大相撲の解説者で、私が一番だと思う人は、「舞の海秀平さん」です。2番目は「北の富士さん」です。北の富士さんは何がいいかと言いますと、奇をてらうことが無い。まったく、そのまんま解説します。例えば…。
司会:「○○関は、次期横綱と言われてますが…」
北の富士さん:「(怒った口調で)誰がそんなこと言ったんですか!」
司会:「××関は、稽古熱心…」
北の富士さん:「(あっさり)熱心じゃない!」
舞の海(私のほうが大学の先輩なので、敬称略)は、「舞の海の相撲“俵”論」というタイトルで文章を書いています。「評論」を「俵論」と洒落た。えっ?説明には及ばないって?ハイハイ。
で、「舞の海の相撲“俵”論」に、私好みの、「いい話」が書いてありました。
世の中が便利になり、教育も変わった。一人一人の権利意識が強まり、「頑張らなくていい」「勝たなくていい」文化になってしまった。家族の単位で見れば、親と子の関係が希薄になり、個人主義が広がった。
・・・これ、舞の海の文章ですよ。現代の世の中の分析がきちんとできています。
春場所中に引退したブルガリア出身の琴欧洲の言葉が忘れられない。「親に仕送りするために相撲界に入ったのに、日本人はどうして入門してからも親に仕送りをしてもらうの。おかしいね」
彼が入門を決意したのは交通事故にあって働けなくなった父の代わりに、家計を助けるためでもあった。強くならないまま国に帰ることができようか。果たして、大関に昇進し、優勝もした。
・・・実は、私は琴欧州を応援していました。態度に好感が持てるからです。ボクシングの亀田兄弟の対極に居るアスリート。琴欧州の、不安げな表情の陰に、ブルガリアにおられる御家族への思いがあった…。舞の海、いいことを書いてくれました。
暴行騒動で突然引退した朝青龍に人情家の一面を見たこともある。
ある日の稽古終わりに「日本の力士は平気で親の悪口を言う。俺はそれが許せない。モンゴルでは絶対に考えられない。親は大切にするものでしょ」と真剣なまなざしで訴えかけてきた。
・・・実は、私は、現役時代の朝青龍が大相撲の解説者になっていた舞の海に対して、「秀平!おい、秀平!」と、下僕を呼ぶようにからかっていたのを知っているのです。舞の海にしてみると、ケツの蒼い朝青龍ごときに呼び捨てされて腹が立っていたと思う。それなのに、朝青龍のいいとこを文章にしている。舞の海はいい奴ですよ。
鶴竜は自ら入門を直訴する手紙をしたため、モンゴルから日本の大相撲関係者に送った。日本語がまったくわからない小さな少年だったという。それがいまは立派な力士になった。師匠を慕う姿勢や稽古場での向上心を見るにつけ、初心を忘れていないことは明らかだ。
スカウトされて連れられてきた力士と、自ら懇願して門をたたいてくる力士とでは気概がまったく違う。
日本の力士だけがふがいないのではない。酒や米がその土地その土地の土壌や気候で味を決めるように、国柄が力士をつくるのである。
いまのわが国を見つめると、何もかもが弱腰だ。近隣諸国に言いたい放題にされてはいないか。外国から来た力士に顔を張られても、怒って向かっていく力士がいないのと同じように。
土俵は、いまの日本を映し出す鏡なのかもしれない。
舞の海!態度がいいだけじゃないね。頭がいい!文章が書ける!
司会:「○○関は、次期横綱と言われてますが…」
北の富士さん:「(怒った口調で)誰がそんなこと言ったんですか!」
司会:「××関は、稽古熱心…」
北の富士さん:「(あっさり)熱心じゃない!」
舞の海(私のほうが大学の先輩なので、敬称略)は、「舞の海の相撲“俵”論」というタイトルで文章を書いています。「評論」を「俵論」と洒落た。えっ?説明には及ばないって?ハイハイ。
で、「舞の海の相撲“俵”論」に、私好みの、「いい話」が書いてありました。
世の中が便利になり、教育も変わった。一人一人の権利意識が強まり、「頑張らなくていい」「勝たなくていい」文化になってしまった。家族の単位で見れば、親と子の関係が希薄になり、個人主義が広がった。
・・・これ、舞の海の文章ですよ。現代の世の中の分析がきちんとできています。
春場所中に引退したブルガリア出身の琴欧洲の言葉が忘れられない。「親に仕送りするために相撲界に入ったのに、日本人はどうして入門してからも親に仕送りをしてもらうの。おかしいね」
彼が入門を決意したのは交通事故にあって働けなくなった父の代わりに、家計を助けるためでもあった。強くならないまま国に帰ることができようか。果たして、大関に昇進し、優勝もした。
・・・実は、私は琴欧州を応援していました。態度に好感が持てるからです。ボクシングの亀田兄弟の対極に居るアスリート。琴欧州の、不安げな表情の陰に、ブルガリアにおられる御家族への思いがあった…。舞の海、いいことを書いてくれました。
暴行騒動で突然引退した朝青龍に人情家の一面を見たこともある。
ある日の稽古終わりに「日本の力士は平気で親の悪口を言う。俺はそれが許せない。モンゴルでは絶対に考えられない。親は大切にするものでしょ」と真剣なまなざしで訴えかけてきた。
・・・実は、私は、現役時代の朝青龍が大相撲の解説者になっていた舞の海に対して、「秀平!おい、秀平!」と、下僕を呼ぶようにからかっていたのを知っているのです。舞の海にしてみると、ケツの蒼い朝青龍ごときに呼び捨てされて腹が立っていたと思う。それなのに、朝青龍のいいとこを文章にしている。舞の海はいい奴ですよ。
鶴竜は自ら入門を直訴する手紙をしたため、モンゴルから日本の大相撲関係者に送った。日本語がまったくわからない小さな少年だったという。それがいまは立派な力士になった。師匠を慕う姿勢や稽古場での向上心を見るにつけ、初心を忘れていないことは明らかだ。
スカウトされて連れられてきた力士と、自ら懇願して門をたたいてくる力士とでは気概がまったく違う。
日本の力士だけがふがいないのではない。酒や米がその土地その土地の土壌や気候で味を決めるように、国柄が力士をつくるのである。
いまのわが国を見つめると、何もかもが弱腰だ。近隣諸国に言いたい放題にされてはいないか。外国から来た力士に顔を張られても、怒って向かっていく力士がいないのと同じように。
土俵は、いまの日本を映し出す鏡なのかもしれない。
舞の海!態度がいいだけじゃないね。頭がいい!文章が書ける!