卒業式が終わると卒業生たちが、「卒業アルバムの余白部分に、言葉を書いてください」と、持ってきます。私は、毎年同じでもつまらないので、趣向を変えて、「わかったような、わからないような文」を書きます。
何年かおきに使う文として、「明日、世界が滅びるとしても今日、私はリンゴの木を植える」があります。開高健さんのパクリだろうって?開高さんは、「…今日、あなたはリンゴの木を植える」です。ま、まあ、パクリですがね。太公望仲間として許してくださるでしょう。
で、「リンゴの木」ですから、開高さんは、ジョニー・アップルシードをパクッタであろうと判断していました。ジョニー・アップルシード、本名はジョン・チャップマン。布教しながらリンゴのタネをまいて歩いた人。
ところが、我が家の読書家によると、「リンゴの木を植える」は、ルーマニア出身の作家ゲオルギウが小説「第二のチャンス」に書いていると…。
「たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える」と。
それを開高さんは「自分は」を「あなたは」に変えて使った…?それを私は、「あなたは」を「私は」に変えてしまった?
ではジョニー・アップルシードはどうなんだ?ジョニーは、「1774~1845年」。ゲオルギウは、「1901~1965年」。ほーら、「ジョニー→ゲオルギウ→開高健→アンティークマン」だ!…と、思いきや、ゲオルギウは、「リンゴの木は、マルティン・ルターの言葉」だと。
マルティン・ルターは、「1483~1546年」…さすがのジョニーもルターより300歳近く若い。
結局、「リンゴの木を植える」のルーツ、始まりはマルティン・ルターということで…。
何年かおきに使う文として、「明日、世界が滅びるとしても今日、私はリンゴの木を植える」があります。開高健さんのパクリだろうって?開高さんは、「…今日、あなたはリンゴの木を植える」です。ま、まあ、パクリですがね。太公望仲間として許してくださるでしょう。
で、「リンゴの木」ですから、開高さんは、ジョニー・アップルシードをパクッタであろうと判断していました。ジョニー・アップルシード、本名はジョン・チャップマン。布教しながらリンゴのタネをまいて歩いた人。
ところが、我が家の読書家によると、「リンゴの木を植える」は、ルーマニア出身の作家ゲオルギウが小説「第二のチャンス」に書いていると…。
「たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える」と。
それを開高さんは「自分は」を「あなたは」に変えて使った…?それを私は、「あなたは」を「私は」に変えてしまった?
ではジョニー・アップルシードはどうなんだ?ジョニーは、「1774~1845年」。ゲオルギウは、「1901~1965年」。ほーら、「ジョニー→ゲオルギウ→開高健→アンティークマン」だ!…と、思いきや、ゲオルギウは、「リンゴの木は、マルティン・ルターの言葉」だと。
マルティン・ルターは、「1483~1546年」…さすがのジョニーもルターより300歳近く若い。
結局、「リンゴの木を植える」のルーツ、始まりはマルティン・ルターということで…。