃありませんか?!
私、逃げも隠れもしない文系人間で、いろいろなことを数字化するのは大嫌いなんですけど、そのファジー礼賛の人間でさえ「イラっ」とくるこういう記号、きちっとシロクロつけたい性格の方々はガマンできておられるんでしょうか?
この前の「付点と三連符」ではないですけど、「音の長さや音量の大小の問題はあくまでも楽譜上のこと」といわれてしまえばそれまでですけど、なんか納得いかないです。
・・・・・ところで、中辛って辛口より「やや」甘いほうでしたっけ?(逃)