アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

どうしてブータンへ行きたいのか?

2011年09月12日 | Weblog
いよいよ、長年の夢だったブータンへ行くのですが…「ブータン」と聞いて、どこにあるかがすぐ分かる人は少ないです。中には、「北アフリカでしょ。エジプトの南。南部が数か月前に独立した…」そ、それは、「スーダン」…。
 ブータンは、インドと中国に挟まれてネパールの東に位置する。人口67万人、面積は島根県程度。GNPは世界150位台、主要産業は農業、最大の輸出品はヒマラヤの斜面で行う水力発電の電力。近代化の速度をコントロールしつつ、独自の立場や伝統を守ろうとする政治をおこなっている。

 ブータンは、「国民総幸福量(GNH:Gross National Happiness)」で世界1位の国。90%の国民が、「自分は幸福だ」と、感じている。ちなみに日本は、56%。(但しこの数字は、単純比較できません。同じ土俵では相撲がとれませんから)

 ブータンは鎖国状態でしたが、鎖国政策のままで国連へ加入することが出来なかったので政策を変更。現在は、「半鎖国状態」。

 国民は、民族衣装を着ることが義務づけられている。こんな国ないですよ!素晴らしい!日本も真似るべきとは思うが、「日本の民族衣装」を決定するのに100年以上かかりそう。

 数字を数える発音が、日本語に似ている。「1→チィ、2→ニュィ、3→スム、4→ジィ…(中略)…11→チュウチィ、12→チュウニィ、13→チュスム、14→チュウジ…」嬉しくなります。
 この数字の発音はゾンカ語。こんな国があるのです!素晴らしい!

 「ブータンの子供達を捕まえて、『チィ、ニュィ、スム…』を強要するんだろう!」だって?もちろんです。ブータンの九九にも興味があります(15×15までを暗記するらしい)。
 日本人がブータンに関心を持ったは、1989年の大喪の礼の時だったと思います。大喪の礼は、国の儀式として営まれる天皇の葬儀。1989年2月24日は、昭和天皇の葬儀でした。
 その時の日本は元気でしたから、途上国は、経済支援をしてもらいたかった。そこへ降って湧いた大喪の礼。途上国は、いわゆる「弔問外交」に出た。
 「お悔やみ申し上げます。葬儀にわざわざ参列させていただいた途上国でございます。お礼?とんでもない。少しばかり、経済支援をしていただければ十分です」と、いうわけ。
 ブータンからは、国王がじきじきに来てくださいました。国王は、なんと言ったか…
 「日本国天皇への弔意を示しに来たのであって、日本に金を無心しに来たのではありません」…性根が、「卑しくない」。武士道に通じるものがあります。
 この度の東日本大震災にも、ブータンからお見舞い金が届いています。GDP150位台の国からの見舞金…月収が2~3万円の人々の寄付金…。「お金じゃないよ、心だよ」と、語ってくれています。

ブータンの村…「渡り鳥(鶴)を保護するために電線敷設をしていない。自分たちの不便より、渡り鳥の保護を優先する。自分たちは、自家発電による夕方3時間ほどの通電のみで暮らす」。そういう村が多数存在しています。

ブータンは、世界初の禁煙国家(2004年12月から)です。たばこの販売も、もちろん禁止されている。(日本から持ち込んだたばこを、ホテルでこっそり吸ってもいいかって?死刑になりたければ、バンバン吸ってください)

 英語教育は7歳から。年配者には英語が分からない人がおられるという。現状では全国民の60%が英語を解する。なお、中国語、インド語、ネパール語を話す国民が多いという。公用語は、ゾンカ語と英語。

 アジアに限らず、海外の観光地には物売りがつきもの。子供の物売りも、ごく普通。しかし、ブータンには、物乞いや小物を売りに来る子供がいないという。海外旅行で、日本との差を感じさせられるのは、トイレ。ところが、ブータンのトイレはきれいなのだそう…。あと、都市部へ行っても街中に「看板広告」の類がほとんど無いのだと。
 私の場合、野次馬という「馬」が、人の姿をしているものでして…。述べてきた情報だけでも、「行ってみたい!」と、思うのです。(明日へ、続きます)