昨日は、お世話になった叔父のお墓参りに栃木へ。
99年の退社時から、亡くなる07年まで、ずっと変わらないテンションでお世話になった。 そして亡くなられてからも。
自分もそうだが、普通は他人の病気の事など段々と慣れて忘れていくものだが、変わらなかった。
家により挨拶、談笑、早めの夕食をご馳走になり、いつもそうなってしまうが、帰り際に色々とつまった袋を渡されて帰ってきた。
帰り道は順調だったが、佐野の近くで事故渋滞、いきなり止まって長い列。
近くのショッピングセンターなどで時間をつぶして回避。
湯沢には、店が無い。普段買い物が出来ないので、ちょうど良かった。
昨日は帰りが遅くなったので、今日になり叔母の電話を入れた。 袋の中身があまりにも重たかったら、そのお礼。
叔母に、焦らないように、ゆっくりしすぎる位にちゃんと休むように諭される。
もう、10年になる。ずっと付き合ってくれていて悪い時を知っているからそうなるのかも知れないが、 普通なら、「いい加減、もう大分よくなったのだから 仕事でも始めれば。」と、なるところだと思うが、 そうはならない。
本当に有難い。 ふつうは、無い。
自分に都合のいい言い訳をしてはいけない。生き方をしてはいけない。
辞める時に考えたのは、多分、無職になったら仕事の事で責められるだろうと言う事。
そうなった時に、自分を責めないで済むように、
しっかりと蓄えた。 そして、どんなに酷くなっても会社を休まなかった。
10年半、欠勤、遅刻、早退は、一度もない。 その最後の2年間は酷い下痢の状態でも同じように勤めていた。
辞めて、働かない自分を正当化するために。
体が壊れていくのに仕事をしてどうするの。 出来ないんじゃなく、やらないんだよ。と、誰にも文句を言わせないために。
叔母の言葉で、そんな事はどうでもいい事だったと気づく。
当時の俺は、何を気にしていたのだろう。 何を怖がっていたのだろう。
でも、その感覚が、成長の源だったのだから、脆い訳だと、今更ながら、感じる。