アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

人の不幸を…

2014年04月19日 | Weblog
  昔の話ですが…午前0時頃だったかと思います。「助けてください、助けてください!」という声が聞こえました。また、キツネの声と勘違いしたんじゃないかって?イエイエ、まじめな話です。
 窓を開けると、裏の住宅の2階から炎が出ていて、住人が2階の窓から身を乗り出して叫んでいました。住人は2階から飛び降り、火傷はしていましたが命に別条はありませんでした。消防車が来て、野次馬も続々と集まってきました。その中に、顔見知りの教員がおりました。彼の手には、カメラが…。人の不幸を写真に納めようという魂胆。それ以外に、カメラを持ってノコノコと火事の現場へやってくる理由がないでしょう。私の顔がよほど恐ろしかったのか、カメラ男は、「いや、その、ちょっと…」と、なぜカメラを持ってきているのかの言い訳をしようとしました。が、言い訳などできるはずもなく。そそくさと帰るふりをして、少し離れたところでしっかりと火事を見物しておりました。私の目を盗んで写真を撮ったかも。
 
 ライフ誌の表紙に、ベトナム戦争下のベトナム人の子が裸で大泣きして歩いている写真が掲載されたことがありました。親を失い、家を失い、ただ泣くだけの子ども。その写真を撮影した記者は、たいそうな賞を受けました。ただ…賞を受けた名誉は…泣きながら歩く子どもの手に1ドル札が握らされていたことで崩れ落ちました。その記憶が、火事場写真撮影男を見てよみがえったわけでして。

 孤児となった子にお金を渡して写真を撮ったり、野次馬が火事場の写真を撮る…これは、法律違反ではないかも知れませんが、嫌ですね。

 1993年、内戦と飢餓のスーダンで撮影された写真は…
 「(飢餓で)あばら骨が浮き出てている小さな女の子がうずくまっている。食料配給所にたどりつく前に力尽きたようす。その背後に大きなハゲワシが舞い降りた」
 題して、「ハゲワシと少女」。ショッキングな写真だったので、記憶している人も多いかと。撮影した写真家はピュリツァー賞(米報道界最高の栄誉)を受けた。
 賞賛の一方、「少女救出より撮影を優先したのはハゲワシと同じ」と、強い批判を浴びた。「人命か報道か」の論争となりました。そして、撮影した写真家は…自ら命を断った。撮影後にハゲワシを追い払ったということですが…撮影を優先したことで、人生をやめてしまわなければならないことになってしまった。

 2014年のピュリツァー賞の公益賞が、ワシントン・ポスト(米紙)とガーディアン(英紙)に贈られた。スノーデン元中央情報局(CIA)職員のリーク資料を基に、NSAが世界規模で行っている電子盗聴の実態を暴露したのが讃えられたわけ。これも、スノーデン氏が、英雄なのか裏切り者なのか意見が分かれるところです。

 報道って何かな?ハゲワシは写真撮影より先に追い払っておけば、血の通った報道になったと思います。
 例のカメラ持参火事場訪問の似非写真家のオチはどうつけてくれるんだって?彼の場合、報道とは関係ないもん!野次馬にも、上品な野次馬と、ゲスな野次馬がおります。彼の場合は、後者。感心に値する愚か者です。オチのつけようがない。